ヒヤシンスの花畑9 | ナノ



パキン、と金属の欠ける音がした。

俺を抱きしめる腕を強めて、耳元でかかる「ごめんね」を繰り返すその声が、酷く頭の中に響きわたる。俺の服を強く握って、血と涙で肩口を汚しながら彼はひたすらに謝った。俺はただその声を受け止める事しかできなくて、いや、正直受け止められてたのかもわからない。抱きしめる腕が痛いほどになるというのに、俺はその腕から離れることなんてできず、逆に彼の暖かい体のぬくもりを逃さないように必死に俺も腕の力を強めた。
そうして何度目かの謝罪を聞いた途端、彼の口が止まって。俺は咄嗟に「行くな」と言った。
ダメだ、行くな、行っちゃだめだ、行くんじゃない、行くな、行くな、逝くな。
それを聞いて、彼は少しだけ笑って。耳元に吐息がかかった瞬間、彼は消滅した。それこそ、言葉の通り光となって消えた。本体である、刀を残して。腕の中に今まであったはずの温もりはどこかに飛んでいく。それが余りにも幻想的で、でも一瞬の出来事だったものだから、もしかして夢だったのかもしれないと本気で思った。実はまだ部屋で寝てるんじゃないか、これは全部ただの悪い夢なんじゃないか。だって、だって、こんなの、こんなのは、あまりにも。

バキン。

視界の端で何かが動いた。そちらを見て、俺はゆるゆると首を振った。両手で顔を覆って視界を隠す。もう、何も見たくなかった。
これは夢だ、夢なんだ、こんな酷いこと起きてない、全部、全部夢だ。
そう思いたいのに、腕の中に残る温もりが、目の前の世界が、それを全て否定してくる。

半分に折れた、物言わぬ刀がそこにあった。

「どうしてっ…なんで、なんで、お前が…俺達が…!!」
その場に蹲り、ぼたぼたと涙で床を濡らす。その背を優しく撫でてくれる相手は、もう今居なくなってしまった。



欠ける音が、謝る声が、笑った吐息が、耳から離れない。




:::



ぎぃ、と扉が開く音がして瞳を開いた。浅く眠りを保っていただけだったが、相手は俺が起きてるとは思っていなかったらしく、こちらの顔を見た瞬間に舌打ちと共にヒールの音が響いた。

「主、新しいのはコイツだよ」
言葉と共に後ろからもう一人分の足音。そうして現れたのは、まだ年若い男だった。そう、あの演練場で見た、気味の悪い笑みを浮かべた男。アイツを切って呪いを持たせ、厚に殺された筈の、あの男。
ざわ、と体中が逆立っていくのを感じつる。
厚が殺したと言っても呪いが消えていない時点で死んでいないだろうとは思っていた。だがこうも平然と現れるのを見ると、もう一度殺してやろうと気持ちがふつふつと沸く。
しかし、こちらの視線と殺気をさらりと受け流し、男はニコニコと微笑んだ。加州は男の半歩後ろで腕組みをしてこちらを睨んでいる。

「やぁ。俺はここの審神者だよ。まだ引っ越してきたばかりだからこんなところですまないね。後で部屋を用意するから」
「…………」
片腕を上げてこちらに挨拶する姿は、状況が状況なだけに余りにも似つかわしくないように感じる。
こちらが何も言わないのを最初からわかっていたように、男は言葉を続けた。

「体の調子はどうかな。少しは良くなったと思うんだけど」
「黙れ」
そう言えば、男は少しだけ悩むような素振りをしてからこちらを見た。瞳の奥底に、赤く光る炎が見える。

「やっぱり君は僕の知ってる大倶利伽羅とは大分違く感じるなぁ」
それってすごく素敵だよ。
そう告げる口元が余りにも歪に曲がっているものだから、小さく舌を打った。あの演練場で感じた気持ち悪さを感じて、今すぐここから出たくなる。何かがねっとりと身体を攀じる感覚がした。

