6 | ナノ




本日は土曜日。曇り。
私は元来雨や曇りが好きだ。晴れよりか好きだと思う。母曰く「雨の日に生まれたからじゃない?」関係あるのかそれ。でも、朝起きて曇ってたら何となくいい日だなと思う。雨降ってたらなお良し。少しずれてるとは思ってる。異論は認める。
そうして、今は一人暮らしである私の城の窓から、外を見上げている最中である。天気予報によると午後3時くらいから雨が降るとのこと。現在、時間は午後2時半。

ふむ、と考える。
隣に住んでいる先輩は、今留守なのだ。理由は今日中に終わらせる仕事があるとのこと。所謂休日出勤、つまり会社に行っている。そしてさらに言うと傘を持ってっていない。何で知ってるの?と言えば、先輩の置き傘も普通の長傘も、我が家の玄関に忘れ去られているからである。果たして最後に雨が降ったのはいつだったか。
そんでもって、仕事は3時頃に終わるとのこと。ちなみに私の状態はというと、珍しく掃除を終えて自分の身支度すら終えている。こんなことしたから今日は雨なのか、私のせいか。ごめんなさい。

「よし、いくかー!」

バッグを肩にかけて、傘を二本持つそうして私は意気揚々と家を出た。
傘を忘れて、困ってる恋人を迎えに行くために。



:::



ざぁざぁと、いつから降っていたのかわからない音にふと集中力を切らされて、窓を見た。白い筋のような雨が世界を濡らしていて、思わず口からため息が零れる。時間はもうすぐ3時だ。予定通り、これでアップデートすれば仕事は終わる。とはいえ、この雨は予定外だ。
大倶利伽羅は置き傘を求めてカバンの中を漁るが、目的のものがない。家か、とすぐに諦めるが濡れて帰るのは諦めたくない。大倶利伽羅以外の社員は当然ながら出社してきていない。
暫く待ったら止むかもしれない。そう思ったが、帰るのを遅くはしたくなかった。理由としては、大倶利伽羅の帰りを待っているであろう人がいるからだ。自分の家の隣に入れば、へにょりとした笑いを見せるアイツが待っている。それだけで、しっかりと帰る理由としては充分だった。

「…………」

見たところ、嵐というわけでもない。濡れて帰っても、問題は無いと大倶利伽羅は判断した。
時刻は3時を10分過ぎたところ。ちょうどアップデートも終わり、片付けを終えた。ガタリと椅子から立ち上がり、部署から出る。
自動ドアを出て、空を見上げる。濁った鼠色の雲が鬱陶しそうにずっと続いている。やはり待ったところで止みそうにない、と判断つけて走る支度をしたところだった。

「先輩!お疲れ様です」

1瞬、幻聴かと思った。だがそれはすぐに幻聴では無かったと悟る。
傘を2本持ったアイツが、会社の入口の横に立っていたからだ。

「雨やっぱり降ってきちゃいましたね。傘、全部私の家に置きっぱなしですよー今日持って帰ってくださいね。はいこれ、先輩の傘。持ってきました」

差し出された傘を、何も言えず受け取る。まさか来てるなんて思ってなかった。そもそもいつから待ってたんだ、連絡は来てなかった、こんなに寒いというのに、もしすれ違いになっていたら。あぁ、違う。そうではないな。ゆっくりと目を閉じて、すぐに開く。何も言わない俺に、少しだけ首を傾げる姿は年齢よりも酷く幼く見えた。

「助かった」
「全然大丈夫ですよー!風邪引いたら嫌ですもんね」

からからと笑うコイツに、手を差し出す。頭にはてなを浮かべているが、そこは想定内だ。

「…お前の傘、こっちに渡せ」
「え、私の傘ですか?全然良いですけど、結構女子の傘ですよ。これ指すんですか?」

コイツは本当に時々とんでもなく鈍い。ため息をつきながらも、渡された傘を受け取る。それからすぐに、持ってきてくれた黒い大きな己の傘を広げる。

「来い」

それだけ言って、一歩踏み出す。徐々に理解したらしく、「あー」だの「うー」だの言いながら、一つの傘に入ってきた。触れた肩の体温が心地いい。
ゆっくりと歩きながら、雨の音を聞く。まだ夜には全然早い時間だが、どこか薄暗さを感じるのは雨のせいか。

