恋愛初心者 | ナノ



夏の、余りにも熱い日だった。

蝉が耳をつんざくように泣き喚き、空は太陽を隠すことなく地上へと降らせる。頬に垂れる汗を拭いながら、鍬の持つ手を上にしそこに顎を置いて一息ついた。目の前には今まさに土を柔らかくしたばかりの畑が往々と広がるにも関わらず、まだ半分というのだから大倶利伽羅の目をどこか遠い物にさせる。

何故こんな事を。そう考えるのはもうやめた。人の身を得て一つの季節を過ごしたが、人の身には余計な事が多い。食事排泄睡眠、風呂や疲労、更に畑や娯楽の様なものまで。ただ戦う為に呼ばれたのであればどれ程楽だったか。

「大倶利伽羅、どうしたの。体調、悪いの」

くい、とジャージの端を掴みながら三白眼が見つめてくる。青い髪の小さな復讐刀は、大倶利伽羅とほぼ同時期に来た為か、よく内番を共に組まされることが多い。それは数か月経った今でも変わらず、今日もまた大倶利伽羅と小夜の二振りは黙々と畑を弄っていた。

「問題ない」
「…そう。ならいいのだけれど」

再び畑に向かって、その身よりも長い鍬を持ち上げる。まだ畑は終わらない。午後には出陣がある為、恐らく今日だけで終わらせることは無理だろう。暫くはまた具無しの素麺生活が続きそうだ。そう一つため息をついた。

「大倶利伽羅―!小夜―!休憩しませんかー?」

唐突に遠くから声が響く。しかし、反応したのは大倶利伽羅よりも小夜の方が幾分か早く「主」と呟くと、鍬を置いてすぐさま縁側へと駆けて行った。
汚れが目立たない様にと、紺の浴衣ばかりを好んで着るここの主は、年若い女。初めて年齢を聞いた時、さすがにそれ程若いのは嘘じゃないかと思うほどだったのを、よく覚えている。

「大倶利伽羅、こっち来ませんかー?」

間延びした、緊張感の無い声が鼓膜を震わせる。これだけ蝉が鳴いているというのに、ここまではっきり聞こえると逆に感心する。

返事をせず、鍬を置いて足をそちらに向かわせると遠目でも相手の表情が明るくなるのが分かった。審神者も小夜も、既に縁側に腰掛けて氷の入ったグラスの麦茶を飲んでおり、同じものを審神者の手から渡される。

「熱いですからね。しっかり水分補給しないと倒れちゃいます」
「以前言ってた、熱中症ってやつだね」
「そうそうそれです。皆さんある意味初めての夏ですからね。夏バテには気をつけなきゃ」

こくり。審神者の喉が動いた。座ることなく、目の前でそれを眺める。同じ様に飲んだ麦茶が異様に冷たく感じ、首を傾げた。掌が、やけに熱い。夏の熱さだけではなく、芯から熱を発するそれは、随分と違和感を感じさせる。そして、それを見ていた審神者もまた、共に傾げた。

「大倶利伽羅どうかしまし?あっ、もしかして麦茶美味しくなかったとか…」

傾けた拍子に、審神者のこめかみから汗が一粒垂れる。他の刀から「馬の尻尾」と称される一つに結わかれた長い髪も同時に揺れた。
じくりと、突然胸の中に何かが滲みだす。
何だこれは。麦茶を飲み下しても、それは無くならない。氷がグラスの中で溶けるように、じわじわと量を増している気のするそれは、大倶利伽羅にとって得体がしれない。困惑を極める中唐突に、審神者がグラスを置きながら慌てたような声を上げて立ち上がった。

「なんか大倶利伽羅、顔赤くないですか?えっ、まさか熱!?」

言いながら、熱い掌が額に触れた。

首筋、こめかみに垂れた汗、浮き出た鎖骨、揺れる髪、熱に濡れた唇、こちらを見る薄茶の目、そして、伸ばされた細い、腕。

――――美味しそうだ、と、直感的に

「えっ」

グラスの割れる音が蝉の声を消した瞬間、審神者の驚いた声すらも飲み込むように、大倶利伽羅はその唇を、己の物で塞いだ。




:::



朝から白い細糸を垂らした様な雨が続く。窓から覗く空はどんよりと暗く、重たい。夜にはもっとひどくなっているかもしれないなぁ、と口から一つ息を吐き出した。

「…主、出陣部隊が帰ってくるよ」

控えめに部屋に顔を覗かせた短刀に、思わず頬が緩む。彼を今日は出陣にはしていない。わざわざ知らせに来てくれたのだろうと思うと、胸が暖かくなった。手招きして座ってもらうと、不思議そうにこちらを見上げた。

「小夜、手を出してくださいな」
「手…?こうでいいの?」

両手の掌をこちらに向けて、おずおずと視線を向けてくる。あぁ、可愛い。着物の懐からラムネを取り出す。袋に包まれたそれは、色んな刀達に渡しているお菓子。時には飴、時にはチョコ、時にはラムネ。皆は意外と好みが分かれるから、私はいつも多くのお菓子をいれておくしかない。鯰尾にラムネをあげた時「次はチョコがいいですね!」なんて言ってたものだから、そろそろ何かバリエーションを増やしておきたい。

「はい、これあげます。呼びに来てくれたお礼」

ころんとラムネを掌に載せれば、小夜の瞳がいっぱいいっぱいに大きくなった。私とラムネを行ったり来たり見て、はくはくと口を開いてからやがて俯きながら「ありがとう」と呟かれた。あぁ、可愛い。本当に可愛い。
わしゃっと頭を撫でながら立ち上がる。皆を向かいに行かねばならない。ふいに、小夜が審神者の指先に触れた。

