大倶利伽羅結婚しよう! | ナノ

「大倶利伽羅、結婚しよう!」

秋の夜。穏やかな風が頬を撫でる中、勢いよく部屋の襖を開けると同時に声を張り上げる。
布団の上、寝間着姿で本を読んでいた相手は、慣れきったように「断る」と告げた。

「アンタと婚姻するつもりはない」
「そう言うと思って今日は私と結婚したらどれくらい良いかのプレゼンをしようと思って資料を作ってきました」
「仕事をしろ」
「大倶利伽羅に求婚するのも立派な仕事だと思うの。もうかれこれ84回目の求婚なわけですが、御返事はいかがですか?」

大きな大きなため息を吐き出してから本を閉じて、大倶利伽羅はこちらをじっと見据えた。
彼は返事をくれる時、いつも必ず私の目の奥を見つめる。その視線に、小さかった心臓が大きく高鳴り出すのは仕方が無いことだと思う。何せ、好きな人からの熱い眼差しだ。緊張しない方が不思議だろう。

「断る」
「断るんか〜〜〜い」

ブハッと吹き出す。眼差しが熱すぎて、てっきり今度こそオッケーを頂けるのだと思ってしまった。

「頭の中じゃ大倶利伽羅と二人暮らしの計画も完璧に立て終えてた」
「暇なのか」
「計算が早いと言ってほしい。それに大倶利伽羅と結婚出来るにはどうしたらいいかを毎日考えてるから毎日忙しくてたまらないよ」
「…いい加減諦めたらどうだ」

言外に「結婚するつもりは無い」も言われている。これでもずっと大倶利伽羅を見てきてないのだ。それくらい察する。察したところで諦めるわけが無いのだが。

「やだ。大倶利伽羅と結婚できるまで諦めない。大きな家に真っ白いワンちゃんと一緒に暮らそう。必ず幸せにする。安心して私に全てを委ねてほしい」
「……」
「収入は審神者業のおかげでめちゃくちゃあるから大倶利伽羅を養うくらいなんて事無いし、絶対不自由にさせない。明日何が起きるか分からないけど、今日を生きる大倶利伽羅を幸せにする。だから結婚しよう」
「断る」
「断るんか〜〜〜い!」

二度目の吹き出し。今私めちゃくちゃ良い事言ったのになぁ!
こちらの気持ちなんて何も気にしていないように、大倶利伽羅は再び本に視線を落とした。

「ううん、今日の求婚チャレンジはここまでだね。また明日来るよ、おやすみ」
「…おやすみ」
「おやすみって返事してくれたってことは結婚を了承してくれたも同然なのでは!?」
「早く寝ろ」

私の超理論に見向きもせず、とうとう本を捲り出したのを見て今度こそ「おやすみ」を告げて部屋を後にする。
明日はどんな作戦でいこうか。結局プレゼンを聞いてくれなかったから、明日はそれを説明するのがいいかもしれない。

「明日は86回目かぁ」

初めの事を思うと、ここまで来たかと感慨深さすらある。
部屋に戻りながら思い出す。大倶利伽羅と初めて会った瞬間のこと。



大倶利伽羅は鍛刀で来てくれた刀だった。褐色に金の目、そして「馴れ合うつもりは無い」という言葉。
なるほど怖い。審神者になったばかりの私は彼に酷く怯えた。だって怖い。めちゃくちゃ怖い。
それを察してしまったのかどうなのか。彼は私に近づかなかった。それでも問題無かったし、始まったばかりで慌ただしかった本丸は彼と顔を合わせない日もあった。
そうして挨拶も出来ない日々が続く中、遠征と出陣の関係で大倶利伽羅を近侍にしなければ無い時がきたのだ。

大倶利伽羅を近侍にしたいんだけど…。
…馴れ合うつもりはないが。
そ、それでも良いので近侍として政府まで着いてきてくれないでしょうか。

確かそんな会話をした。お互いにギクシャクしている。カッチコチだ。誰がって私が。

政府への呼び出しは当時度々あった。戦績があまり良くなかったせいで、教育という名の説教を毎週一回は上司から受けており、その時の呼び出しもそれだったのだ。
上司からの非常に長い説教で、途中で何度も泣きたくなりながらも隣に大倶利伽羅がいるのだ、と唇を噛んで耐えていた。

