ヒヤシンスの花畑10 | ナノ



パタリと閉じられた襖から、部屋が一気に静かになる。
ここは借りた客間の一室。先程までここの本丸の主が居たが、渡した資料を見て顔色を変えて出ていった。

「気付いたかな」
「多分な」
ここの主は敏い。恐らく資料を見て何故彼女の刀剣男士が誘拐されたのか気付いたのだろう。
こちらの見立てとしては、誘拐した理由は戦力の増強。他人の刀剣男士を使役する事は基本的に不可能だ。しかし、刀剣男士の中に自身の呪いを入れる。それこそ人間ならば死ぬような物を。そうした呪いは呪いを作った本人しか解くことは出来ない。そうでなければ、呪いにはならないから。ウイルスの様なそれに対する対抗策はたった一つ、作った本人の精錬な霊力だ。つまり、精錬な霊力で構成されている本丸内にいれば自然と呪いと穢は浄化される。そうして浄化した刀剣男士を戦場で戦わせる。
ここまではいい。だが問題はこの先だ。
主従契約の上書きをしている可能性がある。
他人の呪いによって侵食され、自らの意思で主の元を立ち去った体は、今迄居た本丸との縁が非常に薄くなってしまう。彼自身の意志と反するとはいえ、主の元を離れるとはそういうことだ。
そこを霊力で覆ってしまえば、いとも簡単に主従契約は上書きされる。呪術などを使われたらより簡単に行くだろう。
そうなれば、連れ戻すのは一気に難しくなる。恐らくほかの本丸の居なくなった刀剣男士達もここにいるはずだ。もう主従契約を上書きされたものがいるかもしれない。もしかすると折られた方々がいるかもしれない。

ふるふると頭を揺らす。ダメだ、どんどんマイナス思考に進んでいく。

「いずみくん、そっちはどう?」
考えを変えようと呼び掛ければ、途端に部屋に響くため息の音。少し長くないかな?先ほどまで彼女と隣で書類を見ていた彼が、こちらを向いてずかずかと歩き出す。それから、どかりと机が揺れるくらいに勢い良く座ったおかげで茶が少し溢れた。だけれどそんなことお構いなしに、パソコンの載ったちゃぶ台を挟んで僕の相棒は厳しい視線を寄越してくる。

「今日は寝ないつもりか?」
「あー、うん、まぁあんまり期待はできないね」
再びため息。彼のため息が日に日に増えてる気がして申し訳なくなる。

「あとは何が残ってるんだ」
「こんのすけとの通信なんだけど、やっぱりバグが起きてるみたいで」
実のところ、本丸の特定は既に終わっている。それでもまだ動けずにいるのは、上の許可が取れるほどこちらが証拠を掴めていない事にある。

こんのすけとは、政府が作った式神だ。政府と審神者の仲介役をはかり、戦を円滑に進めるための存在。それを審神者に渡し、使役させる。
つまり結局の所、政府が審神者を監視するための役割を持つ。もし何か怪しい行動をすればこんのすけから政府に瞳の奥に内蔵されたカメラによって録画された映像が送られ、すぐに現世に連れ戻し調査を受けさせる。場合によっては審神者を辞めさせる。
こんのすけは、このように完全に政府側についているため審神者からはろくでもない評価をもらっている場合がある。まぁそれはいいのだけれど。
そういうわけで、男のこんのすけを探したが繋がらない上に発見できない。もしかすると男はこんのすけを壊した可能性がある。だが、そうなると担当が黙っていないはずだ。連絡が取れなくなって大変な目に遭うのは、こっちなのだから。

「後はもうあれだね、グルだね」
「担当と男がか」
「うん。正直そうじゃなきゃ考えられないし、そもそもあの演練場に敵が襲ってきたのもおかしかったんだ」
こないだの演練場を襲った歴史修正主義者。おかげでこちらはてんやわんやだ。暫く演練は禁止だろう。
もう、余計な事に時間を食うわけにはいかないというのに。焦りと心配が心を侵食していく。

「後は、無理矢理行くしかないかな」
「おい、まさか」
すくりと立ち上がった僕を見て、いずみくんが顔色を変える。そのまさかだよいずみくん。向こうと連絡が取れないなら、無理矢理取るだけだ。



:::