「小夜?どうしました?」
「…大倶利伽羅、どうするの」

どっきん。
今まで大人しかった心臓が途端に跳ねた。さっきまであんなにも可愛かった小夜が、突然刀を持ってこちらへ攻撃してきた感じだ。予想してなかった分、ダメージはデカイ。

ぱくぱくと口を開いては閉じ、視線をうろうろとした所で最後には足元にそれを落ち着かせ、「あー」だとか「うー」だとかいう意味のない母音を発しても小夜の瞳が逸らされる事は無い。
結果的に掌で顔を覆い、座り込むことで審神者はその視線から逃げ延びた。

「あれからもう一週間だよ…」
「…わかってます。わかってはいるんです。話すべき事もやるべき事も。ただ、いざ面と向かうと、なんというか………」
「………復讐する?」
「いや復讐はしないんですけど…」

のそりと顔を上げる。同じように座っていた小夜の三白眼が、審神者の顔を覗いていた。やはりその視線はどこまでも「どうするのか」を訴えてきていて、わかりやすすぎて逆に笑ってしまうほどだ。

私は1週間前、有体に言えば唐突に大倶利伽羅に、き、キス、を、された。正直思い出しただけで顔面赤面レベルの問題なんだけれども、まぁ、今はそこは置いておこう。自分のそういった経験が無い事は詮無きこと。それよりも問題は、あれから私が大倶利伽羅と話しが出来ていない事だ。
出陣や遠征の連絡は出来る。というより、朝の朝礼の時に出席確認も兼ねて名前を呼んでいるから、特に会話という会話をしなくても平気というのが理由だった。だからその朝を過ぎてしまえば、もう会話をしなくても良いと言えば良いのだけれど、そんな事あってはならないのが主というものだ。明らかに避けてはいないつもりだけれど、それでもそろそろ気付く者は気付くだろう。そうした綻びや不信感は良くない。ただでさえ本丸という閉鎖的な空間の中で、小さな不信感はやがて大きな火種となって爆発してしまう。
自分勝手な思いで問題を先延ばしにするなど、あってはならない。ましてやそれが、とてつもないわがままな理由なら、なおさら。

「主は、大倶利伽羅の事が嫌いなの…?」
「えっ、なっ、何でそういう話に」

だって、嫌だったんでしょう。口付けられて。
そう問われて、言葉に詰まった。じわじわと顔に熱が集まる感覚がして、慌てて言葉を出す。

「きっ、嫌いとか、そういう感じじゃなくてですね。何て言ったらいいんでしょう…えぇと」
「…」
「本当に嫌いなんかじゃなくて。むしろ大倶利伽羅といると楽しいし、でもって気もそんなに使わないから楽なんです」

この本丸の近侍はローテーションの為、たまに大倶利伽羅になる事があるけれどその時、私と大倶利伽羅の間に会話という会話は一切ない。それでもそれが嫌な沈黙じゃなくて、無理矢理話さなくても良い空間が心地良かった。もちろん話せば応えてくれるし向こうから何か言われることもあるけれど、それもまたよそよそしい物で無くて、彼の裏表のない言葉が、嬉しかった。

「…でもわからなくて、大倶利伽羅の考えてる事」

ずっと考えていた。彼が何を思って私にああいった事をしてきたのか。それでも、答えには辿り着かない。うぅんと唸ると、小夜の小さな手が私の頭に乗った。顔をあげて少し笑うけれど、頭の中には大倶利伽羅の事ばかり。

「…苦しいんです、すごく」

昼も夜も考えて、だけど相手の考えている事はわからなくて。その度に胸も心臓も絞られた様に痛くなって。それがこんなにも苦しい事だとは思わなかった。

「もうね、彼の事を考えると、なんでかなぁ。涙が出てきちゃうんです。不思議ですよね」

夜中にぽろりと零れた衝撃は、未だに忘れがたい。今でも原因は不明だし、理由だって分からない。だけどあの日から、大倶利伽羅を見た時や会話も無くすれ違った時、彼の事を考えた時にじわじわと滲むように涙が零れてしまう。本当に困ったし不思議でならない。

それでも、本当にそろそろけじめをつけなければならない。彼とも、私とも。主の精神的なゆらぎは本丸にも表れてしまう。そのせいで、この1週間は曇りか雨だ。よし、と意気込んで両手で軽く頬を叩いた。いつまでも逃げてばかりもいられない。

「どうにかしなきゃ、ですね」

すくりと立ち上がって、小夜の手を繋ぐ。少しだけ心配そうに見つめる小夜の視線を笑って返しながら門へと向かう。外の雨は、まだやみそうにない。出来ればすぐに止んだらいいと、外から視線を外した。




「大倶利伽羅。今日、全部終わった後執務室に来て下さい」

出陣が終わり、そう声を掛けたのは宵が深くなる前。

そして今。既にどっぷりと夜は更け、雨のせいで窓から見える世界は一層暗い。部屋の中に置かれた行灯が、炎をゆらめかせながら部屋の中を柔らかく灯した。

「…いるか」
「大倶利伽羅ですね。入って下さい」

音も無く襖が開かれ、大倶利伽羅が入ってくる。全部終わった後、とは言ったものの彼の服装はジャージだった。だがチャックは全部開いており、首から下がったタオルがどこか内番よりもラフさを見せる。

