一人と一振り、ひとりぼっち | ナノ


陽の光が目に染みて、じんわり瞳を開いた。
寝返りを打って光の差し込んだ方を見ると、襖が少しだけ開いてるのがわかる。昨日、閉め忘れてしまったのだろうか。眩しいとは思っても、布団から出ようとは思わない。光から背を向けるように寝返りをうてば、今度は別の物が目に入った。

「…おはよ…」

ぽそりと呟くと、隣で同じように眠る相手の腕がゆるく女の頬を撫でる。柔らかく触れるくすぐったさに、少しだけ身を捩るけれど、相手の瞳は、本来の半分も開いていない。

「まだ寝る?」
「…あぁ……」

質問に答えて、またすぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。頬を撫でていた男の手に、自身のそれを重ねる。体温のあまり高くない、無骨な掌。
じっと相手の綺麗な顔を見つめていると、いつの間にかふっと息が漏れた。いつからこんな風に一緒に寝てくれるようになったんだったか。初めの頃の大倶利伽羅を思い出して、喉の奥で笑う。
まだ布団から出ないでいようかと思ったが、そろそろお腹が空いてしまった事が分かる。相手を起こさぬよう慎重に布団から出ようと、上半身が出た所で相手が体を動かした。起こしてしまったかと、思わず体が固まるが、どうやらまだ寝てるらしい。こちらに背を向けるように寝返りを打って、再び部屋は静寂に包まれる。
相手が起きなかったことに安堵しながら廊下に出れば、肌寒さに肩が震えた。春になったとはいえ、まだ風は寒いものだ。見上げた空には、雲一つ無い。

キシリキシリ、と床を鳴らしながら歩く音がやけに響く。厨まで来たところで、誰かがいる訳もなく穏やかな空気だけが辺りに漂っていた。

「……」

今日の朝ごはんは何にしようか。冷蔵庫を開けた所で、あるものは卵くらい。あとはご飯。業務用の大きすぎる冷蔵庫だと言うのに、中身のこのスッカラカンさは大変だ。そろそろ買い物に行かなければ。

「あっ、ウインナーもある」

玉子2つとウインナーを取り出して冷蔵庫を閉じる。お湯を沸かして、お揃いのコップを二つ。その間にフライパンに卵とウインナーを同時に焼けば、簡単な朝ごはんは出来上がる。

「2人分なら楽ですねーっと」

じゅう、と焼ける音と匂いが辺りに広がる。そのうちお湯が沸く音も聞こえて来た時、唐突に肩に体重を感じた。

「おはよ、大倶利伽羅。今日はいい天気だね」
「……」

ぐりぐりと肩に相手の髪が押し付けられる。結構擽ったい。猫っ毛がフワリと揺れた。

「ほら、出来たよ。テーブル座ってて」
「…ケチャップ」
「醤油」
「邪道だ」
「相当王道ですけど」

あん?やんのかゴラ。お互いに睨み合ううちに、やかんがピューと音を立てた。

「ほら、いいから座って。ケチャップも取るから」

背を押してテーブルに座らせる。テーブルなんて言っても、2人分しか載せられない小さなものだ。
大倶利伽羅は緑茶。女はコーヒー。それぞれの好きなものがはいったコップを持ってテーブルに座る。いただきますをすれば、緩やかな朝が始まる。

「今日買い物に行きたいんだ」
「もう無いのか」
「うん。そろそろ、っていうかこの朝ごはんで最後なの。ヤバくない?」
「ヤバイな」
「でしょ?」

2人分の買い物ならそんなに時間はかからない。きっと午前中で終わるから、お昼は外食してもいいかも。たまには美味しいランチデートとか。頭の中でぽんぽんと考えてるうちに、気付くと朝ごはんは空になっていた。

