1 | ナノ



私が駆け抜ける世界の中で、彼と出会ったのは、そう。なんでだったんだろう。



プロローグ



「何故こんな子供が……」
「まだ赤ん坊じゃないか」

その日は線のように細く、そして静かな雨が降る日だった。白い布に包まれて、泣くことすらできないその子は目も開かずに震えていた。
咄嗟に腕を伸ばして、その魂を繋ぎ止めるように抱きしめたのを、よく覚えてる。ピクリと指が動いてくれたのも。それから、うっすらと瞳を開けて僕を写してくれた事だって、全部。真っ黒なその目に、僕はどう写ったんだろう。少しでもかっこよく在れたらいいのだけれど。

「僕が育てるよ」

雨から守るように、胸の中で抱いた。自分の体温が、少しでも移ると良い。そう信じて。きっと、強く優しく力強く生きていける、そんな子になる。何故かはわからないけれど、そう確信した。

これが、僕と君の出会い。
長く、それでいて刹那の瞬間の始まり。



:::
01



白い壁、そして大理石の床に引かれた美しい赤絨毯が敷かれた長い長い廊下の端。壁際に椅子を置いて私は座っていた。読んでいる本は、とある学生向けの本。何でも昔はもっと子供も多く、学校という所で数10人もの子供達が暮らしていたらしい。今となってはもう、想像することすら難しい。
途端に、カツカツと床を踏む音が廊下に響き出す。私はそれを聞いて、本を閉じて席を立った。遠くから見える人影の輪郭がはっきりしだしたところで頭を下げる。

「おかえりなさいませ」
「あぁ、ただいま」

顔を上げ、前を歩く人間の後ろを付いていく。この人間の脱いだ上着を受取りながら腕の中である程度整えるのはもう、癖みたいなものだ。こうしなければシワになってしまうから。

「今日の予定はもうないからね。久しぶりにご飯を一緒に食べようか」
「! よろしいのですか」
「娘と食べるのに悪いなんてことないよ。食べたい物を言ってごらん。何でも作ってあげる」

突き当たりの部屋の鍵を開けながら、目の前の男性は優しく尋ねてくる。答えは決まっていたが、あえて暫く悩む素振りをしてから口を開いた。

「シチューが、食べたいです」
「またかい?こないだもそうだっただろう」
「あれが好きなのです」

少しだけ強くいえば、男性は扉を開てからこちらを振り返った。片目だけでもその表情は優しい。

「それじゃあそうしよう。うんと美味しいものを食べようね」

部屋の中は簡素と言って間違いない。
部屋に入ってすぐ大きな机が置かれ、そこに美しい万年筆が置かれている。花一つない部屋の中で、洋服掛けに預かった上着を掛けていく。後でアイロンをかけなくてはならない。このカッコつけのこの男性には、ピシッとした服にしなければ。
そういえば、と振り返れば男性は既に着替え途中で上着を着ていなかった。思わず口から長い長いため息が溢れる。

「旦那様、お着替えは自室でと…」
「うん?着替えくらい幼い頃から見てるだろう。扉も占めてるしね。気にしなくていいよ」
「そうではなくてですね…」
「それよりもそこのジャージを取ってくれないか」
「あ、はい」

言われた通り部屋の隅に置かれているジャージ一式を渡せば、気慣れた様子で袖を通していく。シャツの上に黒のジャージ。なぜそこでも格好をつけるのか。じとりと眺めた所で、ようやく自分の意見が流された事に気付いた。……やられた。この男、自分の流れに持っていくのが非常にうまい。それはもう、幼い頃から共にいる私が一度も口喧嘩で勝てない程。

