被害妄想注意報 | ナノ



審神者歴7年。年にして25歳。所属は備前国。女。本日のパンツの色は白。ブラジャーは黒。上下セットではない。
初期刀は加州清光。初鍛刀は前田藤四郎。近侍はローテーション。
好きな食べ物はみかん、嫌いなものは緑黄色野菜、趣味は畑いじり、好きなことは縁側で茶を飲むこと。
刀帳は全て埋まり、錬度も半数以上が上限に達している。まぁいわゆる、中堅審神者、お世辞でベテランと呼ばれるもの。

そんな私は今、お昼の支度の最中である。

ここの本丸に、厨の番人はいない。いや、皆そこそこ料理出来るし手伝ってくれるが、大体は私がやっている。
だって、戦ってきて更に料理作ってとか、めちゃくちゃ大変だ。それに、帰ってきたら暖かいご飯が待ってるって、素敵なことだと思う。そもそも戦で何もできない私にできることといったら、こんなものだと思う。
そんなわけで、今日のお昼のうどんを茹でてる最中だ。
約50人の料理を一人で作るのはなかなか大変で、レパートリーも多めにいっぺんに作れるものになる。
麺を茹でるのは、量をいっぺんに茹でればいいから楽かと思いきや、これがなかなか大変で。早く茹ですぎると麺は伸びるし、かといって遅すぎると皆帰ってきて間に合わなくなる。最初はひいひい言って毎日作っていたが、そんなことも7年続ければ慣れる。今じゃ料理を作りすぎて筋肉痛になったのさえ、いい思い出酒の肴である。
今や、大人数の料理を作るのにそんなに時間がかからない。料理、洗濯、お手の物(大人数に限る)である。

とはいえ、これを頑張って続けられるのには戦を頑張ってくれてる皆への恩返し以外にも理由がある。

人数分の麺つゆを準備していると、どこからか足音が聞こえてくる。それに気付いていないフリをしながら、さり気なく髪の毛を整えて、服の乱れがないかを確認して、背筋をぴんと伸ばす。
厨の暖簾をするりとめくる音が聞こえた。
あぁ、だめだ。それだけでドキドキしてしまう。

「おい」
「あ、大倶利伽羅。今日も来てくれたの?」
「…畑が早く終わっただけだ」

かけられた声にくるりと振り返りながら、あくまでも普通に接する。果たして普通に出来ているかはわからないが、私なりの平素を装えてるといいなぁ、なんて。でも少しだけでも意識してもらえてたりしないかなぁ、なんて淡い期待もしながら。

「今日は久しぶりに太陽が出てよかった。暑かったでしょ、水分とってね」
「…………」

大倶利伽羅から返事が来ることの方が稀なので、気にせず麺つゆをどんどん蕎麦猪口に入れていく。
50人分の麺つゆをそれぞれ入れるだけでもなかなか一苦労なのだ。
だが大倶利伽羅はその入れた蕎麦猪口をひょいひょいとお盆に載せると、何も言わずに広間へと運んでいってくれる。暫くすると、何も載っていないお盆だけを持って戻ってきて再び運んでくれる。
彼がそれを3、4週するともう運ぶものはなくなる。こういったさりげない事が、家事をやるものとしてはとても助かる。

「いつもありがとう、助かった」
「俺が勝手にやっただけだ」

このやり取りも慣れたものである。
この本丸では出陣が午前組と午後組にわかれており、それは1週間交代で隊ごとにやっているのだが、ここ最近大倶利伽羅は池田屋への出陣のため、ずっと午後の深夜組だ。
そのため午前中は内番や簡単な遠征に行ってもらっている。だからか、彼は結構な確率で昼の支度してる時間帯に本丸にいるのだ。
いつの間にか手伝ってくれる日々が当たり前になっていて、でも彼が来るまでは毎回飽きないなというほど酷く緊張する。そして、来てくれる度に嬉しさと小さなときめきを感じながら、共に昼餉を作るのだ。お陰で私はここ最近の昼餉を作る時間が、楽しみで仕方が無い。

