そして終わりの鐘を鳴らせ | ナノ




ここの審神者は馬鹿である。

こう言うと、まるで相手を貶めているように感じるが、決してそのような意図は無い。ただ、正直それ以外にこの目の前の女を表す言葉はないだけだ。
今現在、大倶利伽羅と女は背を向け合いながらお互いの仕事をしている。女は主としての、大倶利伽羅は近侍としての仕事だ。
そして、それを始めてからもうすぐ数時間。大倶利伽羅は、コトリと持つペンを置いた。

「うぁー!も、もうやだ!終わんない!!辛い!!」

大声とともに腰に来る衝撃。腹に腕が回ってるのが見える。一つ息をついてから、再びペンを持ち仕事を再開する。
以前、この審神者が突然抱きついてきた為に書き損じが出た。それからというもの、数時間毎に集中力の切れる審神者のタイミングを図り、大倶利伽羅はいつもペンを置くようにしている。何度言っても直さない、鳥頭の審神者の為の譲歩作だ。

「ふっ、うえぇ、もうやだ…なんで毎回こんな書類あるの……わけわかめじゃん…」
「離せ」
「わかってる、戦だもん。当然だよ。でもねでもね、こんな書類必要なくないって思うんだ。必要ある?無いよね」
「は な せ」
「やぁだぁー!!」

この審神者の年齢は幾つだったか。審神者と出会ってから幾度となく繰り返された問を思いながら、眉間を揉んだ。

「そもそも何の書類なのこれは…」
「出陣及びその結果、敵に変化が無かったか、演練の勝率、遠征における資材の増減、遠征先における現代の人間との関わり方、手入れ鍛刀状況、今日の他の奴らで変わった事が無かったか、だ」
「饒舌すぎない!?ていうか多くない?圧倒的に多すぎない?」
「どこもこうだ」
「まじかぁ」

まじでかぁ。再び呟いてから腰にぐりぐりと頭を押し付けてくる。どうやら完全に集中力が切れたらしい。相手に聞こえるようにため息をするが、当然意味は無い。 とうとうその頭に1つげんこつを落とそうか、と思案し始めた時、控えめな声が部屋に響いた。

「主君、少しよろしいですか?」
「前田君?いいよー、どうしたの」

折り目正しく、きちっと頭を下げて前田が部屋に踏み入れる。その手には小さなお盆。茶が3つ載せられている。途端に、審神者が明るい声を上げた。

「おやつ!!」
「はい。そろそろ少しだけお休みになられたらと」
「前田君…!大好きだよぉ!」

審神者が部屋の端に積まれている座布団を3つ持ってきて真ん中に置く。もう完全に休憩の空気。ここで、まだやれと言ったところで集中出来ないのはよく知っている。大倶利伽羅は、諦めの深い息をつきながら立ち上がった。

「ありゃ、どこ行くの?トイレ?」

掛かる声を無視して部屋を出ようとすれば、前田の方からどこか焦った声が聞こえた。

「大倶利伽羅様、おやつはこれから僕が取って参ります!少しお盆が小さかっただけで、」

あわあわとした声を全て無視して部屋を出る。どうせ大倶利伽羅の集中力だって切れている。1度部屋から出るのも丁度良い気分転換になる。
当然、向かう先はトイレでは無く厨。前田が盆に載せきらなかった菓子を取りに行くためだ。
廊下を曲がり、奥へ奥へ。広すぎる本丸だが、長く居れば当然慣れる。変わらぬ足取りで厨の暖簾を上げて、

「おぉ、大倶利伽羅か。俺がいて驚いたか?」

下げた。
首を振って状況を理解したいが、どうにも出来そうにない。というかしたくない。

「待て待て待て。ここに用があったのはそちらだろう。俺はすぐに出ていく。安心しろ」

暖簾の向こうから聞こえた声に、1つ息をついてから厨に入る。そこにいたのは、やはり鶴丸国永だった。

…鶴丸、国永の、筈だ。

「どうした、固まって」

ふと覚えた違和感に、首を傾げたが瞬きの間にその違和感は霧散し、目の前にいたのはやはり鶴丸国永だと再認識するだけだ。向こうは何かを飲もうとしたのか、コップを持っていた。その中に、オレンジの物がたぷんと入っている。国永はそれを一気に飲み干しながら、視線だけでこちらを見た。

