第3話







「……よし、と」

●●●のおかしな態度を訝りながらも、残った仕事を片付けた。
パタ……
在庫を書き終えたノートを閉じる。

時計を見れば、時刻は11時15分。

10時にここを出てった●●●。
アイツがどんなに長湯だろうと……そろそろ出ている頃だろう――


「さて……行くか…」

火元を確かめ灯りを消して、暗いキッチンをあとにした。


 **********


着替えを手に風呂を覗くと、灯りは消えて真っ暗だ。
居ないだろうとは思っていたが。
出くわさなくて良かったと、心のどっかでホッとする。

が。


「……ゆっくり浸かれって、言ったろ…」

冷えた浴室、冷めた湯船が。
とうの昔に、●●●が風呂を出たことを物語っていて。
ふと申し訳なさげに目を伏せた、●●●の顔が頭を過ぎった。

 ―― ナギさんまで、遅くなっちゃいますもんね


「…オレに気ぃなんか、使ってんじゃねえよ…」

勢い任せにドアを閉めると上から水滴が落ちてきた。
それがさらにおれをイラつかせ。
そんな気持ちを掻き消すように浸かった湯船で顔をジャブジャブと洗った。

それから、は……っと天を仰ぐ。

 ……にしても

今日も色々あったな――


ハヤテと喧嘩してムクれる●●●。
シンに一喝されシュンとする●●●。
珍しく包丁で指を切った●●●。

そして。

『…ナギさん♪』

眩しい笑顔で、笑いかける●●●。


……………。


「…って、なに考えてんだよ、おれは///」

アイツの事ばかり考える自分に、カッと顔が熱くなる。
誤魔化すように風呂から出て、頭からシャワーをかぶった。

ワシャワシャと髪を泡立てながら
ふとダイニングに、バンダナを忘れたことに気づく。
つっても、朝になりゃーまた行くんだから、別に問題はねえだろう。
そう思いつつ、どうにもそれが気になる。


「…どんだけめんどくせー性格なんだよ」

自分自身に呆れながらも、もう一度シャワーを頭からかぶった。



それから風呂をあとにしてキッチンに行こうと甲板に出た。
さざ波しか聞こえねーそこは
街の灯りと月明かりで、どうにか足下が見えるくらいだ。

けど、すぐに闇にも目が慣れた。

……カツッ…カツッ…

暗いキッチンに向け、歩みを進める。

……スンッ……

半分ほど来たところで。
足音とは別の、何かが聞こえた。

(…誰かいんのか?)

辺りを見渡し、様子を窺う。


「………ここか?」

甲板に置かれた木箱の向こう。
そこに人の気配を感じる。


「どこのどいつだァ?」

武器がねーから最悪素手だが、まァ、なんとかなるだろう。

息を吐き、拳を握って、その向こうに飛び出した。


「ああん…?」

そこに見えた光景に、思わず力が抜け落ちた。

「おまっ…そこで何やってんだ?」

そこには、船縁に凭れ、街を眺める、●●●の背中があったから。
●●●は大袈裟なくらいに肩を震わせ、条件反射で振り返る。

突っ立つおれと目があうと、諦めたように、へへ……っと笑った。

「とうとう…見つかっ、ちゃった…」

闇の中、へらりと笑うその顔に……おれはゴクッと息を呑む。
向かいに立つ●●●の目元に、キラリと光る何かが見える。
それは次から次へと溢れ出て、ツー…と目から零れて落ちた。


「……おまっ…」

なんでコイツ……泣いてんだよ。
ダッ、と駆け出すおれより先。
●●●は、船べりに背中を凭れたまま、ズルズルと床に座り込む。

「――っおい!」

向かいにしゃがんで肩を掴めば、酒のにおいが、ぷんとした。
項垂れる●●●の手から、ごろっと何かが転がり落ちる。
それは、高級な酒瓶――

「おまっ……こんなん飲んで、船長に――」

そこまで言ってハッとした。
それと同時に、らしくないコイツの態度と、この醜態を理解した。

そう――

船長は今、娼館に行ってて、いねえんだ……


今回の寄港の目的。
それは買い出しのためでも、たまたま寄ったわけでもない。

このあと向かう目的地。
その途中で出くわすかもしれない、最新式の海軍船。
その動きを、それを指揮する海軍将校の色である、高級娼婦の女から
聞き出すのが目的だった。