「そんな君を早々に折らせる訳にはいかないからね。大倶利伽羅君、提案なんだけど。俺と主従契約を結ぼう」
ぞわり。途端に走る気持ち悪さに眉を顰める。言葉が魂を掴んだようになる。この男、確実に呪術を使っている。

「ほら、早く返事をして?契約しようよ」
ここで返事をしてはいけない。
俺達の主従契約は簡単だ。ここに呼び出された際、名を告げて主がそれに返事をする。それで主従契約は完了する。だが、上書きの時は逆だ。向こうがこちらの名を呼び、俺達が返事をする。そうすることによってお互いの意志の元、契約は上書きされる。
だがそんなことをする気はさらさらない。俺がここに来た理由、そんなのは一つしかない。
目の前の男を殺すこと。
ただそのために俺はここまで来た。アイツを、泣かせてまで。それでも目の前の男を自らの手で葬りさってやりたかった。
だというのに、呪術のせいで油断すると口が開きそうになる。冷やりとした感覚が背中に伝う。だが、言葉を繰り返していた男はいきなり紡がれる言葉を止めた。

「なかなか意志が固いね…。なんでだろう。君の主、そんなに大事?」
魂を直接揺さぶられるあの感覚が途絶えて、少しだけ息をつく。あれがないならもう、寝てもいいだろう。

「ただの小娘じゃないか。政府に従順で自ら考える事もしない、守られるだけでそれを当然と思う馬鹿な小娘だろう」
寝ようと閉じていた瞳をゆらりと開く。ひたりと男の視線に照準を合わせてやれば、男のこめかみに汗が一筋流れた。

「アイツをお前の汚い言葉で語るな」
ぶわ、と殺気を隠しもせず出せば一歩だけ男が後ずさる。その背中を加州が支えて鯉口を切る。だがそんな事気にする事でもない。
暫くの間男は、はく、と口を開いていたが、もう復活し先程の読めない雰囲気を纏っていながら笑った。

「いや怖いね。驚いてしまったよ。わかった、あの娘の悪口を言うのはよそう。でも、それとこれとは話が別だ。君にはこれから出陣してもらう、でもその時に主従契約を結ばずに行けば呪いと穢を自分で処理出来なくなって折れるだけだ。それは嫌だろう」
だから契約しろ。
またも魂を直接揺さぶられる感覚が襲い、ゆらりとした低迷感が頭の中を叩く。呪いもまだ残っているこの体で、出陣するのは確かに自殺行為だろう。だからといって、契約する気には全くならない。逆に契約をしてはならない。俺はいつまでだってアイツの刀だ。

「こんなに手こずるのもなかなかいないなぁ」
やれやれといった感じで男は呆れ出す。

「もうあの本丸には戻れないんだよ。それなのに意固地になって折れるのって余りにも馬鹿らしいじゃないか。俺は君に折れて欲しくないのに」
「歴史修正主義者に情報を回しているのはお前か」
揺すられる感覚が途切れた瞬間に言葉を出して、大げさな身振りを付けて語る男の言葉を遮れば、両手を軽く上げたまま男は固まった。それからすぐにまっすぐこちらに向かって微笑む。

「だったら?」
「こないだの演練場が襲われたのもお前が原因だな」
「それはどうかなぁ」
「だがお前は情報を流したわけではないな。あの時来ていた審神者は10人だ。その割には敵の数がそこまででもなかった。あれの狙いは審神者でも俺達でもない」
「…随分と喋る大倶利伽羅だ……」
「お前、敵を味方にしたと思ったら裏切られたな」
そこから続く沈黙を肯定と見なし、あまりのアホらしさに溜め息を漏らした。
あの演練場での敵の狙いはこの男。理由は知らないが何か殺す原因があるのだろう、興味もないが。だが敵の誤算といえばこちらの刀剣男士が多くいたことか。
恐らく男が演練に参加した目的は俺のような誘拐する相手を見つける事。だというのに敵が襲ってきた。そうして命からがら逃げ延びた所で、元いた本丸の場所には敵が襲ってくるかもしれない。そうなる前に座標を変えたということだろうか。