「あとはもううどん茹でるだけだから、大丈夫だよ。ありがとう」

いつもならばこういうと、無言で去っていくのだが今日は違った。
立ち去るわけでも何か言うわけでもなく、じっとこちらを見つめてくる。こんなこと、今まで一度も無かった。こちらは当然たじろぐわけで。というか目が合っただけで幸せになっているくらいの非常にささやかな気持ちの私には刺激が強すぎて、彼に見られていると思うだけで、あっという間に顔に熱が集まっていくのがわかる。

「あ、あの、どうしたの…?」

どうにも彼と目を合わせられなくて、視線をうろうろさ迷わせながら尋ねれば何故か彼は一歩詰め寄ってきた。
な、ななななな何で?!ダメダメこれ以上近かったら死んじゃう!!
心臓がばくばくとうるさい。ほぼ反射的にこちらも一歩下がるが、後ろは水場のため、もうそれ以上下がれず腰に角が当たった。
あんまりにも恥ずかしくて顔を俯けていると、ゆらりと彼の腕が上がったのが見えた。視線だけで追うとそれは私の頬の近くまで来た。思わず顔を上げれば、まっすぐな瞳にやけに寄せられた眉間。苦しくて辛い。そんな悲しい顔見たことなくて、途端に嫌な意味で心臓が低くなる。今まで少し浮かれていた気持ちは一気に地面にめり込んだ。
中途半端に上げた腕が音もなく元の場所に戻されるのを、視界の端で捉えながら、不安な気持ちが一気に心を埋める。

「お、おおくりか」
「邪魔したな」

こちらが何かを言う前に一言だけ告げて、彼は踵を返して出ていってしまった。
私はその背を追いかける事も出来ず、呆然と見送る。
彼の足音が完全に聞こえなくなった頃、私はへなへなとその場に力なくへたりこんだ。

「…………き、嫌われ、た……………」

完全に、あれは完っっっ全に嫌われた。顔が赤くなりすぎて気持ち悪かったのか、それとも大分前からもう嫌気がさしていたのだけれど彼は優しいからそれを出さずに今日まで普通に接してくれていたのか。なんにせよ、あんなにも辛い顔をさせるほど、私は嫌われてしまった。

もうここまででお気づきだとは思うが、私は彼に恋をしている。彼が好きなのだ。さり気ない優しさが積もり積もって、いつの間にか好きになっていた。
彼を見ると嬉しくなる。目が合うと心臓が止まってしまうほどに高鳴る。話せると幸せになる。彼が嬉しそうにすると私も嬉しくなる。彼が傷付くと私も悲しくなる。そんな日常の中で、喜びも悲しみもたくさんたくさん彼に貰った。
でも、この思いを伝える事は生涯しないと心に決めている。そもそも彼は神様で、気位が高く戦に行くことに高揚を覚える戦神なのだ。だけどそれ以上に彼の優しさを知っている。彼に気持ちを伝えたら、優しい彼は悩むだろう。そして私を傷つけないようにしてくれる。自惚れではなく、彼の優しさをよく知っているからこそ確信を持って言える。7年の時間は長くさりげない日々の積み重ねだったが、その分満ち満ちと彼の事を見てきたのだから。
私なんかのために彼を困らせるなんて、できるわけがなかった。
………なんていうのは言い訳だとわかっている。
実際は今の距離感が心地よくて、彼との距離感がおかしくなるのが怖いのだ。だって、告白してフラれても私達は同じ本丸で暮らす。必ず顔を合わせるのだ。恋愛経験ゼロの私には、そんな上級者の事はできない。ひたすらに怖い。己の弱さに嫌気がさすが、そうしようと決めた。
だから、私の恋心は誰にいう事もなく、丁寧にラッピング包装されて重りをつけて深海にごとりと沈んでいる。きっと、浮かび上がることも開かれる事も無いだろう。
ただ、彼と話した後、目が合った後とかそんな些細な事の後に心臓が高鳴ってしまう。どうしたって、私は彼が好きなのだ。ワガママで最悪な人間が、私である。

