第4話
「う゛う……おはよう…ございます…」
翌朝。こめかみ辺りを手で押さえ、●●●がキッチンに入ってきた。
ヨロヨロした足取り。
あれは完全に2日酔いだろ。
「……おう」
手を動かしたまま顔だけ上げると、目が合った●●●は、さっと脇に手を下ろした。
そしてどこか気まずそうに、おれの方に駆けてくる。
「あっ……あ、のぉー…」
コイツは往々にして分かりやすい。
何が言いたいのか手に取るように分かっていながら
俺からは何も、言ってやらない。
「どうした?」
「え、えっと、そのぉ……」
せわしなく泳ぐ目が、ちょっと笑える。
向き合ったまま長く感じる数秒が過ぎたのち。
●●●は意を決したように、重い口を開いた。
「あのっ!…ナギさん、…です、よね?」
「なにがだ?」
「……っ!……そのぉー…ゆうべ部屋に…運んで…くれたのっ…」
―― 尻すぼみの声。
不安げな表情で、●●●はオレの様子を伺う。
けどオレはまだ、はっきりとは、言ってやらない。
「覚えてんのか?」
●●●は1つ。ゆっくりと首を縦に振った。
「あっ、でも……ナギさんが立ってた事はなんとなく……でもそのあとの事は、そのぉ―…」
「覚えてねえ、と」
「う、…はい。……でも、起きたらちゃんとベットに寝てて…」
「それでおれだと思ったわけか?」
●●●は「はい」と肩を落とす。
その頭に手を置いた。
「ああ、おれだ…」
「やっぱり!…って、あのっ!」
「ん?」
「わたしっ!…変な事とか…言ってなかったでしょうか…」
「変なことか? たとえばどんなことだ?」
おれも大概、意地が悪いと思う。
変なことを言いそうになったのは、むしろオレの方なのにな。
けど、そんな事、知るよしもない●●●は。
「…それは……」
チラチラとオレの顔を伺いながら、あれやこれやと浮かばない考えを巡らせている。
その顔が面白くて、とうとうプッと吹き出した。
「……ナギ、さん?」
「悪い。いや、言ってねえよ」
「へ?」
「お前、すぐに寝ちまったからな。 別になんも言ってねえ」
笑いをこらえて教えてやると、●●●は一瞬フリーズして。
「はっ……はぁぁ…良かったぁ〜〜」
大きく息を吐きだした。
ほんとにコイツは、からかい甲斐のあるヤツだ。
けど、べらべら喋って墓穴を掘っても洒落になんねー
「…ってことで、朝メシの用意始めるぞ。動けるか?」
「は…!はいっ!」
●●●が姿勢をビシッと正す。
その頭を、くしゃりと撫でた。
「んじゃ…メシの用意、始めるか…」
言って、続きを始めようとするオレの手を、●●●の両手がぎゅっと掴んだ。
「ん?」
「あ……あのっ!!」
見れば、さっきまでとは打って変わって、真剣な目が真っ直ぐ見ている。
ほんとにコイツは分かりやすい。
「……言わねーよ」
「………え、」
「ゆうべの事は、誰にも言わねー」
「………っ」
「奴らにも。……船長にも、だ…」
これが1晩考えての、オレが出した結論だ。
おれの口から船長に言うのは簡単だ。
どうにかして、やりたいとも思う。
いや。船長だったらホントはもう。
コイツの事なんか、全部分かってるんだと思う。
けど。それでも娼館に行き続けるのは
寝首をかかれやすい娼館に、おれ達を、行かせないため。
………そういう人だ、船長は…
そしてそんな船長を、全部理解した上で。
健気に耐えるコイツの気持ちも、無碍にしたくなかった。
おれが口出すことじゃねえ……
「それとも言って欲しいか?」
問うと●●●は、ブンブンと首を横に振る。
「なら、お前が言おうと決めた時。……お前の口から船長に言え」
な? と頭に手を置くと、おれの言いたい事が分かったらしく、●●●は一瞬、黙り込み。
それから「はいっ」と、小さな声で呟いた。
そのまま下を向こうとするから。
ガシッ
「その代わり…」
おれは頬を両手で挟んで、無理やり顔をこっちに向かせた。
「そ、…その代わり?」
「ああそうだ」
今度は俺が目を合わせ、少し語勢を強める。
「その代わり。独りで居たくねー時は、遠慮しないで俺に言え」
「……っ」
「とことんオレが付き合ってやる」
「……」
「だから。あんなとこで独りで呑むな」
わかったな、と。放してやると、●●●の目に、みるみるうちに涙が浮かぶ。
「泣くな」
「……っ!」
コイツの涙は、もう見たくねえ。
手元のタオルをひっ掴んで、後ろを向いて渡してやる。
少し置いて、「はい」とか細い声がした。
「ったく。しけた返事しやがって。ちゃんと分かってんのか?」
肩越しに後ろを振り返ると、そこにはもう、涙は無くて。
●●●は泣きそうながらも「はい」と笑顔で頷いた。
その顔に、密かにオレはホッとした。
その日も昨日に続き、普段と変わらない●●●の声が船に響く。
ケタケタ笑って動き回るが
正直おれには、本気で笑ってんのか、無理に作って笑ってるのか、分からねえ。
ただ1つ言える事は……
アイツは海賊王の女として、必死で耐えてる、ってこと。
そんなアイツを見つめるうち、あっという間に日も暮れて
いつもと変わらねー賑やかな晩メシがようやく終わった。
その片付けを、2人でくっちゃべりながら、ゆっくりやる。
仕込みも、余ったモンをつまみながら、ゆっくりゆっくりと、こなしていった。
「さて……」
仕込みも終わり、時計を見る。
「11時か…。…んじゃ一緒に呑むか?」
棚の下に何本か酒があった筈だ。
歩き出す腕を、●●●がくい、と引っ張った。
「ん?」
「あの……今日は、もう……」
「けど、おまえ…」
●●●は手を離して、にこっと笑う。
「昨日、呑みすぎたので。…それに寝不足だし。…だから今日はほんとにもう…」
「そうか?……つか、無理してねーか?」
顔を覗くと、●●●はコクンと頷いた。
それから、サッと身を離す。
「じゃ、わたし。今からお風呂に行ってきます。できるだけ早く出ますので…」
「ばーか。ゆっくり浸かってこい」
「あ……でもっ。……じゃ、30分したら来て下さい。それまでには…」
「……30分な。…わかった」
うなずくオレに、●●●は「じゃあ」と笑って、背を向ける。
ドアを開け、出ようとして、くるっとこちらに振り向いた。
「ナギさん……」
「あ?」
「今日は、ほんとにほんとに…ありがとうございました」
泣きそうな顔で笑うから、すぐに言葉が出なかった。
そうこうするうちドアが締まって、聞き慣れた足音が徐々に遠ざかっていく。
「…ったく…」
だからお前に惚れるんだろーが。
ち、っと小さく舌打ちをして
それでもおれは、ふっと笑った。
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