雨のち晴れ、そして虹_6 | ナノ

…―――泣くな。

雨の音に掻き消されそうな、弱く細い、それでも常の落ち着きを持った声色で、彼は私にそう言った。

…―――泣いてない、泣いてないよ大倶利伽羅君。大丈夫。

あなたが泣くなと言うなら、私は泣かない。貴方が折れた先でも、私の心配なんてしなくていいように泣かない。大丈夫、大丈夫。私は、貴方がいなくても大丈夫。だから、だからどうか。



「おはよう、大倶利伽羅君!」
「…静かにしろ」
「今日から球技大会だね。なんだか高校生みたいだ。楽しみだなぁ」

高校生になってから初めてのイベントがこの球技大会だ。中学までは無かったし、当然のごとく前世ではやった事は無い。
初めてやる事は、なんであれ胸が高鳴るよね。

「大倶利伽羅君バスケだよね。応援に行くよ。横断幕持って」
「やめろ」
「冗談だよ。でも、きっとかっこいんだろうね。大倶利伽羅君は運動も出来るから。あぁ、本当に楽しみ」

刀の時にやった遊びなんて精々野球、サッカー、バレーくらいだ。最初のうちはルールを覚えるのに一苦労だったが、最終的に皆プロ級のうまさになっていたのはいい思い出である。

「大倶利伽羅君、試合出る時教えて。横断幕はともかくとして、応援には行きたいから」
「……別に面白くは無いぞ」
「面白い面白くないじゃなくて大倶利伽羅君が出てるから行くんだよ。じゃあちょっと着替えてくるね」

ところで、ジャージを着ている大倶利伽羅君が果てしない色気が漏れてるんだけれど大丈夫だろうか。



そうしてはじまった球技大会初日。三日間に分けられたこの大会は、バレーボールやドッチボール、バスケなどなど。その名の通り球技の大会がクラス対抗で行われる。
私はその中のバレーボールに出る予定。…だったのだけれど。

「……………あ」

ひゅう、と、目前に迫ったバレーボールを前に、私はその間抜けな声しか出す事ができなかった。この後起こるであろう事を予測して、心の中で絶望する。

あぁもう、嫌だなぁ。この後、大倶利伽羅君の試合なのに。

衝撃。
それから、暗転。




「なんでこうなるのかなぁ」

呆然と呟かれた声に返事は無い。
保健室。ベッドの上。誰も居ない部屋の中、一人天井を見上げる事の虚しさと言ったら。
自分が出る試合の最中、ガツンとバレーボールを顔面で受け止めてしまった。案の定鼻血を出すわ、それで貧血を起こすわで、一時騒動を起こしてしまった。申し訳ない。
申し訳ない、けれど、正直今の私は別の事情から泣きたくて仕方が無かった。

「ううん……」

時刻はもう午後二時過ぎ。大倶利伽羅君が試合に出るのは午後イチ。当然、試合は終わっている。
もう、本当に信じられない。彼の試合を見れないなんて。絶望感が酷い。
じわりと涙が滲む。

「………ウッ」

耐え切れず、涙が一筋落ちた。
本気で楽しみにしてたのにな。今日は試合時間被って無かったのにな。なんだってこんなにダメなんだろう。

「…あぁーあ……」

ずび、と涙を拭いながら体を起こす。
穏やかな風に乗って、外からの声援の声が聞こえてきて、息を吐いた。

「平和だなぁ……」

大倶利伽羅君の試合が見れていない事は置いといても、こういう時間が私は好きだ。穏やかでいて、心の底から平和だと実感できる。大倶利伽羅君の試合が見れていない事は置いといて。

審神者の時も、よく縁側に座ってはこうして穏やかな時間に身を委ねていた。その度に、彼が迎えに来てくれるのだ。
呆れた様な、またかっていう様な視線と共に、うたた寝をしてしまう私を、彼はとても、とても優しい声で。

「いるか」
「………えっ?」

とても優しく、起こしにきてくれるのだ。
そう、今のように。

「お、大倶利伽羅君?どうしたの?怪我したの?」

唐突に表れた大倶利伽羅君はもう試合は終わったらしい。いつもの制服姿で現れた。

「…倒れたと」
「あっ、そんな大層な事じゃないよ。単純に顔面でボールをゲットしちゃっただけというか、そのまま倒れこんじゃったというか。それだけ」

我ながら美しい顔面キャッチだったと思う。誰かムービー取ってないだろうかと思うほど。

「…もしかしてお見舞いに来てくれたとか?」
「委員会として、帰る前に確認だ」
「なるほどー…」

いや、別に残念がってないですよ。大丈夫大丈夫。どんな理由であれ、彼が会いに来てくれた事だけで、もう私はかなり舞い上がっているよ。

「所で私が抜けた後の試合はどうだった?大丈夫だった?」
「問題ない」
「だろうなぁ」

そもそも、運動神経ゴミな私は補欠で全く問題ないのだ。一回は試合に出なくてはならぬという規定により出させてもらったけれど。次からは出たくないというのが本音だ。
ううん、応援は楽しいんだけどな。