そうして終わった説教。帰る途中、大倶利伽羅と言葉を交わした。

ごめんね、嫌な言葉たくさん聞かせちゃった。
…どうでもいいな。
そう言ってもらえると大分助かる…。次からは頑張るから。
……今は頑張っていないのか。

酷く静かな声だったのを、よく覚えている。

が、頑張っては、いると、思うけど。
なら今のままで良いだろう。
でっ、でも怒られちゃうし…、…きっとみんなも呆れちゃう。

今思えば、あの時のメンタルは中々ボロボロだったのだろう。そんな本音をぽろぽろと大倶利伽羅に零してしまった。

……歯を食いしばり涙を耐える主を見て、胸を痛めるやつはいても、呆れるやつはいないだろう。

彼は、私の弱音を馬鹿にするでもなく、柔らかい声色で語っていた。

…あんたは、今のままで良い。

それだけ言って、大倶利伽羅は前を向く。
柔らかな瞳とくっきりとした横顔が、その瞬間私には酷く眩しくて、明るくて、美しく見えた。そしてそれは、私の心を大きく打ち鳴らし、溢れんばかりの想いは、言葉として零れさせた。

おっ、大倶利伽羅。

名を呼ぶ。初めて彼の名前を呼んだような心地がした。

結婚しよう!!!



ーーーそんなわけでこれが、記念すべき初めての求婚である。
好きも、愛してるも、付き合うも何もかもをすっ飛ばしてうっかり求婚してしまった。しかしそれも仕方が無いと思う。なにせ、あの瞬間に私は彼に恋をして、愛を知ったのだから。

それからおよそ数ヶ月。季節は二個ほど変わり秋になった。もうすぐ冬が来ようとしている。
85回に及ぶ求婚は、未だに良い結果にはなっていない。






「お見合い?」
「えぇ、お見合いでございます!」

私のオウム返しの言葉に、目の前で座布団に座るこんのすけは鼻息を荒くして返した。

「なんと相手は階級が上の上の上の審神者様でございます!主様、これは玉の輿のチャンスですよぅ!」
「えっと、待って待って。私お見合いなんてしたくない」
「なっ、何故でございますか。常に大倶利伽羅を養うために給料を上げろと仰っておいででしたのに」
「今答え言った気がする」

私は大倶利伽羅が好きだ。毎日求婚している。その為に戦って働いている。それをこんのすけも知っているはずなのに。

「この求婚がかなわなくても、他の人とはお付き合いも結婚もしないって話しなかったっけ?」
「勿論覚えておりますが…。今回の話に乗ってくださったのは他の刀様達です」
「えっ」
「叶わないからと女性としての幸せまで諦める必要は無いと、皆々様涙ながらにお話してくださいまして…。今回、相手様と連絡を取ってくださったのも刀様達です」
「よ、用意周到すぎるし、既に皆私の求婚を叶わないものとして見ているという事が意外と胸に来てる」

あまりにも外堀を埋められている。そんな風に言われたら断るわけにもいかないじゃないか…。

「…ちなみに上ってどれくらい上の方?」
「本気出せばこの本丸など一瞬で潰される程度には上でございます!」
「お見合い、受けます…」

ぐうぅ悔しい。自分の力の無さが悔しい。最後の砦の質問だったものを崩され、悔しさに涙滲ませる。
対照的に、こんのすけは嬉しそうだ。

「! 分かりました! 先方にご連絡しておきます!」
「嬉しそうだね」
「もちろんですよう!主様の幸せを願っているのは皆さんと変わりませんから」
「ウッこんのすけ好き…可愛い…」
「ありがとうございます」

それでは失礼致しますね!と、こんのすけが煙と共に消えたのを見て、大きくため息を吐き出す。

お見合い、お見合いかぁ。

当然乗り気はしない。しかしきっとそれだけ上の階級の審神者さんなのだから、向こうがしたいと言ったら結婚の方を断ることも出来ないだろう。
まさかこんな形で大倶利伽羅への求婚を諦める事になろうとは。

