星が涙を落す夜 | ナノ



「雨だね」
「雨だな」
暦としては本格的な夏の終わり。夏の残りを感じながら、少しの肌寒さを覚え始める頃。
きゃっきゃと短刀達の騒ぐ声が後ろから聞こえる。恐らく今日の寝る場所を決めているのだろう。普段は一人一部屋割り当てられているため、兄弟刀達と寝るのが楽しそうだ。

「いや、雨というよりもこれはアレだろう」
そうした笑い声を聞きながら、大倶利伽羅の立てられた膝の間に体をすっぽりと挟んでいれば、となりに鶴丸が苦笑いをしながら座ってきた。

「ありゃ、鶴丸。酒は?」
「今日は酒は禁止だとさっき長谷部が言っていただろう。それに、どうせ後で次郎が持ってくるさ」
ちらりと後ろを覗けば、確かに次郎が長谷部に怒られながらも、全く悪びれもなく片手に一升瓶を、持っているのがわかる。こちらの視線に気付いたのか、ウインクしてくれた。きっと後で手に持つ酒を持ってきてくれるだろう。

「長谷部も厳しいなぁ」
「全くだ。短刀達がいるから早く寝ろなどと、逆に皆いるからこそ何かとんでもない驚きがあるというのにな!」
それな!と同意していれば、がたがた、と雨戸が大きく揺れた。
びゅうびゅうと激しい音を叩きつけながら、雨戸に石でも叩きつけられているかのような音。それに中の温度との差によって曇っていく透明な雨戸。

「まぁ、確かにこんな嵐の日には大人しくしているのが吉だがな」
この本丸では、台風が直撃していた。



:::


嵐が近い。
そう言ったのは誰だったか。
何日か前にそう告げられ、ひとまずそれが何か悪い事が近づく方の嵐では無く、自然災害の嵐である事を確認して、すぐに本丸全体を板と釘で補強した。

「本丸の中ってもっとなんかこう、審神者の力でどーのこーのできるんじゃねえの?」
とは絶賛屋根の補修中にトンカチ片手で気だるそうに作業をする同田貫の言葉だ。
その質問の答えとしては、できない。
審神者は所詮この本丸に居て、物にある魂を呼び起こす存在である。それができる以外は本当にただの人間だ。だというのに、そんな本丸の中をどーのこーのなど、できる訳がない。
ただ唯一できる季節の変更は、私と歌仙の趣味で、日本の現在の季節と同じように進むようにしてある。そのため、台風だろうが大雪だろうが、間違いなくそれらはここに来るのだ。移ろいゆく季節の美しきことよ。

さて話を戻すが、そうしてやがて来る嵐のためにこの本丸は色々と対策をしなければならなかった。
窓ガラスや玄関口、はたまたどこからか飛んできそうな物などの撤去。庭の花や木の補強。嵐の中、買い物には行けないから数日分の食料の買い出し、などなど。
そんなことをしているうちにあっという間に数日は過ぎ、後はもう嵐が来るのを待つだけ!というところまで来たわけだ。

そうして夜。

嵐の夜は雨に紛れて、よくわからないものが混じりやすい。そしてそれは色々なものを引き摺りやすい。それらは例えば人でないものだったり、雨で濡れたものの悲しみだったり、嵐で飛んできたどこかの魂だったりと、本当に色々だ。
そのため、何かあった時にすぐに対処できるよう今夜は広間の襖を全てあけて一部屋にしてそこで寝ようということになっている。

「おい、お前ら。布団の場所を決めたら明日に備えてさっさと寝ろ」
長谷部から短刀達に優しいお叱りと、それに対する激しいブーイングが入るのが後ろから聞こえる。私は先程と変わらぬ状態で、ぼんやりと雨に打たれる雨戸を見ていた。背中に伝わる大倶利伽羅の熱は生ぬるい。
隣にいた鶴丸はどうやらどこかへ行ったようだ。彼は今日寝るつもりなどないのだろうから、おつまみでも探しに行ったんじゃないだろうか。

「おい」
「んー?」
まっすぐ外を見続けたまま、上からかかった声に返事をする。どうやらそれが不服だったらしい、さらに続けられる声が2弾ほど低くなった気がした。

「眠いなら寝ろ」
「眠くないよ!ただ心地良いんだよこの椅子」
「誰が椅子だ」
そう言いつつ私の肩口にぐりぐりと頭を押し付けてくるのはやめてほしい。それ、すごく擽ったいんだ。

