ヒヤシンスの花畑 | ナノ



「刀剣男士の…誘拐?」
「そう」

執務室の中、いつもは開け放たれている襖は閉められている。そこに初期刀の加州清光と近侍の大倶利伽羅、そして参謀の長谷部が隣に座り、その目の前にキチンと正座して対面する形で、この本丸の主は座っていた。

まだ昼前とはいえ、外からは蝉の鳴き声が響きそれは部屋の中にも入ってきている。執務室は、本丸の広間などがある屋敷からは廊下続きでつながっているとはいえ、意外と距離がある。これは何かあった時の為に政府から立てこもりや籠城のための義務として規定がある。この本丸では、わざわざ遠い執務室まで足を運ぶものは少ない。というのもどちらかというと、この本丸の主が度々執務室を抜け出して、自ら広間の方へ向かうため、彼らがあまり赴かないというのもある。近侍は常にその抜け出しのせいで頭を抱えているのだが。

だというのに、今朝わざわざこの本丸の中枢と呼ばれる三人を呼び出した。部屋に入ればすぐに襖が閉められた時点で、何かあるな、とは思っていた。この本丸で、執務室の襖が閉められることは、主の就寝時か何か大事な話を中でする時のみだ。
そうして予想はまんまと当たってしまい、さっそく面倒事の予感に正直大倶利伽羅はため息をつきたくなる。
この主は高い霊力からか何かと面倒事に巻き込まれやすい。そういったツケが最終的に回ってきて苦労するのはこちらだ。本当に勘弁してほしい。

「誘拐、と言いますと行方不明になったものがいるという事でしょうか」
「うん。最近本丸の刀剣男士がどこかへ消えるっていう事件が起きてるんだって。消えるって言っても気付いたらいないんだって。深夜のうちにいなくなってる子もいるし、遠征出陣から帰ってこない子もいる。多種多様らしくて」
「偶然という可能性は」
「ほぼゼロだね。ここ最近で余りにも頻繁に起こりすぎてる。それもある程度錬度の高い子たちが多い。統計は取れてるけど錬度の高いという所しか共通してないのが難点なんだけど…」

そこで一回主は言葉を切る。一回に喋りすぎて疲れたのだろう。目の前のお茶をこくりと飲んでから再びコチラを向いた。

「そんなわけでこの本丸も気を付けるに越したことはないと思って。後で皆にも話すけど先に三人に伝えようと思ったんだ」
「何か対策をするということですね」

うん、と頷く。その瞳には不安は感じられないものの、ほんの少しの焦りが見えた。もしかすると事態はこちらが思っているよりも進行してしまっているのかもしれない。

「とりあえず絶対に二人一組で行動してもらう。行方不明の子が二人出たという報告は今の所無いから。できる限り人の多い所で行動するようにしてもらう。」

そこに異論はない。何か問題が起きるなら確実にその方が良いだろう。三人が頷いたのを見てから、続けて口を開く。

「後は結界を強くする、だれかがこの本丸を許可なく出入りしようとした瞬間にわかるようなもの」
「主、それは」

今まで聞くだけだった加州が厳しい瞳を向ける。結界を強くするという事は主自身の体にも今よりも大きい負担をかけるという事だ。例え目の前の主が、強くしても問題ない程の霊力の持ち主ならともかく、霊力自体は普通よりも多い位、言っても中の上だ。それ以外の能力なら天賦の才があると言ってもおかしくないのだが。それなのに結界を強くしたら確実に体を壊す。それをわかっているのか、主は瞳を伏せた。

「わかっちゃいるけど…皆がいなくなる方がやだよ」

その言葉に加州が押される。ここの刀剣男士は大抵主に弱い。その中でも加州は、初期刀だけあってかことさら主に甘い。そのままの勢いで負けそうになった加州だが、その肩をぽんと隣に座っていた長谷部が叩いた。顔には、最初に来た頃の様な胡散臭い笑顔は欠片もなく、ただ無表情で主を見ている。主がそれを見て「ひ」と声をあげて俺を見たのを、すい、と視線を逸らした。自業自得だ。

「主、俺は常々体調管理には気を付けるように進言しておりますね?周りの者もどれほど主の事を思って気を使っているかご存じないとは言わせませんよ。それだというのに、自ら体調を悪化させるのですか?そのような事、俺が許すとでも?」