「ううぅ……急だなぁ……」

頭を抱えていると、静かな足音が部屋に近付いた。

「主、いいかい?」
「歌仙?」

部屋の向こうにいた歌仙は、慣れた様子で部屋に入ると、洗練された所作で先程までこんのすけが座っていたところに収まる。

「お見合いするんだってね」
「耳が早いね。こんのすけ?」
「あぁ。お見合いするならば用意するものが多いだろう?この僕が目利きするべきだと思ってね」
「無駄遣いは良くないと思うけどなぁ〜〜」
「主に遣うものが無駄だとは言わせないさ」
 
どこか嬉しそうな初期刀の顔を見て、今回のお見合いに彼も絡んでいるんだろうなと感じる。
安堵した表情の歌仙を見て、燻っていた思いもしおしおと萎んでいく。
思えば、最初からずっと迷惑をかけてきた刀だ。今回くらい、彼の言葉をしっかりと聞くのも良いのかもしれない。
 
「ね、歌仙」
「なんだい」
「せっかくだから、可愛い着物着たいなぁ、なんて」
「…あぁ、任せてくれ」
 
歌仙は綺麗に笑うと、明日には呉服屋を呼ぼうと部屋を後にした。この後、戻ってきたこんのすけにお見合いが明後日であることを聞いて、慌てて歌仙を追いかける事になるのだけれど。
 


右には煌びやかな着物、左には輝く装飾品、後ろにはたくさんの華やかな生地が私を囲んでいた。

「主さんは肌白いんだもん。やっぱり華が似合うよ」
「えぇ、俺は赤が良いな」
「桃色も華やかで良いが…。やはり秋らしく橙を入れたいな」
 
上から乱、加州、そして歌仙の言葉だ。他にも多くの刀達がわちゃわちゃと一つの部屋に集まり、私が着るものを選んでくれていた。

「明日の髪型はどうしようかねぇ。主はせっかくきれいな髪なんだ。結んでも良いけど、少し残してもいいかもしれないね」
「次郎ちゃんに任せるよ…」
「あっはっは!もう疲れてるのかい!まだまだこれからだよ〜」

ばしばしと背中を叩かれるものの、もう私は疲労困憊だった。何せ、朝から昼を過ぎて、もう夕方だ。ずっと着物を着ては脱いでを繰り返していたら、そりゃ疲れるだろう。
 
「歌仙〜…もうそろそろ決めよう」
「もう少し待ってくれ。主に似合う色を考えているから」
「それ朝から聞いてる」
「もう一度、今のを脱いでこっちを着てもらってもいいかい?」
「はあい」
 
皆は今着ている赤の着物と、白地に桃色の花が沢山咲いているものとで悩んでいるようだ。ようやく二択まで来たか…。内心感動を覚えながら、隣の部屋で乱に着付けてもらっていると、向こうから新しい声が聞こえた。
 
「…まだやっているのか」
「あぁ、大倶利伽羅」
「えっ、大倶利伽羅?」
「ちょっと主さんまだだから待って!」
 
乱に止められ、慌てて両手を上げる。今日だけで乱の着付けレベルが上がったんじゃないだろうか。
 
「はい、出来たよ!大倶利伽羅さん見て見て!」
 
襖を開けて、じゃじゃーん、と乱の効果音付きで御披露目される。御披露目と言っても、これは朝の段階で一度着ているので、他の皆はこれでいくかどうかを決める為に真剣に見ているだけなのだが。
初見の大倶利伽羅はというと、いつも通りの穏やかな視線でこちらを見ていた。
 
「ど、どうかな」
 
こんな風にしっかり着飾っている所を見られる事なんて滅多にない。妙に照れくさくて、うぇへへ、なんておかしな声を上げた。
 
「…似合っている」
「ほ、ほんと!?」
「嘘を言ってどうする…」
「そ、そっか、そうだよね…へへへ…ありがとう、嬉しいな」
 
年甲斐もなくてれてれしてしまっているうちに、早々に大倶利伽羅はいなくなっていた。何か用があったのではないだろうか。そんな疑問は、歌仙に「主」と呼ばれる事ですぐに霧散してしまったのだけれど。
 