「明日は掃除したいなぁ。そろそろ埃が凄そう」
「奥の方か」
「そうそう。でもさすがに2人でこの本丸の広さの掃除は厳しいよね」
「誰か呼べばいい」
「いやさすがにそんな事の為には…。うーん、やっぱり少しずつやってこ」

2人で水場に立ち皿を洗う。女がスポンジ、大倶利伽羅が水で流して拭く係。1度逆にしたら、大倶利伽羅が力加減を間違えて皿を割った為、最近はずっとこのポジションだ。キュッ、と水場も皿も全部拭けば、時刻は9時を過ぎていた。

「じゃあちょっと支度してくるね。テレビでも見て待ってて」
「…おい」

先に厨を出ようとした女の背に、大倶利伽羅の声がかかる。なに、と振り返った所に、既に大倶利伽羅の顔があった。
咄嗟に目を瞑ると、ちゅ、なんて可愛らしい音を立てるのが耳についた。それから頭をゆるりと撫でる感覚。

「…続きは、夜だ」

それだけ言って、大倶利伽羅は出ていった。撫でられた頭を抑えてその背を見つめても、早く大きい胸の高鳴りは止まらない。何たってあんなにもかっこいいのか。何たってあんなに全てが様になるのか。最早疑問を呈したい。いつだって、大倶利伽羅の愛は唐突だ。それが嬉しくもあり恥ずかしくもあり。

「……どれだけ経っても慣れない…」

二人暮らしの本丸に、小さな声が落とされた。



:::



「大倶利伽羅、お待たせ」

支度を終えたのは、あれから1時間後だった。大倶利伽羅は既に玄関で待っており、こちらに向けて切れ長の視線だけを向ける。

「遅い」
「えぇ。そこは今来たところだ、とか言ってくれるところじゃないの」
「は?」
「アッごめんごめん、遅くなりました。お待たせして申し訳ありません」

スカートを翻してヒールを履く。そんなに高くなくて、足が痛くならない程度の履きなれた物。大倶利伽羅とのデートの時はだいたいこれだ。初めて出かけた時に、ヒールの高い物を履いて足が痛くなり、最後におんぶしてもらったのは忘れがたい思い出だ。

「ん、行こっか」

玄関の鍵を閉めた所で、するりと掌が握られて、思わずにやつく顔を抑えながら、隣を歩く。背がそれほど高くない女は、大倶利伽羅を見上げる事しかできない。それでも、たまにこちらを見てくれる視線と絡み合うのが嬉しくてたまらない。

「へへ…なんかいいね、こういうの」
「アンタ、いつもそう言うな」
「そうだっけ。でも嬉しい」

街へ行くための門を潜れば、そこはもう人だかりの多い商店街だ。古き良き日本を基調とした、木目の街。ここへ来る度に火事が起きたら大変そうだな、なんて思ってしまう。

「まずは八百屋行ってー、その後に雑貨屋でしょ。そしたらお昼食べたりとかしたい」
「食べれるか」

その言葉にぱちくりと隣を見上げる。こちらを見る事なく告げられた言葉の真意は、およそ女には理解できない。できない、が、察する事は出来る。それでも、気付かぬフリをして前を向いた。

「うん。外で食べたい気分なんだ」

そう返せば「そうか」とだけ言って、隣の刀はそれ以上何も言わなかった。人の雑踏が、女と大倶利伽羅を追い抜いていく。その速さに追いつかないようにゆっくりと歩みを進めれば、まるで世界に置いていかれた様だ。どうせ置いていくならば、そのまま捨て置いてくれれば良いものを。

「お昼、何食べたい?」
「…オムライス」

その返答に、声を上げる。

「私と一緒!」

握られた掌の熱が、やけに遠くに感じた。
昼前の、穏やかな陽気の時だった。



:::



