シザンザスを送る2 | ナノ



べきり、と嫌な音がする。
もう声は出ない。叫びすぎて喉が擦り切れ、声を抑えるための頬は噛み切れているからだ。
それでも喉の奥から溢れ出る絶叫と涙は止まらない。
足が、腕が、背中が、痛くてたまらない。もうどこがどうなっているのか、正直わからない。自分の体だというのに、徐々に意識が離れていってるような感覚がする。

つつつ、と背中に何かが走る感覚がする。それからそこに篭る熱の痛みも。
鋭利な何かで切られている。それもじわじわとゆっくりと、痛みを噛み締めるように、決して死なないように。
最初は大仰に背中を切られ、次は腕を浅く浅く、どこまでも血を流しすぎないように切られた。合間合間に腹を殴られ、爪を剥がされた。残る爪は何枚だろうか。指の先の感覚がなく、あまりにも心許ない。

「まだ言わないか。なかなか強情だ」
同時に、腸を蹴られる。瞬間に吐き出した血が、口の中でまだ多少揺らぐ。それで喉を潤したくても、すぐに前髪を掴まれ、上を向かされれば逆に変なところに血がつまり、むせ返った。

私にこの暴力をし続けたのは、最初と変わらずこの男だった。後ろの最初にこの男を阿辻と呼んだ―く刀剣男士だろうと思うが―彼はあれ以来言葉を発していない。ただ端にいて、こちらをまっすぐに見つめるだけだ。だが暗い室内ではその表情は伺えない。

「一言、言えばいいだけだ。簡単だろう?なぁ」
ドス、と腹にまたも拳が入る。どうやら余程悪い所に入ったらしく、すぐに色々なものを吐き出した。しかし、もう胃の中には何もない。唾液と胃液のみが溢れ出す。それでもまだ顔は上げられたままなので、口の端々から溢れだしたそれは、再び逆流してくる。息も絶えだえになる私を、そいつは侮蔑の眼差しで見下した。

「あぁ、汚いなぁ…」
片手で私の前髪を持ち、空いた手で自分の刀を、ひゅ、と振れば私の血などすぐに地面に飛んだ。相手は、私の顔を一瞥して、小さく息をついた。その瞳に、何か感情は感じられない。

「…まだ言わないつもりか?」
「……いつまだって、言わない…」
ひゅ、と喉が詰まりながら声を上げれば、頭が突然離される。何の受身も取れず、肩口から床に叩きつけられる。先ほど切られた傷がちょうど床にあたり、傷が深くなった感覚がした。言葉にならない痛みとは、このことか。

「さっさと言えばこちらも終わるんだが」
向こうが要求してきた事は1つ。だが、それは私には決して叶わないものだ。

「…絶対、言わない」
「…へえ?」
呟けば、最初と同じようにニタリとした笑顔が目に入った。



:::



ドサリと落とした荷物を、目の前の男が呆然と見る。最初は何も言わなかったがそのうちに肩が震えだす。静かにそれを見下ろしていれば、突然睨んだ瞳がこちらを向いた。

「殺してはならないとあれほど…!!口を酸っぱくして言っていますよね!?」
「…殺してないから、さっさとしろ」

先にコイツを叩き切ろうかとも思う気持ちをどうにか抑える。

ここは己の本丸。そして目の前に転がるのは、どこかの審神者の刀剣男士、薬研藤四郎だ。先程まで交戦していた上に、暴れないように肩口を切り俺の腰布で雁字搦めにされている。意識は未だに戻らないが、もしも戻った時に面倒だから巻いておいた。
それを、本丸に戻った俺が加州と長谷部がいるであろう部屋に連れていった。しかしそこには、予想していた人物では無く、加州が連絡したのであろう政府の役人が待ち構えてた。
ここの部屋主である加州は今剣の相手をしているという。
加州は、長谷部が今剣を連れて戻ってきたとき、門で既に待っていた。そして血まみれで帰ってきた今剣を見て、誰にも見つからないように手入れ部屋に入れた。今、何もわからない状況で本丸のメンバーに不安の種を植え付けるわけにはいかなかった。
そしてちょうどその頃に連絡を受けた政府の役人が到着し、大倶利伽羅の帰りを待っていたというわけだ。そして先程の会話に戻る。