「……大倶利伽羅君の試合はどうだった?」

なんとなく、聞くのが怖かった。あれだけ観に行くからと言っていたのに行けていない事も勿論だが、それ以上に彼の試合の姿を見れないというのを現実で受け止めるのが怖かった。

「勝った。明日また試合だ」
「そっかぁ、明日もまた……。また!?」

驚いた。驚きすぎて言葉が出ない。そんな私に引き気味で大倶利伽羅君は、呆れた眼差しを向けてくる。

「当然だろう…。球技大会は三日間ある」
「そっかぁ…そっかそっか。そうなんだぁ」

じゃあまた明日大倶利伽羅君の試合が見れるかもしれないのか。いや、絶対見る。決めた。
じわじわと喜びが溢れ、にんまりと口角が上がってくる。

「嬉しい。ありがとう、生きる希望が湧いた」
「何の話だ…」
「あぁ、そっか。大倶利伽羅君の試合が見れるんだ。嬉しい、本当に嬉しい。今日の試合勝ってくれてありがとう。すごくすごく嬉しい」
「………」
「正直絶望の淵に立っていたけれどやっぱり絶望の後には希望が来るものだね。あ、所でもう帰りの学活はやった?私の体調も復活したから帰ろうと思うのだけれど」

大倶利伽羅君がげんなりした視線を送ってくる。
その視線の意味はきっと「なんでそんないきなり元気になっているんだ」だろう。うんうん、とても分かりやすい。可愛いね。

「もう放課後の時間だ」
「そう。じゃあ着替えに戻ろうかな」

ようしょ、とベッドから出る。
あぁ、体操着が鼻血で汚れている。こりゃ手洗いしなきゃいけないやつだ。

「あ、ごめんね大倶利伽羅君。汚いよね、すぐ着替えるからって、うわっ」

ばさり。視界を何かが覆う。余りにも唐突の出来事に、それが彼が着ているカーディガンだという事に気付くのに時間が掛かってしまった。

「ど、どうしたの大倶利伽羅君、汚れちゃうよこれ。ダメだよ」
「着ろ」
「えぇ……」

困惑である。
しかし、もそりと視界が明るくなった時、真っ先に彼の苦虫を潰したような顔が見えて、そんな困惑もどこかへと吹っ飛んだ。

「どっ、どうしたの大倶利伽羅君!あ、よ、汚れてるから?待って待って、すぐに脱いで着替えるから、着替えるから、そんな苦しい表情は止めて…」

オロオロと、我ながら呆れるくらいの困惑っぷりだったろう。それでも、理由も分からず彼のそんな表情、見ていられなかった。

「大倶利伽羅君、何か私が嫌な事をしてしまったのなら言ってほしい。絶対に、必ず治すから。だから、何がそんなに苦しいのか、教えて…」

彼の表情は変わらない。苦しくてたまらないといったそれを、私の血で汚れた胸元に向けている。

「…これ。血が、原因?」

もう乾き、黒く汚れた鼻血の跡。言わなければ血だともわからないかもしれない。それでも彼は、私の言葉を肯定するように視線をそこから逃がした。

「…アンタも、いつか死ぬのか」
「………え?」

目を見開いて愕然とした。
今、彼はなんて言ったか。
アンタ「も」と。そう言ったのか。
だって、彼は、何も覚えていないんじゃないのか。そうじゃないと、その言葉は。

「お、大倶利伽羅君、貴方……」

何を覚えているの。
そう言いかけて口を閉じた。彼の表情を、見てしまったからだ。
いつも以上に眉間に皺を寄せ目を伏せている、苦しくて苦しくて仕方がないという顔。

違う。
直感的に思う。
彼は覚えているわけでは無い。重ねているのだ。私と、私を重ねている。無意識のうちに、重ねている。

審神者の終わり。本丸の最後。私は、血反吐を吐いて死んだ。
それを彼は、本能的に覚えている。覚えていてしまっている。訳の分からない焦燥感と、苦しみと共に。

「あぁ……」

息が漏れた。
これだからこの世は嫌いだよ。何でこんなことをするんだ。彼が苦しむ事を、何故、何故。彼が苦しむくらいならこの世界なんて滅んでしまえばいいのに。無くなってしまえばいいのに。

「ただ、幸せになって欲しいだけなのになぁ…」

覚えていないなら、全てを覚えていないで欲しかった。全てを忘れて、幸せになって欲しかった。審神者なんて知らなくていい。刀剣男士なんて覚えていなくていい。ただ、今この時を幸せに生きてほしいのに。どうして、どうして。

