嘘をつくのは得意だった。
だって私は感情が面に出にくいから。
気持ちを押し殺せば、みんな気付かない。
そうして生きていく内に、感情を隠すのが癖になってしまった。
だけどそれは相手に一線引くこと。
そうして自分を守って生きてきた。
今まで距離を開けるのが普通だった私にとって、いきなり間を詰められるのは恐怖でしかなかった。
だって私は今まで本気で人とぶつかったことが無かったから。
『そんなに怖がることじゃないと思います』
だけどそれが、椿さんの言うように私の思い違いであるなら。
丹さん。
私はもう少し、貴方に近づいてもいいですか?
熱気溢れるスタジアムへ、おっかなびっくりに歩みを進める。
みょうじなまえ、サッカー観戦デビューです。
「……っ」
「なまえねーちゃん、それビビってるの?表情変わらないから分かんないよ」
「だ、だってコータくん、あの人達すごく顔怖いよ。本当にサポーターなんだよね?」
「ああスカルズね。ちゃんとETUのサポーターだから、ねーちゃんは気にしなくていいよ。それより早く!」
「あ、待ってコータくん…っ」
小さな手に導かれるままに、最前列へ。
スタジアム前にて初めての観戦で気後れしていた私に声をかけてくれたのが彼、コータくんだった。
彼はETUのユースクラブに入っているそうで、私が感心して話に聞き入っていると一緒に観ないかと誘ってくれたのだ。
右も左も分からない初心者にとっては正に天恵である。
そうして席に着いた現在でも、コータくんの友達を交えたサッカー談義で話題が尽きない。
「でね!達海が監督になってから、ちょっとずつ勝ちが増えてきてんだ!」
「うん、すごいね」
「オレ、試合の度に毎回ドキドキするんだぜ!」
「私もテレビでドキドキしながら観てる」
「…マジで無表情だから分かり辛いよねーちゃん!!」
「ご、ごめんね…」
「もう!ねーちゃん試しに笑ってみて」
「うん。……どう、ですか」
「…うん…なんかごめん…」
「え、え、そんなに酷かった?」
努力は、努力はしているつもりなんだけど…。
ムニムニと表情筋を押し上げてみるが、すぐに戻るし違和感は残る。依然として直る兆しを見せない悪癖に自然と溜め息が出た。
「…でもさ、声があるじゃん」
そんな私の様子を見たコータくんは、サラッと告げる。
真っ直ぐに、こちらを見上げて。
あまりに自然過ぎて聞き逃すところだった。
「だからー、顔に出なくても言葉があるじゃん。言えばいいじゃん。オレはそんな気にしなくていいと思うけど。フツーになまえねーちゃんの言いたいこと分かるし。てか難しく考えすぎなの、ねーちゃんは!」
「……コータくん」
「な、なに」
「抱きしめてもいいですか」
「はぁぁぁっ!?」
私の発言に真っ赤になった彼が可愛くて、了承も得ずに腕の中へ引き入れた。
必死にもがいている姿に胸を打たれ、小さな頭を撫でまわす。
子どもって凄い。純粋な視点だからこそ、理性が働いてばかりの思考に鋭い光を突き刺すから。
そうだね、本当は、とても単純なことなのに。
「ちょっ、ねーちゃん!」
「ありがとう」
「?何が」
「コータくんの言葉が嬉しかったの。だから、ありがとう。―――伝わった?私の気持ち」
抱えていた腕を離して彼を見れば、一瞬ポケッとしてから、満面の笑みを浮かべてくれた。
少しだけ口元が緩んだ。
「コータ!なまえねーちゃん!試合始まるぞ!」
呼び声にハッとして、コータくんとスタジアムの方を向く。歓声と共に選手達が入場してきた。
赤と黒のストライプ模様のユニフォームを纏った人々の中でも一番に認識できたのは、やっぱりあの人。
「……たん、さん」
14、と書かれた背番号を認めた時点で動悸が高まっていく。
いつも見ている笑顔はありながら、その瞳は強い闘志に燃えていて。
真剣な横顔に、寸の間息を詰まらせた。
たったそれだけのことに、取り乱してしまいそうになる。痛む胸をそっと押さえたって、何の意味にもなりはしない。
(けど、今日、私は決着をつけに来たんだ)
ぬるま湯から抜け出しに。
自分を見つめ直すために。
私が、彼のことをどう思っているのか知るために。
向き合うって決めたから。
私の目はひたすら彼を追い続けた。
前半は若手がスピード感溢れるテンポの早い試合で、相手チームを引っ掻き回した。しかし得点には結び付かず、そのまま後半戦へ突入。
赤崎さん、世良さんと途中交代した丹さんと堺さんが入ってから流れが変わった。
前半とは打って変わって、落ち着いたベテラン勢のボール回しに焦れた相手チーム。主導権を奪おうとディフェンスラインが上がった瞬間を待っていたかのように、丹さんが鋭く前線へボールを送った。
そのパスは見事トップ下の堺さんの足元に届き、彼がシュートを放つ。ボールは綺麗にゴールネットを揺らした。
それが決定打となり、ETUは勝利を納めた。
沸き上がる観衆の隙間から見えた、無邪気な子供のようにはしゃぐ彼から目が離せなかった。
「なまえねーちゃんって、丹波が好きなの?」
「……どうして?」
試合も終わり、人がまばらになった客席に残っていた私とコータくん。トイレに行ってしまった彼のお父さん待ちである。
ずっと考え事をしていた最中の突然な質問に、動揺を隠せなかった。
理由を尋ねれば、彼は言いにくそうに口ごもる。
「や、だって、丹波が交代してから、ねーちゃんずっと嬉しそうに笑ってたんだもん」
「………うそ」
「本当だよ!気づいてなかったの!?」
問いつめる彼に頷けば、盛大に呆れられてしまった。
(笑って、た?)
本当は、わかっていた。
わからないフリをしていただけだった。
どれだけ勉強したって、こればかりは教科書通りにはいかないと。
そうやって理由を作っては背を向けて。
貴方も背を向けていたからって甘えてしまった。
本当はね、
分かっていたんです。
でもソレを認めてしまえば、抑えきれなくなる。
貴方に迷惑をかけてしまうと、身勝手な理由をこじつけて向き合うのを恐れました。
賢い、気が利く、大人っぽくて出来た子だと人は言うけれど。
実際はただの臆病者なんです。
本当は、解っていました。
貴方の前では自然に笑みが浮かぶことの意味も。
貴方に踊らされる感情の意味も。
「隠さなくていいじゃん。好きなんでしょ?丹波が」
「……うん、好き。
私は、丹さんが、…大好き」
全部ぜんぶ、知っていたんです。
―――私が、どうしようもなく、貴方が好きだということも。
声をなくした人魚姫
(抗えない未来の結末に)
(彼女は無音の言葉を叫び続けるのです)
(“愛してしまって、ごめんなさい”と)