「うん?どうしたの」
「僕達では結論が出なかった。どちらも捨てがたい…。だから、最後は主に決めてもらいたい」
「着物をってこと?」
「あぁ」
「なるほど…」
 
他の刀達はよほど苦しい思いをしたらしい。苦々しい顔は朝からの悩みが見て取れた。
 
「ううん。えっと、じゃあ今着てるやつ。こっちが良いな」
 
さっき大倶利伽羅が褒めてくれたから。
そうは言わずに、袖を持って華やかな生地の着物を見る。
 
「分かった。呉服屋にはそう伝えておこう。良く似合っているよ」
「ありがとう。嬉しい、明日がんばるね」
「あぁ」
 
着物が決まった事で、それに伴う小物や髪型も決まり、早々に部屋は片付いた。
呉服屋への挨拶などを終えると、決まった事の達成感と疲れが一気に同時にやってくる。それと一緒に明日への不安も。
 
「それじゃあ後でご飯を持ってくるから」
「ありがとう。ごめんね」
「いいさ。君は明日の為に早く寝て体力を戻してもらわないとね」
 
歌仙を見送ると、一気に部屋はがらんとする。結局時間は夜七時を過ぎていた。いつもの軍議だってここまで時間はかからないだろうに。
 
「あぁあ疲れた…」
 
そうしてごろごろ床に大の字で横になったからだろうか。途端にやって来た眠気に、知らぬ間に瞼を閉じていた。
 
 
 
結婚しよう!
断る。

いつの間にか、恒例みたいになっていた。言っちゃえば挨拶のような。
大好きで、愛しくてたまらない彼と、ずっと一緒にいたいという言葉を告げる。それは、私にとって挨拶するのと同じくらい当たり前の事だった。

でも、きっと大倶利伽羅にとってはそうじゃなかったよなぁ。迷惑だっただろうなぁ。だって大倶利伽羅だもん。馴れ合わないって言ってる刀に、馴れ合おう!って言うって。

いやいや我ながらドン引き案件。しかし、それでも彼を見るとこの思いは止まらず、勢いのまま好きだと言ってしまうのだ。
 
でも、でも大倶利伽羅。もう大丈夫だよ。今までごめんね。もう言わない。というか、言えなくなるんだけど。
ずっと、私の我がままに付き合ってくれてありがとう。大好き。

貴方にもう一度、告白したかったな。
 
 
 
「ううん……」
 
もぞもぞと目を覚ます。
いつの間にか眠っていた様だ。体を起こすと、ぱさりとブランケットが落ちた。いや、これは違う。ブランケットじゃない。この赤い布は。
 
「大倶利伽羅の…」
「起きたか」
 
開けっ放しの襖の向こう。月明りに照らされてこちらを見下ろしていたのは、私に腰布を掛けてくれた刀だった。
 
「お、大倶利伽羅、どうしたの、あっ腰布ありがとう。すごい暖かった。夢…どんなんだったか覚えてないけど、なんかいい夢も見れた気がする」
「…歌仙が、飯を持って行ってやれと」
「あっ、それで…。あれ、今何時?」
「21時だ」
「にっ、二時間も寝てたの!?」
 
ひえぇ、やらかしてしまった。その時間には明日の支度を終えておくはずだったのに。
頭を抱えていると、彼は「飯を取ってくる」とだけ告げて踵を返した。止める暇もなくその背中を暫し呆然と見ていたが、暫くしてからそっと息を吐きだした。
 
――――お見合い、めちゃくちゃしたくない。
 
やだやだやだ。絶対したくない。何て言うんだっけこれ、マリッジブルー?結婚してないし、お見合いうまく行く保障なんて無いけど。無いけども!
昼で気力を全て使い切ってしまった。こういう事よくあるんだよなぁ。
遊びに行く前日まで滅茶苦茶億劫で、いざ行くとすっごい楽しい!みたいな事。
でも、例えそうだとしても、それでも。
 