長い髪を下で結び邪魔にならないようにしているこの政府の役人は見た目だけでは、性格も年齢もわからない。男とも女ともいえる華奢な体系に白い手足、そして整った顔がより性別をわからなくさせている。だが生物学上は男らしい。意味が分からない。

そんなコイツはここの本丸の担当をしているのだとかで何度か面識がある。とはいえ片手で足りる数だが。非常に優秀というわけでもないが、後ろに刀剣男士を一振り連れているように、ほんの少しだけこちらの業界のややこしさに詳しい。そのため様々な審神者を対応し、日々を追われているのだというのも聞いた事がある。

「殺してないんですね。よかった、それならば全く問題はありません」
相手はそこで1つ言葉を切ると、まっすぐにこちらに向き合った。俺はまだ部屋と廊下の間に立っているため、正座をしている向こうはひたすらに見上げる形になる。
まっすぐな瞳が、今ここにいない主を少しだけ彷彿とさせた。

「こちらの不手際により万屋への不審者、もとい不穏分子の侵入。並びにこちら様の刀剣男士様への攻撃。それら全てを即座に発見、対応できなかった事を私一人の頭では御座いますが、謝罪させていただきます」
そう告げて、静かに頭を下げる。別に、目の前のこいつが頭を下げようが主が戻ってくるわけではない。そもそも刀剣男士を一振りだけで万屋へ行かせたこちらのミスだ。
小さくため息をついてから、頭を上げるように促す。こういうのは、長谷部か加州の仕事だろうに。

「…謝るよりも先に、やることがあるだろう」
ただ一言、そう告げれば、綺麗な顔をくしゃりと歪ませてからすぐに頷いて「ありがとうございます」と告げた。だからそういうのは俺の役目じゃない。
だがこちらの考えなど知る由もなく、すぐに隣の薬研を見やる。

「彼の霊力を辿って本丸の場所を割り当てましょう」
「どうするんだ」
「血でわかります」
血。こちらが反芻する間もなく、音も無く立ち上がるとコイツの後ろに立っていた刀剣男士に目配せをした。それだけで心得たという風に連れてきた薬研を抱える。ちらちとコチラに視線が向けられたが、すぐにそらされた。
廊下に出て、柱に背を預ける。あくまでも部屋の中が見えるように立っていれば、二人の忙しない声が響く。

「いずみくん、その子の腕、縄か何かで縛って。そしたら血液取るからそのまま」
「刀は」
「届かなくて目の届かない所に置いて。まだ意識を取り戻さないと良いんだけど」

いずみくん、と呼ばれた刀剣男士は長い髪と浅葱色のダンダラ服を翻しながら手身近にあった自身の髪紐で薬研を縛った。淡々と作業をこなすその姿は、うちの本丸にいる和泉守とは大きく異なっているように感じ、違和感が付きまとっている。

いまだに目を覚まさないそいつの体を和泉守が抑えつけながら腕を出させる。白く細い腕に、躊躇いなく注射器を入れれば、血液が注射器の中を満たしていく。並々入ったところでそれを容赦なく引き抜き、何かのケースに入れ、それをパソコンと呼ばれるものに繋いだところで、小さく息をついた。

「これでこの子の身元がわかります。そしたら出ましょう」

何故血液を採れば本丸が判るのか、一度主に聞いたことがあったが忘れた。確か聞きなれない横文字があったと思う。

「大倶利伽羅」

二人を見て壁の端にいたところを、よく耳に馴染む声が呼んだ。視線だけそちらに向ければ、いつもの厳しい瞳がさらに厳しいものになっているのに気づく。

「そっちはどうだ」
「加州がつきっきりで診ているし人払いもしてあるが、皆もう感づいてはいる」
「そうか」
では今は広間の方へいかない方が良いだろうな。下手に聞かれて余計ここを混乱させるのは、本意ではない。

