桜雨 | ナノ




さようなら
―――私の大事な、大事な、






桜雨






するりと襖を開けると、桜が美しく怏々と存在を示す。私がこの本丸に来た時に既にあったこれは、花びらを散らしては、より一層その美しさを際立てている。その風が、今日中にも全ての桜を散らしてしまいそうだ。
そ、と静かに縁側から庭に降り立つ。足袋以外何も履いていないがそれを咎める者は、もうここにはいない。
幹に手を触れると、桜の花びらが嵐となって舞い起こる。小さな竜巻となったそれは、私を中心として起きているようで、私自身は体を全て木の幹に預け事の終わりを見届けていた。やがて嵐は終わりへと向かうようで、徐々に静かになっていく。
額をコツン、と幹に当てると、今までの事が一様に思い出される。最初に出会った彼も、次に出会った彼も、みんなみんな居なくなった。あの辛くも充実した日々が唐突に終わるなど、いつの私は想像できただろうか。
すっかり大人しくなった桜は、私を包み込むように木々をはためかせる。
いつでもこの桜は私と一緒だった。
私がこの本丸に来た時、とても優しく歓迎してくれたのをよく覚えている。それから皆とお花見をして、夏には美しい葉をたなびかせながら、七夕や夏祭りに似たものもやった。皆が出陣と遠征で帰ってこない時、不安で不安でたまらない私を暖かく支えてくれた。この桜は喋らないけれど、恐らく小さな神が宿っているのだろう。いつでも私の拠り所になってくれたのだ。

「今まで、ありがとう」

ぽつりと言うと、木々が一気にざわめく。
ありがとう、ありがとう、感謝を伝えても伝えても足りない。それはここ数日だけで充分に分かったことだった。
途端、桜が舞い上がる。私に何かを教えているようで、小さく首をあげる。真下から覗く桜の木は、変わらず美しい。しかし、桜の疑念は解決されなかったようで、まだざわめく木々に首をひねれば、後ろからジャリ、と人の足音が聞こえた。
くるりと振り返れば、呆れた顔の彼と目が合う。

「…何やってんだ」

金の瞳がおもむろに細められる。
桜が悲しげに散りながら私の髪の毛をあやす。まるで、悲しみを慰めるように、そして、別れを示すように。





:::





戦が終わった。
戦争というのはいつかは終わるものだ。ただまたすぐに新しい争いがどこかで起こるだけで。
そうして政府が下した結論は『本丸の解体』だ。
敵が居なくなったのだから、刀として戦うことももう無い。皆、それぞれの想いを持ちながら本丸を後にした。すなわち刀解だ。
そうして、全員を見送る事が、私の最後の役目。あるものは丸一日、あるものは5分で話を終え、一人二人この本丸を去っていくのを全て見てきた。
人間に翻弄され、遣わされたというのに彼らは一様に、笑顔で去っていくものだからこちらは涙を流すわけにはいかない。

そうして私は、皆を刀解し、やがて訪れる終焉を1人この本丸で待つ―――はずだったのだが。



「…まさか貴方が最後になるだなんて」

桜に背を向け、最後の一振りとなった彼、大倶利伽羅を見やる。金の瞳はまっすぐにこちらを見つめ、逸らされることはない。

「…俺は一人でいい」

つ、と視線が私の後ろの桜に行く。暫くそれを見つめて、またこちらに瞳を戻す。その動作はどうにも緩慢だ。何かを惜しむような、何かを悟ったようにも感じた。

「もしかして一人になりたくて最後まで残ってたの?」

彼は何も答えず、静かにこちらに来る。そのまま背を桜の幹に預け座り込んだ。太く強い桜は、彼の背を受けてもまだ余裕があり、人一人は座れる位の隙間が残っていた。所在無しに立っていれば、彼がこちらに向かって顎を引いた。隣に座れということか。大人しく彼の隣に座れば満足したように目が細められた。私が全体重を桜の幹に預けたことで、桜が喜んだことがわかる。それに小さく笑うと、金の瞳がこちらを見据えていることに気付いた。