「やだなぁ…」
「何がだ」
「あっ、ご飯ありがとう」
 
お盆に沢山乗ったご飯を受け取ると、大倶利伽羅は部屋に入り、壁際に座った。これは、きっと先程の「何がだ」という疑問に返事をしろという事だと思う。
味噌汁を飲みながら、考えつつ口を開く。
 
「なんだか気持ちが乗ってこなくてっていうだけ」
「明日の事か」
「うう、わざとぼかして言ったのに」
 「ぼかせていなかったが」
「うそだぁ」

きっと彼には全部ばれているんだろうなぁ、なんて喉の奥で笑いを転がした。

「…なんだか実感が無いだけ。私、ずっと大倶利伽羅に好き好きって言えるもんだと思ってたから。それこそ、死ぬまで」
「…」
「それがもしかすると明日で終わるんだなぁって思ったらなんだか不思議な気持ちになっちゃって。あと緊張もあるかな。お見合いなんて初めてだし」
 
ご飯を進めながら、なるべく穏やかな声で喋る。意識しなければ胸の奥の蟠りが、どこかで容易く破裂しそうだった。

「実はね、あと一回だったんだ」
「…なにがだ」
「告白。あと一回で百回目だったの。すごいよね」

百回目だからなにかお祝いでもしようと思ってたのは内緒だ。

百回目だよ、大倶利伽羅!そろそろいい返事をくれてもいいんじゃないかなぁ。
断ると言ったはずだ。
分かってるわかってる。次は千回でも目指そっか!

そんな会話をする、予定だった。予定は未定とはこの事である。

「人生何が起こるか分からないものだよね。まさか私がお見合いだなんて、三日前の自分じゃ考えられないもの」
「…」
「明日隕石が落ちるよ!って言われるくらいの衝撃かもなぁ」

それくらい、私が大倶利伽羅以外の男性と会って話して結婚なんて考えもしなかった。
ご飯を食べ終え、お茶を啜りながらわらう。

「それくらいみんなに心配されてたってのも面白いんだけど」

叶う恋では無いと知っていたから、沢山沢山大倶利伽羅に愛を送った。せめて本気である事だけでも伝わってほしいと。
まぁ確かに主がこんなだったら嫌だよね。分かる。さっさと別の男と結婚してくれ頼むってなるよね、分かる。

「ねぇ大倶利伽羅、私、あなたが好きだよ」

お茶を置いて大倶利伽羅を見る。淡い光に照らされた顔が、穏やかにこちらを見た。

「私の気持ちを、ずっと受け止め続けてくれてありがとう」

いつも目を合わせてくれてありがとう。必ず返事を言葉にしてくれてありがとう。きっと嫌だったに違いないのに、それでもずっと隣にいてくれてありがとう。

「…あなたが、いてくれて良かった…」

結婚しよう。いつもならそう続く言葉を飲み込み、何かが零れそうになるのを必死に耐えて、唇を噛んだ。油断すると、泣いてしまいそうだ。

「ごめん、なんだか気持ちが荒ぶっちゃった」
「……嫌なのか」
「うん?」

顔を上げる。大倶利伽羅は、見たこともないような怪訝そうな顔をしていた。

「…見合い、嫌なのか」

あんぐりと口を開けた。それからすぐに笑った。

「嫌だよぉ。だって、私は大倶利伽羅が好きなんだもん。でもね、皆が私の為にたくさんやってくれたのが嬉しくてね、それに報いたくてね」
「……」
「だからね、お見合いに行くの。その人と、結婚するの」

大倶利伽羅の口が何かを言いかけるように開く。言葉を探しあぐねているような、見つからないような。いつも言葉を飾らない彼にしては珍しい事だった。

「…なら」

やがて少しだけ経った頃、ぽそりと口を開く。

「なら、逃げるか」
「……えっ」

驚きの声が零れた。大倶利伽羅は無意味な冗談を好まない刀だ。目だってとても嘘だとは言ってない色をしている。きっと、きっとこれは冗談じゃない。彼は、本気で。

「逃げるか、外へ」

本気で、私を逃がそうとしてくれている。

とうとう何も言えなくなった私に、再度彼は問うた。私の答えなんて決まっている。逃げたら上司への反故だ。ちっちゃなこの本丸なんて簡単に潰されてしまう。だから、簡単に答えることが出来るはずなのに。