「ね、大倶利伽羅はどこらへんで寝る予定?」
「アンタの隣」
「なるほど」
じゃあ結構いい場所を取らなきゃだめか。でも多分もうほとんど埋まっちゃってるよなぁ。
未だに首筋に埋められた顔で、表情は読めない。でも大倶利伽羅ならどこでもいいって言いそうだな、なんてぼんやりと思った。

意味もなく外を見れば、さっきよりも雨が強くなっているように感じる。
庭の中は、暗闇と雨のせいで何も見えない。

ぱしゃん、ぱしゃん。

水を跳ねる足音が響く。それは、庭から聞こえてくるように感じて、見えるはずも無いのに庭に目を凝らした。恐怖ではない、ただきっとそこに居るのだろうなという確信と共に、それを確かめたいだけだ。

ぱしゃん。

足音が止まる。雨戸からほんの少しだけ離れた先。足音の犯人は立っていた。相手は何をするでもなく、ただ立っていた。じっとこちらを見ながら、雨で体が濡れる事も厭わず、ひたすらに。
…あぁ、でも正直本当にこちらを見てるのかはわからない。まるで頭から墨をかぶったように、彼は全身黒くなっていたから。顔ものっぺらぼうのように真っ黒で、顔の造形などわからない。
それでも、彼の瞳の先に写るのは、私を超えたその先。きっと短刀達だろう。大事な大事な家族を、しかと見に来たのだろう。

ぱしゃん。

もう一つ足音が響く。だがそれは、さっきよりも幾分か軽い。
彼の隣に立ったその小さい存在も、やはり黒い。雨に濡れても、その黒は落ちない。
小さい手が、彼の手を握る。それに弾かれたようにそちらを見つめて、ゆっくりと膝をついて抱きしめた。小さい存在も、ゆるゆると背中に腕を伸ばす。その抱擁は、お互いを確かめるようだった。表情はわからないけれど、もしかしたら泣いていたのかもしれない。

やがて二人がゆっくりと立ち上がって、こちらに一礼した。まさかこちらを向くとは思ってなかったため、多少驚いたがこちらも頭を下げる。大倶利伽羅の足の間という非常に失礼な状態になったが、向こうは気にしないでくれたようだ。
それを見て、くるりと背を向けて彼らは歩き出した。
もう、足音はしなかった。

「………おい」
「あれ、起きてたの?もう寝ちゃったのかと思ってた」
顔を首に埋めたまま微動だにしなかった大倶利伽羅がもっそりと顔を上げた。

「もう寝るぞ」
「え!待って待ってまだ次郎さんと酒飲んでない」
「主ぃ〜あたしゃあもう駄目だ!兄貴に酒取られちまった!」
「なん…だと…!?」
どうやらこちらの会話を聞いていたらしい次郎さんがこちらに向かって言葉を投げた。
太郎さんが出てきちゃったら、もう次郎さんにも私にも勝ち目はない。長谷部の目をかいくぐって二人で月見酒していた時に、太郎さんに見つかってこってり怒られた時の事は未だに忘れていない。というか忘れられない。普段怒らない人が怒ると怖いっていうことを、身を持って実感した瞬間だった。

「そういう訳です主。もう布団の準備は出来ておりますのでお入りください」
タイミングを測っていたのように長谷部が声をかける。そこにかかるブーイングはもうお約束の様なものだから、長谷部も気にしない。

「ちなみに布団の場所は?」
「真ん中です」
「え…何その明らかに寝相悪い奴らに蹴られる場所」
「大丈夫です。皆、落ち着いたものばかりですから」
「それが一番信用ならないんだよ!」
普段大人しい奴らほど怒ると怖い。それと同様に、普段大人しい奴らほど寝相が悪い…なんてことはないけれど、きっと蹴られるんだろうな。私も負けずに蹴る準備をしとかなきゃ。

「うん、わかった。戦争だもんね、負けらんないわ」
「何に対してそんなに気合入ってるかわかりませんが、これから寝るんですよ。大丈夫ですか頭」
「おい最後の一文字いらないだろ」
不毛な言い争いを続けていれば、奥の方から電気消すよ、と声が聞こえる。後ろの大倶利伽羅に声をかけて立ち上がる。長谷部に手を引かれつつ布団に行けば、本当に真ん中だった。お陰で、布団まで行く途中にもう既に寝てる何人かを踏んだ。ごめん。