「…大倶利伽羅君」

覚えていなのに、知っている大倶利伽羅君。
そんな彼に、私はなんて言葉をかけるべきなんだろう。少しでも、彼の足が穏やかな道へと進む言葉は、なんだろうか。
ゆっくりと考えながら、口を開いた。

「…ごめんね、大倶利伽羅君。私ね、人間なんだ」

彼の目があげられる。揺れる金の双眸が、私を捉えた。

「だから必ず、いつか死ぬの」
「……」
「私だけじゃない。大倶利伽羅君だって…、……考えたくないけれど、いつかは。……本当に考えたくないけれど」

自分で嫌になることを考えてしまった。大倶利伽羅君が居なくなる時なんて、そんなの想像すらしたくない。
きっと私は正真正銘、生きていけない廃人になるんだろうな。
どろりと胸の中に出来た重みを取り除くように、明るい声をだして顔を上げた。

「でも、それは今じゃないよ。大倶利伽羅君の言う通り、いつかではあるけどね」
「……」
「だってまだ十代だよ?私、何もしていない。大倶利伽羅君の卒業した姿も成人した姿も、おじいちゃんになった姿も、何も何も。…何もしてないし、見てないもの」

できる事なら、彼をまた看取りたい。そして今度こそ、穏やかな死を迎えてくれると良い。あんな、ぐちゃぐちゃでどろどろとした終わりなんて、絶対に迎えさせたくない。

「だから大倶利伽羅君。きっと、大丈夫だよ。私、長生きするから」
「…軽いな」
「なんと。これでも無い頭をこねくり回した結果の言葉だよ。大倶利伽羅君が笑ってくれますようにって願いを込めてね」
「………」
「うわっ、すごい馬鹿にした視線だ。良くないよそういうの。もう、見てなって。絶対大倶利伽羅君よりも長生きしてやるんだから」

とりあえず健康的な生活を始めるところから始めようかな。
一人健康生活計画を頭の中で考えていると、大倶利伽羅君が小さくため息を吐きだした。

「…アンタ、馬鹿だな……」
「視線だけにとどまらず直接言うとは。中々心を抉るのが上手だね」
「事実だ」

だが、それでいい。
それだけ言って、大倶利伽羅君は保健室を後にした。私は彼のお眼鏡にかなう言葉を言えたのだろうか。慌ててその姿を追って、隣に並ぶ。

「…ね、ね、大倶利伽羅君」

彼の視線だけがこちらを向く。その瞳の色が、常の穏やかなものになっているのを見て、ゆっくりと笑った。

「私がおばあちゃんになった時、大倶利伽羅君もおじいちゃんだね」
「…当たり前だろう」
「うん。でもなんだかね、それがすごく嬉しいんだ」

共に年を取ることが大事だとは思わない。
刀だろうが、人だろうが、私は変わることなく大倶利伽羅君を愛しているのだから。
それでも、穏やかに過ぎる時をこうして、共に進めることは存外、嬉しくてくすぐったいものだった。

「なんだか不思議な話をしてしまったね。大倶利伽羅君、カーディガンありがとう。大人しく借りるよ」

胸元で抱えていたカーディガンをもそもそと着る。大倶利伽羅君の大きいカーディガンは、胸元の血を隠すには少し心許ない気がするが、隣の彼が満足気になったので良しとしよう。

「大倶利伽羅君のカーディガン、やっぱり大きいね」
「アンタ、小さいな」
「女子の理想的な身長だって言ってくれないかな。うっ、ていうか何かいい匂いする……。ぬ、脱いでいい?落ち着かない……」
「着ていろ」
「はぁい」

ちろりと、隣を見る。
カーディガンを脱いだ事で、彼の白いシャツがあらわになっていた。

大倶利伽羅君は腕を出さない。体操着の時でも常に長袖を着ているし、じわじわ暑くなってきているのにずっとカーディガンを着ている。それも常に大きいサイズの萌え袖だ。

きっと、大倶利伽羅君は「あれ」を見せたくないからなんだろうなぁ。

大倶利伽羅君を大倶利伽羅君たらしめる「あれ」が、今世の彼は好きではないらしかった。残念なような、分かるような。

「じゃあ着替えてくるけど。大倶利伽羅君、カーディガン洗って返すから、先に帰っちゃって全然平気だよ。ありがとう、また明日ね」
「今返せ」
「えっ、いやでも、血付いちゃってるかもだし、何より汚い体操着の上から着たから…」

