骨は炬燵に置いといて2 | ナノ



がたん。
大きく体が揺れて、瞳を起こした。勿論、寝てなどいない。どうやら揺れたのは車両の様で、隣で同じように座る審神者はじっと向かいの窓を見つめていた。両手に入るほどの壺を膝に載せて、大きな瞳を湛えながら身じろぎもせず外を見ている。大倶利伽羅は、審神者の視線を辿った。馬よりも早く動くこの乗り物は、窓からの景色を一瞬で変え、今まで山道だった筈の風景は、気付くと海へとなり替わっていた。
「駆け落ち」と、審神者は言った。断る理由も無く、大倶利伽羅は審神者と共に電車に乗りこんだ。どこに行くのかと尋ねれば、審神者はたった一言「海」と答えた。

首を回して、背中に広がる蒼い世界を瞳に写す。決して綺麗とは言えない砂浜と、澄んだとも言えない海色。大倶利伽羅の想像していた海とは、おおよそ合致しているとは言えなかった。

「大倶利伽羅って海、初めてだっけ」

隣の審神者が口を開いた。沈黙で肯定を返すと、女は納得したように「そっか」とだけ言った。
それに続く言葉は無い。
大倶利伽羅は何も言わなかった。女もまた大倶利伽羅に返事を求めなかった。独特の静寂の中で、瞬間的に視界が暗くなる。

「あ、トンネル」

誰に言うでもなく、女は呟く。それから「あとちょっとだよ」とも。相も変わらず、まっすぐに視線を向けて。
電車の中には、大倶利伽羅と女以外誰も居ない。皆、ここに来るまでに降りて行った。女曰く、そもそも昼間からこんな辺鄙な田舎の電車に乗る人間は少ないらしい。

「でも私、この電車がすきなんだ」

乗る直前、女が言った言葉。その一言に、何が込められているのかなど、大倶利伽羅に知る由もない。

『次は、終点。終点、――――』

「そろそろ着くね」

車内に流れた声を聴いて、女はゆっくりと視線を下げた。それから車内をぐるりと一周する。何かを惜しむように、忘れないように、周りを見ていた。
やがて電車が止まり、降りてみても、駅に降り立ったのは大倶利伽羅と女だけだった。
無人の改札を超えて、道路を挟んで見える海を見る。先程見たのと変わらない、濁って見える海。隣で立つ女が、壺を持つ力を強めるのが分かった。

「大倶利伽羅、行こっか」

こちらを見上げて、へらりと笑う。何も考えていない様に、何も見ないように。女は小さな壺を強く強く抱えて、海に向かって一歩を踏み出した。大倶利伽羅は、何も言わずにその後をついて行った。


:::



「良い天気で良かったねぇ」

海沿いを歩きながら、海を一切見ずに女は言う。木枯らしの吹く冬の海は、存外に寒い。遠くで鳴く鳥達の声が、やたらと空にこだましているように感じた。

「初めての海はどう?」
「…どうでもいいな」
「そういうと思った!」

笑いながら、女は砂浜に落ちている枝を拾う。そこそこに太く、それなりに長い、ちょうどいい枝。何度か握ったり離したりを繰り返した後、満足したようにそれをぶんぶんと振り回しながら歩き出した。

「こういう枝ってさぁ、見ると遊びたくならない?」
「ならない」
「まじかぁ」

そういうと、腕を大きく振りかぶってから枝を海に投げ捨てた。綺麗な弧を描き、枝は海へと落ちる。その軌跡を見つめながら大倶利伽羅はため息をついた。この審神者、いつも思うがやることが突飛すぎる。

「結構飛んだと思わない?」
「………」

余計な事をするなと睨めば、肩をすくめてくる。恐らく、反省していない。すぐに似たような物を見つけては、同じように捨てるのだろう。

「大倶利伽羅も拾えばいいのに」

誰が拾うか。内心で言いながら、相手の頭を叩く。既に相手の手には手ごろな石が掴まれている。油断も隙もあったものではない。

「いつか捨てるなら、勝手に拾うな」

審神者は一瞬視線をこちらに向けてから、石を海に捨てた。それから「もうやめる」とも。捨てられた石と枝も驚きだろう。唐突に掴まれたと思ったら海に投げ捨てられる。考えてもいない末路に違いない。いや。物として生まれた以上、わかりきった未来だったのかもしれない。いずれ大倶利伽羅も、全てを失う日が来るのだろう。人間に作られ守られ、そしていつかは人間によって捨てられる日が。
石と枝を投げ捨てた海をじっと見つめて、女は片手に持っていた壺を改めて両手に抱え直す。ぎゅっと、何物にも触らせぬよう、守る様に、じっと。