「……なんだ」

不躾な視線に、こちらも同様のものを返せばコップを水場に置いて、国永は笑った。その笑い方に、再び拭い去ったはずの違和感がどぷどぷと溢れてくる。

「いや?それ、主のためのおやつだろう。羨ましいな。1つ貰ってもいいかい」
「好きにしろ」

どうせ食べるのは大倶利伽羅ではない。ここまで甘い和菓子は、大倶利伽羅は好かない。しかし。再び首を傾げる。違和感が、徐々に形を成してきている気がした。

「国永」
「なんだい」
「…審神者が、今日の夕餉何か食べたいものがあれば言えと言っていた。何が食いたい」
「何だそれは!嬉しいことをしてくれるじゃないか。そうさな、唐揚げがいいな」
「…そうか」

瞼を閉じて、開く。目の前には変わらず国永が笑っていた。だが、関係ない。大倶利伽羅の中に、既に迷いは消えている。

「…国永」
「ん?」
「残念だ」

ひゅ、と刀を抜いて国永の首筋に当てる。少しでも動けば刃が首に当たる、刃と皮のギリギリ。己の刃の鋭さは自覚している。一閃で、確実にこの首を落とせるだろう。
だが、国永は刀を見て、再びこちらを見てもへらりと笑うだけだ。

「どうしたんだい大倶利伽羅。仲間に刀を向けるとは。お前さんらしくもない」
「…アンタ、いつから蜜柑が飲めるようになったんだ」

きゅる、と国永の瞳がこちらを捉える。まるでこちらを見定めるように。

「昨日から飲めるようになったのさ」
「甘いものは苦手ではなかったか」
「…それも、得意になったんだ。意外とうまいぜ」
「……アンタが1番好きなのはラーメンじゃなかったか」
「…唐揚げの、気分なんだ」
「…………そうか」

そうか。
言葉を切るよりも早く、刀を動かす。それこそ、まっすぐ国永の首を狙って。
一切迷いのない、気持ちのいいほどの剣筋だった。敵を斬るのと変わらない、空気ごと着る様な。だが、それを国永は体を屈める事で避けた。下がりきらなかった髪だけが、大倶利伽羅の刃にあたる。

「はは、驚いたぜ!突然こんな事をしてきて。主を裏切る気か?」
「……」

距離を保ちながら国永も自身を抜く。お互いに対峙しながら、一切視線を外すことのない、戦場独特の緊張感が辺りに走る。大倶利伽羅のつま先に力が入る。同時に国永の刀を持つ手にも。厨の小さい窓から、ゆったりと風が入り、2人の間を駆ける。その風が止まった瞬間、まっすぐ足を前に突き出して、

「主君!!!」

止まった。
正確には止まったのは大倶利伽羅だけ。その瞬間に国永がこちらに目掛けて突進してきた。全体重を掛けた一撃を、大倶利伽羅もまた全体重で受け止める。だが先程の前田の声が集中力を切らしてくる。何かあった事は明白だ。早く戻らねば。だが、まるでその焦りをわかっているかのように国永は斬撃を打ち付けてくる。

「どうした大倶利伽羅!こっちに集中しなきゃあ俺には勝てないぜ!」
「お前は誰だ」

金属がぶつかる独特の音を出しながら、国永はどんどんこちらに向かってくる。やがて大倶利伽羅は壁際へと追い込まれ、国永はしてやったりとこちらに向かって笑った。

「誰だ?鶴丸国永、お前もよく知ってるはずだぜ」

その瞬間、足を下から上へと突き出す。大倶利伽羅の足は、国永の足の間にあった。

「っぅ゛」

ガツンと音が出る。固まったまま動かなくなった国永の目尻から、じわりと雫が溜まってくる。やがてそれは形を成して、音もなく落ちた。心無しか、体が震えている。
詰まるところ、男の急所を全力で蹴りあげたのだ。刀身にヒビとまでは行かないが軽傷、中傷寸前までは行くだろう。
一瞬怯んだこの隙に国永の包囲網から抜け、厨を走り去る。

「…驚いた。が、まぁいいさ。俺は時間稼ぎだからな」

その背に掛けられた声を、今は聞こえないフリをした。
走りながら舌を打つ。広い本丸が今は憎い。今はとにかく、アイツの所へ戻らなくてはならない。

「っ、おい!」

襖の開いた、奥の部屋。風がよく通り陽当たりもいい。ここから見える庭を、アイツはいたく気に入っていた。その部屋に、刀が1振り落ちている。短刀だ。血にまみれた、短刀。それ以外に誰もいない。人の姿すら、無い。外から入る風の流れだけが、存在感を示している。

「クソ…!!」

ここの審神者は、居なくなった。


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