『光源氏』


高校の時に古典の授業でよくバカにしていたものだ。

所詮はロリコンだろ、これが名作になっている意味が分からない。
先生の朗読は心地好い子守唄でしかなくて、正直内容より叩き起こされた痛みの方が記憶に残っている。


そんな俺がまさかリアル光源氏っぽい事を体験するとは誰が予想していたか。


『…初めまして』


想像もしていなかった。
また君に会うことになるとはね、なまえちゃん。

あれ、ていうか、俺忘れられてる…?



さかのぼるのは半年前。
ある日、昔お世話になった喫茶店のマスター、みょうじさんから突然連絡が入った。


“可愛い可愛い娘が一人暮らしをすると言ってきかないので心配だから住まわせてくれ”

とか。

お世話になった人に言うのはどうかと思うけど、この人大丈夫かと正気を疑った。

そんな大事な愛娘をどうして俺に預けようとするんだ。
狼の家にか弱い子羊を投げ込むようなもんなのに。



混乱した頭で問えば、

“聡くんにそんな度胸はないって分かってるから大丈夫”

あっさり返ってきた答えに痛む胸をそっと押さえた。


ひでぇ言い様…!

さすが過去をよく知る人には敵わない。
それに、彼は笑っていたけどあの言葉にはきっと『手ェ出したら生きていられると思うなよ?』みたいなニュアンスが含まれていた。

親バカって恐ろしい…!


『…なまえは聡くんにずいぶんベッタリだったし、一人暮らしさせるよりは昔馴染みの人に預ける方が良いと思って』

『いやいやそりゃなまえちゃんは懐かしいですけどね?何もこんなおっさんの家じゃなくったって』

『まぁまぁ、他に頼れる人がいないんだ。どうか一つお願いだよ聡くん!信頼してるからね!』



相変わらずこっちの都合は無視なんですね。

やり場のない憤りをどうしようか迷っている内に、受話器から再び声が流れてきた。



『…なまえとの生活は、きっと聡くんにとっても良い影響になるよ』

『…それって家事炊事的な意味ッスか?』


その問いかけには、穏やかに笑うだけで答えてはくれなかった。
大事な部分を濁す彼に不満をもらす俺という図は、何だか昔に戻ったようだなとぼんやり考えた。



結局分かったのは、最初から俺には拒否権などなかったという事だ。


うーん、面倒なことになったな…。


****



そうして約十何年振りに再会した彼女は俺を覚えていなかったなんてオチで。


可愛がっていた幼子は贔屓目じゃなくて本当に綺麗になっていて、らしくもなく驚いてしまった。
けど運良くその時の彼女は俺が仕掛けたクラッカーに冷たい目を向けていて、俺の表情には気付いていなかった模様。
一安心してから改めて対面。


成長したけど、その分笑顔が消えたことが気がかりだった。

やっぱり十年も経てば変わってしまうよな…と形容し難い寂しさが去来する。


だけどそんなものは今日一日の彼女の行動で杞憂に終わった。



懸命に俺の事を考えてたくさんのお土産を買ってきてくれた不器用な優しさだったり。


本当は一人暮らしがしたかっただろうに、俺との生活を受け入れて俺を知ろうとしてくれたり。




表情に現れなくても、君は君のままだったね。



一生懸命相手を思いやる姿が本当に可愛くて、夜にはもっとなまえちゃんのことが知りたくなっていた。


話せば話すほど墓穴を掘っていくとは知らないで俺との思い出を語る彼女は、心なしか嬉しそうに見えて。


『私その人が大好きで、……』


だめ押しとばかりにそんな褒め言葉を言われたら、誰だってにやけるだろ確実に!

柔らかそうな髪をぐしゃぐしゃに撫でまわしたい衝動を必死に抑えるのが大変だった。
少しずつ見えてきた彼女の表情に、電話を受けた時の気落ちなんて全く有りはせず。


本当に、心から彼女との生活が楽しみに思えていた自分にまた驚いた。


珍しい自分の感情に胸中で戸惑いつつ、線引きはきちんとしておかねばと言い聞かせる。



自分と彼女の関係は宿主と下宿人。

楽しむ所は楽しむけれど、決して深く追及する事のないように―――。


刻み付けるように、何度も何度も復唱した。



「…っと、少し話し過ぎちゃったか?なまえちゃん。明日もやることは山積みだし、今日はもう寝な」

「はい、それじゃあお言葉に甘えて。……お休みなさい、た、丹さん」

「え――――」



長く呼ばれ、聞きなれてきた愛称。
しかし彼女から久しぶりに聞けた愛称は、今までで誰の声よりも一番しっくり届いた。


気付いた時には呼んでくれた彼女の姿は扉の向こうに。



「…参った」


またしても不意を突かれた俺は冷めきった湯飲みを片手にテーブルへ突っ伏す。

本当に俺のペースを崩すのがお上手ですこと。



「しっかりしろ丹波聡ー…。相手は年下だぞー…」


楽しみだけど、前途多難になりそうな予感がした共同生活の始まりであった。


「おいおいガチで?」
(距離って難しい!)












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