鏡写しの愛4 | ナノ
4.管狐
その狐が現れたのは突然だった。夕餉を食べ、風呂に入りこのほてった体を少しだけ冷まそうと、審神者の執務室に向かうところで、声をかけられた。
「大倶利伽羅ですね。主さまの所まで至急来ていただけますか」
「…こんのすけか」
ぽん、と軽い音を立てて現れたこの管狐は、こちらにひたりと視線を合わせて淡々と言葉を告げる。最初に顔を合わせた時から、大倶利伽羅はこの管狐の事をあまり好んではいない。
トコトコと歩み始める管狐の後ろを、数歩開けて歩く。
「全く余計な拾い物をしましたね」
「…あれは歴史への異物だろう。あの歴史には不必要なものだ」
「それでも、それによって主さまが迷惑を被ったのは事実です。せめてこちらに一言告げてからにすればよかったものを。そうすれば政府のそういった機関の者を呼びました」
「……」
何も言わないでいれは、チラリと管狐が足を止めずにこちらを見る。その視線は明らかにこちらをバカにしたもので、はっ、と鼻で笑う声が聞こえた。
……斬ってもいいだろうか。
そう、何を隠そうこの管狐。酷くここの審神者を好いている。いや、ここの刀剣の中で逆に好いていないものなどいないだろうが。この管狐は特にそれが目に見えて激しかった。審神者に仇なす敵は切る、どころではない。審神者に楯突くものは社会的に殺す、そして殺す、最終的に殺す。人は二つに分けると死ぬ。とはいえ別にそれ自体は問題ではない。主を守るのは臣下の役割であるし、当然だ。
ただ、面倒なのがやたらと刀剣男士に突っかかってくることだった。口を開けば態度がなってないだの、審神者に迷惑かけるなだの、イヤミはなかなか止まることを知らない。
「主様が寛大なお心をお持ちだからよかったものの、あの穢れは尋常じゃありません。あんなものを本丸に持ち込んで、挙句主さまに封じさせるなど、どれほど迷惑をかけたかと
…」
ただ、言ってることも間違いではないのだ。
事実今回は迷惑をかけたし、手を煩わせただろう。だが審神者は何も言わない。こちらが悪いとも、自身に迷惑がかかったとも何も。それを目の前の管狐もわかっているのだろう、まるでそれらの不満を全て代弁するかのように言葉を紡ぐ。
「あんなとてつもない穢れ、主さまほどの力を持つ方でなければこの本丸そのものが今頃穢れでびっしりだったのですよ。どころか主さまが何かしらの傷を負ってもおかしくなかった。それを持って帰ってきて主さまに封じさせる。しかも手入れ部屋をダメにするなど。何を考えているのですか」
ちなみの一応言っておくが、この管狐は政府から支給される札で審神者がそれを自身の式神として顕現させている。だから、ある程度は政府よりのものになるはずだが、なぜかこの狐はひたすらにまず第1に審神者の命と立場、そして健康を気にしている。こないだは光忠と審神者の食事管理について話していた。おかしい。
とはいえ、この狐。やはり顕現させた人間に似るらしく、審神者によく似た所が多々ある。
「全く!主様には本当に感謝して、謝ってください!」
「あぁ。よく、わかっている」
ぴたり、と管狐の足が止まる。チラッと肩越しにこちらを見たと思えば、またすぐに歩き始める。
「……わかればいいんですよ、わかれば!!」
この管狐の性格は、顕現させた人間に似ているらしくここの審神者によく似ている。特に、刀剣男士に甘いところが。
「穢れを受けて誰も折れなかったらよかったものの!穢れに耐えきれず折れていたらどうしていたのですか。主さまの悲しむ顔など、誰も見たくないのですよ」
結局、執務室につくまで管狐のイヤミはとまらず、俺もそれに何も言うでもなく聞き続けた。
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執務室につけば、加州と長谷部、そしてそこに向かい合うように審神者が座って茶を飲んでいた。襖を閉めてから入って、長谷部の隣の座布団に座る。管狐は審神者の隣の1回り小さな座布団に。