「やはり主は何かに巻き込まれたのだろうな。今剣がああなって確信した。向こうの狙いはわからんが」
「…アイツの出自か。それに対する妬みか」

恐らくはな、と長谷部は頷く。確かにもし何かしらに巻き込まれているのだとしたら、原因はこのどちらかの可能性の方が大きいだろうと思っている。

この本丸の主は優秀な神職関係の血を引いている。そして審神者としての才能にも恵まれていた。しかもこの本丸には明石以外の刀剣が全ている。ほとんど高錬度で。もう上限に達した奴も多く居る。そのお陰か、この本丸は優秀、と周りから言われるくらいにはなっている。ただそうして良い目を見ている分、嫌な目にも合いやすいのは事実だ。

演練に行けば血に頼ったずるい人、と囁かれ、会議に赴けば好奇の目で見られる。噂が噂を呼んで今じゃ私は有名人だと、彼女は自身を笑った。それから見世物小屋の動物にでもなった気分だ、と苦虫を噛み砕いたようにも。

往々にして優秀な者とはその首を狙われやすい。例えもう親族と縁を切り何もつながりがなくとも、才能に驕らずどれ程研磨しようとも。その首は、嫉妬と羨望、妬ましさによって狙われる。

「主の力を望む者がいるのかもしれん」
「…傲慢な事だ」
「そういったものから守るのが、お前の役目だろう」

長谷部の言葉にほんの少し驚きながら「そうだな」と返す。
これは常常思う事だが、ここの本丸の長谷部は、俺に甘いと思う。というより、この本丸全ての刀剣男士全てに甘い、というべきか。彼らが笑えば彼も笑い、彼らが悲しめば彼は涙を流す。遊びガチ勢と呼ばれるもの達を諌めるのは彼の役目だが、それに巻き込まれ共に遊びよりそれを面白くするのも、また彼だ。本丸を纏め指示を出し、主と共に歩んできた刀の一振である。
この本丸初期の事を思い出すと、遠い目をしたくなる。正直、俺がこうして近侍となり、アイツと共にあろうと思うようになるなど、あの頃は思ってもいなかった。

「大倶利伽羅、案ずるな。主は無事だろう」
「そうでなきゃ困る」
確かにな。そう言って俺の頭を撫でる。昔、お前は甥っ子の様だと言われたことがある。家族を持ったことなどないし興味もないが、確かな繋がりを感じたその言葉は、未だに俺の中に残っている。

「お前は主の懐刀だろう。そんな顔をするな」
そう言われ、ポンポンと頭を撫でられる。今、主が居ないのは全員の共通事項なのだ。なのに何故、コイツはこんなにも冷静でいられるのか。驚きよりもどちらかというと、疑問の方が上回りそちらを見る。

「不思議そうな顔をしているな」
「よくそこまで落ち着いていられる」
「まぁ、そうだな。お前が目に見えて焦っていると逆にこちらが冷静になる、というのもあるが。
…まぁ、自分で言うのもおかしいが、俺はここの本丸の頭脳だからな。いついかなる場合も冷静であれというのが、主のお言葉だ。俺にはこの役目に責任があり、自負がある。必要な時に冷静でいて、そして周りを見渡す…、それが俺がここにいて、果たすべき主命だ」
さらりと告げる長谷部はいつも通りだ。その横顔を見ながら、この叔父には敵わないと思う。

「…お前には懐刀としての自負があるだろう。それを今度はしっかりと守れ」
その言葉に音もなく頷く。
彼女の懐刀は、本来あるべき短刀ではなく、俺だという自負がある。彼女の横に立つべき存在であると認められた誇りがある。その魂と共にあると決めた決意がある。
だと言うのに、今回のこの失態。自分自身が許せない、とはこの事なのだろう。
長谷部は、今度は、と言った。それは遠回しな怒りだ。俺に対する、彼自身に対する、密やかな怒り。

「アンタ、本当に俺に甘いな…」
「燭台切や鶴丸程ではない」
「…そうかもな」
きっとここにその二人がいたら、背中を叩いて励まされたのだろう。だが、今はそんなこと望んではいない。恐らく、長谷部も。だからこその、今度は、だ。それは、彼自身に対する言葉でもあるのだろう。

