雨のち晴れ、そして虹_5 | ナノ

雨が降ると思い出す。
雨音が心臓がどくどくと嫌な音をさせて、全てを思い出させる。

…傷なんて、どこにもありはしないのにね。

:::



雨だ。
放課後の教室。クラスメイトの誰かの声に、ふと外へと視線を向ける。確かにそこには音もなく静かに白糸が空から落ちてきていた。

「大倶利伽羅君、大倶利伽羅君。雨だって。傘もってきてる?」
「置き傘がある」
「なら良かった。気を付けて帰ってね」
「…アンタは」
「私?私も傘ならあるよ。それにほら、今日は日直の仕事があるから。その間に止むかも」
大倶利伽羅君の帰っていく姿を見送り、その背が見えなくなった辺りで息を吐く。
窓の外からは、相変わらずしとしとと雨が降ってきている。暫く止みそうに無いその空に、方が落ちた。

「雨かぁ……」
やがて誰もいなくなった教室の中、自分の声だけが響く。
雨は、好きじゃない。もっとはっきり言えば、嫌いだ。

……―――泣くな。

あぁ、もう。唇を噛む。頭の中に聞こえた声は随分鮮明で、それでいて、酷く、酷く。

「これだから雨は嫌いなんだ」
吐き捨てる様に落とされた言葉は、雨に染みて消えた。



日直の日誌を書き終わり、仕事を終えても雨は止まなかった。それどころか酷くなっている。嘘だろジョニー。
下駄箱から空を見上げる。雨粒は確実に大きくなっているし、どんよりとした曇り空は夜の闇と相まって最早黒い。

「やだなぁ」
「何がだ」
「そりゃ雨が……って、え?」
ぱちぱち。右から聞こえた声に、思わず私の思考は停止した。

「……なんて顔をしている」
「いや、だって、えっ、お、大倶利伽羅君……?!」
それ以外に何が見える。まるでそう言いたげな表情を向けているのは、間違いなく大倶利伽羅だ。

「だ、っ、え……帰ったんじゃ……?あっ!実は傘が無かったとか?言ってくれればすぐに貸したのに!寒かったでしょ、なんで教室に来ないいの!」
「静かにしろ」
「ウッ」
ドスン。手刀が落ちる。中々の威力。流石大倶利伽羅君、容赦ない。

「…月曜からの球技大会の準備を手伝わされていただけだ」
「えぇ、それこそ言ってくれれば日誌なんて5秒で書き終えて手伝いに行ったのに!」
「しっかり書け」
「勿論しっかり書いた上で手伝いに行ったよ」
大倶利伽羅君は一つだけため息を吐きながら、傘を広げる。バツンと、大きめの黒い傘が視界を埋める頃、彼の金がこちらを向いた。

「…帰るぞ」
「…………もしかして私と?」
「アンタ以外に誰がいる……」
呆れ混じりのその返答に、ぶわっと喜びが溢れてくる。

「あ、ありがとう…嬉しい、大倶利伽羅君と帰れるなんて夢みたい。いや寧ろ夢じゃないかな……」
「アンタは一々大袈裟すぎる」
「いや、本当なんだよ。だって私、ずっと貴方と一緒に帰ってみたかったから」
ずっとずっと昔。それこそ審神者になりたての時。本丸の中で迷子になった事があった。気付くと裏の森に入っていたらしい。
鬱蒼とした木々の中、疲れと恐れからその場にへたりこんでしまった私を見つけてくれたのは彼だった。

……―――帰るぞ。

怒ることも、何かを言うこともなく、ただそう言って前をスタスタと歩く背中に、お礼もまともに言えなかった。

「こうして隣を歩けるって、なんだか奇跡みたい……」
彼の隣に立って、こうして歩いている。
それは一体、どれほど凄いことだろう。大倶利伽羅君は度々大袈裟だと言うけれど、私にとっては本当に凄いことだ。審神者の時からずっとずっと、彼の隣に立って一緒に歩いてみたかった。

「あのね大倶利伽羅君。私、雨って好きじゃなかったんだ」
「……意外だな」
「お?好きそうだと思った?」
「何でも考えなしに好きだと言うと思っていた」
「ンンン〜〜褒められたと思っておこうかな」
外に出ると傘の上に雨の感覚が当たる。大粒のそれは、寒さと共に大倶利伽羅君の穏やかな声も持っていく。

「でも今日、大倶利伽羅君が一緒に帰ってくれてるから好きになった。大倶利伽羅君のお陰ですなぁ」
「…単純だな」
「私の基本的な思考回路は大倶利伽羅君で出来てるって知らなかった?」
「知りたくなかったな」
それからぽつぽつと、たわいもない話を一つ二つ。明日の数学のテストの内容やら、英語の単語の話やらなにやら。

「あっ、私こっちなんだ。ここまでありがとう。一緒に帰れて嬉しかったよ」
二つに別れる道の前。自宅に続く家の方を指さすと大倶利伽羅君は「そうか」とだけ告げて、当たり前のように私が指さした方を歩き出した。慌てたのはこちらだ。

「まっ、待って。大倶利伽羅君駅でしょ?そっちだと逆方向で」
「知っている」
それ以上、大倶利伽羅君は何も言わなかった。だから私は勝手に仮説を立てるしか無くなってしまう。それも、酷く自分に都合のいい仮説を。

「お、大倶利伽羅君はどちらまで……?」
それでもやはり答え合わせは大倶利伽羅君としなくては分からない。彼は視線をこちらに向けた。

「……暗い。送る」
「…………えっ!?」
濡れちゃうよ、申し訳ない、それにもう暗いから、幾ら大倶利伽羅君と言えど危ないから。
言いたい言葉は沢山沢山ある。ある、のに、私の喉は何も声を発すること無く閉じてしまった。

「…おい、早く来い」
「大倶利伽羅君の優しさに胸が苦しすぎるのでちょっと待って……」
へなへなとどうにか彼の隣に立って歩き出す。大倶利伽羅君のこういう唐突すぎる優しさは私を度々殺す。

「今日いい日すぎるよ…。良い事ありすぎて罰が当たりそう……」
「本当に大袈裟だな…」
「一切誇張せず本気でそう思ってるよ。大倶利伽羅君はもう少し自分の発言がどれほど人を幸せにするのかを自覚した方が良いと思う」
たった一言で人の気持ちを容易く上げる。こんな人がいるだろうか。いや、以前は刀だったとしても。

「だからその分、大倶利伽羅君は幸せにならなきゃダメだよ」
彼は何も言わない。雨の音と、自分の声だけが聞こえた。

「貴方は人をこれだけ幸せにしてるんだもん。その分だけ幸せにならなきゃダメだよ」
これほどの幸せを撒き散らす人が、自分は幸せにならないなんてどんな冗談だろう。

「あ、いや、大倶利伽羅君はもう十分幸せなのかもしれないけど、それよりももっと更にというか、なんというか……」
慌てて取り繕うように言うが、彼はさほど気にしないような声色を響かせた。

「……初めて言われたな」
「私も初めて言った。こんなに心の底から幸せを望む人、初めて」
いや、刀の時から幸せは願っていたけれど。

「それだけ、大倶利伽羅君が魅力的な人って事だよね。さて、ここまでで本当に大丈夫。ここなの、家」
ひとつの家の前。相手に頭を下げると、彼は何も言わずにこちらに背を向けた。

「大倶利伽羅君、また明日!」
叫んだ声は、とどいたのだろうか。彼の脚は止まることなく、雨の中に消えていった。


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