ヒヤシンスの花畑13 | ナノ



季節としては夏、時間としては夕暮れ。独特の鳴き声でヒグラシが辺りを包む中、その男は1人、執務室の前の柱に背を預け、本体を抱えて座っていた。
いつもの光景とはいえ、なんだかそれが随分と久しぶりに思えて喉の奥で小さく笑った。

彼は長らく、体の中の呪いを一掃するという事で、石切丸にハラキヨをしてもらっていたのだ。それも何日単位で。呪い自体はもう殆ど消えていたのだが、残しておくと大変だから念のためという事だった。
そういうわけで、彼に会うのも数日ぶりだ。ここに帰ってきた当初は皆からの喜びと嫌味と怒りと、他にも色々なものが混じった宴会の主役になっており、特に鶴丸と長谷部と燭台切がずっと絡んでいた。そこから次の日はさっき言ってたハラキヨ。
結局、帰ってきてまともに話したのは数える程だ。

そうして今日。風呂上りに執務室に戻ろうとしたら、部屋の前で懐かしい光景を見たのだ。意味もなく、彼の前でお尻をついて座る。やはりというかなんというか、またも瞳は閉じられている。寝ているのだろうか、いやでもこないだは寝ていなかったな。少しだけ疑心暗鬼に陥りながら、体を前にして本体を抱えている手に指先だけで触れる。
ぴくりと彼が動いたものだから、てっきり起きたのかと思って手を離したが、どうやら起きたわけではなかったらしい。私も壁に背中を預けて、彼と向かい合う形で座る。
別に言う必要はないと思った。彼が聞いてきたら言おうと。だから、今から伝えるのは私のわがままだ。誰かに聞いてもらいたくて、私一人では背負えない、それを共有したいから、大倶利伽羅に共犯になってもらおうという、浅ましい考えだ。

「…あのね、男の本丸は解体されたよ。刀剣男士は皆刀解。あの本丸自体、不正で手に入れたやつだったみたいで、だから牢屋とか変なのがあったらしいんだ。…大倶利伽羅がいたのとは別の牢屋から、折れた刀が何本も発見されたよ」

彼は動かない。瞼も、肩も、何も動かない。本気で寝てるとは思ってないが出来れば寝ていて欲しい、それでも聞いて欲しい。相反する気持ちの中で、言葉は止まらない。

「それで男なんだけど…彼、どうやら精神を病んでたみたいで。敵の瘴気にも当てられてたみたいで体はボロボロだった。だから敵も殺そうとしたんじゃないかな、もう役に立たないって事で」

最後に見た、男の表情を思い出す。何かを守ろうとして守れなくて、雁字搦めになった人。
男の本丸の刀剣男士は、問答無用で刀解となったわけではない。他の本丸に移動するということもできた。しかし、全員が刀解を希望した。錬度もさして高くなかった事も相まって、それはすんなりと了承が得たが、彼らは一様にどこか安堵の表情を見せていた。
…それが何故なのかは、私にはわからない。わかってはならないと思った。

「男の処遇なんだけど、まぁ当然っちゃ当然で、審神者の資格を剥奪、引退後の保障も無し。瘴気に身体をやられてるからまともな暮らしはできないし、家族との縁は既に切ってあるから行く宛もなく、これからそうして一人で生きていくと思う」

とはいえ、男のこれからなど想像するだけ無駄というものだ。今回の事件で折られた刀剣男士の審神者は、未だに悲しみに暮れている所もあるという。当然だ、死んだものは帰ってこないのだから。彼らというものは帰ってきても、思い出は二度と帰ってこない。
そうして無くなった思い出と記憶を求めて、審神者達は嘆くだろう、男を恨むだろう、やがてその恨みと呪いはやがて男を蝕む。ただでさえ、他人を呪うほどの呪いを持っていた男だ。どれほど他人から恨まれる行為をしてきたのかは、想像に容易い。

