君と迎える明日 | ナノ



ここ数日、ずっと曇りや雨が続いていた中で、ようやく今日青空を拝むことができた。
蝉は最後のひと仕事とばかりにひたすらに鳴くが、それも数が少なくどこかもの哀しい。あまりにも真っ青すぎる空の中に遠くから聞こえる短刀達の笑い声が吸い込まれ、ペンを走らせる音が部屋の中に響く。
嫌ではないこの静けさに、大倶利伽羅はそっと目を閉じた。

暦では、もう8月が終わる。



:::



ぱちりと目を開ける。実際に眠っていたわけではないので、頭はすぐに働く。
見れば、今まで机に向かって一心に書き物をしていたこの本丸の主が、腕を天井に伸ばしながら体を解している。

「終わったのか」
「終わりましたよ〜」
あー疲れた!叫びながら仰向けに倒れ込んだこいつを見ながら、部屋の端で本体を抱えていた体を動かす。何時間も動いていなかったせいか、首を回すとごきんと音が鳴った。

「もう3時すぎかぁ…こりゃおやつは食えないな」
この本丸ではおやつの時間がある。その時間帯に本丸にいる奴らしか食えないが、料理が趣味の奴らが毎日日替わりで様々な物を作っている。それらは短刀達はもちろん、色んな奴らに大人気で常におやつの時は戦争状態だ。正直3時を過ぎた時点で、今日のおやつは食えないと思った方が良い。
どうやら心底がっかりしたらしく、あーとか、うーんとか意味のない言葉を発しながら横にゴロゴロ転がっている。
そのまま俺のいるところまで転がってきた為、俺はその転がってきた頭と背中を支えるハメになった。

「おい、一旦座れ」
脇から抱えてひとまず正座させる。突然の事で困惑の表情を浮かべたが、俺が転がったことで崩れたこいつの髪を整えれば、されるがままとなった。
この本丸では櫛は常備品だ。ここの主がそういったことに対して無頓着だからである。髪質だけは加州の影響で頑張っているのだが、そこで終わってしまった。壊滅的に不器用、とまではいかなくともそういった細かい作業が苦手だという。それは確かに裁縫や料理をやっているのを見ればわかる。
そうしたことから、ここの奴らはこぞって櫛を持ち、髪を整えるのだ。甘えちゃって悪いね、と言いつつもそれが嬉しいのかこいつはいつも髪を整えるとき、いつも酷く緩い気配を出す。
戦の事以外で頼る事のないコイツの、唯一俺らに任されている仕事といっても言い。
それがわかっているからか、髪を触り出せばどれだけ忙しかろうが、コイツはストンとその場に座って大人しくなる。
そんなことを考えているうちに、髪を簡単に纏める。そうはいっても、ハーフアップと呼ばれるものだが。一度これをやったら酷く喜ばれたのを覚えている。それ以来、何故か俺の時は大抵ハーフアップというものになることが常だ。たまに俺が別のにしたくて勝手にするが。

「できたぞ」
「ありがとう、嬉しい!」
やっぱり大倶利伽羅器用だね〜と手鏡を持ちながら言うコイツの頬はほのかに赤い。それを見ないふりをして、コイツの手を取る。反対の手で手鏡を取り上げて机に置けば、とうとう頭の上にはてなが大量に発生した。

「どうした?どっかいくの?」
言葉を無視して部屋を出る。最近は暗くなるのも早いが、今日は遅くなると言ってあるから問題はないだろう。
玄関についた辺りでその手を離し、靴を履くように促せば、何も説明しない俺に眉を寄せつつ、大人しく草履を履いた。

「山登りとかは勘弁して」
「バカか」
再び手を握って、玄関を出る。普段はもう縁側から出るのがほとんどだから逆に新鮮だ。どうやら相手も同じ事を思っていたようで「玄関から出るの何時ぶりだ…!?」と驚愕の顔を浮かべている。