「どうしたの?」
「…一人になりたかったんだがな」

うん?と首をひねってから、さっきの私の質問に答えようとしてくれてるのか、と納得する。そのまま相手の出方を待てば、瞳が少しだけ伏せられてしまった。
―――もったいないなぁ、綺麗なのに。
昔、彼が来たばかりの時、そういった事があった。瞳がそんなに綺麗なのだから、もっとこっちを見て欲しい。全く他意はなく、思ったままをするりと出た言葉であったが、その瞬間の彼の驚いた顔は忘れられない。どこかのびっくりじじぃではないが、確かに楽しいと思ったのを覚えている。
しかし、それからというもの、彼は律儀に私の瞳を見て会話してくれるようになった。どうしても彼の方が背が高いから、私は背伸びするくらいに見上げなければならないが、タイミングが会えば、縁側で絶対に座って会話をしてくれるし、その時には背筋が曲がってこちらに身長を合わしてくれているのがわかる。恐らくこの相手が光忠だったなら、腰をかがめて視線を合わせてくれたのだろうが、あいにく彼はそのようなタイプでは無いことは十分わかっていた。それでもしっかりと見据えてくれる瞳の美しさが本当に好きで、彼のその優しさにいつも甘えていた。
彼の美しい瞳に見られて隠し事が上手くいった試しはない。辛いことがあった時も、嬉しいことがあった時も彼は必ず私に姿勢を合わせて、瞳を覗いてくる。
私も彼も口数の多い方ではなかったから、何も聞かずに静かに頷いてくれる彼の隣はとても心地よかった。

しかし、今目の前の彼は、私に瞳を見せてくれない。意図的に伏せられた瞳は、何かを思案しているように見える。
それでも、その考えている内容をこちらがわかるまでの時間を与えるよりも早く、再び彼はまっすぐこちらに視線を向けた。

「アンタが居るから、俺は最後まで一人になれない」

否定的な口調とは裏腹に、彼の表情はひどく穏やかだ。全てを受け入れているように見えて、無意識のうちに爪を手に食い込ませる。
それを見てか、少し空いていた私達の距離を彼が詰めてくる。そのまま握り締めた手の上に彼の手が載せられる。私の指の間に無理矢理指を挟んできて、力を緩めろと言外に告げているのがわかった。言葉では何も言わないくせに態度は雄弁だ。諦めて手を開き、彼の指を受け入れれば、するりと指同士を絡め合う。そうすれば満足したように、小さく瞳が細められたことを私は見逃さなかった。

「結構貴方は自由気ままにひとり楽しんでたと思うけど」

わざと攻めるような口調で言えば、視線だけがこちらに向けられるが、あえてそれを受け流し、空を仰ぐ。青空にぽつぽつと雲が浮かぶ。明日も晴れかな、とぼんやりと思った。

「俺は行かない」

何処に、とは聞かずもわかる。根源には帰らない、そう言いたいのだろう。
それにゆるゆると首を振れば、批判的な視線がすぐに返ってくる。

「ダメ、皆を見送るのが私の最後の役目だから」

そう告げれば、整った顔の眉間に深くシワが寄る。それからすぐに吐き出された息に、不満が全て詰まっているように思えた。
それでも、こればっかりは仕方ないのだ。もう正直、あまり時間も残ってないだろう。

「嫌だ」

少しだけ吐きかけたため息がうっかり呑み込む程、ぽつりと、しかしはっきりと聞こえたその言葉に思わず瞠目した。

「驚いた、貴方からそんな言葉が出るなんて」

基本的に大倶利伽羅はわがままを言わない。いや、言うのだけれど彼はどうにも寡黙なので自分の事を言う事があまり無い。そもそも彼は言い方や態度はそっけなくとも、心根は優しく思いやりに溢れている。だから彼は自分の意見を言うのではなく、周りの話を聞き自分がどうするかを決めている。
そんな彼が、今周りに私しか居ないというのもあるだろうか、はっきりと意見を言った。
聞いてあげたいと心の底から思う。彼の優しいわがままを叶えたいと思った。
でも、ダメなのだ。