「あぁ、でも、無事に帰ってこれて本当によかったなぁ…」

言葉に出してつくづく思う。
男は言っていた。『契約が結べなかった』と。私が牢屋に駆けつけた時、大倶利伽羅はかなり危ない状況にあった。魂をギリギリでまだ自分のものとして手放していない、崖っぷちの状態だった。それでも彼が名前に応えないでいてくれたのは、単に彼の強さだ。
無事でよかったと、しみじみ思った。

「言っただろう、俺はどこにも行かないと」

ぱちくり。いや、起きてるかもって予想はしていたけれども。いきなり顔あげられれば誰でもびっくりしますって。
驚きで何も言えないでいると、おもむろに大倶利伽羅は立ち上がってわたしの頭を一撫でしてから立ち上がった。そして何も言わず執務室の襖をスパンと開けて、慣れたように布団を敷く。

「大倶利伽羅さん?なんで布団敷いてるの。まだ私寝ないよ?」

まだ外は赤に包まれている。向こうの空は少し暗くなっているが、まだ夜とは言い難い。だというのに、大倶利伽羅は布団の上にあぐらをかくと、枕付近をぽんぽんと叩いた。
まるで私の事を色々見透かしているようなその行動に恥ずかしいやら何やらで、なかなか動けずにいるとしびれを切らした向こうの視線が段々厳しくなっていくのがわかる。

「わかったよ、寝る。もう寝ちゃうよ今日は」

その視線に耐えられないなって、降参のポーズを取る。
明日とんでもなく早い時間に目が覚めそうだ、なんて思いながら大人しく布団に近づく。すると近付いた瞬間に腕を引かれて、彼の腕の中にぽすりと収まる。その懐かしい匂いにどこか鼻がつんとした。
それをバレないように、顔を大倶利伽羅の胸元に押し付けてぐりぐりしてやるも、彼はそれを甘んじて受け更には背中をゆっくりと撫でてくる始末。本当に全てが見透かされているようで、逆にムカつく。

「悪かった」
「え?」

何の謝罪かわからず、ぱっと顔を上げると、少しだけ驚かれるも、すぐにいつもの仏頂面に戻った彼と目が合った。

「…いなくなって、悪かった」

そこまで言われてようやく彼の意図がわかる。これを言うために来てくれたのかな、と思うと胸がいろいろな思いでいっぱいになる。
不安だった、申し訳なかった、怖かった、辛かった、寂しかった。
でも、彼は戻ってきてくれた。私の元に。それだけでもう、充分すぎるほどに私は幸せになれる。
彼の両頬を手で包んで、少し俯いた顔を上げさせて私と視線を合わさせる。瞳の奥には、わかりにくいくらいの不安が見え隠れしている。

「私こそ、貴方を守れなくてごめんなさい。不要な怪我をさせた、苦しめた。ごめんね」
「それは…」
「だから、おあいこ!」

あの男の気持ちを、私は全て否定できない。目の前の彼を守りたかった。守られてるばかりじゃなくて、隣に立って一緒に苦しみたかった。これからもそう、ここにいる皆を守りたい。胸はっていけるように彼らの隣にいれるように。
男はただ、そうありたかった。やり方が、間違っていただけで。
だけど、弱い人間がそんな風に思うのは、やはりわがままだろうか。身勝手だろうか。
もっと、もっと強くありたい。彼が一人で苦しむことのないように、守れるように、彼の隣にいられるように。守りたい存在をしっかりと守れるように。

「ほら、寝よう?」

体の重心を傾けさせ、二人で布団にダイブする。何かを言おうとしたらしい彼も、すぐに諦めて大人しく瞳を閉じた。
この温もりを守れるように。彼を、彼らを守れるように。私のかけがえのないものを守るために。強くあろうと思う。

「これからは一緒にいる」
「これから"も"でしょ?」

あぁ、そうだな。笑う彼がとても尊く感じて、今この瞬間が奇跡の様に思った。








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