どさりと、玄関先で荷物を置く。幾らもう食材が無いからと言ってもこれは買いすぎた。2人で消費する量では無い。

「でもまぁ、これで暫く買い物に行かないで済むね」

私よりも倍くらいの荷物を持った大倶利伽羅が、となりで疲れた声で返事をする。それに申し訳なく思いながら、荷物を再び持つ。ううん、やっぱり酒を買いすぎた。

「こんなに飲まないのにねぇ。全部飲み切れるかな…」
「別に。どうとでもなるだろう」

厨へと荷物を置きに行く大倶利伽羅の背を追いかける。大倶利伽羅はああ言ったけれど、私も大倶利伽羅も酒は弱い方だ。ここで唯一強かった日の本の槍はもう居ない。いや、多少でも酒が飲める面子だって、もう、居ない。

「つい癖で買っちゃうんだよね…」

厨につき、荷物を冷蔵庫に閉まっていく。やがて冷蔵庫に粗方の食材が入り切る頃、もう二人揃って疲れていた。

「はー、インドア派がたまに運動すると疲れる…」
「もっと体力つけたらどうだ」
「大倶利伽羅も疲れてるの知ってるからね。休憩しよ、お茶飲もうよ」

立ち上がり、棚からお茶っ葉と湯呑みを2つ取り出す。その間に大倶利伽羅はお湯を沸かしてくれるらしく、やかんを出す姿が見えた。

「これってさ、茶柱ってどうやって立つんだろうね」
「……さあな」
「私も大倶利伽羅も立たないよね。うーん、何かコツがあるのかなぁ」

よく茶柱を立ててのんびりと茶を飲んでいた鳥の刀の事を思い出す。同じ茶葉でいれてるのに彼がいれてくれた茶と同じにはならない。

「お茶も奥が深いんだなぁ」
「茶請けも無いからな」

その言葉に納得する。確かに、彼と茶を飲む時は大抵美味しい茶請けがあったものだ。練り切りや洋菓子、種類は様々だったけれど、不思議とお茶と合っていた。

「今度何か作ってみよっか」
「……大丈夫か」
「失礼過ぎない?そんな真剣なトーンで言わなくても良くない?ねえ、ちょっと」

確かにこの本丸が始まった当初は色んなものを焼きましたとも。爆発させましたとも。でも今はそんなこと無い…、……とは言い切れないのが悲しい。

「本丸は焼かないようにするよ……」
「そうしてくれ」

言いながら大倶利伽羅は立ち上がる。どこ行くのかと尋ねれば「便所」との一言。端的かつわかりやすいお言葉ありがとうございます。彼の背を見送って、ゆっくりと残りのお茶を呑む。
カチコチと時計の音だけが響く部屋の中、うたた寝の睡魔がじんわりと覆いかぶさってくるのが分かる。ちょっとくらいなら昼寝してもいいか、なんて。両腕を枕にして眠る体勢に入って目を瞑ると、ふんわりと、柔らかい風が部屋に入ってくるのを感じた。とろとろと眠気が体を覆ってくる。

……―――そんな所で寝ると、風邪を引いてしまうよ。

風と共に誰かの声が聞こえる。誰だっけ。酷く懐かしい。ずっと、隣に居てくれた気がする。ずっと、隣で、支えてくれていた気が。

………――主。

あぁ。そうだそうだ。貴女の声だ、思い出した。貴方の声はとっても聴きやすくて、私、貴方の声、好きだったな。私が変な所で寝る度に見つけてくれて、優しく抱えてくれる。呆れながら、一言だけ文句をいいながら。「まったく」って言いながら、私の方を優しく見るの。

…………――ちゃんと、部屋に戻るんだ。

大丈夫。だって、最後には貴方が優しく、抱き抱えて部屋まで連れてってくれるから。ねぇ。そうでしょう。

……―――まったく。

ほら、やっぱり。

………―――どうか、元気で。

……連れてってくれないの?