門から街に行くためには政府の施設を通る必要がある。受付とその前に待機用の長椅子があるだけの簡素な作りだが。
ある事件ーと言ってもその犠牲になったのは隣にいるコイツだがーがあった時からゲートに対する規制が厳しくなった。事前申請がある場合や、会合などの招待状がある場合は簡単に入れるらしいがそれ以外の場合は事細かに書類を書く必要がある。
とはいえ、それを書くのは全て主なので俺は壁に背を預けて腕を組みながら、受付とやらでそれをせっせと書く背中を見るだけだ。
腕を動かして、たまに考えるようにそれが止まる。その度に何故か頭まで揺れるのでハーフアップされた髪がゆらゆらと動き、ついでに結んでいる淡い桃色の紐も揺れた。
あれは自分が送ったものだ。送ったというより、送らされたというか。
…その件はあまり思い出したくないが、それでもあの髪に自分が送ったものがついているという事に対しては、まぁ、悪くないなと思う。

そんなことを考えていると、どうやら書き終わったらしいアイツがぱっとこちらを向いた。

「お待たせ!行こっか」
「ああ、そうだな」
するりと握られた手は暖かい。ぶんぶんと手を振り回しながら政府の施設を出れば、そこは見慣れた街並みが広がっていた。

「来たね城下町!久しぶりだなぁ」
城下町は古い街並みで統一されている。隣のこいつ曰く「由緒正しい京都的な」と言っていた。よくわからん。
言いつつ歩き出せば、多くの人々の波が目に入る。
こうして歩く全ての人々がばーちゃると呼ばれるものであり、人工知能とやらを持っているらしい。よくわからないが、これら全てが本物の人ではないのは本気でぞっとするものがある。

「ていうか、どこか行きたい所があるの?大倶利伽羅が街に行きたいなんて珍しいじゃん」
…こいつわざと言ってるな。
迷いなく足を進めてる時点でほとんど何処に行くかなどわかってるだろうに。ニヤニヤ笑うな。やめろ。
頭に手刀を落とせば、呻きながらもどこか嬉しそうにへらりと笑った。

「疲れてたらね、甘いもん食べたかったんだ。さすがだね!」
ここまでわかられてると逆に癪で、何も返事しないで目的地まで向かう。それすらもわかっているかのように、相変わらず握った手をぶんぶん振り回して、今にも鼻歌でも歌い出しそうな勢いで笑っている。

「あっ、ついた!」
ぴょんと飛び跳ねる勢いで目を輝かせるコイツは、本当に年相応に見えない。本丸にいるときは実際の年齢の倍近い風格を出すくせに、こういう時はかなり幼く見える。

「大倶利伽羅、早く中入ろ」
ぐ、と俺の手を引っ張りながら店内に入る。
今日連れてきたのは、少しだけ洒落た甘味屋だ。
外見はごくごく普通の平屋の店だが、中は木材中心とした落ち着いた雰囲気で、老若男女どの刀剣男子も好む店だ。おかげで酷く込み合う事もあるが、もう昼もおやつ時も過ぎたためか店内は落ち着いていた。
窓際の席の向かい合って座る所に案内されれば、手早く目の前のこいつがお品書きを見ながらうなり出す。

「こないだはパフェ食べたんだよね…その前なんだっけ、確か抹茶プリンで…その前は」
「…オムレツだ」
「あぁ、そうだった。お夕飯で来たんだったね。すごいガッツリしたもの食べたんだった。よく覚えてるねぇ」
へらりと笑う顔は、やはり幼い。意味も無く頭を撫でれば、その顔がより緩んだ。

「今日は何か初めての物食べたい気分」
「こないだもそれ言ってたぞ…」
半分呆れて言えば、ぱちくりとした顔がこちらを向いた。なんだ、と見返せば、どこか嬉しそうに笑った。

「そうやって言葉を覚えててくれるのって、何だか嬉しいねぇ」
「お前が忘れっぽいだけで、普通の事だ」
「あれいきなり喧嘩売られた気がする」
「気の所為だろう」
むむむ、と暫くこちらを睨んでいたもののすぐにメニューに視線が移った。昼も食べていないから、お腹が空いているのだろう。
頬杖をつきながら、その様子を見ていればなんとなく初めてここに来た日の事を思い出した。
その日は今年の半月目という時期的に非常に大掛かりな書類と、審神者会議で使用する書類が急遽必要になったことにより執務室は荒れに荒れた。
コイツが寝ずに書き上げ、どうにか作り上げたのだった。
そうしてようやっと終わらした書類を提出し、疲れ切って執務室の畳に、にべも無くだらんとしていたコイツが、ぽつりと「甘いものが食べたい」と言った。そして運がいいのか悪いのか、今来ているこの店が開店するというのも、この提出書類の締切の1週間前だった。
行きたいけれど会議も書類も終わってないから行けない、そう言っていたのを聞いていれば、まぁ今回くらいは、と大目に見てしまう。
…それからというもの、こうして月末の書類が終わる度にこうした甘味屋に行くのが習慣となったのだが。

「大倶利伽羅はこないだパンケーキ食べたんだよね、あれおいしかった?」
「…普通だな」
「じゃあそれにする!大倶利伽羅は?」
そこでようやく何も決めていない事に気づく。とはいえ、メニューを見たところで特に食べたい物などなく、そもそも書いてあるものの大半がどういったものなのかわからない。

「こないだの、ぱふぇとやらはどうだった」
「美味しかったよ!それにする?」
肯定の意を含めて肯けば、どこか嬉しそうに目を細めながら目の前のこいつは店員を呼んだ。
注文を頼んでる間、意味も無く外を眺める。路地に面している為、決してお世辞にも美しい景色だとは言えない、ありふれたものだ。

それでも。

(俺は決して、この景色を忘れないだろう)

ヒトとは忘れる生き物だ。そうして強く生きて行ける。忘れる事が何も全て否定的な訳が無い。あって然るべきなのだと、ヒトの身になってようやく知った。そうして、本体は違うとはいえ俺は人の体を持っている。
刀の頃に持ちえた記憶は消えないが、人の体になった時の思い出は、簡単に消えていくのだろう。白黒になった昨日が、酷く遠いものに感じるように。

コイツと共に見たもの、聞いたものすべてが俺を形作っているのだと思うと、酷く心がざわついた。

「明日から9月か…早いね」
「そうだな」
コイツと出会った季節は春だった。桜が舞う中で、コイツはまだまだ幼かった。そこから幾つもの朝と夜を超えて、コイツは正しい時の流れの中で必死に生きている。いつかみた流れ星の様に一瞬で尽きる命を、激しく輝かせている。時の流れは、遅いようで早い。
だが、その光が消える時、俺は共に消えるのだろうか。

――――コイツもいつか、俺の中で過去になる日が、来るのだろうか。

「大倶利伽羅?」
はっ、と思考の沼に浸っていた頭が一気に浮上した。
ほんの少し不安げに見つめる瞳が、揺れた波を落ち着かせる。心配するなと頭を撫でれば、それにほっとしたのか再び喋り出した。

「今年の夏はなかなか充実してましたなぁ」
「新しい戦場も増えたしな」
「びっくりしたなー、いきなり刀剣男士達の育成にお役立て下さいだもんね。いきなりどうした?って思った」
錬度を底上げする目的で、政府から訓練場が明け渡されたのは夏に入ってすぐの事だ。今までほとんど動いた事のない時の政府が、突然そういったこと、しかもこちらにとても良い事を言ってくるものだから、目の前の主は警戒した。だが、いざやってみれば本当に戦力拡充作戦らしくこちらの錬度があげやすいようになっており、結局主も出来るうちにやっておけと、膠着状態の戦場を置いてそちらに重きを置いたほどだ。

「他にも祭りにプールと、スイカ割り、川遊びとバーベキューやったもんな。あとは…」
「花火」
「それだ!あれも楽しかったねぇ」
目を細めて、どこか懐かしそうに笑うコイツは、きっとこれらの出来事を思い出しているのだろう。
再び頬杖をついてそれを眺めていれば、店員が注文したものを持ってこちらに来た。
目の前に並べられた色とりどりの食品を、目を輝かせて見つめる姿はどこか本丸にいる短刀達を思わせた。

「んふふふふ、いただきまーす」
変な笑い方をしながらナイフとフォークを器用に使ってパンケーキを食べている。その表情はどこからどう見ても幸せそのもので、わざわざここまで連れてきてよかったと少なからず思わせる。
自身も眺めのスプーンでぱくぱくと食べていれば、その視線がこちらに向けられてるのがわかった。
はぁ、と小さく息をつきながらスプーンの上にこんもりとクリームとフルーツを載せて、そちらに向けてやれば大きく開かれた口がスプーンを銜えた。

「やっぱおいしいね、ありがとう」
口に食物が入ったまましゃべるなとも思ったが、あんまりにも嬉しそうに笑うものだから何も言わずに口を噤んだ。
当然のように向こうから差し出される、切られたパンケーキが刺さったフォークをばくりと食べる。酷く甘く感じたが、悪くないなと思ってしまった。


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