君と飴玉 | ナノ



おきてください。

突然の目覚めだった。

水の中から出てきたような、深く長い穴から出てきたような、暗闇の中から光の中へ引っ張りだされるような。そうして俺は、目が覚めた。

目覚めた途端、体ができた。足ができた。腕ができた。頭ができた。指先から髪の毛まで、全てができていく感覚があった。
地に足が着く。息ができる。声が空気を揺らす。体が動く。指が動く。『自分自身』が己の手の中にある。その事が自然とわかった途端、世界がぶわりと広がっていく。暗い、どこまでも続く暗闇が広がるのがわかった。

起きてください。

耳の中に、再度誰かの声がこだまする。どこか頼りなく、それでも先程よりもはっきりと、俺を呼ぶ。そこに行かねばと、意味もなくただ漠然と思った。だが暗闇しかない世界では、どちらに向かったらいいのかすらわからない。ひたすらに、声のした方に進む。まるで泥の中を進んでいるかのように、体が思うように進まない。そも、こちらが正しい方向かもわからない。それでも、ひたすらに進む。呼ばれた、から。

どうか、どうか起きてください。お願いします。

途端、びゅお、と一陣の風が抜けた。生温さを振り払ったかのような、不必要なものを全てなくしたような、どこか寒さすら感じる風。
その風が全てを取り払う。今まで歩き続けていた泥沼も、暗闇も、全て。風の中に消えていく。やがて目も開けられなくなり、意味もなく顔を腕で覆った。

風が止んだ。それに気付き、ふわりと目を開けたとき、辺りは一変していた。
灰色のタイルが床一面に敷かれ、奥の方ではパチパチと炎が揺らめいているのが見える。端のほうには刀を鍛える為の道具一式、そして冷却水がある。窓の奥から見える青空を見て、俺は、ここに呼ばれたのだと、唐突に理解した。
そして、俺の目の前でぽかんと口を開けながらこちらを見上げる女。コイツが俺を呼んだのだろうか。そう思いながらも己の中に流れる霊質はコイツのものだと体が反応する。口は自然と動いていた。

「……大倶利伽羅だ。別に語ることはない。慣れ合う気はないからな」

大きな瞳いっぱいに俺を写し、一瞬驚いたようにしながらも、すぐににこやかな表情を顔に写した。

「私、ここの本丸の主のアキと申します。まだ未熟者ですけど、よろしくおねがいしますね」

ぺこりと丁寧にお辞儀をして、再び顔を上げる。
黒々とした大きな瞳、それと同じ髪色、そこまで背は低くないが巫女装束に着せられてる感じが否めない。
そう、見間違うことなく女だ。女だからといって、戦うことに異論はない。軍を率いることも同じく。いつだって、強さというものには女も男も変わらないものだ。そも、いざという時の女の強さというものは、目を見張るものがあった。
だがそれでも、目の前の女はどうだ。恐らく20前半であろう若い容姿と、細く握ったら折れそうな腕に体、白い肌、丁寧に整えられた髪、これらすべてを合わせても戦というものを知っているのかと、問いただしたくなる程だった。

…――何にせよ、俺には関係ない。

一人で戦い、一人で死ぬ。俺はそれでいい。主が誰だろうと、関係ない。

「えぇと…とにかくここで長い説明をするのもアレだから、私の執務室に行きましょうか」

そう言って、部屋を出ていく女に続く。正直、説明など聞きたくなかったが、俺を下からのぞき込む瞳がなぜか否を伝えさせることを拒んだ。
俺が女に呼ばれた場所は、鍛刀小屋と呼ばれる所で、小さな小屋になっていた。この小屋はこの敷地内でも、かなり端のほうに位置してあったらしく、本屋敷に向かう途中で畑や馬を見た。だが、畑はまだ半分以上が手付かずでしかもまだ芽がようやく出始めたようなものだった。

「実は貴方がここに来てくれた3人目なんです。私自身が新人としか言えない審神者でして…お陰で全然畑の整備が進んでなくて」

あはは、とどこか恥ずかしそうに笑うが、俺にはそんなことはどうでもよかった。3人目ということは自分以外には2人しかここにはいないといことだ。大分静かに過ごせそうだと、安心した。
やがて目の前に屋敷が見える。全て木で作られたかつてよく見かけた屋敷だ。全貌を見ることができないくらいには、でかい。

