おかしい。

そんなのとっくに分かってた。

でもダメなんだ。


この感情は、絶対に認めちゃならない。

彼女のためにも、そして俺自身のためにも。

絶対、絶対に。








「…さて。用は済みましたし、私もそろそろお暇しますね」

「え、もう帰っちゃうの?」

「一般人が居ていい場所じゃないでしょう。それに大学行くついででしたから」


レポート提出しなきゃ…と面倒そうに呟く彼女の表情はすっかりいつもの冷静さを取り戻していた。
だけど俺だって伊達に彼女と暮らしていない。


(耳、赤いよなまえちゃん)


僅かな変化を読み取れば、とても嬉しそうだというのは明白だった。

ずっと憧れだった人に会えたんだから無理もない。
監督もなまえちゃんを気に入ったみたいだし、俺の知らない内にずいぶん親密になったようだ。



「…なまえちゃん。監督に会えて良かったね」

「―――…はい。幸せ過ぎて一生分の運を使いきっちゃったかも」


間を置いてから答えた彼女は、照れくさそうにはにかむ。
それは本当に可愛くて見惚れてしまう位。

その笑顔を作ったのが監督なのが、はっきり言って面白くない。
ああそうさ、面白くねぇよ。
悲しませたくないから言わないけど。


でも俺は只の同居人な訳で。
彼女を咎める権利は勿論ないし、これは俺の身勝手な言い分に過ぎない。


(俺、何でこんな悩んでるんだろ)


自分は一体彼女に何を望んでいるんだ。


そこまで行き着いては慌てて思考を止める。
嫌な予感がする、これ以上は良くない。



「丹さん?おーい」

「、っと、ごめん何?」

「…ふふ」

「ちょっと何で笑うのさー」

「すみません。だって、さっきとまるで逆なんですもん」


線引きはしっかりと、あれだけ注意していたのに。

俺はいつしか線を引くことを躊躇うようになってしまった。

くすくす笑う彼女を見ているとそんな境界線すらどうだって良くなる。


あーあ、俺って面倒くさい奴だな。


「丹さん?」

「…なまえちゃん、この後大学ってレポート提出するだけ?」

「え、はい。そうですけど」

「送っていくよ。なまえちゃんと一緒にいたい」



驚いて俺を凝視する彼女に俺も驚く。
やべー、無意識って怖い。
何言うか分かったもんじゃねぇ。


しかし彼女の切り返しもまた凄かった。



「え、嫌ですけど」

「早っそんで冷たっ!!ちょ、なまえちゃん最近俺への冷たさが二割増しなんですけど!?」


そんなにあっさり断られるとは夢にも思わなかった自分が恥ずかしい。
ここぞとばかりに顔を歪めないで31歳の心はナイーブなの!


「母校でもない学校にノコノコと行くサッカー選手がいますか?プロなんだって、人に見られる職業なのを自覚してから言って下さい」

「ご、ごもっとも…」

「嫌なんです。丹さんに迷惑かけるのは」

「うん…ごめんね。言ってみただけです…」


しかし彼女は真剣に正論を返してくるから立つ瀬がない。
さすが生真面目フラグクラッシャー、見事なまでに粉砕だ。


でもそのお陰で暴走せずに済んだから助かった。
ゆっくり深呼吸して平静を戻し、おどけて見せるべく笑顔を作る。



「…だけど」


しかし彼女が発した次の言葉に、作り笑いは容易く剥がれ落ちた。



「大学はダメですけど、そのあと買い物に行くので。

…もし、丹さんが良ければ、ご、ご一緒してくれませんか?」


恥ずかしそうにうつ向いてしまった彼女からのか細いお願い。
せっかく抑えた感情が性懲りもなく沸き上がってきた。

ホント可愛いな、うちのなまえちゃんマジで可愛い。


「っ!?た、丹さんっ何、」

「今すごくなまえちゃん愛でたい気分なの」

「い、意味分からないです!」


思わず彼女の髪に手を伸ばして、犬にするかのごとくわしゃわしゃ撫でまくった。
驚かせてしまって申し訳ないけど、この衝動はどうしようも出来ない。
可愛いって罪だよね。


「行く。行こう買い物。なまえちゃんとなら全然よろしいに決まってるでしょ」


ひとしきり堪能した所で手を離せばお怒りが飛んでくるかと思いきや。
ぱちくりと瞬いた瞳に、みるみる赤くなる顔。


「…良かった…ありがとうございます。じゃあ終わったら連絡しますね」


何が食べたいか考えておいて下さい、と赤みの残る顔で微笑まれる。
ドクン、大きく脈打つ音がして、我に返ると彼女の肩に手を置いていた。


「どうかしました?」

「え……いや、疲れてるんだから無理しないでねって言いたくて」

「色々あって眠気も吹っ飛びましたから大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」


不自然な動きをした俺を疑うことなく接してくれる彼女に罪悪感が生じる。
出口まで見送り、その姿が見えなくなるとヘナヘナ地面にしゃがみ込んだ。


「…っとに、ふざけんなよ俺…」

さっき彼女の肩に触れた右手を見下ろし、ぐっと握る。
自然に眉間へ皺が寄り、重い息を吐いた。


(…あの時)


俺だけに向けた笑顔。
目を瞑っても鮮明に浮かぶ。


(抱きしめ、そうだった)


もし実行していたらと思うと恐ろしくてたまらない。



「俺…いつからこんな我慢のきかない人間になったんだ」


本日何度目か分からない問いかけをしては、また項垂れた。


とりあえず、今日の夕飯は俺が作ろうと思います。



「まるで中坊だ」
(初恋中の青臭いガキか)












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