即座に主は頭を下げた。ぼそりとごめんなさいと言ってから、勢いよく顔をあげて「でも」と続けようとした瞬間、その顔が一瞬でひきつった。それから頭に鋭い手刀が一発、無論長谷部の物である。
ここの長谷部は、主に厳しく俺らに甘いことで有名だ。


:::



「ていうわけで、事態が収まるまではよろしくね」

夕餉に際にそう告げれば、皆一様に気を引き締めた顔をした。いくら安全と言われていても、この本丸だっていつ戦場になるかわからないのだから当然だ。未だにこの本丸が襲われたことはないが、何事にも絶対などないと知っているからこそ、できる限りの対策をする。

「しかし誘拐とは、穏やかでは無いなぁ」
「それなんだけどさ、刀剣男士って誘拐できるの?」

話が終わり、皆それぞれやりたいことに戻っていくとき、ぼんやりと呟いた白い平安じじいの言葉に疑問で返す。そもそも刀剣男士は審神者の霊力に絶対的に依存する。本丸内は、それそのものが主の霊力によって構成されているし、その周りに属する万屋などもこちらの霊力を少し渡していたりするため移動はほとんど自由に可能だ。だが、それ以外。例えば戦場だったり現世のような主の霊力の届かない所に行ってしまうと、長時間そこにいる事は出来ない。彼ら自身で霊力を賄う事もできるが、それはほとんど限られている。
ずっと疑問だった。政府からこの話を聞いたとき、どうしてそんなことをとか、原因は何とかを考えるよりもまず「え、そんな事できるの?」と本気で思った。だって誘拐という事は、彼らを主から引き離すという事だ。誘拐したところで途中で霊力切れで消えてしまう。それは結局折れるのと同義だ。誰かから霊力をもらったとしても、主じゃない人間からの霊力だと大半は体が受け入れられない為、たかが知れている。人の身を得るという事は、膨大すぎるエネルギーを使うのだ。
こちらの疑問を受け取ったように、小さく頷くと鶴間は「そうだなぁ」と考え始めた。それから隣に座るよう勧められたので、二人で座布団に座る。
顎に手を当てて、視線を斜めに流す。彼は見た目とは違って、大分楽しい性格をしている上に、常に笑っているイメージがあるが、こうした静かなポーズも似合うのだからさすがだと思う。

「出来なくはないが、成功するかどうかは知らんな。何分俺もやったことはないのでね」
「どんなの?」
「一つは主従の上書きだ。今の主よりも大きな霊力で相手を取り込んで無理矢理食っちまう感じだな。そうすれば霊力の供給なんかはもう新しく契約した方になるから問題無い。うまくいくかはわからんが」

そこで一つ鶴丸は言葉を止めた。言い方をあぐねているようだ。

「もう一つは、まぁ自殺のようなものだ。自ら呪いを集めてそれを糧に生き延びる。人の呪いを喰らったり、魂ごと食ったりしてだな」

だが。一言告げていつも笑顔の顔を少しだけ曇らせる。もう夕餉の後だから聞いてるのは私くらいなものだが、鶴丸は周りに誰もいないかを確認してから口を開いた。

「この方法は自殺といったろう。そのうち、体が段々と呪いを耐え切れなくなって爆発する。元々俺達付喪神は呪いを受けて生まれたわけではない。どちらかというと人々の加護と信仰を受けて生まれたものだ」
「つまり、体が受け入れなくなっちゃうって事?」
「ま、そういう事だ。だから自殺。こういった話は三日月の爺さんや鶯丸の方が詳しいと思うが…やり方としてはそんなところだと思っといてくれればいいさ」
「そっかぁ、ありがとう」
「いいや気にするな。俺の主の憂いなど、さっさと晴らしてやりたいがなぁ」

そういってわしゃわしゃと私の頭をなでる。今日は髪を降ろしていたから、非常に汚くなった。この人はつくづく私に甘いなと思う。この人というか、この本丸の刀剣男士皆。長谷部は除く。だけど、その優しさがむず痒くも嬉しくあり、どうしても頬を緩ませて笑ってしまうものだから、私も大概彼らに甘い。