「さぁ、それじゃあ行こうか。美味しいディナーを作りに」
「また厨房に忍び込むのですか?」
「そんなかっこ悪いことしないよ。お邪魔するんだ」

一緒だろうに。呆れて笑えば、彼もどこか嬉しそうに笑う。するりと手を握られ、思わず慌てて声を上げた。

「だ、旦那様!なにを」
「昔はよくこうして繋いだじゃないか。それに、今は旦那様じゃないよ」

うっ、と言葉に詰まる。すると、どこか目尻を下げてしゅんとさせてきた。その姿は、どこか寂しげである。

「……やっぱり嫌かい?」

あぁ、もう。内心ため息をつく。この人は本当にズルイ。そんな顔されて、断られるなんてできるわけがない。

「…嫌じゃないよ。お父さん」
「そうかい」

途端にパッと明るくなった表情に、私の心のどこかが暖まる感覚がして、思わず顔が綻んだ。

「それじゃあ行こうか」
「うん」

扉の鍵を閉めて部屋を出る。長く続く廊下は、相変わらずどこか薄ら寒い。繋がれた手のひらが、私の体温の暖かさを感じさせてくれた。

「今度、君を外に出そうっていう話が出てるんだ」

廊下を歩きながら「外?」と聞き返す。二人の声が、やけに大理石の中に響いた。

「戦だよ。ずっと言っていたろう?」
「い、いいの!?」

思わず大きな声が出て、慌てて口を紡ぐ。隣の父は口を尖らせながら、こちらを見た。

「良くないよ。戦場なんて君が出る必要無いんだ。何の為に僕がいると思ってるんだい。ここに居れば君を守れる。……でもね、これはずっと言ってるけど」
「『僕がここにいるからって、君までここにいる必要ないんだよ』でしょ?」

続く言葉を予想して言えば、相手はわざとらしく目を開いてから肩を竦めた。

「わかってるなら、普段もっと格好を気をつけて外に目を向けたらどうだい?今日もまた一日中スーツでいたろう?」
「楽なんだもん」
「いつ誰が見てるかわからないよ」
「わかってますよーだ。でも私ここを出るつもりは無いからね」

そもそも私がここで正式に働けるようになったのはつい最近だ。しかもとてつもない苦労をして。それをみすみす手放す方が馬鹿というもの。

「私が出てったら、お父さん一人になっちゃうじゃない」
「すぐに君の後を追うさ」
「ひゃ〜モンペ怖い!」

だが父がそんな事が安易に出来る地位出ないことも、私がそんな事をする気が無いこともきっとお互いに気づいていた。
笑いながら廊下を曲がって階段を下に下に降りれば、そこはすぐ食堂だ。案の定、夜の遅いこの時間に人なんておらず厨房の番人すらいなかった。厨に入れば、慣れた手つきで支度を始める。

「それにしても君はシチューが好きだね」
「うん。大好き。多分一番好き」
「…そっか。美味しいの作ろうね」

まな板も包丁も2人分。食料も2人分。これが私達の食事。私に料理を教えたのもこの隣の人で、包丁の握り方から切り方まで全てを教わった。私はこの人を父と呼んでいるけれど、母と呼んでも差し支えない気がする。

「母は父も兼ねる」
「何を言ってるんだい?」
「何でもない」

たわいも無い話をしているうちにあっという間にシチューは出来上がる。コトコトと煮込まれたそれを自分の皿に盛り付ければ完成だ。うん、美味しそう。
2人で向かい合って食堂の席に座る。長机の端。お決まりの場所である。

「ねぇお父さん。私、いつから戦場行けそう?」
「……君は何でそんなに戦場に行きたがるんだい?」
「言ってなかったっけ。もちろん皆の役に立ちたいっていうのが一番だけど、あとね、お父さんの戦ってる姿が見たいんだ」

この組織で一番強い人。それがこの父。優しく常に笑顔で温和な父が、一体どうやって戦うのかを知りたかった。
自分としては何ともない発言だったはずが、父にとってはそうではなかったらしい。どこか悲しげに片目を伏せ、瞼を揺らした。金の瞳が、心許なく光る。

「君に今度、話したいことがあるんだ」
「え、うん……」

今じゃダメなの、どうしてそんな不安そうに言うの、なんて聞くことができなかった。父の顔は伏せられ、前髪が力なく垂れる。常日頃見目を気にするこの人とは思えない行動に、何も言えなくなる。