「今夜は厠も我慢してくださいね」
「ほいさ」
「返事は」
「はい」
「よくできました。おやすみなさいませ」
ふわりと頭を撫でられて、長谷部は去っていく。どうやら彼は端っこの方で寝るらしい。
ふ、と電気が消えた。まだ辺りから少しだけひそひそと話す声が聞こえる為、きっと短刀達が起きているのだろう。
寝返りを打って左を向けば、大倶利伽羅の寝顔が見えた。まさかこっち向いてるとは思ってなくて少しだけ驚いた。でも、なんだかそれが嬉しくて、無駄に見つめる。
普段からずっと隣にいると言っても、夜は別々だ。昼寝も共によくするが、ここまでがっつりと寝ているのは滅多に見れるものじゃない。
何となくレアなものを見てる気持ちになって、じっと見ていた。傍から見たらおかしな人である、多少の自覚はある。

「……何だ」
ぱちりと開けられた瞳と、呟かれた言葉に心底驚いた。まさか起きてるとは。さっき布団に来るまででなんだかやけに眠たそうにしていたから、もう寝ているものだとばかり。
彼の声はとても抑えられていて、多分布団が隣であるこの近い距離じゃないと聞こえないくらいだ。周りに気を遣う、彼の優しさだろう。

「…いや、よく寝てるなぁって…特に他意はないよ。ごめんね」
こちらも声のボリュームを落として話す。へへ、と笑えば向こうが布団の中から手を出してくる。
ぱちくりとそれを見つめていれば、さらに手が近づいてくる。

「…出せ」
そう言われてようやく彼の意図がわかった。緩む頬を抑えずに自身の手も布団から出して彼の手と重ねる。やはり眠いのか、じんわりとした熱が伝わった。

「私が寝て平気?」
「信じられないか」
「ううん違くて。だってあれらは私のせいで来てるんだよ」
ぎゅ、と握り締めた手を強くする。だがそれを全く気にしないように、大倶利伽羅は逆に小さくため息をついて「早く寝ろ」と言った。

「…うん、そうする」
なぜか唐突に眠くなって、すぐに瞼を落とした。まだ彼の顔を見ていたかったし、正直寝ないで起きていたかったけれど仕方がない。明日も忙しいのだ。
水に落ちる感覚に溺れながら、私はそれに従って微睡みに落ちた。



:::



性格の悪い事だと思う。
長谷部は今、布団から出て広間から少し離れた廊下で1人、壁に背を預けて腕を組みながら立っていた。
雨戸を打つ雨は未だに弱くならない。むしろ強くなっているように思う。
これでは明日も出陣は無理だな。暇になった主とじじい共が遊ばないかだけが不安だ。
キシ、と床がなる音がした。相手が誰かなどわかりかっているため、そちらを見ることもしない。

「主は寝たか?」
「あぁ…」
くぁ、と欠伸を隠しもせず相手は俺の隣に立った。同じように壁に背を預け、ぼんやりと外を見つめる。暗いからか、褐色の肌の中にやたらと金の瞳が光って見えた。

ばしゃばしゃと誰かの走る音が聞こえる。それは遠ざかったり近づいたり、それでも確かにここに近くなっているように感じた。
透明な雨戸に、ひたりと手形が浮かびあがる。そこまで大きくなく、それでも綺麗な掌が2つ。だがそれは雨戸を揺らすでもなく、ただそこにいるようだった。やがてゆっくりと姿が現れる。初めは手から、次に腕、肩、首、体と顔、髪に足のつま先まで、ゆっくりとそれでも確実に形作られていくその様は神と呼ばれる物で相違ないだろう。ただ、その体が全て黒塗りでなければ。
しかも、どうやら一人では無かったようで、彼の相棒も隣で同じように形作られていった。
掌は二人のものだったようだ。元は青と赤だった彼らは、二人とも漆黒だ。顔ものっぺらぼうを黒塗りにしたものになっている。

「入ってくるか?」
「いや、どうだろうな」
そんな会話をした瞬間だった。
びゅお、と暴風が吹き、ガタガタと雨戸を鳴らした。室内だから風を心配する必要はないというのに、咄嗟にこちらが構えるほどの勢いの風は、およそこちらに伝わるほどの殺気を乗せていた。
思わず隣の大倶利伽羅と目を見合わせた。なんだったんだ、という意を込めて。それがいけなかったのだろうか。