…―それはもう、僕の役目じゃないよ。

すい、と誰かが私の頭を撫でた、気が、した。愛しいものを触るようなそれに、胸がこそばゆくなるのがわかる。その手を握りたいのに、私の体は何も動かない。




……―――さようならだ。主。




「………………はちすか?」

ぱちりと、目が覚めた。体を起こすと肩にかけられていた毛布が落ちる。

「目が覚めたか」
「…大倶利伽羅……?」

どうやらあのままテーブルの上で随分と長いこと眠ってしまっていたらしい。窓からの光がじんわりと赤いのがわかる。でも、だけどそれよりも。

「……どうした」

大倶利伽羅が私の頬を撫でる。彼の指の背に、幾つもの雫が付く事で、自分が泣いているのだとわかる。
あぁ。そうかあれは夢か。ならば、あぁ、夢だというのに、なんて、なんて幸福な。

「っ、大倶利伽羅、大倶利伽羅……!」

喉から嗚咽が漏れる。ぼろぼろと涙を流し、それを止めることも無く両手で顔を覆って視界を遮った。

「なんで、なんで私なのかなぁ…!だって、ずっと、ずーっと、頑張って、なのに、こんな、こんなの…!!」

夢の中は彼の声しか聞こえなかった。もっとちゃんと聞いておけば良かった。もっと話したかった。顔が見たかった。抱きしめたかった…、……抱きしめて、欲しかった。

「…寂しいか」

ぽふりと、私の頭に温もりが乗る。先程よりも大分雑で、でも、同じ程の優しさがある手。ゆるりと、顔を上げた。

「…大倶利伽羅……」

金の双眸が揺れる。まるで、判決でも待つかのように。

「寂しくない、なんて言ったら、それは嘘になっちゃう…」

ぽろりと、最後の1滴が落ちる。でも、と続けた所で、彼の柔らかな髪が風に揺れた。

「私、今とても幸せなの。すごく、すごく。貴方といられる事が、こんなにも、こんなにも苦しくて、でも、それ以上に幸せなの」

初めは慣れない事だらけだった。元より大人数でやっていたことが唐突に2人に減ったのだ。大変で当然だった。それでも、彼におはようを言って、おやすみを言える日々は、余りにもしあわせで満ち足りている。

「逆に心配になっちゃうくらいで。こんなしあわせで、いいのかなって」

毎日たわいもない事で会話して、笑って、喧嘩して、買い物行って、ご飯食べて、そうして繰り返す日々はどこまでも平凡で、平坦だった。それでも、その日々は確かに、幸せと呼べるものに違いない。

「私、本当に、本当にしあわせだよ…」

噛み締めるように言えば、向こうは相も変わらず無表情でこちらを見つめた。それでも、その瞳の優しさとやわらかさを知っているから、何も言うことはない。

「ずっと、こんな日々が続けばいいのにね…」
「……そうだな」

相手の同意に、へにょりと笑った。幸せを噛み締めるのは、もう終わりだろう。

「もうご飯にしなきゃね。美味しいもの食べ」

よう。そう続けたかった言葉は、立ち上がるのと同時に消えた。ぐらりと、床が揺れたのだ。いや、きっと揺れたのは私自身。体が、地面に叩きつけられたのがわかる。
ぼやける視界の中、大倶利伽羅が何かを叫ぶ顔が見える。酷く焦っている様だ。泣きそう、にも、見える。やだなぁ、と、咄嗟に思った。大倶利伽羅には苦しい思いをさせたくない。…今更かもしれないけど。
視界が霞む。頭が働かない。瞼が重い。大倶利伽羅の顔が滲んでぼやけてくる。嫌だ、もっと貴方を見ていたい。嫌だよ。まるで、体が、地面に吸い込まれていくみたいだ。
やがて、私の世界は暗闇へと落ちた。



:::



