鏡写しの愛5 | ナノ




5.狭間




「ごめんください」

午後に差し掛かる時間に、女は現れた。玄関の扉から聞こえてくる声は静かな本丸にはよく響き、刺激した。大倶利伽羅が玄関を開ければ、女は緩やかに笑ってこちらに一礼する。驚くことに、女は刀を連れてきていなかった。

「昨日ご連絡をいただきました。備後国の審神者であるものです。刀の引き取りに参りました」
「…入れ」

執務室まで案内してきて、と言った審神者を心底恨む。こういった事は俺ではなく加州の役目だろう。近侍だから当然だと言われればそれまでだが、それでもこういうことが苦手である事に違いはない。
廊下を案内する間、女は終始静かだった。周りを見るでもなくただひたすらに大倶利伽羅の後ろをついて歩く。確かに、刀剣男士を一振りも連れていない状態で、何かおかしな行動をした瞬間に部屋に待機している奴らに首と体を二つにさせられるだろう。襖の隙間から溢れる殺気が、それを物語っている。ただでさえ、本丸に審神者以外の人間の霊気が混ざるというのは、余りいい心地はしない。それが、敵か味方か判別のつかない相手ならば尚更。
執務室に着くころには、本丸中に殺気が満ち満ちていた。どうやら加州と長谷部では抑えきれなかったらしい。斬り掛からなかっただけ、マシか。

「開けるぞ」

すら、と襖を開けると審神者がこちらを向く形で座布団に正座して待っていた。こちらを視界に入れて、にこりと微笑む。

「お待ちしておりました。慣れない所でお疲れでしょう。どうぞお座りください」
「お気遣いありがとうございます」

大倶利伽羅が審神者の奥に座る。いつでも抜けるよう、刀に手をかけながら。審神者から一歩行かないまでも傍で守れるように。
女も、大倶利伽羅の後に審神者と向かい合って用意された座布団に座る。どこか洗練されたその動きは、ただの一般人とは思えず眉を顰める。

「初めまして、備後国の審神者であるキリと申します。この度は私の刀がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
「お気になさらず。そちらも大変な事があったのでしょう。刀がこのような状態で見つかるなど、ありえない事でしょうから。あぁ、紹介が遅れました。私は備前国の審神者の小桜と申します」

向こうが下げた頭をすぐに上げる。その瞳には、読めない何かがある。

「えぇ。私もとても驚いてます。何故彼が、と。そのような兆候一切無かったので、より」
「あら、そうだったんですか。それはまた…気持ちもなかなか落ち着かないでしょう。お早い引き取りに感謝いたします」
「…そうですね、早く彼に会いたいという気持ちと、もう楽にしてあげたいという思いがあったので」

そこで女は与えられたお茶を啜った。やはりその所作にも無駄な所がなく、恐らくどこかの良家の出なのだろうというのがよくわかった。

「そうでしたか…随分と刀剣と仲がよろしいんですね」
「いえいえ、私なんてまだまだです」

一見するとにこやかな雰囲気。だがその腹の読みあいが水面下でずっと起こっている。大倶利伽羅は瞳を伏せてこの争いが終わるのを待った。だが、この争いは、思っていたよりも早く収束した。

「…ところで、彼は今どこに?」

女の言葉で、空気がぴりと固くなる。女は再びお茶を飲む。ずず、と飲む音だけが響いた。

「一つだけお聞きしたい…貴方はあの刀をどうするおつもりですか?」
「どう…とは?」
「貴方もお聞きになったと思いますが、あの刀はもう刀解するしかありません。それをしっかりと理解しておいでですか」

コト、と湯呑みを置いて女は審神者と向き合った。女の輝くような黒い瞳に、審神者の姿が写る。

「えぇ。もちろんです。私は彼をすぐに刀解しようと思います」
「…そう、ですか……」

微かに息を吐く音が、部屋の中に響いた。だがすぐに審神者は立ち上がり、奥の部屋に入っていった。30秒もしないで戻ってきた審神者の腕の中には、あの棒切れのような刀があった。それを見た女が、目を見開く、とまではいかない、それでもきゅと唇を噛むのが見えた。
再び審神者が女の前に座って、ごとりと刀を置いた。

「これが貴方の刀です。間違いありませんか」
「あぁ…確かに、確かに彼ですね………」

ふらりと女の伸ばされた腕が、刀に触れる。指先だけで触れるソレは、少しだけ震えていたように思える。

「それでは確かにお返しいたしました」

ぎゅっと刀を胸元で抱いて、女はゆっくりと深く深く頭を下げる。

「ご迷惑をおかけしました。本当に、本当にありがとうございます…!!」

ぽたりと畳にシミができる。先程までの黒い深淵を覗かせた瞳は無く、ただひたすらに刀がそこにある事を喜んでいるその姿に、大倶利伽羅だけでなく審神者もまた、言葉を失った。

「彼を折らないでいて下さり、本当にありがとうございます…!!」

言葉に審神者が息を止めたのが分かる。咄嗟にその背に手を当てると、はっとして審神者が口を開いた。

「いえ…門までお送りしましょう」

そうして門を出ていく女の後姿を見ながら、審神者はきゅっと大倶利伽羅の裾を掴んだ。その表情を伺い見ても、視線はまっすぐに女の去った門の向こうを見ていて、瞳が交差することは無い。
「あのさ、大倶利伽羅…」

微かに唇が揺れる。だがそれが何か音を発する事は無く、歪に笑った笑顔だけがこちらに向けられた。

「ごめん、何でもないや!」

やがて女が去ったことを気配で気付いた刀剣男士達がぞろぞろとと部屋から出てくる。こちらに駆け寄ってきたのは、加州だ。

「主、お疲れさま。お茶入ってるから広間に来なよ」
「清、ありがとう。大倶利伽羅もお疲れさま、ありがとね」

審神者はそう告げて広間に向かう。大倶利伽羅はといえば、早々に一人になりたい願望から自室に戻る。審神者の言いかけた言葉を考えて、瞳を伏せた。アイツが何も言わなかったという事は、何を聞いてももう答える事は無いだろう。ひとまず、今日の仕事は終わった。後はもう、何事もなく手入れ部屋が治り元の生活に戻れることを望んだ。

とはいえ、そううまくいかないのが人生、もとい刃生というものなのだが。

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