べちゃ。

音が聞こえた。本当に一瞬、目をそらしただけだというのに。二人で同時に顔を外に向けて、息を呑んだ。
雨戸4枚ほどにかけて、まるで墨をふっかけたように黒が広がっていた。それは先程まで形があったものたちの場所を中心に、大きく広がっている。これが黒じゃなく赤だったら血痕だな、とどこか冷静な頭で考えた。
さっきまでいた二人はもう、どこにもいなかった。

「…さっきの暴風でか?」
「さぁな」
これは明日の掃除が大変そうだ。
小さくため息をつくと、ひたり、どこからか音がした。
ばっ、と鯉口を切りながら辺りを見渡す。大倶利伽羅と背中合わせになって周りに神経を張り巡らせる。

ごぽぽ、とまるで水の中の様な音がして、まさかと雨戸を見た。大倶利伽羅も気付いたようで雨戸を凝視している。正確には、雨戸と雨戸の間。黒で覆われた雨戸の隙間から、ぼたぼたと音を立てて黒い物が入ってきている。
それは廊下に大きな黒い水たまりを作るほど中に入ってきており、時折その水たまりからごぽりと空気が浮かんできては消えている。なぜこうなる前に気付かなかったと自分を殴りたいが、そうも言ってる余裕は無さそうだ。

「大倶利伽羅主を呼んでこい。こうなったら俺達では対処できん」
「ダメだ、アンタ1人だと巻き込まれるぞ」
ぬっ、と水たまりの中から手が現れる。咄嗟にそれを切ろうとした大倶利伽羅を手で制す。

「やめろ、触れるべきものじゃない!」
「いいや、切っていいぜ」
目の前を一陣の風が抜けた。それと同時にぱしゅ、となんとも気の抜けた音がした。
風がいなくなったあと、残ったのは切られて宙に浮いた後、再び水たまりの中に落ちていく腕だった。

「別にコイツらを切ったところでなにもできやしないさ。紛れ込んだだけの魂の欠片みたいなものだからな」
「鶴丸…」
呆然と呟けば、にっといい笑顔で刀を仕舞うところだった。いつからいたのだろうか、起きていたならもっと早くから手伝え。そう言いたいのを堪えつつ、黒い水たまりを見つめた。

「全く、厠に起きただけで刀を抜くハメになるとは思わなかったぜ」
「だから本日は厠に行くなと言っただろう。…明日の主は忙しいな」
この墨を落とせるのは、主だけ。俺達がこれに触れれば、取り込まれてしまう。そこにあるのはきっと、永遠にも近い悲しみと寂しさだ。

「なぁに、石切丸にでも手伝ってもらえばいいだろうさ」
それだけ言って、鶴丸は再び俺達の前を通って部屋に戻ろうと背を向けて歩き出す。礼を述べれば、背中越しに手だけがひらひらと揺れた。

「あぁ、もうそこから何かが出ることはないだろから寝ても平気だと思うぜ」
去り際の言葉を頭で咀嚼しながら、再び壁に背を預けて、二人でぼんやりと外を見る。どうやら隣のコイツも帰る気はさらさらないらしい。
雨戸に広がっていた黒は、雨のおかげが少しだけ薄くなっていた。

「アイツらは、何を求めてるんだろうな」
黒く、自分が何者かもわからなくなったアイツら。きっとどこにいるのかもわかってない、どうしてこうなったのか、己の名前すらもわかってないのだろう。ただそれでもひたすらに何かを求めてさ迷う。その魂に心はあるのだろうか。

「…主、だろう」
憮然として視線を黒い水たまりから逸らさず、今にも舌打ちしそうな勢いで大倶利伽羅は呟いた。

「俺達の主は人気だからな」
霊力の質と持ち前の性格によって、彼女は随分と、人にも神に好まれやすいということは知っている。それが、生きているものであれそうでないものであれ。
隣を見れば、チッ、と舌打ちが聞こえた。余程虫の居所が悪いらしい。

「あれは俺の物だ」
ずるりと、肩から何かが滑り落ちる感覚がした。いや、落ちるものなど何もないのだけれどそういった感覚だ。
こんなところで、ある意味厄介なものと出会うとは。早々に退散したい気持ちが出てきたが、本当に嫌そうな顔をする甥っ子をおいていける訳もなく、その頭を撫でながら、結局朝までたわいもない話をして過ごした。

翌朝、主が「掃除嫌い…」と呟きながら雑巾で床掃除する姿が見られた。


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