でももう、そうして思う事もやめなくてはならない。
だって、もしかしたら私の気持ちがバレてそんな主は嫌だと思ったのかもしれない。気持ち悪いと思ったのかもしれない。
ここを、出たいと思ったのかもしれない。

「…………死んじゃう…………」

ぽろりと、言葉と共に涙が一粒だけ落ちた。
こんな気持ち早々に捨てていたら、もっともっと重たくしてこんな気持ち無かった事にしていたら、こんな事にはならなかっただろうか。

出陣部隊が帰ってくるまで、私は立ち上がることができなかった。



:::





出陣組が帰ってきてそれを迎え、慌ててうどんを茹でた。皆が集まるお昼時は、仕事が少し立て込んでてやばいと言って執務室に篭った。2週間に一度ほどある事なので皆笑いながら見送ってくれた。
仕事など溜まっていない。今大倶利伽羅を見たら、少しだけ泣きそうになるなと思ったから。
執務室に戻ると、ずるずると襖に背を預けて座り込む。
30分くらいしたら、食器の片付けに戻らなきゃ。そしたらお夕飯の支度をしなきゃ。洗濯もしなきゃ。買い物も行かなきゃ。
やる事はいっぱいある。こんなところで油売ってる余裕も時間もない。それは、7年で十分理解している。
でも、それでも。
涙は出ない。ただ酷く胸がざわざわする。嫌な感情がドロドロと渦巻く。
あの大倶利伽羅の表情が、はっきりと思い出せてしまう。それが段々と侮蔑の眼差しに思えてくる。
もしかすると彼はずっと前から私のこの邪な気持ちに気付いていたのかもしれない。それでもずっと我慢してくれていたのかもしれない。
罪悪感と己に対する嫌悪感に、いっそ吐きたくなる。ぐでりと体を前のめりに倒しながら、じくじくと嫌な気持ちで溢れる胸を抑える。

「あぁー……もうやだ……………」
「主、ちょっといいかい?」
「へぁ!?あ!ちょ、ちょっと待って!」

突然の声にがばりと体を起こして、慌てて机の方に向かう。襖を閉めていたとはいえ、もう後の祭りかもしれないがせめて形くらいとりつくっておきたい。適当な書類と、その場に落ちてたボールペンを拾って、いかにもそれをやってましたー!という雰囲気を醸し出しつつ入室の許可を出す。
昔、テスト勉強中に部屋で漫画を読んでいるところに母親が来て「今読み始めたばっかなの!」って叫んだ時のことを思い出した。入室を聞いてくれるだけましだけれど。

「仕事はどうだい?」
「んん、えーと、ぼちぼちかな」

入ってきたのは燭台切だった。片手にお茶の乗ったお盆を持って、部屋に入ると後ろ手て襖を閉めた。

「切羽詰ってても、少し休憩した方がいい。やりすぎて体壊すなんて、かっこ悪いからね」
「気をつけます………」

彼のかっこよさの基準はなかなか難しい。きっとそこには彼の矜持があるのだろう。長年一緒にいても、まだまだわからないことは多い。
彼を座布団に座ってもらって、持ってきてもらったお茶を受け取る。2つ持ってきているから、彼もここで少しゆっくりしていくようだ。正直、誰かと話せる気持ちではなかったが、彼の優しさに胸がほっこりとなったのは事実だから、その気持ちを有り難く受け取ることにする。ずず、飲むと熱いお茶が喉を通り過ぎていく。

