3 | ナノ





じんわりと夏の暑さが近づいてきている予感がして、田んぼの中で陽射しを浴びながら自転車を軽快に走らせる。
階段の前に自転車を止め、慣れた様子で階段を昇れば、頂上に近づくにつれて少しだけ胸が大きく高鳴ってくるのがわかった。

「……また来たのか」

古びた神社に居る彼は、いつもと変わらず仏頂面でこちらを見ている。それが余りにもいつもと同じ反応なものだから、思わず吹き出してしまった。

「こんにちは!今日はアイス買ってきました」

賽銭箱の前に腰掛ける彼の隣に、自分も同じように座る。ビニール袋の中からさっき買ったばかりのアイスを取り出して一本差し出す。安くて大きいソーダ味のアイス。小遣いの少ない学生の味方。私はこれがとても好きだ。

「そろそろ熱くなってきましたね。その恰好熱くないんですか?」
「問題ない」
「ひい、見てるこっちが熱くなりそう」

笑いながらアイスを食べるが、隣の相手がじっと袋を見つめて中々食べない事に気付いた。

「あ、もしかしてアイス苦手でした?」
「あいす…これはそう言う物か」

あ。少しだけピンとくる。袋の開け方と、アイスの食べ方を教えれば相手はすんなりと食べ始める。

「あんまり急に食べるときーんとするから、気を付けてくださいね」

向こうの不可解だという視線にも笑って返す。自分のアイスに集中しながら、やっぱりなぁと思った。彼とこうして会うようになってもう一カ月は経つ。とはいえ会えるのは学校の無い土日だけれども。そんな短い期間だけでも、彼は意外な事を知らない事が多い事に気付くのには十分すぎた。
例えば、携帯。私が使うスマホを見て非常に不思議そうにこちらを覗いていた。他にも電化製品や学校の話、それから最近の話題とかにもとても疎いようだった。
それ自体は別にいいし、そういう人もいるだろう。だけど、彼の知らなさは逆に不思議になるほどの物で。それを気付いて心配できないほど、薄情なわけでも彼に興味が無いわけでも無かった。

「アイス、どうですか。大倶利伽羅さん」

ここ一カ月で知ったのは、彼の名前だけ。それでも私が聞けるのはアイスの感想と、彼が知らない事を教える程度の事で。彼に何かを聞いても良いというあと一歩が、まだまだ踏み出せそうにない。

「…悪くない」
「なら良かった!今度は別の物買ってきますね」

笑ってその場を促す。彼も何も言わずにアイスを食べる。しゃくりと、口の中にアイスの味がいっぱいに広がった。

「…今度、一緒にアイス、買いに行きませんか」

だから、これが私の精一杯で。最大限の踏み込んでも良いラインのギリギリだった。

「無理だ」

ズガン、と頭にハンマーで殴られた気持ちになるも、そこを踏みとどまりどうにか笑う。

「そ、そうですよね変な事言っちゃってすみません」
「そうじゃない」

えっ、と隣を見るとまっすぐに前を向く横顔が見えた。

「俺はここから離れない」
「……、…」
「ここで待ち続ける必要がある」

はくり、と息が漏れた。隣のこの人は何を言ってるんだろう。漫画の話じゃないのか。まるで、そんな、ここにずっといたみたいな。地縛霊、の様な。幽霊、の様な。

「俺は人じゃあない」
「死んでるの…?」

言ってから後悔した。もしも本当にそうだったら、なんて、なんて失礼な事を。慌てて弁解しようとするも、向こうの柔らかな視線がこちらを見つめて、言いかけた言葉は腹の奥に落ちてしまう。

「元々生きているのかもよくわからない…。ただ、強いて言えば、そうだな。幽霊では無い」

生きているかもわからなくて、幽霊では無くて、人じゃあない。なら、目の前にいる彼は一体何者なのか。ドクリドクリと、やけに大きく高鳴る心臓をそのままに、私は何も言える事は無く向こうの言葉を待った。

「アンタが知るべき事でも、気にする事でもない。アンタには一切関係の無い事柄だ」
「…そっか」

ぐっ、と言いたい言葉を全て飲み込む。『関係ない』と、そう言われてしまえばこちらはもう何も言えない。踏み込んではいけない領域だったのだろうか。人でも幽霊でも無い、目の前にいる不思議な存在。私なんかが、絡んでしまってはいけなかったのだろうか。

「もうここには来るな」

嫌な音を立てて心臓が鳴る。隣を見れば、もうこちらを見ることなく前を見る相手の横顔。揺れる事も無く、凛とした表情はいつもと変わらない。

「ここに来ても碌な事にならない」
「………」
「普通の生活に戻れ」

そこに来てようやく、大倶利伽羅さんはこちらを向いた。

「アンタの前にも、もう現れない」

だからもう来るな。
その言葉に、うん、とも、わかった、ともつかない返事をして、ゆるゆると視線を下げる。が、その途端に、目を瞑るほどの風が通った。

「わっ、びっくりしたぁ…」

余りの風の強さに目を瞬かせて、目を再び開いた時。

「……――――え」

神社の中には、誰も居なくなっていた。

「うそ、うそだよね。待って、ねぇ、大倶利伽羅さん、どこ」

立ち上がって辺りを見渡しても、誰も居ない。まるで最初から自分一人しかいなかった様に感じる。やけに大きく感じる心臓の音も、今だけは聞こえない蝉の声も、全部全部、現実味を帯びてくれない。

「大倶利伽羅さん、どこにいるの!ねぇ…!!」

小さい境内の中を走り回る。自分の忙しい息以外聞こえない世界に、耳鳴りがする。

「やだ、やだよ…」

じわじわと視界が濡れてくる。それでも、やっぱり今この瞬間に、世界には私一人しかいない。

「…………ほんとに、いなくなっちゃったの」

ぺしゃりと座り込んだ自分に、返す言葉は何一つなかった。


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