シザンザスを送る5 | ナノ



息が出来ない。まるでそうしたら何かがおわるとわかっているかのように俺の体は呼吸を、というよりも何か音を立てる事を拒否している。首後ろに冷たい汗が滴る。

原因は単純だ。目の前の一振りの刀剣男士、先ほど一瞬剣を交えた大倶利伽羅だ。両腕を下げ、構えを解いたまま動かない。顔は伏せられていて、さっき見えた鋭い眼光は見えない。今、相手が構えていない上に、微動だにしない最大の機会だとわかっているのに、体は動かす事ができない。まるで自分の体ではないようだ。

ふらりと刀を持っていない方の片腕が上がる。その緩慢な動きすら、こちらの動きを制限させる。じり、と足裏を動かしたのは、少しでも動かさないと、次くる動きに反応できないと、本能が告げたからだ。
相手は上げた片腕で顔を覆うと、苦しそうに声をあげる。呻くように背を丸めて、地を這うような声をあげた。

「ソイツに何をした」

ゆらりと、呻く声が形を伴ってこちらに向かう。遠くから雷鳴が響きだした気がする。恐らく、気のせいではない。
ドッ、と心臓が高鳴る。今、感じるこれは、明らかな恐怖だ。
この本丸という空間のぬしはあくまでも俺の主だ。だというのに、雷鳴?
他者の本丸の天候に影響を齎すほどの、この溢れ出る霊力はなんだ。それは、そんなことが出来たらそれは、もう。

「ソイツに…」
雨が降ってきている。それも小雨という可愛らしいものではない、嵐だ。

「何をした!!」

叫びと雷鳴が木霊する。
そのまま踏み込まれ、咄嗟に対応する。そこでようやく自分の肺に酸素が戻ってきたが、そこに喜びを覚えられるほど状況は平和ではない。

ぎりぎりと押されていく自分の力を嫌というほど感じていると、いきなり視界が暗転する。布を掴んで床に引き倒されたのだと気づくのは、しばらくたってからだ。
金の双瞳がこちらを見ながら、にたりと笑った気がした。

「まだ死ぬなよ」

途端に走る肩の痛み。それから浅く浅く、死なないように痛みが立て続けに襲ってくる。肩、腕、足。それから腕をぐりん、と掴まれた。何を、と思うよりも早く、ボキリと嫌な音が響いた。

「うぐ、あぁ!!!」
このままでは折れる。

脳裏に走った折れる、の三文字。それだけはダメだ。折れてはダメだ。
俺がいなくなったら、主は、主は、俺は。

「主っ…!」
「国広」

は、と奥の襖の向こうを見た。先程俺が投げ入れた奥の部屋に、主は立っていた。俺を馬乗りにしている相手もその声に驚いたように、そちらを凝視している。

聞き馴染みのある、暖かな声。その声を嫌いじゃないと言ったら、アンタ笑ってたな。照れくさそうに、俺も国広の声嫌いじゃない、なんて恥ずかしいこと言うものだから二人して笑った事を、場違いにも思い出した。そう、その声は確かに、俺に常に安堵を与えていた。

「国広っ…!」

なのに今はもう、見る影もなく悲しみに暮れた声が部屋に響く。

ただ、平和を願っただけだったのに。
また、共に笑いたかっただけなのに。

「もう、無理だ…」

一緒に歩みたかっただけだったのに。
小さな幸せを、願っただけなのに。

俺達、どこで間違えたんだろうな。

「ごめんなぁ、国広…」

黒く、汚く、細く腐りはてた腕。
片目の眼球はすっぽりとなくなり、虚を表している。だというのに、その瞳からは止まらない涙。
もう、元の姿がわからないほどになってしまった彼は、唯一人、この地獄で綺麗な涙を流している。

奥の部屋から、ぽろぽろと涙を溢れさせてきた主の片手には、折れた刀の刃が持たれていた。お陰で掌から血が流れているのにも関わらず、その刀を胸元で力強く握りしめた。

それから、ゆっくりとその刀を、自分の首元に向けて―
「やめろ!!!!」

誰かの叫びが、部屋に響いた。


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