雨の日の2人 | ナノ


しとしとと、細い白糸の様な雨が空から静かに振ってきている天気だった。執務室から見える天気は、昨日と変わらず灰色の雲に覆われ、太陽はここ数日見ていない。体に纏わりつく湿気は、朝起きても夜寝ても離れず、更に言えば乾かない洗濯物が本丸全体に広がるそれを助長する。

「…雨だ…」

ぽつりと審神者の口から落ちた言葉は、誰に拾われる事無く雨の音にかき消されていく。手に持つ執務用のペンも、机の上で審神者を持つたくさんの書類も全部全部、放り出してしまいたくなる。

「う〜ん…」

体を廊下に半分出しながら、天井と雨を見つめる。こんな雨のせいでここ最近まともに出陣なんて出来てやしない。書類も滞れば、仕事もたまる。そんな鬱憤を少しくらい休憩する事で晴らさせてほしい、なんていう意味も分からない言い訳を胸の中でしながら目を閉じた。雨の音と、自分の息、それから、床をキシリと踏みしめる、音。果たしてこの音の主は、誰だろうか。

「…何している」
「えっ、大倶利伽羅?珍しい」

超えに驚いて目を開いきながら右を見る。審神者の予想通り、こちらを不審者を見る目で見つめていたのは腕に龍を持つ刀だった。

「どうしたの、こんな所滅多に来ないのに」

審神者の執務室は、皆の暮らす母屋とは少しだけ離れた所にある。その為、ここに来る刀は意外と限られていたりする。そして逆に、ここに滅多に来ない刀も限られてくる。そんな滅多に来ない刀の一振りが、今こちらを見下げる刀だった。

「お茶でも淹れるよ。せっかく来てくれたから、ゆっくりしてって」

起き上って部屋の中へと戻る。お茶っぱもこの湿気でダメになってない事を願いつつ準備していれば、相手はこの部屋へと入ってきた。本当に珍しい。彼がここまで審神者のテリトリーに入ってきたのは初めてじゃないだろうか。しかも、彼自ら来てくれるなんて。

「……」

胸がそわりとして、自然と上がってしまう口角を、頬をむにむにと抑える事でどうにか隠す。自分の中でもう大丈夫と思えるようにになった頃、ようやく相手に籠を手渡した。

「お湯沸くまで時間かかるから。これでも食べてて」

籠の中に入っているのは、種類の多いお菓子。ここに来る刀達の為に、いつでもある程度のお菓子は置いている。それを渡せば、大倶利伽羅はゆるりと腕を伸ばして煎餅を食べ始める。審神者も彼の前に座って煎餅を一枚頬張りながら、彼と一緒に煎餅を頬張る日が来るなんてなぁ、としみじみと今日という日の珍しさを実感した。

「それで、どうしたの?大倶利伽羅がここに来るなんて、何か用事があるんでしょ?」
「……」

大倶利伽羅は何も答えず部屋の外を見る。それにつられて外を見るけれど、相変わらず雨が降っているだけの、欝々とした天気が広がっている代わり映えの無い光景。大倶利伽羅はきっと、何か別の物が見えているのだろう。それを知れたら、良いのだけれど生憎とそんな能力、審神者は持っていなかった。

「…雨は」
「うん?」
「雨は好きか、と聞いている」

その質問にぱちぱちと瞬く。今この刀は何と言っただろうか。私に雨の好き嫌いを聞いた気がする。幻聴だろうか。まさかそんな、他人に興味の無いこの刀が私にそんな事を聞くなんてそんな馬鹿な。

「…質問に答えろ」
「幻聴じゃなかった!」
「何を言っている?」

思わず息を吐いてしまう。大倶利伽羅とは長い付き合いに入る方の刀だけれど、まさか私にプライベートな質問を投げかけられる日が来るなんて思いもしなかった。そもそも彼はどの刀とも一歩距離を開け、決して馴れ合わず、誰に何を言われようとも自分自身の信念を曲げない、そんな刀だったと思っていたから。そして、彼の信念に誰かとある程度の距離を詰める、という事は存在しない物だと思っていた。

「…びっくりしすぎて言葉が出てこないよ……」

相手は何も言わないけれど彼の視線が、良いから早く答えろ、と言っているような気がして笑ってしまう。驚いたけれど、それに答えない理由は無い。少しだけ考えてから、口を開いた。

「雨はね、今は嫌いかな」
「…今は?」

頷けば、不可解だという視線が突き刺さる。目は口程に物を言うというけれど、大倶利伽羅はそれが結構分かりやすい、のかもしれない。付き合いが長かろうが、その距離を詰めていなければ分からないものだ。

「だって、これだけずーっと降ってたら嫌になるよ。もう何日も太陽見てないもん。雨も晴れも雪も、なんだって嫌いじゃないけど、バランス良く降ってほしいね…」

朝起きて、昨日と何も変わらない鼠色の空を見た時のげんなり具合は半端じゃない。最初は良かったけれど、それが何日も続いてしまえば、尚更。鶴丸じゃないけれど、天気が余りにも一辺倒で退屈過ぎる。