「それで、くりちゃんと何かあったのかい?」
「ぶっ、んぐ!!」

お茶を噴き出しそうになったのを、咄嗟に抑える。お陰で気管のおかしな所に入ったらしい、めちゃくちゃに噎せた。
「あぁーあ」なんて言いながら燭台切は私の背中をさすってくる。いや、お前のせいだからね。

「その様子だと図星みたいだね」
「は、謀ったな…!?」
「謀ったなんて人聞き悪いなぁ。単純に聞いただけじゃないか」

た、確かに…。勝手に私が焦ってお茶を気管につまらせただけだ。その言葉に苦しくなっていた喉が治ってくると同時に、頭が冷静になってくる。
そうだ、彼はなにも私のやましい気持ちに気付いたわけではない。単純に私と倶利伽羅が何かあったのかを聞いてきただけだ。焦る必要なんてどこにもない。

「ごめん、急に大倶利伽羅の名前が出てびっくりしてしちゃったんだ。私と大倶利伽羅は特に何もないよ。いつも通り」

だから今の所は帰れ。
言外にそう言ったのに、彼はそれをにっこりとイケメンスマイルで流した。

「なんだ。てっきり主がくりちゃんに何かしたのかと思ったよ」
「いや、さすがに何もしないわ…。私の事なんだと思ってんの」
「恋する可愛い女の子、かな」
「………………………ん?」

湯呑から視線をあげて、燭台切を見る。そこにはイケメンパウダーを散りばめたイケメン切の姿が…!

「ぐぅ…目がっ…!」
「バルスしとくかい?」
「やめてさしあげろ」

こいつ、この7年で随分俗世じみたな。誰のせいだ。私か。

「あぁそうだ主、米がそろそろ無くなってるよ。買い物に行かないと」
「え、そうだっけ。あー言われてみればそうかも。後で買いに行くよ」

唐突な話題変更に頭が追いつかず、間抜けな声を上げる。視線を上げながら思い出すと、確かにあと数日分しかなかったと思う。それは伝統的な日本男児しかいないこの本丸において、中々由々しき事態だ。

「うん。で、その時の護衛、僕に任せてくれないかな」
「燭台切に?何か買いたいものでもあるの?」
「まぁそんな感じ、だね」

ふむ、と顎に手を当てて考える。いつも買い物は近侍か、ちょうどその時に暇そうなものと行っていたけれど、別に燭台切でも全く問題はない。

「わかった。なんかおいしい物でも食べよ」
「それもいいね。それじゃあ15時に門にいて」
「はぁーーーーい」

こっちに顕現されてから、現代の時間の呼び方を覚えた燭台切は積極的にそれを使ってくれる。私としては非常に有難いが、気を使わせてしまっているようで申し訳ない。一度それを言ったら「数字使えた方がかっこよくないかい?」だそうだ。彼のかっこよさは本当にわからない。
彼がいなくなってから、改めて本日分の仕事と向き合うために机の方を向く。そうして、先程まで重く感じていた気持ちが少しだけふんわりとなった気がした。後でお礼を言った方がいいかな、なんて思うくらいには。




:::




やってきた15時門の前。いつも頑張ってくれてる彼にと、いつもより肥えた財布を持って、着替えて待っていれば、こっちに来たのはまさかの待ち人ではなくて。
心臓がどくりと鳴った。

「お、大倶利伽羅?」

彼はこちらを見ると、いつもどおりの表情でこちらに告げた。

「光忠の体調が悪くなったらしい。だから、代わりにと俺が行って来いと言われた」
「えっ、燭台切大丈夫なの?」
「さぁな」

刀剣男士が体調を崩すのは、まぁ今までも何度かあった。だがさっきまで仲良く話していたというのに。もしかして具合悪いのを隠して来てくれたのだろうか。少し不安になりつつ、なぜその代わりのチョイスが大倶利伽羅なのか…!
彼の空気の読めなさに今はただひたすらに、気持ちの中で吐血するだけだ。