落ち着くように深く息を吸って吐いて。あらかじめ用意していた座布団に座ってもらってから、改めて会話を切り出す。

「こんな夜更けに呼んでしまってすみません。…その、要件というのはですね、先日の事なんですけど」
「…」
「あの、まずは、どうしてその…キス、と言いますか、口吸い?接吻?をした理由を、聞きたくてですね」

言ってる内に恥ずかしくなってくるのを隠して、必死に言葉を続ける。単語一つで恥ずかしいとか、どこの生娘だ私は。いや生娘ではあるのだけれど。

「…理由?」
「は、えぇ、そうです。意図があるならば聞きますし、あの、えぇと。何も理由が無いなら無いで…」

いや困るけれども。何も理由なしにキスされても困るけれども。
大倶利伽羅はじっと考え込むように左下を見つめて、やがて視線をあげた。

「…美味そうだった」
「…………はい?」
「他意はない」
「いや待って待って待ってください」

頭を抱える。斜め上どころか直角位からの回答にはどう答えたらいいんだろうか。美味そうって何だ。食べられるのか、私は。大倶利伽羅はそういった味覚の持ち主だったか。それは、これからの食生活を改善した方が良いのだろうか。
うんうんと唸っていたからか。ぎしりと畳を軋ませながら、彼がすぐそこまで来ているのに気付かなかったのは。

「おい、顔あげろ」
「へ、なん、」

ばくっと。本当に、本当に食べられるかと思った。大きく口を開けて、私の唇ごと噛みついてきたそれは、ちろりと舌先で唇を舐めて、やがて離れた。

一瞬、されたことがわからず口が開いたまま相手を見つめてしまった。それを果たしてどう勘違いしたのか。再び空いた口が迫ってくるじゃないか!
「まっ、待って、だめ、おおくり、すとっぷ、くり、とま、とまって!」

ぴたりと相手の動きが止まった。審神者の両肩を掴む掌は力が食い込み、鬱血でも起きそうだと思う程。不満気に開いた口を閉じてこちらを睨んでくるが、ここで負けてはいけない。負けたら、それこそ本当に、食べられてしまう。

「こ、こういう事は、ダメです。私にしちゃ、だめ」
「…なぜだ」
「キス…あっ、接吻ていうものは本来好きな人とやるべきものなんです。私じゃなくて」
大倶利伽羅の顔が困惑に染まった。それから「好き…?」と確かめるように呟かれる。本気で分からないという顔に、それもそうかと納得する。そもそも戦うための存在であり、それが生きる意味である彼らに愛だの恋だのは余計な物だ。わからなくても当然だろう。
肩を離してもらって、改めて向き合う。さっきよりも少し距離が空いたのは、ご勘弁願いたい。

「好きっていうのは、主従や友人としての好きではなくて恋愛的な好きの事なんです。恋愛的に好きな人に、本来人は接吻をします」
「…」
「国外には接吻に様々な意味がある所もあるって聞きますけど…日本では大体愛を示す物ですから、さっきみたいにホイホイするものじゃないんです」
もちろん日本でも友愛のキスはあるだろうけど、混乱しそうだから割愛させてもらった。もう少し経ったら、いつか話そう。いつか。

「だから、大倶利伽羅は私にそうやってぽんぽんと接吻をする事は、」
「好きなやつ」
「へ」
「好きな奴…というのはどういう事だ」
その質問に、少しうっとなった。何せ常識的な恋愛観や価値観は持っていても、恋愛的な経験と言われると皆無なのだ。好きな人が出来た試しも無い。好きとは、果たしてどういう状態の事を示すのだろうか。
顎に手を当てて悩みながらゆっくりと言葉を続ける。世間一般でいう、好きな人、とは。

「…例えば、一緒にいて楽しい、とか。その人の事を考えると胸が苦しく…なったり、とか。その人といると楽だなぁ、みたいな…」
……あれ。

なんだか最近これと同じ思いをした気がする。ゆるゆると首を上げる。目の前にはいつもの穏やかな顔の大倶利伽羅。ぎゅっと、胸が締まった。

………あれ。あれあれ。

いつかの自分の言葉が頭の中でこだまする。

―――大倶利伽羅といると楽しいし、でもって気もそんなに使わないから楽なんですけど。
―――わからなくて、大倶利伽羅の考えてる事。苦しいんです、すごく。
―――彼の事を考えると、なんでか、涙が、出てきちゃうんです。

ひとつひとつのピースがはまっていくように、自分の気持ちがすごい勢いで答えへと向かって行っている気がする。決して辿り着いてはいけないそこに、足が自然と向かう。ぞわりと足元から悪寒がした。いけない、これは、だめ、だ。ここから先に、行っては。

「なら」

どくりと心臓が跳ねた。大倶利伽羅の視線が、寸分違わず審神者をその場に縫い付ける。まるで逃げるな、とでも言っているかの、ような。

「俺は、アンタの事が好きなようだ」
「ち、違います!」

怒鳴るように腰を浮かせて言ってから、はっとした。常ならば穏やかに周りを見る彼の表情が、わずか一瞬。それでも、その瞬間に確かに驚いたような、動揺したような、なんとも言えない物へと変わっていた。瞬きの間に既に彼の表情はもとに戻り、私の浮いた腰もゆっくりと地面へと落ちた。罪悪感と自己嫌悪から、相手の顔が見れない。開いた手を、ぎゅっと占めた。

「すっ、好きとか、そんな簡単に言っちゃダメです。もっと、本当に好きな相手が出来た時に、ちゃんと、伝えてあげてください」
「………」
「私なんかよりも素敵な人や相手はいくらでもいます。花街だって用意されていますし、そちらの方にも、」
「何が違う」