「最初の頃も、こうして相合傘しましたね。覚えてますか?」
「あぁ、お前が風邪引いたやつか」
「その節は誠に申し訳ありませんでした……!!!!」

くっ、と謝りながら苦い顔をするコイツに思わず笑気が漏れる。だがコイツは気づかずに言葉を続ける。

「いやでもあれは先輩だってコンビによれば良かったのに寄らなかったじゃないですか、それも原因ですよ」
「へぇ?」
「あっうそうそ、私が悪かったです。私が2本傘持ってなかったのが悪かったから怒んないで…」
「怒ってない」
「嘘だぁ、目が怒ってる」

もうすぐ駅が見える。やけに早く感じたこの帰り道で、どうせ家まで一緒だというのに無性にこの距離を開けたくないように感じた。
会話も足も止めて、少しだけ屈む。きょとんとした顔を覗いて、本当に触れるだけで唇を付けた。途端にコイツの肩が驚くほどに跳ねて、目も開くものだからまた笑ってしまう。

「も、ばか…!!こんな、道の真ん中で!!」
「傘で見えてない」
「バカップルはそう言うんです!!!でもそういうのは大抵周りからは見えてるんですよ!!!」

駅について傘を折りたたむ。ばしばしと背中を叩かれるが、痛くもない。

「……嫌だったか」

少しだけ眉を下げて、語尾を弱くすれば一気にコイツはぐっと押し黙るように弱くなる。

「うっ…ちが、うえぇっと…ず、ずるいですよ…」

上目遣い。へにょりと下がった眉。ちょっと尖らした唇。
………ズルイのはどちらだ。
するりと手を繋いで、駅のホームに入る。それだけで、心のどこかがたぷんと満たされた気がするから俺も相当単純なものだ。

「今日は寒いですから、お鍋にでもしようと思って」
「買い物は」
「帰りに買おうと思いまして。好きな具、教えてください」
「…なんでもいい」
「そういう人に限って細かい事を言うんです。あと私に任せたらお肉だけになりますよ」
「…それは…」
「困るでしょう?ですから、一緒に選んでくださいね」

ガタンと揺れる電車の中、たった一駅の間だが、これもまた終わらなければいいと思った。

「そろそろコタツ出したいですね」
「早くないか」
「でも寒いですから」
「まずあるのか」
「実家から持ってきてます」

えっへんと胸を張るコイツに、冬になったら家から出なくなりそうだなと思った。まぁ、それでもいいんだが。
あぁ、実家か。それでふと、思っていたことを口に出す。

「今度、お前の実家に行きたい」
「いいですけど、相当田舎ですよ?」
「構わない。挨拶をしに行く」
「なるほど挨拶を………って、え?挨拶?なんの?」

そこで丁度駅についた。駅のホームを出て、商店街に向かう。鍋の具なら、スーパーよりもよっぽど安い。雨とはいえ、金には変えられない。白菜を吟味していると、きゅっと裾が握られた。

「せ、先輩。挨拶って」

一つの傘を2人で使っているから、距離は当然近い。小さく動くその唇をすぐ様閉じたくなる衝動に駆られながら、ここは道の往来だ、というか八百屋の前だ、と理性が歯止めをかける。

「結婚だ。嫌だったら言え」

それだけ言って、再び白菜を吟味する。今年は葉物がやけに高い。
どこか呆然としているこいつを置いて、ひとまず鍋の具を全て買う。後は肉だが、それは俺の家の方の冷蔵庫に入ってるから問題ないだろう。