初めに影響が出たのは審神者よりも刀の方だったのを、大倶利伽羅は良く覚えている。
ある日唐突に刀達は体が重たいという事を経験した。最初のうちは風邪だろうかと心配していた審神者も、体を起き上がらせる事も厳しくなってくるのを見て状態が最悪だと悟った。
だが、問題はこの先だった。
審神者にも影響が出始めたのだ。最初は頭痛。やがては熱。そのうちに床に伏せるようになり、最後には血を吐き、とうとう戦どころでは無くなってしまった。

日に日に酷くなっていく審神者の体調。重くなる己達の体。打開策の見つからぬ日々の中で、気持ちだけが、どうしようもなく急いていた。

それでも、この本丸が崩壊せずにギリギリで踏みとどまれていたのは、ひとえに初期刀の蜂須賀のおかげといえるだろう。
何とか動ける刃員で戦に行き、ノルマを達成し、食事を作り、計画を立てる。
今思っても、彼の心労は図り知れるものでは無かった。

そんなある日の事だ。

「…霊力の、枯渇……」

こんのすけから告げられた言葉は、酷く重く、そして床に伏せる審神者にものしかかった。

50振りが、この審神者の持てる限界の数という事らしい。守るべき筈の審神者を、主を、己達が増えた事で逆に傷付け、今も尚、熱と悪夢に苦しめている。

その時に初めて、蜂須賀は一筋だけ涙を零した。「なぜ」「どうして」と。50を超えても悠々と過ごしている審神者は数多く居る。それでも、自分達の主はそこが限界だった。
やがて審神者の霊力が底を尽きる時、刀達も全て消滅する。それはもう、遅かれ早かれ必ず起きる現象とつげられた。

「…私の限界はいつまで?」
「主…!」

審神者の問いかけに、蜂須賀が声を上げる。しかしそれでも、聞かなくてはならない事だ。誰かが、いつかは必ず聞いて現実を見なくてはならない。それがたまたま審神者本人だけだったこと。
こんのすけは、ゆっくりと首を下げた。

「このまま行けば、早くて1週間。もっても1ヶ月です」
「1ヶ月……」

ゆっくりと確かめる様に告げた言葉は、確かにそこにいる刀達に傷を付けた。わずかひと月。目の前の人間の命が、それだけしか持たないというのか。その事実は、余りにも重く、そして、鋭かった。

「主様、提案です。どうか審神者業をお辞めください。霊力の枯渇は直らない。このまま乾涸びるのを待つだけです。ですが、力を使わなければ枯渇するのをかなり遅らせる事は出来ます。これまでの功績から、かなりの優遇は出来るかと思いますので、どうか」
「それは本当かい?」

審神者よりも早く反応した蜂須賀に審神者から「待って」と声がかける。
審神者は賢かった。それこそ、1を聞いて10を知る程度には、賢かった。更に初期刀の蜂須賀だ。相手の考えてる事など、容易に分かる。

「力を使わないというのは、どれくらいまで落とせばいい?」
「蜂須賀、だめ」
「…護衛のための1振りが限界です」
「やめてよ…」
「そうか。それなら、充分だ」
「やめてってば!」
「主」

びくりと、審神者の肩が震えた。その目を見つめながら、優しく蜂須賀が頬を撫でる。それにすら怯えるように、審神者はゆるゆると首を振る。とうとう、審神者の大きな瞳から涙が零れた。

「君は、初めて会った時から変わらないね。泣き虫な所も、話を、聞かない所も」

大倶利伽羅は、ただ黙って蜂須賀の声を聞いた。聞かなくてはならないと、そう思ったからだ。

「…風邪なんて、引いちゃいけないよ。仕事は滞らせない事。夜は早く眠るんだ。お酒もほどほどにね。君はそこまで強くないのだから。大倶利伽羅と、仲良くね。彼が優しいからと言って、わがままばっかり言ってはダメだよ。あとお菓子も食べすぎちゃいけない。たまには運動もするんだ。それから、あぁ。それから…」