はぁ、とわざとらしく再び息を漏らせば、向かいの男は少しだけ顔を顰めた。

「まぁだからなんだっていうんだい。いつかはこうなると思っていたし、向こうとは利害関係の一致だったからね。別にどうってことはない」
「何振り折れた」
肩を竦めていた男の表情が変わる。最初は大きく目を開いて、それから唇を噛んで何かを訴えるようにこちらを見る。
あの男が演練の時に連れていた刀剣男士は、しっかり見たわけではないが錬度がそこまで高いわけではなかった。最高錬度の俺ですら敵の奇襲には少し危うさを感じたのだ、そうでないものはどうだったのだろう。

「あの演練で、お前の刀は、何振り折れた」
わざとゆっくり、わかりやすく言ってやる。一言区切る度に相手の顔色がどんどん嫌な色に変わっていくのはおかしなものだと思う。

「お前には関係ない…!」
「刀が折れて、お前は生きてるな」
「黙れ……」
「お前も、守られる人間だ」
「黙れ!!」
がぁん、と柵を蹴りあげて辺りに音を響かせる。ここの奴らは柵を蹴るのが好きなのか。咄嗟に加州がその肩を抱いて落ち着かせるが、言葉は止まらない。

「彼らを守るために僕はいるんだ、守られてなんかない!僕は彼らを守るって決めたんだ!!」
やたら守る守られるに拘わる男だと思いながら、くぁ、とあくびをする。この男の気持ちなどどうでもいい。

「守られることの、何が不満だ」
「…ハッ。あの小娘の様に他人の腕の中でのうのうと生きてる奴と同じになれというのか。俺はもう皆が死ぬのは見たくない、それだったら俺が皆を守る。それだけだ」
まるで自身が正しい事のように吐き捨てるその姿は、いっそ滑稽だ。
この男は、刀剣男士を理解していない。きっとここにいる男の刀剣男士は皆、忘れてしまったのだろう。
俺の沈黙を快く思ったようで、男はべらべらと続けた。

「どっかから適当に連れてきたお前らならどんどん出陣させて折れたってなんとも思わない。だって俺の刀じゃないから!そうしていれば俺の刀は傷つかなくて済むし、ずっと一緒にいられる。刀なんて腐るほどいるんだ、他人の刀が折れたってバレやしない!」
あぁ本当にこの本丸の刀剣男士は腐っているようだ。
このような話を聞いて、加州は何故平然としていられる。何故この男を切ろうと思わない。おかしいと、思わないのか。

「ここにくる原因になった呪いは俺が解けばいいし、外で穢を取ってきたってここの本丸にいればある程度自然と取れる。契約をしてしまえばこっちに逆らうことはない。それでまた出陣遠征させて、帰ってきてまた行かせればいい。これはもう、永久機関だ!」
声高々に、腕を広げて叫ぶ姿に寒気がした。隣でうっとりと微笑む加州にも、言い表し切れない気持ち悪さが込み上げてくる。
何だこいつらは。明らかに狂っている。だがそれに気付いていない。
ゆっくりと手を下ろして、こちらを見据える瞳は、やはり赤い光が点っている。

「でもね大倶利伽羅君、俺は君にすぐに折れて欲しくないのさ。君ほど俺の中の大倶利伽羅と記憶違いなのも珍しいからね」
だから、全く情がわかなくて便利なんだ。
さらりと告げた男に、こちらも何も思うことはない。ただ一つ、今すぐ殺してやりたいと思うくらいだ。

「さぁ、大倶利伽羅君。契約を、しようか」
三度目の呼び掛けに、俺の魂は再び揺れた。





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