ヒヤシンスの花畑4 | ナノ




がばりと起き上る。勢いよく体を起こしたせいで、あちこちが痛む。だがそんな事を気にしている余裕はない。辺りを見ると、見知った部屋。ここは私の本丸で私の執務室だ。
どくりと波打つ心臓が、先程の悪い夢を肯定している。途端に不安に駆られて立ち上がった。

「大倶利伽羅…!」

あの夢が本当なら、彼は。
勢いよく襖を開けて廊下に出ると、部屋の前の柱に本体を持ったまま寝ている鶯丸の姿があった。起こして状況を伺おうかと思ったが、申し訳ないしそんな時間も惜しい。ふわりとした髪質の頭をゆっくりと一撫でして、私は走り出した。

手入れ部屋にも、彼の部屋にもいない。広間にも、厨にも。
もっと嫌なのが、刀剣男士に誰にも会わない事だ。この本丸にいる気配はある。でも見当たらない。常に誰かがいた本丸で、この静けさは異様だった。
途端、門の方で声が聞こえた。今の声は―――鶴丸だ。
私は瞬間的に走り出していた。



もしかしたら来るかもしれないという予感はあった。アイツが自ら不寝番を言い出すなんておかしいと思ってたのさ。
だから彼女の声が聞こえた途端俺が思ったのは、その不寝番をやりたいと言い出した男に対する憤りよりも、やっぱり来たなという呆れだ。まだ痛むだろう傷を引きずって、走り回ったのだろう肩で息をしている。だというのに、まっすぐに射抜かれるその視線はいつもの君のもので。

「やれやれ、邪魔が入ったな。大倶利伽羅」

こちらに背を向けて、門に手をかける男はゆっくりと、それでも何かを確かめるようにこちらを振り向いた。こちらが何度呼びかけてもダメだったというのに。

「大倶利伽羅、何してるの」

凛とした声が響く。庭に下り立った彼女はここの惨状を見ても眉ひとつ動かすことは無い。その姿は将と呼ばれるのに正しい在り方だった。
俺の手の中には刀が握られている。そして、大倶利伽羅の周りを囲む他の奴らの手にも。この本丸のほぼ全ての刀剣男士がここに集まっている。そしてそれらは一様に大倶利伽羅に向けられていた。

「どうしてこんな所にいるの。貴方にも傷があるのにどこに行こうっていうの」

大倶利伽羅は小さく目を伏せてから、再び背を向けた。それだけで周りに立つ奴らの雰囲気が変わる。

「おいおい、主の言葉に返事も無しか?いただけないな」
「必要無いな」

俺も他の奴らも、大倶利伽羅の意図はわかっている。わかっているからこそ止めなくてはならない。
俺はにやりと口元を歪ませて、喉を動かした。

「そうか、そいつは残念だ!」

刀を大倶利伽羅めがけて振りかざした瞬間、ぶわりと風が本丸を突き抜けた。それこそ、目も開けられないくらいの突風だ。短刀は何振りか飛んだのかもしれない。一期の声が響いた。

咄嗟に敵襲かと思い、慌てて主の方に行こうと後ろに駈け出したのが悪かった。主が勢いよく駈け出して、入れ違いに俺の隣を通り過ぎようとする。それを腕で止めて、抱きしめながら主が無事だという事を確認する。

「大倶利伽羅!!!」

必死に手を伸ばす主の指先に、大倶利伽羅がいる。だが、俺が振り返った時には既に事態は急転していた。
黒く伸びる手、足元に広がる沼、その伸びる手が大倶利伽羅の足を掴み、沼へと引きずり込む。以前言っていた誘拐の話が頭をよぎった。

「くり坊、ダメだ!!!」

俺も、他の奴らも慌てて手を伸ばす。こうならないようにと、大倶利伽羅に刀を向けていたのに。彼女が泣かないようにとしていたのに。
すごい速さで大倶利伽羅が沈んでいく。それこそ、もう間に合わないくらいの速さだ。だというのに、大倶利伽羅が、黒い手に全身を包まれながらこちらを見た気がした。それから、口がゆっくりと動く。何を。こちらが言いたい言葉は伝える間もなくアイツの顔は見えなくなった。
彼女が手を伸ばして、その沼に着くころには、もう大倶利伽羅は全身が沼に引きずり込まれ、穴はあっけなく閉じてしまった。

「いやっ…いやだ…!!!!」

穴のあった場所にうずくまり、小さく泣く彼女に俺は何も声をかけられなかった。
…こんな驚きは、いらないんだがな。



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