ゆっくりと、蜂須賀の顔が下がる。聞こえるのは、審神者の嗚咽だけ。
やがて、長くとも短くとも取れる時間の後、蜂須賀がゆっくりと、顔を上げた。

「…大倶利伽羅、後は頼むよ。皆には、僕から説明しておこう」
「はちすか…まって、ねえ、まって」
「主、僕の主。最期のこの瞬間を、君と過ごせた事、僕の中の最大の誉れだよ。皆に、自慢してしまいたいほどだ」
「やだ、やだ…!ねぇっ…!!!」
「生きてくれ、主」
「蜂須賀!!!」

すくりと蜂須賀が立ち上がると同時に、大倶利伽羅が審神者を押さえ込む。

「やだ!離して、離して大倶利伽羅!!」
「ダメだ」

こちらに一瞬だけ視線を向けて、今度こそ蜂須賀は歩き出した。腕の中で暴れる審神者は、暴れる体力も無いのかすぐに大人しくなる。

きっと、蜂須賀はもう戻ってこない。

やがて、部屋の中が審神者の嗚咽だけになる頃に、遠くからカシャンと、小さな音がした。ひゅ、と審神者の喉が詰まる音が、聞こえる。

「うそ、うそでしょ…やだ、やだぁ!!」

何も聞きたくないと、審神者はとうとう耳を抑えた。それでも柔らかな風に乗って、金属が床に落ちる音は聞こえてくる。

「…主君」

は、と審神者が顔を上げた。

「…前田?」
「すみません、主君。どうしても、最期に会いたくて来てしまいました」

大倶利伽羅の腕から無理矢理逃れ、審神者は廊下にいたその1振りを抱きしめた。愛おしい様に、愛するように、優しく。

「前田、前田お願い、みんなを止めて、止めさせて、こんな、こんなの望んでない…こんな事で生きたって嬉しくない!!」
「いいえ主君、それは違います」

前田がまっすぐに審神者を見つめる。否定されると思っていなかった様に、審神者の瞳が大きく開かれ、やがて何かを堪える様に苦しく細められた。

「僕達は皆、主君の幸せを願っております」

ふるりとゆっくりと審神者の首が横に揺れる。いやだいやだ、そう子供の様に呟く声に、前田はゆっくりと笑いかけた。

「僕は、いえ、僕達は主君の元に顕現できて幸せでした。だから今度は、こうして貰った幸せを返していきたいのです」
「でもそこに、貴方達がいなきゃ、私は……っ、わたし、は…」
「僕は、ずっと主君の刀です。この先、嫌なことがあっても、主君の幸福と、そして、笑顔を思っております」
「まえっ…!」

カシャン。体が消えて、その場に刀の落ちる音が響いた。

「ううっ、うぁ…!!!うあぁあ!!!!」

落ちた短刀を抱いて、審神者は泣き続けた。それこそ、三日三晩。いや、実際にはもっと経っているのかもしれない。やがて目を真っ赤に晴らして大倶利伽羅の前に現れた審神者は、へにょりと笑ってお腹空いた、とだけ告げたのだった。

そうして、今日まで。どれほどの月日が経っただろうか。審神者の隣にある刀として、こうして穏やかな日々を過ごして行くうちでも、確実に、審神者は命を削っていった。
…終わりが、近いのだと、大倶利伽羅は悟った。



:::


陽の光が目に染みて、じんわり瞳を開いた。
寝返りを打って光の差し込んだ方を見ると、襖が少しだけ開いてるのがわかる。昨日、閉め忘れてしまったのだろうか。眩しいとは思っても、布団から出ようとは思わない。光から背を向けるように寝返りをうてば、今度は別の物が目に入った。

「…こんのすけ……?」
「はい。主様、おはようございます」

女のこんのすけを、久しぶりに見たなぁ、と頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。しかし、そうしている内にじわじわと現実が襲い掛かってくる。そうだ、そうだった、私は。全てを思い出した所でがばりと勢いよく起き上がりながら、布団から飛び出した。こんのすけの制止の声も聞かずに部屋を出て本丸の中を走り出す。体が、やたらと軽く感じるのが、嫌だった。

