最終話
「おまえ……」
振り返れば、見知った顔がそこにあった。
見上げた船壁の向こう側。
闇の中にオンナが浮かんで、俺らの事を見下ろしている。
「なんとか間に合って良かったです」
それはあの日、部屋に尋ねて来たオンナ。
島で見つけた……頭蓋骨の、オンナだ。
「おまえがコイツを?」
野郎の誰かが、ゴクッと唾を呑むのが分かる。
「ようやくお礼できました」
そう言って微笑むオンナの姿を見て
摩訶不思議な現象に、合点がいった。
……いや。
コイツだけの力じゃねえな…
気づけば女の隣には、若い男が立っている。
「つか。“お礼”ってお前。‥‥部屋の掃除しか出来ねえンじゃなかったのか?」
あの日の会話を思い出して、皮肉交じりに笑って言う。
女は口に手を充てて、クスッと笑う。
その顔を「どういうことだ?」とでも言いたげに、横から顔を覗く男は
女が恋焦がれた、婚約者の男だろう。
品の良いスーツに身を包み、寄り添うように佇んでいる。
「ともあれお前も、再会できたみてえだな」
にや、と笑うオレの言葉に、2人は顔を見合わせた。
「これも皆さんのお陰です…」
2人は微笑み合ってから、揃っておれに頷いて見せる。
「船長2人の指を見て?」
その時、●●●がポツリと言った。
「……指か?」
つぶやく声が聞こえたか。
2人はどこか嬉しそうに、片手を胸まで持ち上げてみせる。
そこに見えた金の指輪。
揃いじゃねえが、似たような形の金の指輪は…
あの日墓に添えたヤツだ。
「ちゃんと届いてたんですね…」
輝きを放つ指輪を見て
●●●の目に、じわりと涙が溢れ出す。
「あなたには感謝してもしきれません」
オンナの言葉に、●●●は首を横に振った。
「感謝をするのはわたしの方です…」
(助けてくださってありがとう…)
礼を言う●●●の隣でトワも深く腰を折る。
オンナと●●●は、互いに感謝の言葉を言い合い、ふっと顔を綻ばせた。
温かい空気が、辺りをすっぽりと包み込む。
隣に並ぶ青年が、女の肩に手を置いた。
「そろそろ時間か?」
女が1つ。ゆっくりと首を縦に振る。
「本当にありがとうございました」
「おいおい待て!礼を言うのはこっちだぜ? 世話になったな、ありがとな」
感謝の言葉を心から告げる。
おれの横で野郎たちも、微笑みながら頷いている。
「船長さん。彼女さん……」
不意に女が真顔になった。
真剣な目が、真っ直ぐ射抜く。
「どうかお2人は…離れることがありませんように…」
憂いのある表情で、俺たちにそう告げるオンナは
己の悲運を思い返して、そう言ってくれたと思う。
背筋が伸びる気がした。
●●●を抱く手に力を込める。
「ああ、離さねえ。もう2度と離さねえよ」
固く胸に誓いながら、おれも女を真っ直ぐ見据える。
●●●も同様。おれ首にしがみついて、頬に頬をすり寄せる。
満足げに微笑む2人がキラキラと美しく輝き始めた。
どうやら別れの時が来たようだ。
「そろそろか?」
揃って2人が、小さくうなずく。
「ほんじゃ、あの世で2人、仲良くな?」
「はい。お2人も…どうか末永くお幸せに…」
身を寄せ合い消えて行く2人を、俺らはじっと見つめる。
「さようなら…」
輝く2人がニコリと笑って、徐々に薄くなっていく。
寄り添う2人は、俺らに深く一礼をして
やがて闇に溶け込むように、薄くなって消えていった。
「それでは皆さん、よい旅を…」
最後にそんな
言葉を残して……
†
「2人とも…行ってしまいましたね‥」
しばらく沈黙が続いたあと。●●●がポツリと声を漏らした。
「ああ、そうだな…」
元の闇に戻った途端、まるで魔法が解けたみてーに、風が吹き荒れ、横殴りの雨が
頬を叩いているのに気づく。
●●●は首にしがみついて、頬に頬を摺り寄せた。
顔を上げれば全身ずぶ濡れの野郎たちが、俺らの事を笑って見ている。
そんな奴らの背後には
激しい死闘を象徴するよう、満身創痍のシリウス号。
その向こうで、片手で舵を握るシンが、おれを見つめて頷いている。
「さて。ほんじゃおれらも行くとするか?」
まだまだ嵐のど真ん中だが、砲撃の音は、もうどこからも、聞こえてこねえ。
海流に乗ったシリウス号は、波を切り裂き、急速にスピードを上げていた。
に、と笑うおれを見て、野郎が「おおおおー!」と声を上げる。
かと思うと●●●に駆け寄り、濡れた頭をくしゃくしゃ撫でた。
ぐちゃぐちゃに髪を乱されながらも、●●●はきゃっきゃと笑い声を上げる。
その様子を眺めながら
誰一人、欠ける事なく、今回の危機を乗り切れた現実に…
胸のどっかで感謝した。
「ほんじゃトワは、今からソウシと医務室に行け」
改めて飛ばしたオレの指示に、片足で立つトワの腕を、ソウシが取って肩に回す。
「ハヤテとナギは、悪いがもう少し片付けだ」
ホントはこのまま、休ませてやりたいとことろだが。
僅かに残った大砲が、散らばるように置き去りだ。
