2 | ナノ




目を覚ました瞬間、体中に痛みが走った。全身に鉄球を落とされたような、声が出ない痛み。あぁ。息が漏れる。眩暈がしてくる。何だこれ、どこだここ。屋敷じゃない。

「目が覚めたか」

超えに驚いて上半身を起こそうとしたのが悪かった。腰から下に激痛が走り、足先までは電流が落ちた。頭が痛みでチカチカする。

「おい、動くな」

耳に低い声が響いてくる。それでも少し聞こえずらい。自分の顔を覗きこんでいるらしい、視界がぼんやりと暗くなった気がした。更にひんやりとした何かが私の目を覆う。それが相手の掌だとわかるのは、時間的にも体感的にも暫く経ってからだった。頭の中が少しだけ動いてきた気がする。まだ体全身は痛いけれど、話すことはできるはずだと喉を動かした。

「…こ、…どこ……」

愕然とした。全く喉が動かない。まるで焼き付いてしまったみたいだ。それに伴って体の節々が動かないこともわかる。それでも相手にはある程度伝わったのか、ゆっくりと息を吐く音だけが鼓膜に響いてきた。

「………待っていろ」

私を覆っていた気配が消えて、周りに誰の気配も無くなる。段々と視界も開けてきて、ここに来てようやく天井の姿を目に写すことが出来た。頭がガンガンする。体全身は痛いし、そもそも四肢の感覚が無い。途端にぞっとした。状況を、じわじわと理解し始めてきた。
そうだ、私は―というより屋敷が―爆撃、だったのだろうか。視界が一瞬で光に包まれて、あの瞬間に鼓膜も破れたのだろう。どおりで聞こえづらいわけだ。だがそんな事はどうでもいい。父は。あの屋敷にいた父は一体どうしたのか。まさか父に限って無いと思うが、もしもあの人に何かあったらこちらの軍は損益どころの話では無い。父は無事なのだろうか。

「目が覚めたと聞いたが、本当かい?」

思考に浸る頭に声と同時に、すぱんと襖が開いた。首すらも動かすことが出来ず眼光だけを光の方へと向けるが、よくわからない。女の声、のような気がしたが、どうだろうか。話し方は完全に男だった気がする。頭の中で考えている最中、ひょこりと顔が覗きこまれた。

「あぁ、本当だ。目が開いてる。やぁ、私が見えるかい」

ひらひらと振られる手を目で追う。それでどうやら私が見えていると判断したようだ。顔を覗いたまま、相手は言葉を続けた。

「初めまして。私はここの本丸の主で、まぁ、世間一般的には審神者と呼ばれるものだね。うん、そう、歴史修正主義者と戦っている戦争の第一線さ。えぇ?かっこいいって?照れるなぁ、やめておくれよ」
「おい」
「なんだい大倶利伽羅君。今私はこのかわいこちゃんと話しているんだ。伊達男の出る幕じゃあ無いよ。さあほら、引っ込んでおくれ」
「そうじゃない」
「やめておくれ、君らに出しゃばってこられると人間は勝ち目何か無いんだ。いいかい、君達は自分の容姿についてもっとよく理解した方が良い。君達に何人の乙女が泣かされ、何人の童貞が唇を噛んでいると」

頭の上で会話がなされる。だが、話の内容なんて入ってこない。今、目の前の女―男かもしれない―は確かに「審神者」と言った。その口で、はっきりと。どくどくと心臓が勢いをつけ始める。まるで今の今まで動いていなかったみたいだ。審神者。歴史修正主義者と戦っている。戦争の第一線。つまりまさしく、私達の敵。

「っあ」
「あぁ、ごめんようるさかったね。…おや、震えてしまっているね。もう、大倶利伽羅君が怖い声を出すから」
「…は?」
「それだよそれ!君の凄んだ声は怖いんだよ、私みたいな純情で心の弱い女の子はすぐ泣いてしまう」
「アンタ、女だったのか」
「はっはー、生物学的には女だよ。大倶利伽羅君ちょっと正座しようか」

審神者が目の前で話している。という事は、隣にいるのはまさか、刀剣男士、だろうか。私達の遡行軍を幾度となく叩きのめし、計画の邪魔をしてくる、あの。たらりと冷汗が背中に伝ってくる。その表情に気付いたのか、女性の方が私の顔を改めて覗いてきた。