え、と顔をあげた。まっすぐに突き刺さる相手の視線は、どこまでも曲がらない。

「この気持ちは、何か違っているんだろう」
「…」
「アンタの言う物と、何が違う」

小さく息を呑む。何て言えばいいのか、一瞬わからなくなってしまった。だが、口を閉ざす事すら許さない様に、大倶利伽羅はこちらを見つめる。その視線から逃れるように、視線を下へ下へとずらしながら、ゆっくりと、審神者は口を開いた。

「…正直、大倶利伽羅は私の事を主としての気持ちと混在しているのだと思っています。人の身を得たばかりで、様々な思いが混濁しているのだろうって。…だから、きっと、恋愛ではなくて友愛なんじゃないかと…」

人の身を得て、その心を持て余す刀は決して少なくないと聞く。人の心とはままならない。刀の時は何とも思わなかった些事に心響く事もあるだろう。そうして感じた気持ちを、勘違いする刀も当然いるだろう。少しは納得してくれるといいのだけれど。そう思っていると、大倶利伽羅が何かを考えるかのように眉間に少しだけ皺を寄せた。しかし、すぐにこちらを向いてから、唐突に立ち上がった。あれ、と思うよりも早く距離が詰められる。見上げる形になった大倶利伽羅の顔は、暗さと遠さで余り見えず、自身の頬が引きつるのがわかった。思わず一歩下がれば、当然の様にその間を詰められる。じりじりと下がり、広くもない部屋の中で、背中が壁に当たった瞬間、この時を待っていたかのように目の前の相手は片膝を立てて座り、審神者の後頭部に掌を回してそのまま顔を近づけてきた。当然、逃げる間も無くばくっと噛まれる。しかも口の中に、ぬめりとした何かまでつけて。

「ん!?んぅっ!」

相手の肩を叩いてもびくともしない。舌を押し返したくてもどうしたらいいのかわからない。舌で舌を押し返すってなんだろうか。考えている内に息も苦しくなってくる。ぴちゃ、と自分の口から垂れた涎が嫌に冷たく感じた。

「く、くりか、はな、くるし、」

途切れ途切れの言葉でも通じたのか、ようやく離してくれた。どくどくと流れる血液が早い。大倶利伽羅の両肩を掴んでできる限りの距離を取れば、不満げな相手の声が掛かった。

「…美味そうだと思うのは、アンタだけだ」
「そ、れは」
「諦めろ。気付かせたアンタの負けだ」

じわじわと言葉が体の中に流れてきては、審神者の体温を5度上げていく。きっと今頃審神者の顔はゆでだこだろう。だというのに、大倶利伽羅はその熱を止める事をしない。

「そもそも、抵抗しないアンタも悪い」
「ちが…!だっ、だってこんな…、…キスなんかした事ないから!」
「…アンタまさか生娘か」
「何聞いてるんですか!?」
「そうか」
「ほんと何聞いてるんですか!?」

熱さと混乱でくらくらしてきた。息を切らしながら言ったところで、大倶利伽羅はどこ吹く風だ。深い溜息をついて肩を落とすと、どこか満足げな相手が腰を上げて私の棚からお菓子を持ってくる。渡されたのは、んまい棒。コーンポタージュ味。当たり前のように大倶利伽羅も食べているが、これは私が私の為に買った物なのだけれど。というか、何故在り処を知っている。まさか買ってきたのを見ていたのか。一人大量に買い占めたんまい棒の姿を見ていたのか。恥ずかし過ぎるだろうそれ。

「…何か、色々考えるのが馬鹿らしくなってきました」
「…」
「審神者だからーとか、主だからーとか。仮にも戦争に従事してる身だからーとか。いっぱいいっぱい考えたのに。何だか、考え過ぎかなって、思ってきちゃいました」

さくっと口の中でお菓子が割れる。美味しい。本当に美味しい。小さい頃からずっと好きなこのお菓子は、変わらない味を保ち続けてくれている。食べる度に癒されるのが分かる。

「…でも、まぁ。私はやっぱり主なので、大倶利伽羅を特別扱いなんでできませんけど」
「慣れあうつもりはない」
「えぇ?今更じゃないですか、それ」

笑うと、じんわりと胸の中にある何かが融けるのを感じる。ずーっとつっかえていたものが、するりと無くなり喉越しがすんなりしている気がした。

「…何を笑っている」
「あ、笑ってました?…なんだかおかしくて。こんな夜に、大倶利伽羅と二人で恋バナみたいなことを話すって。…考えると面白くないですか?」

口に出すとより可笑しい。一体何をしているんだか。それでも、まぁいっかと思うくらいには、私の中ですっきりした。一つ体を伸ばして、隣の大倶利伽羅と向き合う。

「大倶利伽羅、さっきは貴方の気持ちを勝手に決めつけてしまってごめんなさい。…でも、あの、キスはやめてくださいね」
「………理由は」
「えっ、いや、だって。あぁー…えっと、キスっていうのは人前でする事ではないんです。二人きりの時とでこっそりやるんです」

あれっ、何だか今の言い方だとダメな気が。

目の前の大倶利伽羅の雰囲気が、ゆらりと変わる。じり、と後ずさるがすぐ背中には壁がある。すぐさまぶつかると、相手の顔がぼやける距離に来ていた。咄嗟に、ぎゅっと瞳と口を閉じる。だが唇に感じたのは、ふに、という柔らかい感覚。はた、と瞳を開ければ、大倶利伽羅の長い指が私の唇を押していた。