「そろそろ晴れが見たいなぁ、とは思うよ。まぁ、これも季節の巡りだから仕方ないんだけど」

本丸の季節を審神者の力で変えれるようにするのではなく、四季の巡りに任せようというのは初期刀の歌仙と話し合って決めた事だった。せっかく人の身を得たのならば、日本の四季を見て、聞いて、そして色々な物を感じたい。そういう歌仙は、とても生き生きとしていたのを覚えている。

「…なら、今、雨は嫌なんだな」
「うん、そうだね。どうせ、夏になったらこの季節が恋しくなると思うけど」

そう言って笑えば、大倶利伽羅が静かに立ち上がる。それを黙って見ていれば、彼は廊下まで出て、刀を抜いた。ぎょっとしているのも束の間、鞘から抜いたそれを、キンと音を立てて再びしまう。後ろからそれを見ていれば、振り返った彼と目が合った。

「…また、降ったら呼べ」
「えっ、何が?って、あっ、待って!」

こちらが止める間もなく、彼はすたすたと歩いて行った。慌てて廊下まで出れば、彼の姿はもう無く、その代わりやけに眩しい世界が視界に入る。

「…うそ…」

呆然と見上げる空にもう雲は無く、どこかすっきりとした風が審神者の頬を撫でた。真っ青な空が広がり、雨に濡れた草木がキラキラと日の光を反射しては、柔らかく世界を照らす。さっきまでの雨が嘘の様だ。それに、さっきの大倶利伽羅の言い方。あれでは、まるで、この天気を彼が、変えた、様な。

「主ー!なんか急に晴れたね、せっかくだから買い物でも…って、主?」

加州がこちらを覗いてくる。きよみつ、とやけに弱弱しい声で、彼の名を呼んだ。

「貴方達って、魔法使いか何か…?」
「俺達は刀剣男士だよ、主」

だ、だよねー!なんて笑ったところで、驚きに満たされた心は、心臓の大きな音を消してはくれなかった。

:::


大倶利伽羅が魔法を使って雨を晴れにしてからというもの、彼は執務室にたまに顔を出すようになった。それは決まって雨の日で、まるで雨を止めて、とこちらが言うのを待っているようにも感じた。
あれから、一度だけ頼んだ事がある。夜、降っている雨を止めて星が見たいと。冗談半分だった。正直、あの魔法はたまたまだと思っていたし、何より彼が何も言わなかったから。きっとたまたまタイミングが被ったのだろうと。しかし、彼は以前と同じように刀を抜いて音を立ててしまった。それだけで、それの雲は晴れて星が瞬いたのだから、もう、信じるしかない。彼は、魔法を使う。それが私の大倶利伽羅だけの特性なのか、大倶利伽羅という刀に与えられた特性なのかはまだ分からないけれど、少なくとも害は無いし、何より彼を信頼しているから未だに政府に言っていない。
そうして今日。雨の降る夜に、彼はまた執務室に現れた。

「ねえねえ、大倶利伽羅。ジューンブライドって知ってる?」
「…何の話だ」
「ジューンブライドの話。さっき短刀と話したの」

六月の花嫁。ジューンブライド。六月に結婚すれば花嫁は幸せになれるという、海外の言い伝え。かいつまんで説明すれば、彼は読んでいた本を止めて、少し考え込むようにする。

「…それで、だから何だ」
「何だって事は無いんだけど…。大倶利伽羅はそういう事知ってるのかなって」

短刀の子達は本で読んだらしい。ならば、大倶利伽羅も目にする機会はあるのだろう。そして、それを知った大倶利伽羅が、果たして何を思うのかが、ほんの少しだけ気になった。

「…知らないが」
「うん。でもどうなんだろう?旦那さんも、やっぱりお嫁さん貰うならその季節が良いのかなぁ」

ジューンブライドは花嫁が幸せになれる言い伝えらしい。旦那さんでは無く、花嫁さん。でも、結婚とは二人で幸せになるものだろう。どちらか片方では意味がない。ならば、ジューンブライドはどうなのだろう。花嫁が幸せになれる言い伝え。うーん、と少しだけ首を捻った。

「……相手を幸せにしなければ、自分を幸せにするなど不可能だろう」

ぱちくり。二度、三度と瞬いて相手の顔を見る。この刀、今すごい事を言わなかっただろうか。いや、言った。反語。まじまじと見つめれば、向こうもこちらを見つめる。今降っている雨の様に、穏やかに揺れる金の双眸と、交錯した。