このままだと、さらに船壁を、無駄に破壊しかねねェ。
ハヤテの頭に、ナギがポンと手を置いて、2人はニコッと頷いた。
「シンもこのまま頼むな」
この嵐を。しかも、あれだけ危機的状況の中。
よくぞここまで無謀なおれの要求に、応えてやり遂げてくれたもんだ。
(やっぱお前は、世界一の航海士だぜ)
ふっと口に、笑みが浮かぶ。
ホントはここらで代わってやりたいところだが、そんな気遣いは無用だろう。
ようやく海流に乗った今。
この程度の嵐であれば、シンなら余裕で乗り切るだろう。
シンは軽く右手を上げて、口の端を歪めて笑った。
「よし…」
それを見届け、ふ……と浅く息をつく。
それから●●●と、ようやく顔を見合わせた。
「ほんじゃ俺らは部屋に戻るか」
「うん」と●●●は頷いて、2本の腕を首に回す。
気を利かせてか野郎たちは、すぐさま四方に散って行った。
それを見届け、おれは甲板を歩き出した。
†
「ねえ、船長……」
少し歩いた頃。
ふいに●●●が、ポツリと言った。
「こうしてまた船長に会えるなんて。…ホントはまだ、信じられない…」
そんな俺らの頭上には…未だ降り続く、横殴りの雨。
嬉しそうに微笑む●●●が、回した腕に力を込めた。
「でも。…みんなも無事で、ほんとに良かった」
ようやくホッとしたのか、身体の力がスッと抜ける。
腕に抱く、あったけえ身体。
耳に掛かる、息遣い。
改めて●●●が生きてる事を、実感した。
「……船長?」
黙ったままのオレの様子に、●●●が首をキョトンと傾げる。
「大丈夫?」
濡れた手が頬に触れて、ようやくそこで、はっとした。
向き合う●●●がクスッと笑う。
「それにしてもさっきの2人。本当に幸せそうでしたね?」
「ん?あ、ああ。…なんせ、20年ぶりの再会だからな。野郎もあの世で女の事を…ずっと待ってたんだろうよ」
「ええ、そうですね…」
暗い空を見上げる顎から、雨の雫がポタポタ落ちる。
「……婚約者の方も、本当に素敵な方でした…」
かと思うと――
他の男に想い馳せるその様に、ほんの少し。
嫉妬心が渦巻いた。
「しかしアレだな…」
「ん?」
●●●を抱く手に力を込める。
「野郎も20年分の、欲求不満が溜まってんだろからな」
「は?」
「今頃アイツらあの世のベッドで…そりゃもう、激しくだなァ…」
いきなり顎ヒゲを、むぎゅーーっと強く引っ張られた。
「イデデ…」
下を向けば、ジトリとオレを睨む顔。
「……も、ホントにスケベ!」
「冗談だ」とそう言えば、ようやくヒゲから指を離した。
それからクスッと笑い合う。
「…にしても。おれは待っててやれねえな…」
「ん?…なんのこと?」
歩きながら、視線を落とした。
「あの世には女が、腐るほど居るだろうしな…」
「は?」
「来るか来ねえかもわからねえお前を…20年も待つなんざ、できねえってことだ…」
意地悪く、ニヤニヤ笑ってそう言えば、●●●は口をへの字に曲げる。
拗ねた子供みてぇに口の先を尖らせるのは、コイツの癖だ。
「…っ。そりゃ20年も、待っててくれとは言わないけど、でも…っ!
それは、待ちきれないから、他の人を好きになるって事?」
「ん?」
黙って目を横に逸らせば、「やっぱり船長は浮気者だ、さいてー!」とか言って
今度は、ぷーーっと膨れる。
その顔に、ククッと笑う。
「お前はアホだな」
「あ……アホって…!」
「からかい甲斐があるって事だ」
「からかう?」
ハテナマークを浮かべる●●●。
そんなお前と――
おれは20年どころか、1分、1秒だって。
あの世とこの世で別れるなんざ、我慢ならねえ…
今回それが、よーく分かった。
「お前はオレを独りにする気か?」
「へ?」
あの世でコイツを待たせる事も
コイツが来るのをあの世で待つのも
そんなのおれは、まっぴらゴメンだ。
「お前とオレとは…“生きるも一緒。死ぬも一緒”…そうだろ?」
「………っ!」
「だからアイツらみてーに離れねえよう、ひっ捕まえておくって事だ」
(たとえ行き着く先が、地獄だったとしてもな…)
ちゅ、とおでこにキスを落とすと、見上げる顔が、真っ赤に染まる。
「うん」と1つ頷いて、●●●は首に腕を回した。
(生きててくれて…ありがとな)
おれも腕に力を籠めた。
それから、寄り添う耳に、唇を寄せる。
「つーことで」
「ん?」
「いろんな意味で今から離してやらねーから、覚悟しとけよ?」
尻の肉を、ぎゅ、と指で摘んでやると、●●●はヒャっと声を上げる。
それから、ぎゃーぎゃーと騒ぐ身体を抱いたまま、ニヤリと笑って歩いていく。
階段の手前で足を止め、不意に顔を横に向けた。
雨が降りしきる、遥か後方。
波間に見えた海軍船が
おれの視界から、フッと消えた――
海ではこんな不思議なことが
時々起こると云う、そんなお話。
おわり
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