「………国永を呼んでくる」
「え、な、なんで!?」

突然背中を向けて歩き出した彼に、咄嗟に腕を掴む。すぐに振り解ける程度の力だったが、彼は足を止めてくれた。

「……他の刀剣のがいいだろう」
「いや?私は大倶利伽羅がいいよ」

本心から言っていた。だって、彼と買い物に行けるなんて滅多にないチャンスなのだ。この7年、例え近侍であろうとも「ついていかない」の一言で全てを切り捨てられてきた。それが、今日は一緒に行ってくれるという。
あれだけ死にたい、会いたくないと言っていたのに、我ながら現金な事だ。目の前に彼がいたら、彼といられる事を喜んでいる自分がいる。

………………ていうか、あれ。
私、今とんでもないこと言わなかった?
はた、と目の前の大倶利伽羅を見ると、顔をそっぽに向けながら手の甲で口を覆っていた。それはなんだ、もしかして、照れ隠しとかって思ってもいいのか。釣られてこちらも顔が赤くなるのを感じる。
そんな、期待してしまうような表情やめて欲しい。あぁ、でもやる事なす事かっこいい。すごい。ほとんど現実逃避に近い事を考えながら私は自身の体すべてが更に熱くなるのを感じた。

「え、えぇっと、その、じゃ、じゃあ買い物、行こっか」
「…………あぁ」

ぱっと掴んでいた腕を離し、彼の隣を歩く。門を出て階段を降りながら街と繋がる政府の施設まで行く間、会話はなかった。
私なんて、もう頭の中いっぱいで正直あんまり記憶がない。だって、嫌われたと思った彼が隣で歩いてくれて、一緒にお買い物に行けるって、これもうなんて天国?レベルである。
もしかすると嫌われたっていうのは、私の被害妄想で、というより嫌いと思うほど私の事考えてないでしょ!というある意味最高にポジティブでネガティブな考えに行き着いた。そうなってしまえばもう、後は気持ちは楽である。すっかりいつもの調子を取り戻して、私は買い物を楽しむことにした。
結局私は、どれほど言い訳をしようと、彼の言動行動に一喜一憂するただの女なのだ。

街につけば、そこは相変わらずの人の多さでとんでもないなと改めて思わされる。人の波で壁ができている。これからここを突破するのかと思うと、今からげんなりする。

「…今日は何を買うんだ」
「お米がね、もうないんだ」

とはいえ、米屋はこの大通りを超えた少し人通りの少なくなった所だ。結局はこの人波を、どうにか逆走しつつ超えていかねばならない。大倶利伽羅は確実に嫌だろうな、なんてちらりと横目で隣の表情を伺う。
案の定、眉間にシワを寄せている。

「大倶利伽羅、ここで待ってていいよ。私が買ってくるから」
「アンタ、米俵担いでくる気か」
「うぇ、いや、えぇとそれは、その」
「…………」

泣きたい。見てくださいこの冷たい視線。ありがとうございます。
いよいよ本気で吐血しそうになったとき、手のひらに何かが触れた。

「行くぞ」
「え、あ、」

ぐい、と手のひらを引かれて人の波に突っ込んでいく。
これは、もしかしなくとも、手を繋いでいる。誰と誰が?私と、大倶利伽羅が?
………………私と、大倶利伽羅が!?
私のパニックをよそに前を歩く大倶利伽羅は、スイスイと人の間を進んでいく。手汗大丈夫かなとか、変に熱くないかなとか、絶対米屋ついたら顔赤くなってる恥ずか死にたいとか、とか。
そんなことを考えてるうちに米屋についたらしい。大倶利伽羅が手をぱっと離して、私を前に出す。お礼をいう前に、店の脇に行ってしまった。人の波もまばらになっていて、先程よりもがやがやした感じがない。
店の前で客引きをしていた店主に、必要な分を伝える。
米俵を準備するのに、暫く時間がかかるらしい。大人しく店の前で待つ。恐らく、その時間になったらどこからともなく大倶利伽羅が出てきてくれるだろう。
そんな風に、適当に考えていたのが悪かったのか。