「……そもそも、それはただの言い伝えだろう。…相手を幸せにするのは言い伝えじゃなく、自分だ」

はぁ、と息が漏れる。こうして時々、本当に時々だけれど、審神者はこの刀が伊達の刀だということを認識する。

「大倶利伽羅は、かっこいいね…」
「…酔ってるのか」
「酔ってないよ」

本当の事を言っただけなのに、そう言われるのは不服だが仕方ない。正直私も、今目の前の刀が酔っているのかも、なんて思ってしまっているのだからお合子だろう。そう思ってしまうほど、今の発言は普段の彼と似つかわしくない物だった。けれど、それ以上に、この刀の心根はかっこよくまっすぐで、美しいものなのだと理解する。それを隠すつもりも卑下する事もなく、ただあるがままに生きている。彼の信念は、酷く美しい。

「ほんと大倶利伽羅かっこよくてやだ。ずるい…」
「本当に酔ってないのか」
「酔ってないってば!」

そういっても不可解だ、という表情を崩さない大倶利伽羅に噴き出してしまう。そうはっきりと意味不明だと言わなくてもいいじゃないか。

「…アンタもなりたいのか」
「ん?…あっ、ジューンブライド?」

大倶利伽羅が静かに首肯する。その質問にふむ、と思う。どう答えるのが正解だろうか。

「なりたくないって事は無いよ。やっぱり憧れはあるし、ウェディングドレスも着てみたいし。それに、お嫁さんって響きが良いよね。可愛いもん」

真っ白なウェディングドレスに美しい花嫁。女性が世界で一番綺麗で可愛くて、美しくなれるそれは、心の奥底で憧れと共に眠っている。何せ、こんな世界だ。私は今、戦争をしている。白、というよりも赤の方が似合うかも、なんて思う自分が嫌になるけれど。

「まっ、なにより出会いも無いしね。中々機会が無いよねぇ」

笑えば、やけに真面目な顔をしている大倶利伽羅がそこにいた。いや、表情的にはいつも通りなんだけれど、雰囲気というかなんというか。だけど、それを気にするよりも審神者に眠気が襲ってきて、それに対抗する事もなく欠伸として口から溢れさせた。

「大倶利伽羅、私もう仕事終わったから、部屋に戻って。今日も来てくれてありがと」

ペンと紙を片付けながら、相手に声を掛ける。いつもならこれで彼は静かにいなくなるのだけれど、今日は動く気配が無い。不思議に思っていれば、彼の瞳が何かを考える様に右を向いてから、一度瞼が伏せられる。そこからゆっくりと開かれた瞳は、いつも通りの穏やかさを持っていて、いつも以上に、何を考えているのか分からない。

「どうしたの?」
「…ジューンブライド、なるか」
「…うん?」

咄嗟に言葉が理解できず、首を傾げながら言葉を噛み砕く。が、やはり理解できないでいれば、大倶利伽羅から長い長い溜息が漏れた。

「…アンタ、察し悪いな」
「えっ、唐突に失礼過ぎない?理不尽」
「ジューンブライドにしてやる」
「………えっ」

あんぐりと、口が開いた。それと同時に、じわじわと顔を熱が覆っていく。

「そ、それって」

「分かるか」と、大倶利伽羅が尋ねてくるのに、口を開けたまま頷く。わかる、彼の言いたい事は分かる。わかる、けれど合っているか分からない。もし、私の考えで合っているなら、彼はとてもすごい事、を、言った、ような。

「…そういう表情も出来るのか」
「へっ」

するりと大倶利伽羅の長い指先が頬に触れる。それだけならまだしも、そうしてこちらを見つめる瞳が、あんまりにも優しくて、柔らかい物だから、触れられた頬が、やけに熱く感じてしまう。なのに、大倶利伽羅がふっと笑って「赤いな」なんて言う物だから、それが審神者の考えを肯定しているようで、はくはくと鯉の様に、この口は何も言えなくなってしまった。

「…次の雨の日に、また来る」

指先が離れて、頬に熱が名残惜しく残る。は、と最後まで何も言えないでいれば不意に、彼の顔が近づいた。息遣いまでわかるほどの距離に、目を閉じる事すら叶わず唇が触れる。近すぎてぼやけた彼の顔が、世界の現実味を失わせるが、ざらついた唇の感触が、どこまでもこれが現実だと思わせる。

「……答えを、考えておけ」

静かに唇が離れ、ふっと息がかかった。審神者が怒涛の様に襲ってくる現実を受け入れるよりも、彼が背中を向けて離れる方が早かった。ただ呆然と立っていただけの審神者は、静かになった部屋の中でへろへろと座り込む。なんだ、何があったんだ。どうしてこうなったんだ。分からない。なんでだ。

「…」

唇に、指先で触れる。体中が熱い。けれど何よりも、相手の触れた頬と、唇が、どこよりも熱い。
答えを考えておけと、大倶利伽羅はそういった。次の雨の日までとも。それでも、この心臓の音の大きさと、苦しい程の胸が、もう答えを表している様なものだと、悔しい事に思ってしまった。


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Twitterで開催されたくりさに祭りに投稿させていただきました!
大倶利伽羅君が天候変えれたら最高にかっこいいなぁ、から派生したネタでした!
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