「わたしは今猛烈に腹が立っているので話しかけないでください」


ある日の平日。
部活帰りの飛鳥享は開口一番に放たれた言葉に目を瞬かせた。


「…それ以前にここは俺の部屋なんだが。話しかけられたくないなら別の場所に行けばいいだろう」

「う、うるさいな!良いでしょわたしがどこに居たって!」

「…時と人と場所と場合によるな」

「新聞ゲームか!って結局話しちゃったじゃない享のバカァ!」


至極まともな意見を述べたハズなのに、彼女の怒りを余計に増長させてしまった飛鳥はますます困惑した。

いくら皇帝と呼ばれ周囲から天才と慕われている彼でも、いきなり恋人の怒りの原因が理解出来る訳ではない。

いや、彼なら出来るかもしれないが、いくら自分の中で仮説を立ててみてもいまいちしっくり来ないのだ。


「なまえ?何をそんなにむくれているのか教えてくれないか」


一先ずエナメルを置き、なまえの正面に腰を下ろして話を聞く態度を見せる。
分からない以上は直接尋ねるしかないだろうと考えての行動である。


実を言うとこのようなケースは初めてではない。
なまえが飛鳥の住む寮に隠れて侵入してくる時は、大抵怒りをぶつけたいか慰めてほしいかのどちらかだ。

その原因を取り除いてやるのも恋人である自分の役目だ、そう決意している飛鳥はハムスターのようにぷっくり膨らんだなまえを見つめた。

「……」

「…なまえ」


しかしなまえは、ジト目で飛鳥を睨んだ挙げ句プイッと背を向けてしまう。
これは完全に血が昇っているようだ。

どうしたものか、飛鳥は考えを巡らすまでもなく慣れた手つきで細い肩を掴まえた。


「こっちを向け、なまえ」

「――――っちょ、!?」


簡単に体勢を崩したなまえを一気に引き寄せ、自身の腕に納める。
それで彼女の怒りが鎮まることはなく、手足をばたつかせ暴れまくった。


「なにすんの!放せってばバカイザー!」

「はいはいよしよーし」

「わたしは犬か!?それより耳、耳元でしゃべるなぁぁぁ!」


落ち着かせようと頭を撫でると、ますます抵抗するなまえ。
しばらく暴れ犬を躾けるブリーダーのような攻防が続いた後、疲れはてたのか先に根を上げたのは彼女だった。

もたれ掛かってきたなまえを労るようにポンポンさする飛鳥に、なまえは小さく声を出す。


「…そうやっていつもわたしにストレスぶつけられて、疲れないの?嫌気がさすでしょ…」

それは少し後悔を含んだような、力ない言葉。
先ほどとは打って変わってしおらしいなまえの姿に、飛鳥の口元は自然と緩む。


「俺だって他の奴はお断りだよ。なまえが俺を頼ってくれたから、なまえだから怒りも全て受け止めたいって思うんだ」

「…享のタラシぃー女泣かせー」


甘えるように飛鳥の肩口へ押し付けたなまえの頬は熱かった。
その様子に満足気な笑みをこぼし、拘束を強める。


「俺にはなまえだけだよ」

まるでホストのような口説き文句も、飛鳥が口にすれば誠意のこもった紳士的なものに聞こえるからイケメンはズルい。
そう思いながらもなまえの心は正直なリズムを奏でている。


「…享、好き」

無意識に口から出たセリフ。
言った後で自分の言動に赤面する。

すると飛鳥は驚くほど優しく微笑むから、なまえは思わず見とれてしまった。


「なまえ、愛してる」


近づく熱を帯びた瞳。

あんなにムカムカして仕方なかった怒りはどこへやら。
怒りよりも緊張が勝ったなまえは、恋人の愛を感じながら、そっと目を閉じた。



(だから頼るのは僕だけにして)



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