「ようお嬢さん、良い着物着てるな」
「…………え、私?」

一瞬誰のことかわからず、きょとんとしてしまった。だってそうだろう。いくら人が少ないとはいえ大通り、しかもこの街は政府の施設内。そんな所でナンパなのかもわからない事が起きるなんて思ってなかったのだ。

「嬢ちゃんどこの人間だ?お付きもなしじゃあ危ないな。どれ、俺が送ってやろう」
「いや、結構です。お付きの人いるんで」

目の前の男は嫌な笑顔を浮かべながらぐいぐい距離を詰めてくる。米屋の店主早く戻ってきて!そう思っても無情なり、奥の方からはうんともすんとも聞こえない。周りの人間は見て見ぬ振りだ。私もそうする、当然である。
この相手が親切心から言っているのかなんなのかと知らないが、最初の、いい着物着てるなってもうダメだろう。いろいろアウト。もうちょっと自分の発言に責任もって。そんなこと言って近づいてきたら誰でも警戒するから。
必死に首を回して大倶利伽羅を探すが、見当たらない。トイレにでも行ったのかもしれない。

「あの、本当に大丈夫です。連れいますし、すぐそこですから」
「んな釣れないこというなよ。ちょっとこっち来てくれって」
「いっ…!」

ぐい、と腕を掴まれて無理矢理足を進めようとさせられる。路地裏にでも連れていかれたら終わりだ。もう金玉蹴りあげるのも辞さないと、足に力を入れたとき。

「おい」
「大倶利――――」

聞こえた声に顔を上げれば、言葉が途中で止まった。なんでって、刀がそこにあったから。私と男の間に、キラリと美しく光る刀身がある。それは確かに男の首筋にまっすぐ当てがわれていて、男がこれ以上何かした瞬間に切るというのが、ヒシヒシと伝わってきた。

「ひっ…!か、かたな!?」
「………どうして、そいつの腕を掴んでいる」

低い、低い声だった。地を這う蛇のような、ずりずりと足元からはい上がってくるような、寒気と殺気を伴う声。
今まで一緒にいて、一度も聞いたことのない声。

「…………死ぬか?」
「す、すいませんすいません!!命だけはご勘弁をっ…!!!」

さっきまでの威勢はどこえやら。一もなくすぐさま私の腕を離した男は、とんでもない勢いで駆けだして人混みの中に消えていった。追いかけていこうとする大倶利伽羅を止めて、刀を鞘にしまってもらう。

「助けてくれてありがとう。あんな人いるんだね、びっくりしちゃった」
「…ここは政府の施設じゃなかったのか」
「そのはずなんだけどね…」

最近になって、ここへの入場はより一層厳しくなった。なんでも何かとんでもない事件があったとか。そんなわけで、治安はよくなるはずがあんなのもいるのだ。こりゃあ政府も大変だな、なんてどこか他人事で考えた。

「…悪かった」
「え、何が?」
「お前の傍を離れるべきではなかった」

その言葉は、男に掴まれた腕に視線を向けながら告げられた。強く握られたらしく、少しだけ赤くなっていた。

「いや、全然大丈夫だよ。あんなの誰も対応できないって。大倶利伽羅も何か用事があったんでしょ。トイレ?」
「…いや」

あれ、トイレじゃなかった。
でも、助けに来てくれたときはかなり嬉しかった。というかときめいた。20歳過ぎた人間がいう発言ではないが、王子ってこんな感じなのかななんて痛いこともちょっぴり考えたものだ。刀を抜いてくれたことも、怒ってくれたことも、主を守るためにどちらも当然の事なのかもしれないし、そうだと思うのだけれど、私はどうしても嬉しかった。怒った顔もかっこよかったなぁ。