 ――けど


「お前。いっつもこうして泣いてたのか?」

船長が娼館に潜入するのは……これが初めてって、わけじゃない。
それはコイツと船長が、恋仲になって以降も。今まで通り続いている。

けど、だけど――

いつもと変わらず、コイツが笑って過ごすから。

コイツが笑いかけるから。

俺は。…俺たちは……

すっかり慣れちまっていた。

船長が居ない状況に……

そして――

気づいてやれなかったんだ。

あの笑顔が、作ったモンだということに……


「●●●……」

肩を掴む手に力を込めると、下を向いたままの●●●の頭が
コツンと胸に凭れかかった。

「……誰にも見られたく…なかったんだけどな…」

●●●は顔を伏せたまま、か細い声で、へへっと笑う。
反面おれのズボンの上に、ぬるいものがボタボタ落ちた。


「―― バカ野郎ッッ!!!」

怒鳴りながら、●●●の身体を思いっきり抱き締めた。

「なんで船長に言わねーんだよ!」
「………」
「行かないでくれって、船長に言えばいいだろ!」
「………」

 ――…けど●●●は、何も言わない。
代わりに背中がカタカタ震える。

その意味を理解して、さらに胸が締め付けられた。


「言いたくねえってそういうことか?」

●●●は肩を震わせ、小さくうなずく。
その姿に、コイツは海賊王の女として…腹、くくってんだと思った。

けど。

「だったら、なんで俺らを頼らない…」
「………」
「ひとりで居たくねえなら……なんで俺に言わねーんだよ…」


 ―― ごめんなさい。いつまでもここに居座っちゃって

淋しげに言った●●●の顔が、今更ながら脳裏を過ぎる。



「せめて俺には、言えよ…」

抱き締める腕に力を籠めると、ほんの少し沈黙したのち
小さな声が聞こえた。


「……やっぱりナギさんは……優しいですね……」
「く……」
「ナギさんに……好きになって貰える人は………幸せですね…」


途切れ途切れに紡がれる言葉が、グサッと胸に突き刺さる。

 ――…おれは


「……優しくなんか、ねーよ…」

現に惚れた女が、心で悲鳴をあげてんのに
全然気づいてやれなかった……

「…………」
「…………」

沈黙するその場所に
波の音が、やけに大きく聞こえる。

オレは黙り込む身体を、骨が軋むほどに抱き締めた。

そして。

 ―― 俺は全然、優しくねえから……



「……●●●…」

今ここで、はっきり気持ちを、言おうと思った。

奪えるものなら、コイツを奪ってやろうと思った。

このまま浚って、船を降りてさえ、いいと思った。


 ――… これ以上。

コイツを泣かせるくらいなら


「●●●」

肩を掴んで、勢いよく身体を離す。

途端、●●●の首が、ガクッと後ろに項垂れた。


「――…あ?」

意気込む俺とは対照的に、向き合う●●●は、スースーと寝息をたてている。


は…は………

「コイツ。どんだけ空気読まねーんだよ…」

思わずプッと、吹き出した。
そして、うなだれる身体を胸に抱き寄せ、おれは夜空を仰ぎ見た。

「…………」

身体の力が抜けてって、思考が冷静になっていく。

今コイツに何を言った所で、何がどうなるわけでもない…
むしろ、余計に負担をかけるだけだ。

なんせコイツは船長にベタ惚れなんだからな。

「救われたな……お前に…」


一方通行の、おれの恋。
そんなモンを今のコイツに押し付けなくて良かったと
今更ながら、つくづく思う。

そして、眠る●●●を、ぎゅ、と胸に閉じ込めたまま

打ち付ける波音を、暫くおれは、聞いていた。






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