大倶利伽羅君が返せと言う理由は分かる。
普段からブレザーを着ていない為、カーディガンが無いと彼の「あれ」を隠せるものが無いからだろう。
しかしそれでも、今彼のカーディガンには土や埃がたくさんついてしまってる。そんな状態のものを返すわけにはいかない。

「必要ない。返せ」
「うえぇ、でもなぁ…」
逡巡するように目を伏せてから、あ、と思いつく。むしろ何故思いつかなかったのか。

「大倶利伽羅君、やっぱり待ってて貰っていい?すぐ着替えてくるからさ」
「おい」
「ごめんね、待っててね」

制止する声を聞かずに、更衣室へと走る。放課後ということもあって誰もいないそこで、バッと着替えて、バッと教室へと戻る。
この間わずか三分。我ながら頑張った。

「お待たせ!」
「…早いな」
「大倶利伽羅君が待ってると思うとね。はい、これ」
相手に差し出したのは私が普段着ているパーカーだ。私も大倶利伽羅君と同じでダボッとしたのが好きなので、常にLサイズ。きっと彼も着れるだろう。

「何の真似だ」
「今日、私はこのカーディガンを持って帰らせてもらっちゃうからこのパーカーを贈呈します。着て帰ってくれると嬉しいな」

私はどうしてもこのカーディガンを洗って返したい。大倶利伽羅君は何かを着て帰りたい。
それなら私のパーカーを貸せばいい。これぞウィンウィン。

「いやぁ、無難なグレーにしておいてよかった。最初ショッキングピンクもありかなって思ってたんだ」

ショッキングピンクと言った時の大倶利伽羅君の表情の凄さといったら。大倶利伽羅君がしていい表情じゃないよ。やめておいて良かった。

「じゃあ帰ろっか。お待たせしました」

大倶利伽羅君は大人しくパーカーを着るとすぐに教室を出た。少し小走りで追いつくと、窓から夕日の光がちかりと光る。

「いい天気だね。これは明日も晴れますなぁ」
「…何も聞かないのか」

腕。見ただろう。

そう言われ、先程シャツの袖から見えた「アレ」を思う。

彼の腕には龍がいる。それは刀の時からだったが、人の時も何も変わら無かったらしい。ワイシャツの袖から見えた、褐色よりも濃い色のそれは正しく龍の尻尾に違いなかった。

「そうだね…気にならないと言えば嘘になるけれど…」
「……」
「私はどうしても大倶利伽羅君の白ワイシャツのかっこよさに目が行ってしまって。こんなにもワイシャツに興奮したのは初めてだった」
「気持ち悪いな……」
「否定はしないけどね。そうやって私を気持ち悪くさせる大倶利伽羅君にも原因があるよ。だって魅力的過ぎるもの」

普段、上着で隠されたシャツが見えた時の興奮具合と言ったら!
出来れば夏は毎日シャツ着てくれないかなぁと思うけれど、きっと無理なのだろう。だからあのワイシャツ姿の大倶利伽羅君は最早レア中のレア、SSRというやつだろう。
いやぁ、いいもん見た。

「あぁ、でも、いつか。…いつかだよ」

スニーカーを履いて外に出る。燃えるほどの赤が、地面を染めている。

「いつか、話せる時が来たら聞かせ欲しいな。大倶利伽羅君の事。…本当に、いつかでいいんだ。いっそ来なくても良いしね。なんとなく、大倶利伽羅君が話したいと思った時に話してくれれば、それで良いの」

もし、これから先、遠い未来も大倶利伽羅君と共にあれるなら、そのいつかの瞬間で話してくれると良い。彼が話したいと思った時、そこに私がいたら話してほしい。彼の事を、彼の口からききたかった。

「いつかの話だけどね」
「…アンタのいつかは、ずっと来なさそうだな」
「大倶利伽羅君に関してだけはそんな事無いって言えるよ」

ニッと笑うと、彼は何とも言えない表情を向けた。

「さて、今日は晴れてるからここまでで大丈夫だよ。明日のバスケ、楽しみにしてるね」

駅に向かう道と、私の家に向かう道。別れた2つの道の前に立つ。

「大倶利伽羅君、また明日ね」
「…あぁ」

こちらに背を向けて歩き出したその姿を見て、胸元がきゅう、となる。彼とのお別れを考えるといつもそうだ。
どうにも、私は別れというのが苦手すぎるらしい。

それもこれも、きっと私の死に際に原因があるのだろう。

崩れていく本丸。体から溢れる血の止まらない体。
どれもこれも、嫌になるほど身に染みたものだ。まぁ、それは結局前世の私だからね。気にすることはそんなに無いけれど。

それでも、大倶利伽羅君に「また明日ね」を言える世界は、素敵だけど、それ以上に苦しくなる。嬉し過ぎて、苦しい。
結局私は、彼の背が見えなくなるまで、その場から動けなかった。

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