「ねぇ、大倶利伽羅」

再び歩き出しながら、淡々と女は口を開いた。

「人って死んだらどうなるの?」

淡々と、感情の籠らない声で。今まさに疑問に思ったから質問するかのように。幼児が大人に真理を聞くように、目の前の大人は刀に人の真理を聞いた。刀が何でも知っているとでも思っているのか。大倶利伽羅は何も答えなかった。答えようとも思わない。それが分かっていたように、女は少しだけ目を伏せた。

「やっぱり、消えるのかなぁ」

冬の間昼間の海は、青々しすぎてどこか逆に寒々しい。審神者はそれでも関係無いように、赤くなった指先で壺を持つ。

「人ってさぁ、きっと死んだら土に還るんだよ。地球の一部になってミミズさん達と友達になって火山の真ん中で生まれ直って、噴火と一緒に宇宙に行くの。そうして長い長い時間を漂った後に、もっかい地球に来るんだよ。やっぱり故郷は良いなぁって、戻ってくるの」

じっと、道の先を見つめて女は言う。感情の一切乗らないその声は、いっそ恐ろしいと感じるほどだ。普段の女を知っているならば、尚の事。常に笑い、バカだあほだと家臣からいじられる主は、今ここにはいない。その代わり、気持ちの乗らない声で、原稿でも読むように生死感を語る女がここにはいた。大倶利伽羅は、いっそ別人ならば、と思う。
いっそ別人ならば、どうでもいい、の一言で全てを切り捨てられるというのに。

「戻ってこれるのかな」

疑問の呈したその声は、こちらに尋ねているというよりも、確かめているように感じた。恐らく、この女の中で既に答えは出ているのだろう。
人は死んだらどうなるか。
大倶利伽羅の中に答えはない。強いて言えば「何も無くなる」といったくらいだろうか。
折れることと死は明らかに違う。折れることが大倶利伽羅の死ではない。大倶利伽羅における死は忘れ去られることだ。だがしかしそれは恐らく、どの神にも言える事だろう。人の祈りと願いを受けて生まれ落ちた神々は、人のそれが無くなった瞬間に死ぬ。文字通り、死んで存在がいなくなる。信仰が無くなり、人の記憶から消え、じわしわと己の形すら危うくなる。それが、死だ。神の、死。人間の死とは、そもそものベクトルが違う。
あぁ、本当に。別人であったならば。こんなおかしな事を真面目に考える事も無かった。

「大倶利伽羅、海に入ろうよ」

唐突にこちらを見ながら、女は柔らか笑う。いつの間に準備していたのか、既に靴は脱いであり、白いワンピースが海風に翻されて足が眼下に晒されていた。意味もなくそれを見る事に罪悪感を覚え、視線を逸らす。するりと手が握られる。

「入ろ?」

不安気に揺れる瞳は、大倶利伽羅がこの誘いを断る事を危惧してか。大きくため息をついてから、握られる手を強くする。それだけで飴玉の様な瞳をより一層大きくさせるものだから、大倶利伽羅はいつかこの目がぽろりと落ちてしまいそうだと思っている。

「…先に靴を脱がせろ」
「! うん、ありがとう」

そうして靴を脱いでから、海へと足を進める。予想外に冷たい波が、足を包んだ。

「ひゃー、やっぱり冬だね。冷たい」

ぱしゃ、ぱしゃんと足を跳ねさせながら女は奥へ奥へと進んでいく。当然、手は離されていないので大倶利伽羅も自然と海の深い方へと進んでいく。太股の半分が沈む深さまで来たところで、女はようやく足を止めた。

「冷たくて、苦しくなっちゃうね」

女の視線はまっすぐ海の地平線。大きい瞳の中に、海の波が写る。

「なんだか人が、死んだ時、みたいだね」

ばしゃん。
手が離されて、女は唐突に膝をついた。ぺたりと海の中に座り込み、腹までの体を海に沈める。脇に持っていた壺を両手で抱え込み、背中を丸め込む。誰の話も聞かないように、誰の言葉も拒絶するように、女はその場にうずくまった。