「なっ、何を…!」
「早く寝ろ」

それだけ言って、大倶利伽羅は部屋を出て行った。その背中を見送ってから1秒置いて、ドッと汗と息が溢れだす。早すぎる心臓を抑えて、赤くなった顔を空いた手でぱたぱたと仰ぐけれど、残念ながら効果は見られない。熱い。ひたすらに熱い。火照った体を持て余しながら、私はもう一本んまい棒を食べるために立ち上がった。




:::



ゆったりと流れる空の雲を見上げて、大倶利伽羅は手に持つ箒を柱に立てかける。夏の暮れ。蝉の鳴き声が幾分か弱くなるのを日に日に感じる中、ぱたぱたと軽い足音が向こうの廊下から聞こえてきた。縁側に腰掛けながらその足音の主を待てば、明るい声が廊下の角から響く。

「あっ、大倶利伽羅見つけました!掃除終わりましたか?」
「問題ない」

お疲れ様です、そう声を掛けながら腕に抱える書類を持ち直して近づいてくる。少し右に寄ってから座るように促せば、大倶利伽羅と廊下を見比べてから照れくさそうに座った。草木の匂いが、鼻孔をくすぐった。

「書類の確認をしたくてですね…こんのすけもいないし。ここの意味がいまいちわからないんです」

審神者はこうして時々、言葉の意味や文章が適切かどうかを大倶利伽羅に尋ねてくる。もちろん大倶利伽羅自身、そういった事が得意なわけでも分かるわけでも無い。ただ、初めて近侍になった時がいわゆる”修羅場”という時で、大倶利伽羅の少しだけ持っていた文書の知識と、文字が書けたという技術も相まってその時に大いに活躍したらしい。らしい、というのは修羅場が終わり今にも眠りの世界に落ちそうな長谷部と審神者に言われたのと、大倶利伽羅本人に活躍した記憶は一切無いからだ。ただ書類を読んで不備が無いかを確認し、ハンコを押しただけ。それが非常に大変で重要な仕事なのだけれど、大倶利伽羅に自覚は無い。
ただ、それからというもの修羅場には必ず呼ばれてしまうし、こうして審神者にわからない所を尋ねられる様になってしまった。悪い気がしていないのだから、大概なのだが。

「…どこだ。見せろ」
「ここです。こっから…」

はた、とそこで審神者の言葉が止まった。不審に思い書類から顔を上げれば、どこか気まずそうに視線をうろうろさせている。怪訝に思い見ていれば、じわじわと頬に熱が集まっていっているのが分かった。太陽の場所を見るが、今の時間は既に昼を過ぎている。いくら夏とはいえ決してそこまで熱い時間帯では無い。だが、審神者の顔の熱は収まること無く、とうとう耳の方まで赤くなっていた。

「おい」
「あーっと、あの、すいません、ちょっと、えっと、離れて…」

離れて。その言葉に首を傾げる。何か離れる必要があるのか。そもそも離れたら書類が見にくいだろう。だが審神者は大倶利伽羅の肩をぐいぐいと押して、一人分の距離を取ってから書類を渡してきた。

「そこの、三行目の所、です。そっから読んで、教えてください」
「…」

その対応にさすがに大倶利伽羅も機嫌を下げる。視線の合わなくなった審神者にため息をついてから、書類に目を通す。確かにややこしい言い回しをしているが、わからない程でもない。隣の審神者は決して頭が悪いという事は無い。落ち着いて読めば理解できただろう。そこまで思ってから書類を突き返した。驚いた顔の審神者とかち合う。

「別に、そこまで難しい物じゃない。自分でどうにかしろ」

えっ、と困惑した声が響いた。大倶利伽羅が立ち上がった所で、ちらりと審神者の方を向く。

「…それと、俺に聞くのが嫌なら別の奴に聞け」

それだけ告げて、大倶利伽羅は早足でその場を後にした。沈みかけている太陽の方から、不穏な雲が流れてきているのを、視界の端でとらえた。



:::


「おい、大倶利伽羅。いるか」
「山姥切か」
「そうだ、入るぞ」

こちらが許可するよりも早く、襖を開けてそいつは入ってきた。勝手知ったる様に座布団を引いてその上に座る。茶菓子は無いのかと聞けば、あるわけないだろうと返ってくる。最近審神者が買いだめした大量の菓子があった気がしたが、気のせいだったか。相手の動きに構わず本を読み進めていれば、山姥切の視線が突き刺さる。はぁ、とため息をついてから本を閉じて、端にある電気ケトルでお湯を沸かし始める。先程自分で淹れようと思って水を入れっぱなしだったのを、今更思い出した。いつかに光忠が置いて行ったこれは、意外と重宝している。

「…それで、何の用だ」
「主の事だ。お前が原因だろう」

まぁ、そういった話だろうとは思っていた。
ここの初期刀である山姥切は、周りの状況に酷く敏い。全体から一歩引いたところから、本丸全体をうまく見渡している。そうして審神者では目に入りにくい所までを補完しているのだろう。この本丸は、審神者と山姥切で成り立っている所が少なからずある。こぽこぽと、お湯が沸騰してくる音が聞こえた。いつもは気にならないそれが、やけに耳障りだ。

「…知らないな」
「別に隠す必要はない。主の想いも、アンタの気持ちも知っているつもりだ。もちろん、俺の様な写しに知られて嫌な所はあるだろうが」

動きを止めて、思わず瞬く。その視線に気付いたのか、山姥切がフッと笑った。

「アンタら二人の事は皆気付いている…。ようやくといった感じだったしな。少しほっとしたんだ」
「待て、何の話だ」
「? 主と大倶利伽羅の話だ」
「嘘だろう」
「嘘をついてどうする」