「こちらから上がっちゃって下さい」

そう言って草履を脱いで、目の前の女は悠々と庭から廊下に上がる。ここに玄関というものは無いのか、と思ったがそれに習ってすぐに上がった。当然、靴はその庭に置きっぱなしだが、まぁ、別にいいのだろう。
確かに、つい最近審神者になったというだけあり、この屋敷はきれいだ。廊下は磨き上げられ、柱には傷が一つもない。襖も白く目に痛いくらいだ。

「先にこちら。ここが大倶利伽羅さんの部屋です」

どうやら一人一部屋与えられるらしく、俺に与えられた部屋は畳と押入れ、そして小さな座卓のみのごくごく普通の部屋だった。

「給与がありますから、それで欲しい家具を買えますよ。欲しいものがあったら言ってくださいね」

恐らくここに家具が増えることは無いだろうな、と思う。住めればそれで良いだろう。
部屋を出て、廊下を渡っていく。庭の桜が嫌に主張している気がした。まだ五分咲きのそれは、風と共に花びらを散らしてくる。生温い風もまた、刀の時には感じた事のない物だ。

「それでここが私の執務室です。どうぞ」

屋敷の中でもほぼほぼ端に、その執務室はあった。少なくとも、俺達の部屋が集中している場所とは真逆の所のように感じた。
部屋の中は文机が壁際に一つ、そして端の方に折りたたまれた布団が折り重なっているのが置いてあるだけの、殺風景なものだった。ただ、文机の上には一輪の花が飾られており、それだけがここを女の部屋だと認識させる。

「あ、ここ座ってくださいな」

奥にある押入れから座布団を2枚取り出して向かい合わせて置く。先に女が座り、俺にも同じように促され拒否する理由もなく、すぐに座った。ただどう座るべきかと思ったが、言うが早いか「楽にどうぞ」と言われたため、胡座をかく。そうしてようやく目の前の女は、少しただ住まいを正してこちらをまっすぐと向いた。

最初に見たのと同じ、大きな瞳。黒々としたそれは、底の見えない沼のように思える。なぜか、その瞳を見ていたくなくて視線を肩のあたりにズラした。瞳と同じ、黒い髪は長く背中の中くらいまであるように思える。少しだけふわりとした毛質らしく、開かれた襖から入る風に乗って、髪が柔らかく揺れた。

「それでは改めまして。私がここの主であるトウです。漢字としては火に登る。燈、ですね。ですが私の事は好きなように呼んでくれて構いません。とりあえず色々な事を説明しようと思います」

そこから俺は本当に様々な事を聞いた。
この戦の意義、俺達が呼ばれた理由、この女が審神者と呼ばれるものであること、時の政府のあらまし、こんのすけの存在、検非違使というもの、など本当に様々だ。

「…これで堅苦しい話は以上です」

ようやく終わりかと息を付けば、突然審神者が声を上げた。

「では、ここからは本丸の規則についてです!」

は〜長かった!と体を伸ばしながらいきなり脱力をした審神者に心底驚く。

「さっきも言いましたけど、ここはまだ貴方が3人目の小さな本丸です。でもこれからもっと人が増えますから、そうなった時に問題が起きたりしないよう、ここ独自の規則を説明しますね!」

随分今までと印象が違うな、と思うがそんなことも、規則も心底どうでもいいと思った。
一人でいいと言っているのだから、そんなことを知った所で意味はない。規則というものは、大多数の人間がうまく関係を繋ぐためにあるものだ。最初から大多数の奴らと関わりを持つつもりが無いというのに、何故そんなことを知る必要があるのか。
頭の片隅でそんなことを考えていても、相手に伝わるわけもなくにこやかに会話は続く。