「あの、お父さん、」

意を決して口を開いた瞬間、彼の顔が上げられた。思わず口を閉じれば、彼は先ほどと何ら変わらない顔でこちらに向かって笑いかける。

「ごめん。さぁ、冷めないうちに食べよう」
「…うん、そう…そうだね。明日も仕事、あるもんね」

私も努めて明るい声を上げる。きっと、話す事は父にとって話したくない事なんだろう。それでも、話してくれると言ったから。私は、それを待ちたい。だから今は笑っていようと決めた。

「ね、お父さん。刀剣男士ってどんな感じなの?」

あ、しまった。話題を変えるために尋ねた事はおよそ間違っていたらしい。父の機嫌が一気に急降下していくのが手に取るようにわかる。ひやりとした汗が、背中に垂れる。

「…また唐突だね。それよりも、それ、誰から聞いたの?」
「えぇっと、自分で調べたの。あの、やっぱり戦場が気になったから、その、えっと」

慌てて弁解しようと続けるが、父は大袈裟にため息をついて私の声を遮った。

「あのね、そういったことは僕が時期が来たら教えると言っただろう」
「わかってる、けど」
「君には下手な価値観も先入観も持って欲しくないんだ。そもそも、君がここにいるのは僕がここに居るからだ。本来ならここにいるべきじゃない」

その言葉にぴくりと反応する。だが向こうも間違ったことは言ってないようにこちらを見据えた。

「僕が敵だと言ったから敵。味方だと言うから味方。そんな風にはなって欲しくない。ここにいると一方の価値観しか生み出せないだろう」
「でも、刀剣男士は私達の計画を邪魔する敵でしょう?」
「私『達』と自分を入れてはいけない。君はここで何もしていない」

頭がカッと熱くなる。咄嗟に椅子から立ち上がり何かを言おうと口を開くけれど、結局何も言い出せずに終わってしまう。父の言う事は正しい。それでも、そんな、そんな言い方。

「…君が育ったこの場所が「刀剣男士が敵」だから君もそう思うんじゃなくて、君自身の考え方を持って欲しい」
「…それで、私が刀剣男士の味方についたらどうするの」

ようやく絞り出せた言葉は、そんな陳腐なもので。せめてこれで父が私を止めてくれたら、なんてバカげた願いを込めていた。だけど、父はどこまでも冷淡に、淡々とこちらに向かって口を開いた。

「それはもう、諦めるしかないね」

かしゃん、と何かが落ちる音がした。

「お父さんのバカ!そうやっていつも自分の意見ばっかり押し付けて私なんて見てないんだ!お父さんは私がどこに行ったっていいんでしょう?だからそういう風に言うんだ!」

言葉がどんどん溢れてくる。これ以上はダメだと、ここで止めろと頭が警鐘を鳴らすのに喉は全てを吐き出せと囁いてくる。

「私がっ…私がお父さんの子供じゃないから!どうでもいいから!そういう風に言うんでしょ!!」

ぱん。音が食堂に響いた。
一瞬何が起きたか分からなくて、途端にじんじんと痛みを滲みだす己の頬に指先で触れた。熱い。苦しい。辛い。殴った本人を見ると、怒りが全面に出ていて左足が一歩下がった。
なんで、なんでこうなっちゃうの。お父さんの役に立ちたいってそんなに悪い事なの。お父さんとずっと一緒にいたくて、それの足を引っ張ったりしたくなくて、それで頑張りたいって思うのは、そんなにいけないことなの…!?

「っ……!!お父さんなんか大っ嫌い!!」

たまらなくなって、食堂を走って逃げ出した。途中、何個も壁や花瓶にぶつかった気がしたけれどわからない。涙も鼻水も全てが溢れて止まらない。どれほど走ったか、ふと立ち止まって後ろを見た。はぁ、と吐き出した息がやけに重たい。追いかけてすら、来ない。ズキズキと痛む胸と心臓を抑えて、ほらやっぱりね、と笑う。目尻から、涙が溢れた。

「私なんて、どうでもいいんでしょ……」

吐き捨てるように言った、その瞬間だった。

ドゴオオォン!!!!!
爆撃のような爆音のような音と共に、凄まじい風と瓦礫、そして砂埃が飛んできて一瞬で私の意識は飛んだ。



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