話が読めない。頭の上に疑問符を浮かべていると、山姥切の顔がまさかという物に変わった。

「…主とアンタは、恋仲だろう?」
「…違うな」
「………それ、は本当か」
「嘘をついてどうする」

「今そういう冗談は受け付けていない」と真顔で返される。この刀、冗談が冗談で通じる時と通じない時の差が分からなすぎる。それは大倶利伽羅もだろうが。山姥切は暫くじっと考え込むように視線を下に固定させた後、何かを決心した顔をしてこちらを向いた。

「…燭台切が、赤飯を唐突に炊いた日があっただろう」
「……先月位の事か」
「そうだ。その日、俺達はてっきりアンタら二人が恋仲になったものだと思っていた」
「…………何故そうなる」

本気で頭を抱えたくなる。どこからそういった話が出ていたのか。あの日の視線がやたら生暖かかったのはそのせいか。というより、何なんだこの本丸は。お互いのプライバシーは無いのか。

「…アンタはともかく、主が態度と顔に出やすすぎるんだ」
「あぁ………」

それはある程度納得する。嘘をついてもすぐにわかるうえに、隠し事もまともにできないあの主は、会議に行く時には舐められない様に長谷部か大倶利伽羅、最近では日本号を連れていく。そうしなければ、相手に口八丁手八丁で騙されて危ない目に遭うからだ。一度一人で会議に行った帰りに、見知らぬ男審神者の本丸に、危うくこちらの資材を持っていかれそうになった事件があった。あれは未だに酒の席で笑いの種だ。

「だから、てっきりアンタらはもうそういう仲だと思っていた」
「誤解が解けて何よりだ」
「いや…だが、アンタ、主の事が好きなんだろう。いいのかそれで」
「アイツは主だろう。俺一人にかまけている暇などない」
「いいのかそれで………」

良いも何も。恋仲云々以前にそのような事考えても居なかった。そもそもそういったものは同じ思いを抱く者同士がなるものだろう。大倶利伽羅と審神者では、同じとは程遠い。そもそもあの審神者がそういった事を理解しているのかも謎だ。

「…だが、小夜から聞いたが、その…主とよく、口吸い、しているんだろう」
「それは向こうが拒否しないからだ」

拒否しないならばいいだろう。そう言えば、山姥切の視線がどこか痛々しい物を見るようなものに変わる。それから「あのな」と重々しく口を開いた。

「主は、俺が主に口吸いしたら拒否すると思うぞ」
「そもそもさせる気はない」
「何なんだお前それ」
「あれに口吸いしていいのは俺だけだ」
「本当に何なんだ………」

だが確かに何故拒否しないのだろう。家臣のする事として目を瞑っているのか。それとも、そういった事をされても気にならない質なのか。他の物が近づいても同じように受け入れるのか。誰かが近づくのを想像して内心で舌を打ったのと同時に、カチリとお湯が沸いた。急須にお湯を淹れてから、二つ分の湯呑に茶を淹れる。山姥切に渡せば、ゆっくりと飲んでから一息つくのが目に見えてわかった。
だがその瞬間、途端に外からの雨音が強くなり、山姥切が思い出したように声を上げた。

「あぁ、それで俺がここに来た理由なんだが、今の”これ”。アンタのせいだろう」

くいっと親指で外を指す。開かれた襖から見えるのはわずか一メートル先も見えない様な豪雨の状態。誰かがバケツをひっくり返したようだと言っていて、的を得て妙だと思った記憶がある。およそ三日前から、この本丸ではこの状態が続いていた。

「そろそろ作物もダメになってしまう。…どうにかしろ」
「………」
「喧嘩ならそれでいいがな。主の気持ちが大きく揺れると天候に影響が出るのは知っているだろう。主がここまで動揺する事なんざ、アンタの事以外に無い。早くどうにかしてくれ」
「……審神者が悪い」
「それならそれでいいが、相手が謝りたがっているんだ。避けるのはどうかと思うぞ」

この刀、本当にどこまで知っているんだ。睨んでも、相手は何も知らないといった風にお茶を啜るだけだ。

「謝らせることくらいはさせてやれ…。そこから許す許さないはアンタの問題だ」

このままじゃ、短刀達も外で遊べない。
それだけ言って、山姥切は茶を飲み干して出て行った。空になった湯呑を見つめて、大倶利伽羅は大きなため息をつく。考えるべき事が多いのも、人の身を得た弊害か。重くなった腰を上げて、雨に濡れた空を見上げた。



:::


ざあざあと、嵐と言っても過言ではない日々が続く。どうにか晴れ間を見たいのだけれど、どう頑張っても雨は止んでくれない。このままでは出陣も買い物も、内番ですらまともにできなくなってしまう。審神者はゆっくりと息を吐いてから、書類を書き進める手を止めた。原因は分かっている。ただ、それを解決させる方法が分からない。何せ、自分の弱さが原因で、しかも今までこんな問題に向き合った事は無かったのだ。どう行動したらいいのかもわからないし、いざ本番になった時に自分が何を行動してしまうか予測できない。だからこそ、今もこんな状態に陥っているのだけれど。今日だけで何度目かになるため息をついていると、雨音に交じって優しい声が廊下から聞こえた。

「あーるじ、進んでる?」
「加州。えぇ、仕事は順調です」
「よかった。ちょっと休憩しない?朝からずっとだしさ」

部屋の奥にある掛け時計を見ると、昼をとっくに過ぎていた。確かにそうして言われるとお腹もすいた気がする。そうですね、と返して加州を中に呼べばお盆の上に様々なお菓子を持ってきてくれていた。