「………どうしたの?」

一人でニヤニヤしそうになる顔を抑えていれば、大倶利伽羅がじっとこちらを見ているのに気付いた。
声を掛ければ、視線がより一層強くなる。だが、それは先程の苦しくて辛い表情で、私は一気に気持ちが重くなるのを感じた。

「…お、おおくりか」
「はぁい、お待たせ致しました〜!米俵持ってきましたよ!」

奥から米俵を持ってきた店主が、よく通る声と共に出てきた。おかげで私の声は途切れ、彼の視線もそちらに行く。
無言で米俵を担ぐと、彼は空いた手で私の手を掴んで再び人ごみに入っていく。私は慌てて米屋の店主にお礼を言って足を急がせた。この店が前払いでよかった。

行きとは真逆の気持ちの中で、家路につく。もう出陣の時間で、みんな門に集まっていた。大倶利伽羅は午後の組の二陣なのでまだ出陣は先だ。大倶利伽羅に米俵を厨に持って行ってもらって、私はその足でそのまま出陣組のお見送りに向かった。
私が門に走って門についたのに気付くと、午後の組一陣の燭台切が近づいてくる。

「燭台切、体調はもう大丈夫なの?無理そうなら替えても…」
「あぁ、全然大丈夫さ。心配かけて悪かったね。買い物は楽しめたかい?」

その一言にどきりとしながら、思い浮かぶのは最後の表情だ。苦しくて苦しくて仕方ないといったようなあの顔。私は視線を下へ下へとさ迷わせながら「楽しかったよ」と笑った。

そうして皆を見送れば、戻ってくるまでに夕餉の支度に取り掛かる。今日の夕飯は唐揚げ。揚げ物は片付けが疲れるが、いっぺんに作れるから結構楽である。これも、7年間で身についた技だ。
黙々と、ひたすらに唐揚げをあげていく。熱くて、汗もかいてきた。そう、これは汗だ。
だから、別に彼の事を想って泣いてるとかではない。単純に熱いのだ。

「っ……う…!」

彼のあんな苦しくて辛い表情を見る度に、胸が熱くて潰れてしまうかと思う。べしゃりと地面に落ちたトマトのように潰れてしまう。
それならばやっぱり、この気持ちは鍵をかけて重りをつけて捨てよう。彼のあの表情を見ながら、彼への恋慕を募らせる事ができるほど、私はず太い人間ではない。いや違う。これもまたいい訳だ。彼のあんな顔、もう二度と見たくないという私の勝手なわがままだ。
もしかしたら私に何か相談したい事があるのかもしれない。それならば主として聞かなくてはならない。だというのに、自分が彼のあの顔を見て傷付くのが嫌だから、勝手に結論づけて二度と己が傷つかない様にしてる。本当に、もう嫌だ。
それでも、彼のために何かできるとしたら。彼があの顔をしないようにできることといえば。

…―彼を、手放す?
頭に浮かんだ候補に、即座に嫌だと思った。こんな人間の勝手な恋情のせいで、彼を慣れ親しんだ友人達から引き離すのも、あまりにも自分本位な理由でどこかにやるのも、一番私が許せない。
ただ、それ以前に大倶利伽羅は彼がいいと、これまた酷く惨めで自分勝手に思う己がいる事に気付いた。
彼がいい。私の大倶利伽羅は彼だけだから。彼じゃなきゃ嫌だ。
嫌われているならば、自分からは近づかないでおこう。これが逃げだとわかっている。わかっているけれど、どうしてもこれが最善だと思う。己の気持ち一つすら制御できない主なんてだめだ。彼に嫌われても当然だ。

でもこれから頑張るから。あなたに近づかないから。こんなにも自己中心的な人間でごめん。嫌いな主と共にいさせてごめん。貴方を手放せなくてごめん。

…―貴方を好きになって、ごめん。

届かない謝罪と共に、私は汗だくになりながら唐揚げを揚げた。





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