鶴丸にお礼を告げてから別れて風呂に向かう。ホカホカの風呂はいつ入っても気持ちがいい。
そうしてタオルを首に巻きながら執務室に向かえば、その部屋の前に誰か座っているのに気付いた。部屋の前の柱に本体を抱えながらもたれかかっている。その見覚えのある姿に思わず笑ってしまった。

「こんな所で何してるの?」

尋ねながら近づけば、反応がない。いつもは視線くらい向けてくれるが、それすらない。どうしたのかと思って少し慌てて近づくと、首がカクンと動いた。そこでようやく寝てるのか、と気づいた。
慌てて足音を消して、そーっと彼の前に座る。本当は隣に座ろうかと思ったが、生憎背もたれがないのはきついのだ。だから、執務室の襖を背もたれに、彼の寝顔を観察しようと思う。
褐色の肌に猫っ毛。腕には龍のいれずみのようなもの。寝ていてもわかる、その顔の美しさ。一見すると彼はどこぞのヤンキーとも見え、この職業でなくては関わり合いなどなかっただろうなぁとぼんやりと思った。

「かっこいいね…」

ぽつりとつぶやいた言葉は、外の鈴虫にかき消された。
そうして彼を見つめ続けてどれくらいたっただろうか。段々と私自身も眠気が襲い始めて、このままここで寝ちゃおうかな、とも思った時だった。
ぱちり、と目の前の彼の瞳が開いた。
そしてそのまま嘗め回すようにこちらを見る。金の瞳がせわしなく動きながら、暫くするとふいと下を向いた。

「あの、大倶利伽羅…?」
「アンタ、このまま寝ようとしたな」

疑問形であるというのに、驚くほどきっぱりと言い切る彼に何も言えなくなる。おっとこれはおこですな。どこぞの一期一振を思い出してやめた。ここのロイヤル王子はやたらと私に辛辣だ。解せぬ。

「いつまで経っても動かないから何してるのかと思えば」
「え、待っていつから起きてたの」
「こんな所で何してる、から」
「最初じゃんかバカ!」

じゃあ起きろよばか!ごめんね嘗め回すように見て!!
顔を手で覆いながら、よろよろと執務室に入る。後ろからほんの少し上機嫌の大倶利伽羅が続く。

「で、どうしたの。何か用事でしょ?」

わざわざ執務室の前で待っていたのだ。私にしか話せない事があるのだろうと思ったのだが。当の本人はどかりと壁際に胡坐をかくと、両手を広げた。

「来い」

一瞬ぽかんとしてから、すぐにその意図を察して、両手に飛び込む。ぎゅうと苦しい位に彼が抱きしめてくるから、背中に腕を回してそれよりも強い力で抱いて肩口に顔をうずめる。そうするうちにポンポンと背中を軽く叩かれて、その暖かさに泣きたくなってくる。

「別に誘拐だろうが問題ない、俺たちはいなくならない」
「うん、わかってる」
「心配するな」
「うん」

酷く、優しい声だった。彼は決まって、私が不安な事を抱えている時ふらりとここにきて、存分に私を甘やかす。鶴丸のように暖かい見守ってくれるようなものではなく、隣に立って共に悩んでくれる優しさだ。その優しさについつい甘えてしまう。もう結構いい歳と言ってもいいのに、未だに子供の様にこんな風に甘えてしまうのが恥ずかしい。それを隠したくて肩口に顔をぐりぐりと埋めた。慣れた匂いが鼻孔をくすぐり、先ほどまでどこかへ隠れていた眠気がじわりと戻ってくるのを感じた。

「寝るか?」

ゆるゆると頷き、大倶利伽羅から離れようとするが彼が私を抱く腕の力を強くして、私を横抱きにして立ち上がってしまった。足が床から離れ、咄嗟に大倶利伽羅の首に腕を回す。どうやらその行動に満足したらしい大倶利伽羅は、器用に片手で私を支え、空いた手で押入れを開けた。そこから布団を取り出せば、またも器用に片手で布団を敷いた。そこに私を寝かせて毛布をかぶせてくれる。

「介護老人のようだ…」

ぽつりと呟けば、彼にしては珍しく口角をあげて笑った。

「それも、悪くない」
「勘弁してよ…」

この年でそれは勘弁だと、口を尖らした。

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