「わ、こんなにお菓子持ってきてくれたんですか?いいんでしょうか、皆さんにと買ったものなのに」
「いーのいーの。最近皆お菓子食べ過ぎて太ったから!逆に主は食べなさすぎ。また痩せたでしょ」

うっ、と言葉が詰まる。最近突然立て込んだ仕事のせいで、昼とそのままついでに夜も抜く日々が続いたからか、確かに体重は少しだけ落ちた。いや、本当に少しなのだけれど。

「昼はともかくとして、夜はなるべく皆さんと食べたいんですが…」
「仕事が立て込んでるなら仕方ないけどね。そろそろ皆寂しがってるよー」
「そ、そうですよね。私も寂しい、です…」

皆と会えなくて。そう言いたいのに、浮かんだ顔はたった一振りで、罪悪感や寂しさや恥ずかしさで何も言えなくなる。三日前、喧嘩の様な状態になってしまってから全く会話ができていない。謝りたくとも、相手が見つからないのだ。まるで逃げているかのように、ちょっと見かけて慌てて追いかけても角を曲がるともう居ない。そんな、まるでいたちごっこの様な事を繰り返して早三日。雨は、日増しに強くなってしまっている。

「…本当にすみません。皆さんにも本丸に閉じ込める様な状態になってしまって」
「ん?あぁ、それは別に全然良いよ。皆思い思い楽しんでるし。出陣や遠征はあるしね」

それでも、本丸に帰ってきてこの豪雨だと気も滅入るだろう。更に主は執務室に閉じこもって仕事だ。最悪の状況に、我ながら頭を抱えた。

「早いとこ、どうにかしますね」
「あぁ、ほんとに気にしなくていいよ。どうせ原因大倶利伽羅でしょ?皆わかってるからさ」

一粒苺チョコレートを口に含んで、加州は「あ、これ美味しい」と目を輝かせた。すぐさまそのチョコレートの名前を憶えて、次の買い出しの時に買い込むことを決意する。…って、いやいや、そうじゃなくて。

「えっ、待ってください、今、大倶利伽羅って言いました?」
「へ?うん、だってそれでしょ原因」
「そうですけど…なんで知って」
「皆知ってるよ、大倶利伽羅と主が恋仲だって」
「えっ、違います」
「えっ」
「えっ?」

二人揃って顔を合わせる。お互いの考えの思い違いが激し過ぎる。そんな話が出ていたのも驚きだが、皆知っているというのも驚きだ。確かに私は大倶利伽羅をそう言った気持ちで見ているし思っているけれど、みんな知っているとはこれいかに。あれ、だって私皆に申し訳ないとかすごい悩んでた気がする、そもそも気持ちに気付いたのだって先月位で…って、あれ?
「あの…加州は一体どこからどこまでを知っていて、何から何までを勘違いしているのでしょうか」
「主と大倶利伽羅が口吸いする仲っていうのを知っていて、それが恋仲だと思っていたのが勘違いかな」
「ちなみに…いつから知ってました?」
「うーん、恋仲だと思ったのは先月位だったかなぁ。ほら、あの赤飯出た日あったじゃん。アレ」
「あぁ、あれですか…」

あの日の生暖かい視線の意味や言葉が色々と理解できて、今更泣きたくなってきた。顔を手で覆ってため息をつくと、加州の心配そうな声が掛かった。

「あのね、主と大倶利伽羅が恋仲になったって聞いて、結構本気で皆喜んだんだ。やっとかぁって。そりゃ、最初のうちは色々言うやつ居たけど、あんまりにも二人が先に進まないから、最終的には皆で内心はらはらしながら見守ってたんだ」
「そ、そんな事が…」

え、私皆の事把握しなさすぎ?まさか自分の本丸でそんな事が起きていただなんて。というより、自分で自分の気持ちに気付くよりも早く、周りに私の気持ちに気付かれていたのか思うと、やはり泣きたくなってくる。しかもそれを暖かく見守られていたとは。穴があったら入りたいとはこの事か。

「だから、俺的には今付き合ってないって聞いて結構びっくりしてる。別に誰も反対してないよ。主はいっつも主としていてくれるけど、たまにはただ女の子になっても良いと思うしね」

好きな相手の前で位はさ。
その言葉にどきりとする。好きな相手。初めてできた好きな相手。私には、遠い世界の事だと思っていたのに。
何も言わない審神者に、加州の笑う気配が伝わってくる。

「主、顔真っ赤だよ」
「うそ、ほんとですか」
「ほんとほんと。大倶利伽羅の事、好きなんだね」

好き。その一言が何だかとてもくすぐったい。いつもいつも皆に言っているのに、違う言葉の様に思える。慣れ親しんだ響きが、別物みたいだと思う。
それでも、自分の胸にも言葉にも嘘なんてつけない。顔を上げて高鳴る心臓を抑えるように、手を組んだ。

「…はい、好きみたいです。すごく、すごく」

審神者の言葉を受けて、加州は満足そうに、眩しい物を見るように目を細めた。

「うん。いーんじゃないの、それで」

残ったお菓子あげる、と言いながら加州は立ち上がって審神者の頭を撫でながらこちらに背を向けた。襖に手を掛けた状態で、くるりと顔だけこちらに向ける。

「大倶利伽羅も、主の事大好きだと思うよ。もちろん俺もね!今日は一緒に夕餉は食べよ」

ひらりと手を振って、加州は止める言葉もそのままに出て行ってしまった。残されたお菓子と審神者は、その背に伸ばしかけた手をゆるゆると戻す。その瞬間、ぎしりと廊下で誰かの音がした。顔を上げて相手の表情を見た瞬間、心臓がまるで今まで死んでいたのではと思うほどに早くなるのが分かる。火照る頭の中で、いつから聞かれていたのかと冷静に思う自分が居るが、聞けることも無く口は空気を吐き出すだけ。