「ここの規則は2つ、刀本体を使っての乱闘は禁止、ご飯は皆一緒に食べる事、以上です!」
「…それだけか?」

もっとなにか来るのかと思っていたため、ずるりと肩から力が抜ける感覚がした。だが相手はやはり笑って「そうです」と答えるだけだ。

「あ、規則はこれだけですけど仕事に関してはもっとありますから。内番とか近侍とか、そういうの」

そう言われて説明されて、眉間にシワがよるのがわかった。
俺の使う馬は俺が世話する、当然の事だ。手合わせもわかる。だが、畑当番とはなんだ、確かに今は人の体を取っているから食事は必要不可欠だ。それでも、なぜ畑を俺がしなくてはならないのか。
その不満が通じたのか、相手が小さく笑った。

「私も手伝いますし、というより、私が主体となって畑は行いますから、少しだけ手伝って頂きたいんです」
「……俺は一人でいい」
「はい、説明は以上です。それでは最後に、これは主命ですが」

主命、と言われて無意識に体がぴんと貼るのがわかる。じっ、とこちらを見つめて審神者はゆっくりと口を開いた。

「戦場以外では、折れてはなりません。だからといって、戦場で折れてもなりません。キチンと戦から生きて帰る事。それが、主命です」

………随分と、甘い事だ。
戦場を知らない口ぶりに、視線が冷ややかなものに変わるのがわかる。戦場とは、必ず誰かが死ぬ物だ。誰かが死に、誰かが生きて、そうして勝敗が決まる。それを生きて帰れなど、約束できる訳が無い。
だが、こちらの心情を知ってか知らずか、審神者は相変わらずこちらを見つめたままに続ける。

「甘い。そう思われているでしょう。戦だというのに、何を言っているのかと。私もそう思います」
「…………」
「ですが、貴方達一振りを掛け替えのない一振りへとするのに、私達はとてつもない時間を費やします。貴方にしても私にしても。それは錬度という問題ではなく、人間の心としての問題です。仮に貴方が戦場で散って、また別の貴方が来てもそれはもう貴方ではない。今の貴方と同じように接しても、決して貴方にはならない。そもそも、今こうしてしている会話をもう一度するだなんて、非効率すぎると思いませんか?」

瞳は、揺らがない。つらつらと紡がれる言葉は、審神者の中で確固たるものとして存在しているのだろうと思えた。

「…貴方と同じ存在なんてこの世にありません。だからこそ、私は私の目の前にいる貴方がいい。貴方じゃなきゃ嫌です。私と共に歩むのは、ここにいる貴方です。だからこそ、折れるのは許しません。絶対に、です」

まじろぎもせず続けられた言葉は、ゆっくりと、だが確実に俺の体の中に染み込んでいく。どこまでも理詰めにしたところで、結局甘い事に変わりはない。だが、折れるなと、そう告げる気持ちはわかった。
一瞬だけ瞳を伏せ、すぐにまっすぐに見つめ返せば、驚いたように瞳が開かれてからすぐに柔らかく微笑む形に変わった。

「どうかこれから、よろしくお願いしますね」
「…俺は一人でいい」
「はい。今度こそお話は終わりです。長い間拘束してしまって申し訳ありませんでした」

こちらの言い分を聞いたのか聞いていないのか、勝手に完結させた。小さく嘆息しながら、口から言葉を出す。

「…問題ない」
「いえ、本当に有難う御座いました。私説明、というより日本語がかなり苦手で…通じてるかひやひやしました」

確かに所々わかりにくい所はあったが、そこまででもない。ごく普通の日本語だ。何も返さずにいると、向こうがいきなり立ち上がった。

「それじゃ、お昼にしましょう!貴方が来るって聞いて、今剣と陸奥が張り切ってるんです」
「必要ない」
「ここの規則ですよ」

ようやく一人になれると思った矢先に、他の奴らと共に食事などごめんだ。だが、主に規則と言われてしまえば、その下にいる俺は従うしかない。忌々しげに視線を送れば、にこやかに笑われた。

「大倶利伽羅さん初食事ですね!楽しみだなぁ」
「おい、俺は、」
「ほら、行きましょう」

手を握られて立ち上がらせられる。そのまま部屋を出て、どこか駆け足で歩んでいく。人の手とは、こんなにも温い、というよりも熱を持ったものだったか。繋がれた手に移ってくる体温が、やけに気になった。


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