「大倶利伽羅どこ!?ねぇっ!どこにいるの!?いるんでしょう!?お願い、出てきて!!」

厨も、厠も、部屋も、畑も。どこにも人が居ない。人の気配も無い。ずっと、ずっと隣にいた温度が、どこにも見当たらない。ぼろりと、涙が零れた。

「やだ…!もう一人にしないで、大倶利伽羅、出てきてよ…!!!」

広間にしゃがんで泣き崩れる。審神者の頭を撫でる手も、その顔を上げさせる優しい掌も、もう、どこにも無かった。

「主様、顔を上げてください」

だが、ぽにゅ、と一つの肉球だけが、そこにあった。審神者の膝に乗せられた肉球に、ゆっくりと顔を上げる。

「大倶利伽羅から、言伝があります」
「ことづて…?」

ぽん、と空から手紙が落ちてくる。慌ててそれを掴んで、裏表何も書かれていない真っ白な封筒が目に染みた。

「……いつ、書いてたのかな……」
「…いつでしょうね…」

この手紙を、読みたくなかった。だって、これを読んだらきっと、私は今の現実を受け止めなきゃならなくなる。この一人ぼっちの世界を、認めなくてはならなくなる。それが、どうしても、嫌だった。

「…ねえ、こんのすけ」
「はい」
「一緒に、呼んでもらっても良い…?」
「…主様が、よろしいのならば」

柔らかい肉球が、ふにふにと触れてくる。柔らかく揺れる尻尾と、優しく細められた瞳に、ゆっくりと頷いて手紙を開いた。

「………」

真っ白な便箋が一枚出てくる。そこに、たった一言だけ、言葉が添えられていた。
それを呼んだ瞬間、胸から何かが溢れてくる。止まらないそれは、涙の形になって瞳から落ちた。

「っ…うぅ…あ……」

手紙を胸に抱いて、背中を丸めて泣いた。隣でこんのすけが慌てた様にうろうろと歩いてから、やがて女の隣に座り女が泣き止むのを待っている。それでも、涙は止まらず、言葉はもう、何も出てこない。
この本丸に、もう刀剣男士は存在しない。皆、いなくなった。居なくなってしまった。命を長らえるよりも、隣に居てほしかった。ただ、それだけなのに。それすらも叶わないなんて。

「…主様」
「…………」

ふらりと顔を上げる。ぼやけた頭の中では、何も考える事は出来ない。それでも。

「…こんのすけ」
「はい」

くしゃりと頭を撫でる。ふわふわとした毛並みは柔らかく、温かかった。

「…行こうか」
「…はい、行きましょう」

そうして女は、ゆっくりと歩き出した。



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補足という名の言い訳。
大倶利伽羅の手紙の内容、今後審神者とこんのすけはどうなったの?というのは皆様にお任せしたいです。
もしかしたら刀の後を追ったのかもしれないし、どこかでひっそりと隠居したのかも。審神者になった可能性もありますね。どれにしても、大倶利伽羅の手紙を読んで、彼女がどういった結論を出したのかは、彼女にしか分かりません。
もしも、こうかもよ、というお話がありましたら教えていただけると嬉しいです。皆様の中で思い浮かんだ物語を、こっそりと、私に教えてください。きっとそれは、どんなお話でも素敵な物だと思います。
なんて言いましたが、本当はこれ閃華お疲れさまでしたスぺまで来ていただいてありがとうございましたワ〜イって言う用のお話だったのですが思ったよりも暗く終わり方をどうしてもこうしたかった為、今回は普通のおはなしとして上げさせて頂きました。今度また別のお話で書かせて頂きます…!アアアあと気付いたら10000hitありがとうございました…!!まだまだくりさにばかりですが、見守っていただけると嬉しいです。
それでは、乱文長文失礼しました。
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