「まだまともに喋れないんだよね。大丈夫大丈夫、元気に走り回って木登りできるくらいまでちゃんと見るからね。大倶利伽羅君が!」
「おい」
「なんだい、今日の近侍は君だろう」
「明日は俺じゃない」
「そうさこの本丸の近侍はローテーションだからね。でも今日は君だ。ならば君がしっかりと見てあげるのが通りだろう。いいじゃないか、なんだかロマンチックじゃないだよ。素敵だよ。私はこういう夢のある話が大好きなんだ」
「………」
「その人を殺さんばかりの視線、かわいこちゃんの前でしちゃだめだよ」

それじゃあね。そう言いながら審神者の方が出ていくのがわかる。残されたのは1人の刀剣男士。確か、大倶利伽羅、と呼ばれていた。
その刀剣男士は1つため息をつくと、こちらをちらりとだけ見た。淡く揺らめく金の瞳が、父と被って胸の辺りがぐじゅりと痛んだ。

「…何かあったら、呼べ」

それだけ言うと、相手は部屋を出ていった。襖を閉めた音すらさせず、部屋の中は唐突に静寂に包まれる。
体の中から溜まっていた息を全て吐き出せば、節々が痛みを訴えてきたがそんな事を気にする余裕は無い。
頭の中でぐるぐると色々な考えが巡っては沈む。だがそれよりもぽつりと浮かんだ考えが、私の脳内を埋めた。

(さっきの審神者、もしかして私が歴史修正主義者側だって、気付いてない…?)

口ぶりからしても、私が"あちら側"だと思われている事は少なそうに思える。

(それなら傷を癒してからここを出るタイミングを狙って…そしたら、)

‥‥‥‥ーーーーそしたら、父を。

ずぐりと腹の下あたりが疼いた。
最後に話した父との会話を思い出してしまったからだ。父にあんな風に言ったのは初めてだった。父のああいった表情を見るのも、初めてだった。

「………」

傷ついた、顔をしていた。
父がこの10数年間、私をどんな思いで育ててきてくれたか、どれほど辛い思いをしていたか、隣でまじまじと見てきた私はよく知っている。その愛を一心に受けてきた。優しさも嬉しさも苦しさも悲しみも、全部全部父から教わってきた。

それなのに、もしも。もしも、このまま会えないで、終わって、しまった、ら。

「っヴ、あ!!」

ぞくぞくぞく!足元から爪先にかけて、一気に体中に恐怖と悪寒が走った。それに耐えきれず体を捩るが、それのせいで体がびしりと痛みを訴えてくる。わけのわからない悪寒に、全身を掻き毟りたくなる。なんだこれ、何だこれ。痛い、痛い、熱い苦しい、怖い。

「っ、や、ぁ!!」

視界が揺れる。誰かが私を抑えるのがわかったけれど、何を言われてるのか全くわからない。頭上で何か、怒号が飛び交っているように感じた。
どうしよう、どうしよう。お父さんに会えなかったらどうしよう。お父さんに何かあったらどうしよう。このまま、喧嘩別れになってしまったらどうしよう。

「お゛、どぅざ」

ごめんなさい、ごめんなさい。謝るから、お願いだから居なくならないで。一人にしないで。
伸ばした手を、誰かに掴まれた、気が、した。



:::



「やぁ。彼女の様子はどうだい」

宵もとっぷりと深まった静かな月夜。ビール缶2本を持って、ここの主はへらりとやってきた。

「縁側で月見かい?歌仙じゃないけれど、風流だねえ」

こちらは何も言わないが、それを当然とのように隣に座る。仮にも生物学上女なのだったら、胡坐はやめろと思うが既に意味の無い言葉だろう。

「それで?彼女は寝たのかい」
「今はな」
「そうかい。よかった。夜も寝れなかったら可哀想だからね」

女は今、大倶利伽羅の後ろ手にある部屋の中ですうすうと寝ている。つい先程まで暴れていたのだが、体力が尽きたのか、今では暴れる気配もない。

「はいこれ」

1本ビールを渡されて、大人しく飲む。大倶利伽羅自身、酒は嫌いではない。言ってしまえば、大倶利伽羅は酒も飲めば煙草も嗜む。1度それを隣の審神者に言ったら、恐ろしい程の酒を買い込んできた時があった。「どのお酒が美味しいかわからなくてねぇ」と言っていたが、あれは次郎太刀が1ヶ月以上かけて飲み干す量だった。

「仕事終わりの1杯は最高だねぇ!」
「他の奴らが起きる」
「あっは、その時は皆で飲もうか。最近バタバタしてて宴会出来てないからなぁ」

その時は自室に居ようと、内心大倶利伽羅は誓いを立てる。ここの酒豪共はやばい。そんなに刀の数は居ないが、次郎太刀日本号を筆頭に恐ろしい程の酒豪が多い。短刀まで飲む。秋田が笑顔で飲んでいる時は、一期一振が泣いていた。わからなくもない。