「次は、ない」
「当然だ」
次、同じことがあったら。
手を開いて握る。それを繰り返して、自分がここにいるという確認をする。まだ意識はここにある。しっかりと認識できる。
次、同じことがあったら。
きっと俺は、この感覚を忘れるのだろう。

「大倶利伽羅様、長谷部様、少しよろしいでしょうか」
後ろで役人が立ち上がる。恐らく結果が出たのであろう。それに目を向ければ、厳しい顔つきで言葉を紡いだ。

「恐らく相手は審神者ではありません。そして、この子ももう刀剣男士ではありません」
その言葉に眉間にしわが寄るのを隠さずに首をひねる。刀剣男士ではないとはどういうことだ。

「彼、薬研藤四郎の本丸は歴史修正主義者の襲撃にあい潰されています。その際の生き残りは、私共の調べた結果ではいませんでした。文字通り、その本丸は全滅したのです」
随分な事を、淡々と告げるものだ。冷淡。彼に感じている感想を思えばまさしくそれだ。
それでもこちらの考えなど気にせず、向こうは抑揚のつかない言葉を続ける。

「ですが今こうして彼はいる。そして彼の主である審神者の霊力をうちに秘めている。そうして考えられる結果は一つです」
「堕ちたのか」
「ハイ。どちらが堕ちたのかはわかりませんが、恐らくは確実に」
どちらか、というのは、この薬研の主かそれとも薬研が堕ちたのか、ということだろう。何にせよ、いい気持ちになるものではない。
彼の後ろに控えていた和泉守兼定が小さく耳打ちする。それを聞いて、うん、と頷くと再びこちらに向き合う。

「まだその本丸は残っています。というより、残すしかなかったと言いますか…。もし審神者様がいるとしたらそこでしょう。今からゲートを開きます。時間がない、今すぐ大丈夫ですか」
無論だ。本体を掴み足早にゲートに向かう。焦る気持ちが前に出るも、それを一切表面に出さずに進む。

「政府は許可なしにそこの本丸に行くことはできません。ですが貴方方はほんの少し細工をすれば、他の本丸に行くことが出来ます。揉み消っ、えぇと、何とかしますから。ただし」
ゲート脇にあるタッチパネルを操作しながら言葉を一言区切った。その瞳は俺ではなく、隣の長谷部に向けられている。

「申し訳ありませんが、行けるのは二振りが限度です。それ以上はこちらも庇いきれなくなります。ただ、和泉守兼定は裏をかいて連れていかせます。余計な事かとは思いますが、第三者の証言とは非常に大きいので。それが政府のものとあれば、より」
言外にどちらかは行けないと告げられている。舌打ちしたくなるのを抑えれば、長谷部に背中を押される。

「いいのか」
「もし、主にあだなす敵がいたら…わかってるな」
耳元でそう囁かれ、ふ、と笑う。

「当然だろう」
俺が行く、と告げれば小さく頷かれる。

「それでは、どうかお気をつけて。審神者様を見つけたらすぐに引き戻しください。決して、とは言いませんが…なるべく殺さないで。いずみくん、頼んだよ」
重苦しく音を立てて門が開く。役人の言葉に和泉守は深く頷くが、役人の方が自身の裾を強く握っている。そして心配と不安の瞳を彼に向けているのも。それに気づいたがどうか、和泉守は小さく役人の頭を撫で小さく微笑むと、こちらを見ながら顎でこちらを引いた。
開かれた門に足を踏み入れれば、ほんの少しの低迷感が身を襲う。それでも瞳を閉じていればそれは次第に収まり、次に瞳を開いた時には、景色はすでに変わっていた。

「ここか」
目の前の建物は、かつて本丸だったと言われてやっとそうかもしれないと思える程に崩れていた。見える限りの建物の半分は倒壊し、周りの庭は荒れ、草も枯れている。赤く染まった池には、腹を見せて浮かんでいる魚が見えた。
長谷部が手の甲で鼻を軽く抑えるのが見えた。それくらい、酷い臭いだ。血の匂いがきつすぎる。

「…行くぞ」
早くしろ、と和泉守が急かす。余計な事を言わないこの刀剣男士には、相変わらず普段との違和感しか感じない。
だが、それよりも今はするべきことがある。コクリと頷き、その後に続いた。


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