「帰るか」
「………」

声をかけても、傘に入っても、家に着くまでの間、コイツは何も話さなかった。ただ、何かを言おうとするが口がはくりとすぐに閉じられるのを横目で見ていた
アパートまで来て、中のエレベーターを待つ。オートロックの五階は、階段では厳しいと隣のコイツが言っていた。
ぴんぽん、と軽快な音が響いてエレベーターが開く。誰も乗っておらず、すぐに乗ろうとするが、コイツが動かない。さて、どうするか。

「ひとまず乗れ」

するりと手を繋げば、大人しくついてくる。だが結局、エレベーターの中でもコイツは終始静かだった。

…………恐らく、嫌なのだろうな。

正直、コイツ以外とこういった関係になりたいともう思わないし、無理だろう。ゆっくりと瞼を閉じて、無機質な空を仰ぐ。
またも軽快な音でエレベーターが目的の階に止まる。コイツの部屋まで行っていいものかと思ったが、握られた掌は解けない。それをいい事に、部屋まで上がった。
思ったよりも買い物で時間を食ったらしく、部屋の中はもう暗かった。慣れきった風にカーテンを閉めて電気を付ければ、まだ玄関でアイツが立っているのに気付いた。

「……嫌なら嫌と言え」

玄関まで戻ってそう言えば、はっとした顔があげられた。そこには焦りがありありと書かれていて、開かれた口が唐突に言葉を出した。

「嫌なんかじゃない!すっごい、すっごい嬉しい!でも、でも、違うんです…!!」
「何がだ」

ぐっ、と拳を握って俯く。さらりと下に落ちた髪が、コイツの顔を隠した。

「は、白菜と…並べられた事があんまりにも…!!!!」

一瞬、思考が止まった。暫くして出せた言葉は「………………は?」という間の抜けた声だった。それに涙目になりながら、コイツが言葉を返す。

「だって!だって八百屋でプロポーズですよ!!その時点でなんでやねんって感じじゃないですか!いいですけど、いいですけどねどうせ結婚しますもんね!私だって先輩以外となんて考えてませんからいいんですけど!!お願いですから白菜眺めながらそれを言うのは止めてください!!!」

……つまり状況が嫌だったわけか。納得と同時に、酷く安堵した自分に気付いて知らぬ間に緊張していたのだとわかった。深い深いため息をついて脱力しながら、肩の力を抜いた。
頭を撫でて顔をあげさせる。羞恥でいっぱいといったその顔に、キスを落とした。

「悪かった」
「いえ、わがまま言ってすみません…人参なら、まだ我慢できたんですけど…白菜は、ちょっと…」

白菜に何か恨みでもあるのか。今日の鍋は白菜尽くしだが大丈夫だろうか。
……まぁ、それは何とかなるだろうと雨で冷えきった体を抱きしめる。ゆるゆると後ろに回される腕が愛おしい。

「俺と、結婚してくれ」

息を呑む音が聞こえる。それから、ギュッと握られる背中のスーツ。

「……私、まだ仕事辞めませんよ」
「あぁ」
「家事だって、そんなできないし」
「わかってる」
「すごいだらしないし、休みなんて起きません」
「それも知ってる」
「っ、私よりも、先輩には良い人が、絶対います」
「それは無いだろう」
「…本当に、良いんですか」

ぐす、と胸元にじんわりと広がる雫に気づかないふりをして、その頭を撫でる。

「お前がいい」

ぱっと離された体と、見上げてくる視線が交差する。淡い茶色の瞳は、まっすぐに俺を写す。
そうだ、最初に出会った時も、こうして俺を見た。それからすぐに逸らされた。思えばあれから、ずっと隣にいた。そこまで長い期間ではないというのに酷く楽で、隣にいないと不安に思った。隣だと気付いた時には、驚きと同時に酷く喜んだ自分もいたことがわかった。

「先輩」

まん丸の瞳が、へにょりと動く。光る視線の中でコイツは幸せそうに笑った。

「私も、先輩がいいです」

俺達はどちらかともなく、唇を合わせた。雨の音が、やけに遠くに感じた。




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