何かこの本丸に起きる際、最初に呼ばれるのが加州、長谷部、そして大倶利伽羅の3振りだった。恐らくは今日の出来事で何らかの進展があったのだろう、審神者がこちらにお茶を差し出しながら口を開いた。
「それじゃあこんのすけ、説明お願い」
「はい、主さま。このこんのすけ、そちらの刀の審神者を探して参りました。探し方はこの刀を顕現させるために編まれた霊力を辿った次第でございます。その結果、この刀の審神者様は備後国である事がわかりました」
こんのすけによると、審神者は女で、もう現世における家族の縁は断絶済み。今回の件については、もう既に向こうと連絡をとっているとの事だった。
「向こうはこの刀を引き取ると言っています。迎えに来るとも」
「なぜこうなったかは」
「言っておりません」
「そうか」
その答えがわかっていたように、長谷部は腕を組んだ。やはり人となりまではわからないらしい。
「それで、その審神者が来る日なのですがこちらに合わせると言っております。いかが致しますか」
その質問は審神者に当てられたものだ。審神者は一瞬だけ思案して、口を開いた。
「そうだね…早い方がいいな。明日は?みんなは大丈夫?」
「問題ありません」
「うん。それくらいの早さでいいんじゃない?」
「好きにしろ」
「ではそのように。明日の午後にでも来れるように致しましょう。また何かありましたらすぐにお知らせ致します」
審神者がこんのすけに礼を言うと、嬉しそうに目を細めてぽしゅんと煙を立てて消えていった。
「…ていうわけで、明日にはこの持ち主が来る事になりました。といっても、審神者は他の本丸にはそんなに長くいられないから、来たらすぐにここの部屋に呼んじゃうね」
「他の奴らにはどうするの?」
「明日の朝、すぐに説明するよ」
「ん。わかった」
「それにしても、管狐は随分と仕事が早かったですね」
言ったのは長谷部だ。審神者がはは、と軽く笑って返す。
「あの子は、私が直接書いた札から出現させたからね。大分助かってる」
「…………それは、また」
長谷部が言葉に詰まる。だが加州は驚いていない。逆に今更?といった顔をしている。しかし、これには俺も驚いた。政府からの支給されたのではなかったのか。
「それもいたけどね、私が自分で書いて式神として出した方が質が良いから私の式神を使ってる」
「そのことは政府は」
長谷部の言葉に、審神者は人差し指を唇に当てて、しぃとその唇を動かした。
「これ、皆には内緒ね」
やっぱり勝手にやっていたか…。長谷部がこめかみを抑えながら深いため息をついた。それがバレたらどうなると思っているんだか。ここの主は本当に自由で困る。
「長谷部と清光には明日、その審神者が来てる間、皆の事を見てあげてほしい」
「主命とあらば」
「あーあ、絶対明日皆ピリピリしてるよ」
やだやだ、と言いながらも加州はいつもの笑顔を浮かべて審神者を見ている。そこには深い慈しみと優しさがにじみ出ていた。
「明日は朝から本丸の掃除かな。主、頑張らないとね」
執務室の汚さを見て、加州は笑った。だが、正直この汚さは尋常ではない。書類はばらまかれ、押入れの前には漫画と書籍が縦に並んで床が抜けそうなほどだ。端に寄せられた文机の上にだって、短刀達があげた花のしおりや、ビー玉で置き場などない。午前中で終わるとは到底思えない汚い部屋に、審神者が引いた声を上げる。
「うっ…よ、呼ぶのってこっちの私の私室じゃなくて離れじゃダメかな」
「あくまでも客人として呼ぶのでしょう。主の品格が疑われるようなことはいけませんよ」
「…………はぁーい」
明日も早い。長谷部と加州が連れ立って出ていき、その後ろに続く。なんとなく、部屋と廊下の境目で足を止めて肩越しに振り返った。審神者はまたも自分の脇に置いた刀を見て、どこか瞳を細めていた。その瞳の光を見た瞬間、審神者との間合いを詰めてその手首を掴んだ。
「…ん?どうした?」
きょとんとした顔を見せながら、首をひねる。そこには何も疑うことの無い、淡い茶色の色だけが残っていた。
「…いや、何でもない」
そうして部屋を後にしても、結局審神者の部屋の明かりは消える事が無かった。