「…嫌になったか」

大倶利伽羅の言葉に、女はゆるゆると顔を上げた。泣きそうな顔。それでも、視線はひたりとこちらを見つめる。まるで、泣きたくないとごねているようだ。

「あの子の体温がね、冷たかったんだ」
片手で大倶利伽羅の腰布を引っ張り、こちらを見上げてくる。大人しく大倶利伽羅は片膝をついて座り込んだ。海の冷たさが、酷く染みる。持っていた箱を膝に乗せておいて、女は腕を伸ばしながら大倶利伽羅の両頬を挟んだ。体温を感じさせない掌が、痛々しい。

「…大倶利伽羅、冷たい」
「刀、だからな」
「じゃあ……あの子も、刀に、なったのかなぁ…」

なら少しだけ、羨ましい。
そう言って、女は腕を下げた。行ったり来たりする波が鬱陶しい程にぶつかってくる。
やがて女は立ち上がってから、ゆっくりと壺を開けた。小さな小さなソレに詰められていたものは、白い砂。"それ"が何なのかわからないほど、大倶利伽羅は疎くない。
そして何よりも、この審神者が1週間本丸を開けてまで行っていた場所は、他所の本丸だという事を、大倶利伽羅は知っている。もっと言えば、この審神者の友人の本丸であるという事も。きっとそれは、そこで得た土産なのだろう。土産というには余りにも重く、えぐいもの。

大倶利伽羅も立ち上がり、女の片手を引く。驚いたように見てくる視線から逃げながら、言い訳でもするかのように「もっと深い方がいい」とだけ言った。女は「そうだね」と笑いながら、再び蓋を閉めた。

ばしゃばしゃと深い所へと進んでいく。やがて腰まで埋まるほどの所まで来ると、波に攫われそうになる。転びかける女の腰を抱けば、委ねるように体重がかかった。

「このまま、溶けれたらいいのになぁ…」

大倶利伽羅はそっと瞳を伏せた。女の体も、大倶利伽羅も溶けない。それでも、せめて言葉だけでも海に溶けるように。どちらの心にも残らず溶けるように。ゆっくりと、瞳を閉じた。

女は再び箱の蓋を開いた。そして、中の砂を勢いよく掴み辺りにばら撒く。波の中、砂は一瞬で海に消え瞬きの間に姿は見えなくなる。女は、一心不乱に砂を撒き続けた。何も言わず、ひたすらに。腕を伸ばし、遠くへ飛ぶように。壺の中に、1粒の砂も残さないように。

「っはぁ…」

最後まで全てを撒き終えた後、女は泣いていた。
大きな瞳から絶え間なく、ひたすらに雫を零す。溜池が崩壊したかのように、拭っても拭っても、それは溢れ出していた。大倶利伽羅は、それを見てすぐに視線を逸らして海だけを見ていた。意味もなく、見てはならぬ気がしたのだ。

「ぅあ…っ…」

隣から嗚咽が聞こえる。決して泣き喚く訳ではない。静かに、喉を鳴らしながら女は泣いた。大粒の涙が、ぼたぼたと頬を伝っては海の中へと沈んでいくのがわかる。塩水の底へと混じっては消える女の涙は、いっそ恐ろしいほどに透明だ。

「っなん、で…。なんで、死んだの…!」

胸元で手を握り、まるで叫ぶように女は海に向かって声を投げる。それに答える言葉は無く、波だけが世界の静寂を破る。

「…馬鹿だよ。ほんと、大馬鹿。死んだら、何も残ってないじゃん」

風が、女の長い髪を撫でる。同時に涙も遠くへと飛ばす。
女は、空になった壺を抱いて、大きく息をついた。それから、大倶利伽羅の掌を掴む。視線だけでそちらを見れば、へらりとした笑顔が視界に入った。

「帰ろっか」
「…いいのか」

女の口が開いてから、何も言葉を発することなく閉じられる。それからゆっくりと首だけが縦に動く。その拍子に、最後に1粒だけ涙が零れた。

「皆が、待ってるもんね」

海に背を向けて、女は歩き出した。大倶利伽羅の手を引いて、砂に足を持ってからながら、ゆっくりと重々しく。大倶利伽羅にはそれが、帰りたくないと叫んでいるように感じた。あくまで感じただけ、だが。