「それだけは聞いてあげられない」

何故、とは聞いてこない。わかっているからだろう。

「…もう戦は終わったから」

だからさよならなの。
その一言が言えず、瞳を閉じる。瞼の裏には未だに数多くの思い出が溢れて出てくる。全てが輝いて美しい、いつか色褪せることがあるだろう。それでも思い出すだけで心が満たされる様な、励まされるような気がする。
そんな中でも忘れられない記憶がある。
それはまだ私がこの本丸に来て間もない頃、大倶利伽羅を鍛刀して数日経った時だ。検非違使と呼ばれる第三勢力が現れ、他所の本丸と同じようにうちの部隊も大きく傷ついて帰ってきた。幸い、誰も折れなかったがそれでもあの時程傷つけられた事は無いかもしれない。
特にその時に損傷が酷かったのが、大倶利伽羅だ。鍛刀したばかりで、錬度も低かったため、錬度を上げてもらうために他の錬度の高い子等と共に戦場へ行っていたのだ。その為、一番狙われた。重傷、もとい破壊一歩手前で帰ってきた大倶利伽羅を見て、どうにも言えない気持ちに襲われた。
手入れを受け、布団の中で大人しく眠る大倶利伽羅を、隣に正座して看ながら、他の子達の様子も見なければと席を立とうとした時だ。先ほどまで寝ていると思った彼に襷の袂を掴まれた。そのまま転びそうになったが、そこは無理矢理踏みとどまった。そこで彼に言われた一言は忘れられない。

「―――置いていくな、だよね」

ぽつりと呟けば、まず彼の瞳が大きく開かれ、それから首ごとこちらを向く。驚きを隠せない、そんな顔をしながら視線を揺らす。

「…覚えていたのか」
「というか貴方の方こそ覚えてるのね。あの後すぐ寝ちゃったから覚えてないと思った」

彼は片手で顔を覆いながら、小さくため息をついた。
袖を掴まれた直後、呟かれた言葉に、そんなことしないと返した時には、既に彼は眠りに落ちていた。だから寝言だったのかと、無駄に緊張した体はため息をつかずにはいられなかったのだ。だというのに、裾を掴んだまま寝るもんだから、大倶利伽羅が起きるまで私はその部屋から出れなかったのも言っておきたい。

「そうね、でもあの怪我は本当に肝が冷えたわ…」
「あれから1週間本丸の桜が咲かなかった」
「そうそう、笑っちゃったわ」

クスクスと小さく笑うと、握られた手が強くなる。笑うのを止め繋がれた手を見てから、視線をあげる。そして、やはり、というか、何かを言いたげな金の瞳とかち合う。

「俺を刀解したとしたら、それでアンタはどうなる」

今までの会話をぶつ切るような、その話題の変換にこちらの対応が遅れる。追い討ちをかけるように、彼が距離を詰める。ずい、と肩を近づけて、もう鼻の頭がぶつかりそうな距離だ。それでもやはり、私は瞳を逸らせない。

「…どうもしないわ」

ようやく呟かれたそれは、明らかに揺れていた。それを目敏く気付いた彼は、明らかに非難の視線を向けてくる。
だめだ、その視線は本当に、ダメなのだ。隠し事が全て暴かれる。この目の前に嘘はつけない。

「現世に戻るだけよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」

間髪入れず言われる否定の言葉にこちらも返事を返す。このまま押し問答になるのは目に見えている。はぁ、と1つ息をついてから繋いでいない方の手を上げる。降参のポーズだ。

「もう…貴方本当に変なところで強情ね」
「褒めてるのか」
「そうよ、素晴らしいと思う」

初めてあった時から、あくまでも自分のスタンスは崩さず、それでも私達の事をしっかりと見て、必要があれば手を貸してくれる。あけすけな気遣いではなく、そこにあるという彼の心からの誠意に、何度救われたことだろう。

「覚えてるかしら。昔、あなたがここに来たばかりの時。その時はまだ数えるくらいしか人数が居なくて、毎日必死にやってた時、私が熱出してしまったの。」

あの時の皆の蒼白な顔を見て、私は幸せ者だと心から思ったのを覚えている。

「そしたらあなたったら、大丈夫って言ってもずっと傍にいてくれるんだもの」
クスリと笑うと隣から責めるような視線が突き刺さる。
それと同時に、繋がれた掌がより強く握られる。あの時もこうやって手を握っててくれた。

「あんた、あの時目を離したら仕事しだしただろう」
「あら、そこまで信用が無かっただなんて心外ね」
「何せ、顕現したばかりでな」
「それでも、嬉しかった」

一人、突然歴史集成主義者と戦えと言われて、初期刀とともに投げ込まれた本丸に、血だとか争いだとか全く無縁の地から来た私にとっては余りにも優しい出来事だった。
小さくお互いに笑えば、ふわりと花びらが舞い上がり、私を急かすのがわかる。
もっと、こんなふうに話していたいのに。本心はいつも心の奥底だ。