「…逃げたい」

本音を零してしまった。

「逃げたいよ、大倶利伽羅」

胸が苦しい。今この手を取って何のしがらみもないところへ行けたらどれだけいいだろうか。
彼はきっと、ずっと隣にいてくれる。そういう刀だと知っている。心優しい刀だと知っているから、彼を好きなって、愛したのだ。
その優しい彼を使って逃げるなんて審神者としても、ただひとりの女としても、出来るわけが無かった。

「なんて、逃げられたら良かったのにね」

笑顔で隠すように言葉を抑え、空になった皿を持って立ち上がる。

「ご馳走様。ありがとう大倶利伽羅、なんだかスッキリした。明日、頑張ってくるね」
「……」
「おやすみ。また明日ね」

相手の返事を聞かず、部屋をあとにする。あのままあそこにいたら、もっと言ってはいけないことを口にしてしまう。
早足に厨に向かいながら、喉から溢れる嗚咽を必死に隠した。






カコン。獣躍しの音が庭に響き、綺麗な鳥の音が届く。小さな茶柱の立ったお茶と机を挟み、目の前にはニコニコとした若い男の人が座っていた。
当然、見合い相手である。

「いやぁ、こんなに美人さんだとは。今日はお会いできて嬉しいです」
「いえ、こちらこそ本日はわざわざこのような場までありがとうございます」

来ている所はお見合い場所として指定された小さな茶室。相手の本丸内のひとつで、随分と奥まった所ではあるが静かで落ち着きのあるーそれこそ隣の歌仙が好きそうなー雰囲気だった。

「さて、じゃあ挨拶も済んだところで後は当人達に任せようかな」

相手の隣に座っていた蜂須賀の言葉を合図に、歌仙も立ち上がる。早くない?!と必死に目で視線を送っても向こうは素知らぬ顔だ。

「主、無礼のないようにね」
「う、はい」

緊張から喉が上擦る。知らない場所に、今しがたあったばかりの男性とふたりきり。それも、お互いに「そういう」意図がある。変に緊張するのも仕方ないと思えた。

「それじゃあ何からお話しましょうか。自己紹介かな」

刀達がいなくなってから、男性が話す。恐らく私の緊張を分かっているのだろう。声色が酷く優しい。

「でも自己紹介は大体紙に書いた通りだし…。あぁ、そうだ。少しだけ僕の話をしてもいいですか?」
「えっ、あぁ、はい」

突然の事に内心驚きながら頷くと、男性は笑みを深くした。

「先日…二週間ほど前だったかな。とある本丸と演練をしたんです。そこの審神者さんは可愛らしい簪で髪を留めた、若い女性でした」
「……え……」

こちらの疑問の声に男性は「一旦聞いてください」と告げた。頭の中に一瞬で溢れた言葉を呑み込んで、頷く。

「そこの女性は近侍を大倶利伽羅にしていて。よくよく見ていたら、すぐにわかりました。彼女がその大倶利伽羅に恋しているのだと」
「……」
「というより、「勝ったね大倶利伽羅!かっこよかったよ結婚して!」って叫んでいたので」

絶句してしまう。まさか一度出会っていたなんて。というかそこでも告白していたなんて。いやどこでもしてたけど。
恥ずかしさと忘れていた罪悪感でつぶされそうになっていると、それに気付いたように、男性は両手を振った。

「演練なんて毎日ありますし、多い時なんて十試合です。覚えていなくて当然ですよ」
「でも……」
「それよりもね、面白いのはここからなんですよ。そこの大倶利伽羅と僕、目が合ったんです。僕が彼女のことを見つめてたってわかったんでしょうね。そしたら大倶利伽羅、どうしたと思います?」
「…どうしたんですか?」
「彼女を自分に引き寄せたと思ったら、めちゃくちゃこっち睨んできたんですよ!」