「アンタ」
「お、おおくりから、あの」
「俺の事が好きなのか」
「っ〜〜〜〜〜!!!!」

ぼひゅん、と音を立てたのではないかと思うほど顔が一気に熱くなった。聞いていた、聞かれていた。恥ずかしい恥ずかしい。逃げたい、どうしよう。頭の中がぐるぐると混ざってどうしたら良いかが分からない。だというのに、大倶利伽羅は一歩足をこちらに向けてくる。思わずといった形で後ずさるが、デジャヴである。この部屋は狭い。すぐさま背中に壁が当たり、逃げ場など無くなってしまう。

「あっ、あの、忘れて、下さい、あんなの、あんな、恥ずかしい物」
「忘れるわけないだろう…」

すっと音も無く目の前に座り、じわじわとそこから距離を詰めてくる。既に壁にぶつかっている審神者は下がる事すら出来ず、ひぃ、と情けない声を上げて終わった。

「…何を嫌がる」

思わず審神者の動きが止まった。熱湯状態の審神者の頭で、少しでも冷静に大倶利伽羅を見れたのは、相手の声がほんの少しだけ悲壮に濡れていたから、か。
そこに来て、ようやく審神者はどれほど相手に酷い態度を取っていたのかを気付いた。そして、そうした審神者の態度に大倶利伽羅がどれほど傷ついただろうか思った。審神者がしたのは拒絶と同じだ。もしも相手が同じような事をしたら、と考えて今までとは別の意味で泣きたくなって、慌てて声を紡いだ。

「ちっ、違うんです、嫌じゃなくて…」
「…はっきり言え」

言いながら視線が下がり、少し冷静さを取り戻したはずの耳や首筋が熱を集め始める。

「わ、笑わないでくださいね…」

そう保険を掛けてから、それでもまだ酷く言いづらい。何せ、自分の性格のだめな所を暴露する様なものだ。少しの恐怖と倍以上の恥ずかしさがせめぎ合う。だけど、言わないといけないだろう。当然だ、私は相手をどれほど傷つけたか。誠意を見せろ、自分。心の中で己を鼓舞して、意を決しながらキッと顔を上げた。

「恥ずかしいんです!」
「……は、」
「大倶利伽羅が近づくだけでドキドキしちゃって苦しくて、目が合ったら本当に嬉しいし今日一日頑張れる気がするし話せたらもっと嬉しい。でも、でもそのまま距離が近づいたり、その、きっ、キスしたりするのは全然慣れないしドキドキするし、距離が近い時なんてもう爆発するんじゃないかって、思うくらい、で………」

言いながら顔が下がり、そのまま何も言えなくなる。相手の反応が怖い。ちらりと、相手の表情を伺い見た瞬間、視界が暗闇に変わった。

「えっ、なに、これなんですか!あっ、腰布!?」

大倶利伽羅の腰布を頭からかぶせられたのだ。外そうとするが、相手が頭の部分をがっしりと掴んでいるのか。うまく外すことが出来ない。それでも外そうとうごうごしていると、ぼそりと耳元で「被っていろ」と聞こえた。…これは、もしや。

「大倶利伽羅、照れてます?」
「それは無いな」
「ぐっ、思った以上に冷静…」
「ただ、今アンタを見ると口吸いをしたくなる」

近づかれると恥ずかしいんだろう。そう言われて、確かにその通りです、としか言えなくなる。だけど、何でか唐突に胸が苦しくなった。目の前に居るのに見えないことの、寂しさ。そろりと腕を伸ばして、手探りで相手の顔を探す。大倶利伽羅が身じろいだ感じがしたけれど、すぐそこにあった頬を両手で挟んだ。

「大倶利伽羅、ずっとずっと、その、距離を開けたりしてすみませんでした…」
「…気にするな」
「こういった経験が無い事も原因ですけど、これからはなるべく慣れていけるようになりたいので」

手を降ろしてから、息を吐いた。今なら、言える気がする。むしろ、今言わないといけない気が、した。

「あのですね、大倶利伽羅。多分なんですけど、私達、言葉が足りないのかもしれません」
「…」
「いつかは言わなくても伝わる関係になれたら嬉しいですけど、まぁ、それはゆっくりなっていけたら嬉しいです…。だから、今は改めてなんですけど、その…えっと…」

いざ口に出そうとすると恥ずかしい。とくとくと、さっきよりも控えめに、それでも確かに音を立てている心臓を深呼吸で抑え、口を開いた。

「好きです。貴方の事。すごく、大好きです」

言った瞬間、ばさりと腰布がはがされる。突然明るくなった視界にぱちぱちしていると、相手の顔がぐっと近づいて両肩を掴まれながら、唇が重なる。咄嗟に目を強く閉じて体を固くしてしまったが、大倶利伽羅はそれ以上何もせず、唇を離すと長い長い溜息の後、ぽすんと頭を審神者の肩に載せた。

「……………あぁ、知っている」

小さく呟かれたその言葉に、思わず吹き出してしまった。

「何ですか、それ!」

外の雨はとうに止み、短刀達の笑い声が庭にこだました。



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