「多分、彼女はまだ成人してないからね。お酒が一緒に飲めるのはもう少し後だね」
「…どうでもいいな」
「でも意外とすごく強いかもしれないよ。あぁ、大倶利伽羅君よりも強かったりして」
「はっ」
「おや、鼻で笑うなんて。駄目だよ、人間を見くびっちゃ。特に、彼女はまだ若い。可能性はいくらでもある」
「…どうだか」

大倶利伽羅の言葉に、審神者はにたりと嫌な顔を見せた。

「いーや大倶利伽羅くん。君が諦めるのが1番いけないよ。例え表面上であれ、そういった態度は後々後悔を産むからね。彼女は本当にまだ若い。それに…、……。あぁ、ここから先はまだ言うべきでは無いかな。物語は、自分達で書いていかないとね」
「…何の話だ」
「君の物語の話さ。ぜひとも書き終えたら読ませて欲しい。きっと、素敵なものになっている。いや、この世に素敵じゃない物語なんて無いんだろう。全部全部素敵で、尊くて、愛おしい。私はそういった話が大好きなんだ」

本当に何の話なのだろうか。酒の話ではなかったのか。わけがわからないという大倶利伽羅の表情を読み取ったのか、審神者は一気に残りのビールを煽るとすくりと立ち上がった。

「例え君がどれほど厳しい物語を紡ごうとも、私は君の味方だ。何かあったらすぐに言うといい。必ず味方になるとここに誓おう。いいかい、私は、君の、味方なんだ。…それじゃあね。おやすみ、大倶利伽羅君」

ぴゅっと審神者は去っていった。まるで嵐のようだと思う。大倶利伽羅の主たる審神者は、本当に何を言っているのかわからないことが多々ある。たまに本当にコイツは人間か、と思う事もある。今回も同じく。

「…ぅ」

部屋の中から、少しの呻き声が聞こえた。音も立てずに中へ入ると、額に脂汗を滲ませ苦しげに呻く女の顔。大きくため息をつきながら、近くに置いてあるタオルでそれを拭う。
何故俺がこんな事をしなくてはならないのか。
1日に1回は自身に問うているが、答えはひたすらに「審神者に押し付けられたから」しか出てこない。わかりやすい答えが提示されているが、逆に納得が行かない。

「…おとうさん……」

ぽろぽろと目尻から涙を溢れさせながら、うっすらと女は瞳を開いた。だが、そこに一切の光は無い。

「お父さん……ごめんなさい…どこにいるの………?」

魘されながら、女は決まって父を呼ぶ。そうして必ず謝るのだ。謝りながら探し、涙を流す。

「お父さん……?」

ゆらりと伸ばされた手を掴めば、ぴくりと体が震えた。

「俺は、お前の父親じゃない」
「お父さん…、…ごめん、なさ………お父さん……」
「俺は大倶利伽羅だ」
「お父さん…?」

だから違うと。それでももう疲れたのか、女の瞼が静かに閉じた。すぅ、と穏やかな寝息が聞こえてきた事にこちらも肩の力を抜く。初めの3日は1、2時間おきに暴れては寝るの繰り返しだったため大倶利伽羅はまともに寝れなかった。それも全て意識を持っていない。だからだろうか、女の力は強かった。時にはもう1振り刀を連れてこなければならないほど。
審神者曰く「心の病気かもねぇ」と言っていた。それと「気長に見よう」とも。誰が見ると思っているんだ、誰が。

「………」

こうして穏やかに寝ている間に父を呼ぶだけになったのは、本当につい最近だ。
ある日大倶利伽羅が部屋に入った時、瞼が開いていた。また暴れるかと思っていれば一言「お父さんは?」と尋ねてきたのだ。てっきり意識が戻ったのかと思ったが、そうでは無かったらしい。
うわ言のように父を呼び、涙を流す。それを終えたら再び寝る。以前に比べれば全く良い方だが、大倶利伽羅がその目を覚ました時に側に居なければ呼吸が難しくなることすらある。
逆にそちらの方が悪かった。
静かに呼吸を止めているものだから、大倶利伽羅が見に行くまでわからない時が多々ある。
結果的に、大倶利伽羅は女が目を覚ました時にいつでもわかるような距離にいる事が常となったのだ。

「‥‥チッ」

いくら審神者の命だからとはいえ、もうはっきりいってうんざりだ。女の世話も、誰かとの近い距離も。だから、早々に女には回復してもらい、大倶利伽羅はこの最悪な状況から逃げ出したかった。
穏やかになった女の呼吸を見ながら、大倶利伽羅は密かにそう思うしかなかった。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -