こっちへおいでと鳥が啼く3 | ナノ



「ここが厠…えぇとトイレね。それでこっちがお風呂。あっちの庭に降りると畑とか厩舎、蔵があったりするよ」

手を引かれてどれくらい経っただろうか。ここはすごく広かった。さっき聞いたけどこれでまだ半分も行ってないみたい。
すごいなぁと思う反面、もうそろそろお腹がすいたとも思う。けれどそれを直接言えるほど、僕は図々しくはない。だけどその気持ちが通じたのか、女の人が言った。

「お腹すいたよね、広間に行こう。今ちょうどお夕飯の時間なんだ」

その言葉に喜んでさっきまでの疲れなどどこかへ飛んだ。お陰で聞く気がなかった言葉もするすると出てくる。

「ここって広いですね」
「そうだね。まぁ他と比べると少しだけ広いかも」

比べるほど知識がない僕は、こんなに広い建物が他にもたくさんあるのかと思うと驚いてしまった。

「でも、寂しくないですか?ここに、二人きりって」

聞くべきではなかったかもしれないが、聞かずにはいられなかった。だって、他にここに住む人に全く会わないから。あんまりにもこの屋敷が静かだから。

「んー…寂しくは、ないな」
「そう、ですか…」
「うん、正直全然」

僕なら絶対寂しいと思うけど。とは口に出さなかった。お姉さんの笑う横顔が、むしろ幸せそうで、なんだか胸がチクリと傷んだ。

廊下から見える外の景色は、気付いたら夕方から夜に変わっていた。お母さん心配してるんだろうなって思ったら、なんだかやけに不安な気持ちになった。こう、うまく言えないけれど心臓のあたりがきゅってなる感じ。
きっとお母さんは僕が心配で泣いてる。僕がここで笑ってる間も心配して泣いてる。そう思った途端に、早く帰らなきゃって思った。空いた手で胸元の服を掴む。
その流れで僕は握っていた方の手も強くしてしまって、女の人がこちらを向いた。
ん?ってこちらを見る瞳はお母さんと全然違って見える。茶色の瞳がきらりと光った。勝手に迷い込んだ僕にここまで優しくしてもらって、何もお礼ができないのは申し訳ないけれど、僕はお母さんの方が心配で、意を決して口を開いた。

「あ、あの!僕、もう帰りたくてっ…!」
「え、そうなの?」

僕の決死の言葉を、どこか驚いた顔を見せながら、さらりと受け流した。女の人は歩みを止めない。むしろさっきよりも早くなってる気がする。聞いてくれたなら、止まってくれてもいいものなのに。
なんだか嫌な予感がして、僕はその手を払いたくなってしまった。でも強く握られてしまってはそんなことできなくて、僕は歩くしかない。

「あの…」
「まぁいいじゃん。後少しだけ。大丈夫、ちゃんとかえしてあげるから」

さっきまでだったらこの言葉に目を輝かせて頷いていたかもしれないが、何故か唐突に不安になった。
なぜか信用できないその言葉に、ため息をつきながら、なんとなく庭を見やる。もう外は暗いため、庭に何があるのかもわからない。端っこの方など暗すぎてどこが壁かもわからないほどだ。
だけど、そのちらりと見た庭の中に、赤い何かが浮いている。思わず目をごしごししてから再び見たけれどやっぱりある。赤いものがぽつりと2つ浮いてる。気付いたら足は止まっていた。それに釣られて、女の人も止まる。
段々と赤いものの周りがはっきりしてくる。多分、暗い所に目が慣れたんだと思う。赤いものの周りに白いものが、縁どっていく。銀だろうか、白だろうか、暗いから本当の色がわからない。けれどそこらへんの色の、髪の毛だと思う。
そう、きっとあれは人だ。それも僕と同い年位の、子供。見たことないものを着て、その場にいる。男の子、かな。
そしてようやくわかる、あの赤いものは、瞳だ。あの子供の。こちらを射抜くように開かれた目。赤い赤い目。
松の木の間。まるでこちらを射抜くようにその赤い瞳が一瞬歪んだ気がした。三日月の様に、にたりと、こちらに向かって笑ったように、歪んだ気がした。

「っ………」

冷や汗が頬を伝うのがわかる。隣にいる女の人は全く動かない。むしろ僕がなんで止まってるのかという感じだろう。でも僕は女の人がどういう表情でこちらを見てるのか確かめられない。だって、目が離せないんだ。絡み取られたみたいに、赤い瞳から、ずっと視線を離すことが出来なくて。
やがてその瞳が、閉じられたと思った途端、カッ、と開かれる。そうしたと思ったら、体がこちらに向かって飛んでくるじゃないか!

「ひぃっ!!やだ!!!!」
「え、なにどうしたの?」

は、と思った。咄嗟に空いた手で顔を隠して目を閉じたものの、女の人は何があったのかわからないような声を上からかける。
ゆるゆると目をあけて腕を下げ、そちらを見れば頭にはてなを浮かべた女の人と目が合った。
…………夢?あの一瞬で?
未だに心臓はばくばく言ってるし、冷や汗がすごい。でも、あれは、あんなものは、夢だったのだろうか。怖かった。襲ってきたのかと思った。夢でよかった。そもそも僕がここにいるのだってよくわからない夢みたいなものだし、あれが夢であってもおかしくないわけだし。

「大丈夫?」
「あ、は、い…。ごめんなさい…」
「どうして謝るのさ。いいよ、慣れない所だもんね」

僕が怖がった事を知ってか知らずか、女の人は座って僕の視線に合わせながら、優しく頭を撫でてくれる。なんとなく庭を見たけど、そこにはもう何もいなくてほっと息をついた。

「ねぇ。もう帰りたい、なんて言っちゃダメだよ」
「え?」

頭をなでながら呟かれたそれは、はいご開帳ー!と言いながら立ち上がって襖を開けた音でかき消された。



:::


カチャカチャカチャカチャ。音だけが部屋に響く。
一言で言えば異常だと思う。あとはもう、なんていうか怖い。
通された広間というところに、結局人はいなかった。長方形の低めの机が2つ横に並んでいてそこに多くの溢れるばかりの食事が並んでいる。座布団の数だけ並べられた食器、中央や端ら辺にある多くの料理。
二人で暮らしている筈なのに、これだけの量の料理と座布団もおかしいと思うけれど、それよりもおかしいと思う事があった。
カチャカチャと皿と箸のぶつかる音が響く。食べ物が箸に掴まれる。そうして、それは知らぬ間に消えていく。茶の入った湯呑が動き、空中で斜めに傾けられる。中身が畳に落ちるかと思えば、そんなことはなく、これもどこかへ消える。
つまるところ、誰もいないのに、箸や湯呑、食べ物が動いている。ひとりでに。それもこの量全て。まるで透明人間がたくさんいるかのように。
この状況が理解できなくて、咄嗟に隣にいる女の人を見上げる。この状況をおかしいと、共に驚いて欲しくて、おかしいと思ってるのが僕だけじゃないんだって言って欲しくて。
僕の視線に気づいた女の人は、こちらに向かってにこりと微笑んだ。

「ご飯、食べようか」

どっ、と冷や汗が溢れた。
あぁ、この女の人は鬼なんだ。きっと、僕を殺して食べようとしてるんだ、きっとそうだ。じゃないと僕がこんな所に来てしまった理由にならないもの。逃げなきゃ、逃げなきゃ。殺されちゃう。

ぱしん、と握っていた手を払って、女の人に背を向けて走り出す。後ろから女の人の「あらま」って言う声と、誰かと笑い合うような声が聞こえて、その合間に「逃げられた」なんて聞こえた気がしたものだから、泣きたくなった。

逃げなきゃ、逃げなきゃ死んじゃう。でも逃げるったってどこへ?ここへどうやって来たかもわからないのに。
そこではっとした。ここへ来たあの階段を降りればきっと帰れるはずだ。だってあそこから来たかもしれないんだから。そもそも帰ろうとしたら、あの男の人が引き止めてきたんだ。きっと僕を殺して食べるために。

「は、はぁっ…は…」

必死に走る。ひたすらに走る。ここの角を曲がれば確か門があったはずだ。
そうして曲がれば、確かに門があった。僕は喜んで更に勢いよく走る。走る、走る。走る。

(……あ、れ………?)

門ってこんなに遠かったっけ?
どれだけ走っても前に進んでる気がしない。泥沼とかにでもいるみたいだ。前に進むどころか、どこか門が遠ざかってる気さえしてくる。段々と視界が二重三重にぼやけてきて、体力の限界とともに僕は地面に倒れ込んだ。

だめだ、止まったら、止まったら殺されちゃう。でももう立ち上がりたくても、世界はボヤけて見えないし、散々走ったせいで膝はがくがくしてくる。見上げた門は、相変わらず遠い。

じゃり、と音がした。
疲れた体だというのに、怯えた体は無意識にそれに反応して体をあげさせた。そうして振り返って、相手と向き合わせる。もう動けないとまで思っていたのに、まだまだ動けた事にも驚いたけれど、そんなものは恐怖の前では米粒一つにも意味の無い事だった。
じゃり、と再び音が聞こえてくる。
それは間違いなく誰かが僕に近付いた音で。この場所にはそれが出来るのはさっきまで一緒にいた女の人か、あの男の人しかいなくて。僕は今、その人達から逃げてるわけで。
でも暗闇のせいで、相手は誰かわからない。目を凝らす事も恐ろしくて出来ない。
ハッハッハ、とまるで犬のような呼吸を繰り返す。冷や汗が、背中から首から顔から溢れて気持ち悪かった。
膝がみっともなく笑う。腕と足を使って後ろに逃げるけれど、もう力の入らない体では意味もなく、しかもさっきまで無かったはずの松の木に背中がぶつかって。
後ずさる事すら出来なくなった。

「な、なんなんだよ…!」

ぽろりとこぼれたのは、涙と言葉だった。

「僕が何したっていうんだ、僕は家に帰りたかっただけなのに…!なんで、なんでこんな怖い目に合わなきゃいけないんだ!!」
最後の方は僕自身何を言ってるのかわからなかった。まるで僕じゃない誰かが僕の代わりに言葉を言ってるみたいな、そんな感じがした。
相手が笑って空気が揺れたのがわかる。

「言いたいことは、それだけ?」
囁かれた声は、さっきの女の人のだった。
ゆっくりと女の人が近付いてくる。逃げたくて、再び後ずさるけどやっぱり松にぶつかってどこにも行き場なんてなかった。
そのうち女の人と僕の距離が一歩しかないようになったとき、僕は恐ろしくて膝は揺れて、涙は止まらなくなっていた。僕を見下ろすその視線は、どこまでも冷たい。
す、と女の人が僕と視線を合わせるように座った。それだけで僕はもう震えが止まらなくなってしまうのだけれど、それを見ても女の人は笑うだけだった。

「僕が何をした…って言ってたね。ダメだなぁ、自分のしたこと位、覚えておかないと」
「そ、そんな、こと、いっ、言ったって…」

喉が震えてうまく言葉が出せない。でも言いたいことは伝わったらしく、女の人は変わらず笑顔だった。

「まぁ、あれだよ」

ひゅ、と息を呑んだ。
変わらず笑顔だったはずだ、ニコニコと笑っていたはずだった。
今じゃその笑顔はどこかへ行き、さっき可愛いと思った顔は何も感じさせないように冷たい。

「喧嘩売る相手は選びな」

低く、何も感じさせないような声で告げられた言葉を呑み込む前に、僕の取った行動は、恐怖で塗りたくられた意識を手放すことだった。



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