すごくないですか!男性は興奮気味に続けて話す。

「初対面の女性に話しかけられる度胸なんてないんですが、それでもすごく全力で睨まれてしまって。あぁあの大倶利伽羅は彼女が本当に大切なんだなぁとしみじみ思ったんです」

思い出した。
いきなり大倶利伽羅に後頭部を抑えられて、ぽすんと彼の胸にダイブしたことがあった。あの瞬間はあまりのドキドキに「アッ結婚……」と思ったのだが、そうか、そういう事だったのか。

「…そ、それで、あの……」

顔が熱い。何かを言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。じわじわ溢れ出す熱は、全身に回ってしまいそうな気さえした。

「そしたら、なんと驚いたことにそこの本丸から連絡が来たんですよ。初期刀だという刀から」
「初期刀、歌仙さんから?」
「えぇ。なんでも「お見合いでもさせれば、あのの朴念仁も素直にならざるを得ないんじゃないか。無礼だと承知しているが、ご協力願えないか」って。電話越しでは失礼だと、本丸にも何度も来てくれました。その度に高級茶菓子を持ってね」
「うそ…」
「うそじゃないですよ」

呆然とする私の脳裏に、お茶菓子を持ってこの本丸の門を潜る歌仙の姿が瞼の裏に見えた。

人見知りなのに。知らない人と話すの、全然得意じゃないのに。話すことは出来ても、その後に疲れきってしまうのに。それなのに。それなに。

「…いい関係を築けているんですね」

男性は、とても優しく笑う。
それに対して私は、泣きたいのか喜びたいのか、笑いたいのか怒りたいのか、心の中がぐちゃぐちゃすぎて、一言「ありがとうございます…」というので手一杯になってしまった。
それにまた男性は満足気に頷くから、私はとうとう一粒だけ涙を流した。

「大丈夫ですか?」
「す、すみません、大丈夫です。嬉しくて、嬉しくてつい」

一度零れ出すと、色々なものが涙と共に溢れ出してしまう。ぽろぽろと止まらなくなった涙を必死に止めようと擦る。

「あぁ、擦らない方がいいですーーー…おや」

男性が視線を庭に向ける。それに釣られるように視線を移動させ、目を瞬いた。

「おっ、大倶利伽羅…!?」
「…帰るぞ」
「うぇっ、え、」

 茶室に上がり込むと、大倶利伽羅は私の手を引いて立ち上がらせた。

「まっ、待って大倶利伽羅、待って」
「なんだ」
「な、なんで…?」
「…昨日、あんたの言葉に了承したが」

逃げたいなぁ。
言葉がフラッシュバックする。確かに言った。言ったけれど。

「だっ、だって、あれは冗談で」
「…あんたの本音が分からなくなるほど、耄碌していない」

繋がれた手首が熱い。酷く期待してしまいそうな言葉に、喉が鳴る。いやだ、こんなのいやだ。そう思っても、迎えに来てくれたことに喜びを感じている自分がいて、それが一層胸をぐちゃぐちゃにさせる。

「…来るつもりは無かった」

ぐっ、と手首を引っ張られ、体が彼の中にすっぽりと埋まる。大倶利伽羅が男性に向かって声を上げる。

「だが、泣かせるくらいなら俺がコイツを貰う」

何が起きているのか分からないとはこの事だろう。
はくはくと息ばかりを吐き出す口は意味を成さないし、頭はぐるぐるしてしまって熱を全身に回す。もう、足に力が入らなくなりそうだ。

