「…掛け直した方がいいのかな」
雑音が流れるスピーカーから耳を離して考え込む。
丹さんに報告したい事があったのだけれど、彼は何やら忙しいみたいだ。
一応練習も終わりそうな時間帯を選んだつもりではあったが。
「丹さーん、迷惑だったなら一回切りますよ?」
『え、ちょ、待ってなまえちゃん!』
“お前らどけ!”と珍しい彼の怒鳴り声に感心していると、まるで何事もなかったかのようにお茶らけた声が返ってきた。
『遅くなってごめん!で、どうしたの?』
「…」
『なまえちゃん?』
「!す、すみません。大した事ではないんですが」
そっか、チームの人にはあんな感じなんだ。
知らなかった発見に何故か物思いに耽ってしまったらしく、丹さんに不振に思われるまで全く気付かなかった。
そこでようやく当の目的に辿り着き、一度は尻込みしたものの口を開く。
「えっと…今日友達とフリーマーケットに行ったんですけど」
『へぇー、何か欲しいのあった?』
「あ、あの…コーヒー豆があって」
『…フリマに豆…?』
「いえ、すぐ近くで直売してたんです」
『フリマの下り関係ないよねそれ』
曲がりなりにも喫茶店オーナーの娘、コーヒーや紅茶には目がない。
見たところ上等な豆で香りも良くて。
これは挽いたら一層だろうと気が付けば会計を済ませてしまっていた。
「という訳ですので明日の朝に淹れたてを出しますね…って、伝え、たかったんですけど…あれ。本当にどうでもいい報告だ」
『えええ自分で納得しちゃったの!?』
「え、えっと、他にも買ったんですよ?鶏肉とかソーセージとか白菜キャベツ、ニンニクの芽、人参にじゃがいもにオクラに牛蒡。あとちょっと奮発してお刺身。なくなりかけてた調味料…」
『分かった君はフリマじゃなくて普通に主婦の買い物を楽しんだんだね!ていうか買いすぎ!どうしちゃったのなまえちゃん!?』
「…!あ。あー…また無意識に…」
『?』
狼狽える私の気配を察してか、丹さんが必死に宥めてくれるけれど。
理由を聞かれても答えは絶対言いたくない。
よくよく考えたら本当に馬鹿か私は。
言えない…言ったら爆死する、私が。
いっそ通話を切ってしまおうか、
そう固く決めていたのに、彼はことごとく願いを打ち破る。
『…なまえちゃん?切ろうとしたら小さい頃のなまえちゃんの写真、チームの奴等に見せびらかすよ』
「…た、丹さんの卑怯者…っ」
『大人なんてそんなもの。何か悩んでるなら言ってよ。なんつーか、隠し事は…寂しいだろ』
段々と覇気がなくなって最後の方は良く聞き取れなかったけど、多分そんな感じの事を呟いたんだと思う。
不覚にも少しときめいた。
可愛くないですか。
この人31歳なんですよ信じられます?
でも丹さんは何か誤解している。
それは阻止したくて、仕方なく、本当に仕方なく口を開いた。
「…違いますよ。悩んでたんじゃなくて、むしろ浮かれてたんです」
『どういう…』
「明日、アウェイで試合でしょう?景気づけというか、いやそんなのは言い訳で、
…丹さんに、喜んで欲しくて」
そう、純粋に丹さんの笑顔が見たいという自分の下心。
暴露しても吹っ切れる事はなく、余計に羞恥心を駆り立てられる。
もう爆笑されるのは覚悟の上だと思っていたが、彼は予想外に穏やかな笑い声を立てた。
心臓が、跳ねる。
『あのねなまえちゃん。俺なまえちゃんのコーヒー好きだよ。お父さんに似て上手になったね』
『いつも手作りしてくれる料理も好き。良く気の利く所に助けられてる。俺さ、本当に嬉しいんだ。
―――これ以上俺を喜ばせてどうしたいのさ』
心から慈しむように発せられた言葉は、私だけに向けられたもの。
全神経が右耳に集中し、沸々と熱が顔の温度を上げて無性にむず痒くなる。
恥ずかしい、そう思うのに口元は緩やかな線を引いた。
『夕飯と明日のコーヒー、楽しみにしてるよ?』
「…はい」
ハッピーコールが鳴り響く
(あなたの声をもっと聴かせて)