「さて、と。そろそろ行かなきゃダメよ」

言葉と同時に立ち上がるが、繋がれた手が離れることはなく、そして大倶利伽羅が立ち上がることもない。おかげで私は半分だけ立つような、とてもきつい体勢になってしまった。

「もう、ほら。立って」

空いているもう片方の手を差し出せば、ようやくその手を掴んで立ち上がる。いつもとは考えられない緩慢な動きに、少し眉をひそめるも、気付かないふりをしてすぐに歩き出す。

「俺は行かない」
「もう、ダメだって。そろそろ時間が無」

言葉が途中で遮られたのは、後ろの桜の涙のせいだ。
おうおうと、泣きわめくように花びらが全て散り出す。私の髪をなびかせて、目の前を通り過ぎながら、桃色の世界が一気に終わっていく。今までどれほど桜がささめこうが、花びらが全てなくなることはなかった。しかし、今回は違う。新緑の目が、出ていない。散ったら散り続け、次の命を作っていない。

あぁ、本当に終わりだ。

無性に悲しさと寂しさが相まって、喉元まで溢れ帰りそうになる。だがどう伝えたらいいのかわからない。この心持ちは何なのだろう。
桜が少しだけ大人しくなった瞬間に、両手を繋がれたおおくりからを見つめて、握る手を強くする。それに少しだけ意識を取られた彼の隙を、私は見逃さない。

「そろそろ消えるわ」

ゆるり、首を上げてから大きく開かれた瞳を見つめる。何を言っているのかわからない。まるでそう伝えているような視線は、揺れている。

「さっき穴を開けたのよ。そこから徐々に霊力が抜けていってる。ここの生命は全て私と繋がっているから、私の霊力が消えれば皆消える」
「…初耳だ」
「初めて言ったもの」

しれ、と言ったことに対し、眉間のシワが深くなる。それでも案外冷静に事を受け止めているな、というのがこちらの意見だ。もう少し狼狽えるかと思ったが、そこは流石というべきか。もしくは薄々勘づいていたのかもしれない。穴が開いていることなど、とうにお見通しだったのだろう。

「だから、貴方ともお別れ」

そう告げた瞬間、体が彼に包まれる。彼の腕が私の背に周り、強く抱きしめてくる。それでももう、嫌だ、とは言わない。言ったところで叶わないと気付いているのか、聡い刀だ。

「…俺は一人でいい。だが、アンタは、一人ではダメだろう」

一言、一言を選ぶようにゆっくりと紡いでいく。両肩を掴まれて、体が離れる。それでも視線がそらされることはない。逆にこちらが横を向きたくなるほどのまっすぐな瞳に、言葉が詰まった。

「…心配症ね。でも、大丈夫。一人なんかじゃないもの」

途端、大倶利伽羅の息を飲む音が聞こえる。
どうしたのかと顔を上げて、すぐに納得する。
自分の腕が透けているのだ。桜が一気に散ったのは、この為か。
予想していただけ、自分は驚くほど冷静だ。

「ごめんね大倶利伽羅、もうお別れしなきゃ」
「待て…!」

おおくりからが掴んでいた私の両肩が透けて、そのまま空を切る。私自身をすり抜けて、彼が少しだけたたらを踏む。さすがに転ぶことすらしないが、顔は今にも倒れそうなくらい蒼白だ。

「大倶利伽羅」

振り返り、もう触れないおおくりからの両頬を包むようにすれば、どちらともなく顔が近づく。交わすだけの、触ることもできない、まるで子供のような口付けは、少しだけしょっぱい気がした。

「元気でね」
「あぁ…」

触れた手のひらに力を込める。音もなく、大倶利伽羅が花びらに変わる。幾度となく見た、刀解の瞬間。
とうとう散る花もなくなったのか、風が花吹雪を巻き起こすだけとなった。
私の思いも、悲しみも、全てを花びらが覆う。私の涙をかき消しながら、桜は全ての存在を覆っていった。



さようなら、さようなら、私の大切な刀。





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