「失礼するよ」

許可なく襖が開け放たれる。足音から来るだろうと思っていた為、驚きはない。客間から執務室まで走ってきたのだろう、ほんの少しだけ息を切らしながら彼は来た。

「場所の特定が出来たよ。今すぐ出る支度をしてほしい」
「すごく早いね、さすがだ」

一日と言われていたが、半日と経っていない。目を瞬けばそれは良い笑顔で「上司」とだけ告げた。ぐっと立てられた親指がやけに不穏に感じる。

「支度は出来てる?」

それに頷いて部屋を出ようとするとちょっと待って、と声がかかる。その声に振り返れば、疲労を滲ませた顔と目があった。

「一つだけいいかな、少し聞きたいことがあって」
「どうしたの」
「もし大倶利伽羅が向こうと既に契約完了していたらどうするんだい」

コウがこの質問をするのには意味がある。もしこれで大倶利伽羅が契約をしてしまっていたら、恐らくもう彼女の知っている彼はいない。そうでなくとも彼女と大倶利伽羅はお互いのパーソナルスペースに入ってきてしまっている、とコウは勝手に思っている。お互いを慈しみ大事にしいなくてはならない存在に成り上がった。そうして隣に在る存在が、ある日突然いなくなるのだ。コウ自身もパートナーであるあの浅葱色のダンダラを着た彼がいなくなったらと思うと、正直耐えられる自信がない。だが彼の事は別にいい、彼の代わりはいくらでもいるのだから。でも目の前の彼女は違う、戦争における中核ともいえる本丸を率いる一軍隊の将なのだ。代えは利かない。いくら彼女の芯が強くとも、大事な存在がいなくなったら厳しいだろう。

だからこそのこの質問だ。彼女は契約の重複について気付いている、そして今の危機的状況も。この最悪の事態にもし彼女が直面した時に、コウは担当として彼女を守る義務がある。様々な障害から滞りなく指揮できるように審神者に尽くす。それが審神者の担当になったものの務めだ。もし彼女がそれで指揮できないほど苦しむのならば、彼女はこの本丸から出ない方が良い。これは担当としての気持ちだが、彼女の友人としての気持ちでもあった。

だが彼女はこちらの気持ちなど御構い無しの様に小さく笑った。それこそ、たまにする雑談の時に見せる年相応の女性の様に儚く美しく笑った。

「そしたら彼を刀解するだけだよ」

息を呑んだ。この子は何を言っているのだろうと。だというのに彼女は逆にこちらに対して何を言っているの、とでも言いたげに首を傾げる。

「私は彼と約束してるから。それを彼が守れないというなら刀解する。それだけだよ」

彼女の口から溢れ出る言葉は僕の耳に理解する前に溶けていく。きっと僕は彼女の事を何一つわかってなかったのだろう。何も言わない僕に彼女はより一層不思議そうにこちらを見る。

「そうして…刀解して、君はどうするの」

するりと出た質問は、聞く必要のない物だ。だというのに聞いてしまった。これでは言外に今まで通り過ごせるのかと聞いてしまったものだが、やはり笑顔で彼女は答える。まるで答えを最初から準備していたように。

「これまで通りこの戦いが終わるように尽力する。一度踏み入れた世界だもの、当然だよ。でも、そうだなぁ…」
そこで彼女は一旦言葉を切る。どこか瞳は焦点を合わず遠くを見ている。きっとその状況を想像しているのかと思うと、何てことを聞いたのかと後悔が膨れ上がった。

「大倶利伽羅は、二度と、鍛刀しないかな……」

噛み締めるように彼女が視線を下にずらす。最後の方はほとんど空気に交じって消えた。だがその言葉だけで、彼女というもの再度認識を改めさせられた。会話の間のわずか数分で今まで見ていた彼女の印象ががらりと変わった気がする。

彼女はどこまでいっても戦に身を置く人間なのだ。そうして自分の役割を理解している。戦の厳しさも、命の儚さも。そして消えた命が戻ってこないことも、全て。

彼女の中で、大倶利伽羅はどこまでも彼女と共に在るべき存在なのだろう。だからこそどこかに行く前に手ずから刀解する、そうして共に在った記憶と共に彼女は生きていく。どこまでも不器用で、まっすぐな人。大倶利伽羅も、きっとこれを受け止めている。

「君は、大倶利伽羅が大事なんだね」
「当然だよ、大好き」

そうして笑う彼女はどこまでも年相応に見える。でもその瞳の奥にはどこまでも輝く刀を持つ。

「それじゃ、そんな大事な彼を助けに行こう」
「うん」

ほら、まっすぐ前を見る瞳なんて、どこまでも刀の様だ。



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