大倶利伽羅が更に男性と何かを話しているのが分かる。分かるが、全て右から左に抜けて頭の中に留まってくれない。本当に日本語を話しているだろうか。

「…帰るぞ」

そっと耳打ちされて、顔を上げた。そこにはいつも通りの凪いだ視線の大倶利伽羅がいて、今度こそ腰が抜けた。

「、おい」
「ご、ごめん、力が抜けて、なに、夢……?」
「……夢じゃない」

膝裏に手を入れられ、足が浮く。横抱きにされたのたと気付くよりも早く、大倶利伽羅が歩き始めた。

「ま、まって大倶利伽羅」
「待たない。もう話は済んだ」

落ちないように必死に大倶利伽羅の服を掴む。男性に挨拶する暇もなく、気付くと門の前に来る。そこには見慣れた相手がにこやかに立っていた。

「歌仙!」
「全く、なんて雅じゃない姿だろうね。せっかくの着物だというのに」
「歌仙、あの、あのね」

このお見合いのこととか、黙っていたこととか。今までひとりで沢山頑張ってくれていたこととか。
言いたい事が一気に頭の中でぐるぐると回り、言葉にならない。

「わたし、歌仙に」
「いいよ。先方には僕が言っておこう。ようやく君の恋が叶ったんだ。早く本丸へ帰るんだ。皆が待っている」
「みんなって…」
「早く恋仲にならないかと、皆心配していたのさ。全く、ここまで掛かるとは思ってもみなかったけどね」

先程の男性との会話が思い出される。つまり今回の事は私の本丸の刀達全員グルだということだ。
お見合いから何から何まで、全部、グル。なんてことだ、それめちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃないか。
大倶利伽羅は何のことか分からぬように首を捻りながら視線を寄越してくるのに、逃げるように顔を覆った。

「あっ、あ〜……あとで説明する…いまは早く本丸に帰ろう…。恥ずかしさで死にそう……」

どこでも恥を知らずに求婚してはいたが、みんなからそんな生暖かく見守られていたと思うと途端に恥ずかしさが出てくる。
熱くなった顔を抑えていると、大倶利伽羅がふとこちらを見やった。

「? 大倶利伽羅、どうしたの」
「…」

大倶利伽羅は何も言わない。何も言わないが、そのまま顔を近付けると、ちゅ、と音を立てて唇を重ねた。

「なっ…!!!」

何が起きたか分からなかった私ではなく、目の前の歌仙の声が耳に届いた。

「…あんたが俺のになると分かったからだ」
「なっ、そ、や、いや」

ぼ、と顔が熱くなる。言葉が出ない。今すぐ意識が飛びそうだ。なぜ、なぜ、なぜこんなことを。マイペースか、マイペースすぎるのか。

「こ、婚前交渉は認めていないぞ!!!」
「散々我慢したんだ。好きにさせろ」
「主の為だなんだと言って勝手に我慢したのは君だろう!」
「昔の事だ。勝手に戻るぞ」
「あぁもう…!好きにすればいいさ、僕はここの審神者に挨拶してくるから!」

歌仙が苛立つようにしながらすたすたと本丸の奥へ消えていった。嵐のようなやり取りを呆然と見ていたこちらとしては、何も言うことがない。

「…帰るぞ」
「あ、あぁ、うん」

再び揺れ出す視界。ゆっくりと門に近づいてく大倶利伽羅は何事もないかのように、顔色ひとつ変えない。今までの事全部夢だったのでは?そんな気さえする。

「お、大倶利伽羅」
「なんだ」
「私、まだあなたに求婚しても良いの?」

だから、現実を受け止められなさすぎてそんな事を聞いた。大倶利伽羅の足が止まり、視線が下がる。

「…だめだ」
「だ、だめなの」

やはり夢だったか。わかっていたような、悲しすぎるような。もう色々ありすぎて自分の気持ちすら分からない。

「…結婚している相手に求婚してどうする」

呆れた眼差しに、呆れた声だった。何を当たり前のことを、とでも言いたいかのような。

「…夢じゃないんだ」
「さっきも言っただろう…」
「いや、なんか、その、あまりにも信じられなさすぎて、うあぁ」
「なんだ…」
「あの、大倶利伽羅!」

頭の中がパニックになりながら、大倶利伽羅と顔を合わせる。
どれだけ混乱していようとも、私が今ここで言わなきゃいけないことは分かる。彼に、ずっとずっと言ってきた言葉。彼にだけ伝えてきた言葉。
大きく、息を吸った。

「私と、結婚してください!」

大倶利伽羅は、返事よりも先に再び私にキスを落として、緩く口角を上げた。

「あぁ、結婚しよう」

百回目のプロポーズ、成功しました!
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