「あのねぇ、あの子、海に行きたかったんだって」

だから今日来たんだけど。
海に入る時と同様にばしゃばしゃと水を跳ねさせて歩く。水飛沫が大倶利伽羅の足に跳ねた。それでも何も言わないのは、入る時よりも確実に足音が軽くなっているとわかるからだ。

「お葬式さぁ。だーれもいなくって。写真も花も棺すら無いの。でもベッドの上に体だけがあって」

大倶利伽羅の手を離して、女は走り出した。それも再び深い方へと。おい、と呼びかけるが聞こえないかのように駆ける。やがて先ほどよりも深い所へとついたあたりで、ようやくくるりとこちらを向いた。

「あのねぇ!私、死にたくないんだ!」

青々とした海の中に、白いワンピースが広がる。大倶利伽羅は思わず眉を顰めた。女の言葉にではない。咄嗟に、この世に2人限りのようだなどと考えた自分にだ。審神者の声は笑っている。それでも、遠目で審神者が泣いているというのが分かる。審神者は笑いながら、泣いている。

「まだまだ生きたいし、まだまだやりたい事いっぱいあるの!でもそれは!あの子も一緒だった!」

この審神者は、1週間本丸を留守にしていた。行先は他所の本丸。正確にいえば、この女の友人の本丸。1週間前に死んだ審神者の本丸。それを、解体する為だった。

以前から、聞いたことはあった。
審神者というものの死は、誰にも伝えられる事は無い。家族にも、友人にも。何せ、その家族や友人が歴史を変えたいと願わないとは限らない。審神者が死んだというのに、向こうの敵が増えては笑い事にもならない。政府は、そこの情報操作には手を抜くことは無かった。
その為、審神者が死んでも葬式など無い。そもそも死んだ事実が無くなるのだ。葬式が行われないのも納得だろう。家族の中で、審神者というものは永遠に笑顔で生き続ける。両手を合わせることも、涙を流されることも、悼まれる事さえなく、永遠に、死ぬことが無い。
ただ、今回女が例外的に友人の死を知らされたのは理由があった。
その死を、看取ったのだ。たまたまだった。本当に偶然その本丸へと行っていた。そこで、友人の審神者が死んだ。流れでそのままそこの刀剣男士達の刀解を行い、たった1人の葬式を行い、本丸の解体をした。半日の予定だった訪問は、1週間となっていた。
そうして今日。女は帰ってくるや否や、海へと来た。大倶利伽羅が審神者が帰ってくると予測できたのは、単純に連絡を取っていたから。海へ行きたいとは、予想してなかったが。

「なんで、なんで私が生きてるのかなぁ…!!」

優秀な審神者だったと言う。
女と苦楽を共にし、時に支え合い時に叱咤あった、まさしく親友と呼ぶに相応しい、優秀で優しい人間であったと。
女が向こうの本丸で何を思い、何を願ったかは知らないが、それでも大倶利伽羅は女についていくだけだと知っている。例え女がもう審神者というものが嫌になろうとも、だ。
この戦争の最前線で戦い、神を使役する審神者。それは、言うなれば人柱であり、生贄だ。審神者というものは、逃げられない。

「私がっ…私が死ねばよかったのに!!」

声と共に強い風が吹いた。一瞬、本当に一瞬、大倶利伽羅は目を閉じた。瞬きと言える、1秒にも満たないその間に、女は姿を消した。

「っ……!」

咄嗟に周りを見渡す。焦りが体中を支配する中、ざぷんと女の黒髪が遠くで見えた。
安堵の息を吐きながら、大股で近付いてく。見れば、その場に座り込んでしまっているようだ。肩まで海に浸かって、背を向けている。

「…死にたいのか」

俯いた首が、横に揺れる。もしここで女が首を縦に振ったら、一瞬で首を刎ねたが。

「ねぇ、大倶利伽羅」

ざぶんざぶん。波が引いては押す度に、女の体が埋もれる。いつか流されそうだと、その体を抱きしめた。

「…帰るんだろう」
「…………うん」

脇から抱えあげると、水を全身に含んで重たくなっている。離して立ち上がらせるとくるりとこちらに向き合って「ん」と片手をこちらに向けてきた。大人しくそれを掴めば、ゆっくりと歩き出す。

「これじゃあ電車乗れないんねぇ」
「…着替えは」
「持ってきてない。これ1枚だけ」
「…………」

大倶利伽羅は、今日で何度目かの深いため息をついた。



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