シザンザスを送る | ナノ




長い廊下を歩きながら、出来る限り足音と気配を消して行く。これだけ警戒した所で、時刻はまだ夕方だ。俺がここで歩いていても何ら不思議はない。それでも夕日に染められたこの本丸では、出来る限り誰かに会いたくはなかった。馴れ合うつもりが全くないのもあるが、特に今は目的を達成するまでは会いたくなかった。

「おい、いるか」
「…大倶利伽羅か?どうした、入れ」
目的の場所まで人と合わずに来れたことにひとまず息をつく。それでも周りに目を光らせながら、素早く襖を開け部屋に入る。後ろ手で閉めれば、この本丸における戦事の全てを任されているといっても過言ではない二人が向かい合って座っていた。恐らくは明日の出陣の話だろう。

「主が帰ってこない」
「それ、ほんと?」
要件だけ簡潔に伝えれば、手前に座る長谷部の眉がぴくりとあがり、奥に座る加州が不穏な表情を見せた。それを見てさすがだな、と思う。恐らくこれを言ったのが他の奴らだったなら、慌てふためくどころでは済まない。だからこそ、見つからないようにここまで来たのだ。

「買い物に出かるんだったな。いつからだ」
「一刻」
「連れてったのは」
「今剣」
「おかしいね」
「おかしいな」
そう、おかしいのだ。
今剣一振りだけ連れて済む買い物のはずが、未だに帰ってこない。そもそも短刀達用のお菓子の買い出しだけの筈だ。半刻で帰ってくるよ、と言ったのは確かにこの耳で覚えている。そもそも、そういった約束事を違う奴ではない。そうなったときは必ず連絡を入れるはずだ。それが来ないということは、買うものが増えたか、何かしらあったかのどちらかだろう。前者は、審神者の性格上あまり考えられないが。

「ひとまず万屋へ行く。そこから町へ降りるぞ」
その言葉に頷きながら、立ち上がるがふと考える素振りをしてから、長谷部が呟く。

「俺達二人が一度に居なくなったら混乱を招く。加州、待ってられるか。政府に連絡をとっておいてもらいたい」
立ち上がりかけた加州の腰が、ゆるゆると下がる。何か言いたいように開かれた口が、静かに閉まった。それから頭をガリガリと掻いてから、至極不満だ、と言うように言葉を投げる。いつもの主の前でのどこか緩く微笑む姿からは想像が出来ない。

「もし主に何かあったら速攻で連絡して。その相手潰す。政府に連絡はしておく。いつもの人でしょ」
「あぁ、頼んだぞ」

手早く長谷部が本体を持って廊下に出る。その横に立ちながらも、会話は無い。今話したところでそこに楽しみも必要性も感じないためだ。

ここから万屋までは本丸のゲートから移動できる。幸い、ここにつくまで他の刀剣男士に会う事は無かった。もしあいつらに出会ったら、確実に何かあったのだとばれる顔をしているだろうから。

万屋から先は、現世に似せて作ったばーちゃる、と呼ばれる世界が続いている。多く歩く人混みと、賑わう店。昔の街並みに合わせているのだというここは、木造の家が多い。しかしこれらは全て精密機器で作られた本物そっくりの中身のない物たちだという。人工知能、と主は言っていた。話すことも触れることもできるこいつらは、どうにもからくりの様には見えないものだから、初めてその話を聞いたときはぞっとした。

「…相変わらず人が多いな」
「主の霊力を辿れるか?」
緩く首を振る。いくら偽物といえど、あまりに多くの人ご多過ぎる。砂漠の中から目的の一粒を見つけるのは、至難の技だ。

「とにかく歩くしかないな。行くぞ」
どこかピリピリしているのは、自分も同じなので何も言わないが、道の往来でそれほど殺気を出すと逆に怪しまれるものではないだろうとも思う。これまた、自分も出ているから、何も言えないが。

自分がまだ存在し、消えていないということは、主は生きている。その事だけにひとまず安堵するが、まず何があったのかすらわからない。精神的にも身体的にも大事無いのかもわからないこの状況が歯がゆい。ただひたすらに何も無いであってくれ。そう願って、胸の中に現れた黒く濁った、泥の団子のようなものを、奥に奥に押し込める。
主に何かあったのかもしれない。そう思った瞬間に心の奥から、ぷかん、と浮かんできた小さな泥。
これはきっと触ってはいけないものだ。触ったらすぐに潰れて中身が溢れてきそうなこれは、いつかの祭りで短刀達が買ってきたヨーヨーに似ている。楊枝でつついたら一瞬で破裂しそうな、しかも何が入っているのか自分にもわからない、そんなものだ。

「…おい、ひどい顔だぞ」
「別に、いつもの事だ」
それもそうだな、と答えながらちらりとこちらを見た視線はすぐに前に戻る。そういう長谷部も、人の事を言えないくらいにはひどい顔だ。

「どうにも、ダメだな」
ぽつりと、自分の数歩先を歩く長谷部が声を漏らす。

「主は無事であると信じているが、何故あの時俺がついていかなかったのかと、自分への怒りが収まらん。俺がついていればこんな事にはならなかった…
させなかった。もし、もし主が辛い目にあっているのならば。…あぁ、本当にダメだな」
人の心とはこうも脆いものか。
自嘲とも取れる笑いを浮かべながら、長谷部は言葉を紡いだ。

「まぁ、主の事だから何処かで道草食ってる場合も無くはないがな」
出来ればそうであってくれ、と思う。そこら辺の店からひょっこりと顔を出して「あれ、迎に来てくれたの?ごめんね」なんて、いつもの様に言ってくれ。

それでもどの店からも見知った顔が出てくることはなかった。

「おい、あれは…」
暫く歩いていると、長谷部が途端に走り出す。圧倒的な機動力で走るアイツに追いつけるわけもないがこちらも速度を緩めす併走する。それでもすぐに道の端っこに来れば、長谷部の走り出した理由がわかった。
キラリと光る刀身に、大きくヒビが入っている。胸から溢れ出る赤い血は、俺の視界までもを赤く染出す。目は虚ろで、そこに光はない。道の端に無造作に捨てられるようにあったそいつは、一刻程前に、見送った奴に似ていた。

「おい、今剣!どうした、おい!!」
長谷部がすぐに今剣に駆け寄り、声を掛けるが反応はない。それからすぐに横抱きにして立ち上がる。

「大倶利伽羅、本丸に戻るぞ。」
「…いや、まだ近くにいる」
その一言で全てを察したのか、一瞬だけ目を横に流して、すぐに「無茶はするな」と告げて駆け出した。
小さくなる長谷部の背を見つめながら、俺は反対方向に進み出す。

今剣の血の匂いを纏わせながら、俺の横を通ったものが、すぐそこに居る。



:::



それは突然の出来事だった。買い物を終えてじゃあ帰ろうか、という時に、今剣が咄嗟に私を背に刀を構えた。
敵だ。そう感じた瞬間に、ずと、と嫌な音を聞いた。下から這い上がる痛みに、その発信源を見れば足首に弓矢が貫通していた。そのまま転んでしまったのが悪かった。咄嗟にこちらを向いた今剣は、そのまま敵の攻撃を受けて。
私は何かを叫んだような気もするし、すぐに意識が飛んだ気もした。



それから、最初に感じたのは、確か、痛みだ。ぬるま湯からいきなり氷水に浸されるような、引き裂かれるもの。
腹に突然感じた苦しみに目を覚まさせられた。それから続けざまに頬を殴られる。それも握り拳で、だ。女子の顔を殴るだなんて、信じられない。と、どこか遠い頭で考えた。
後ろ手と足を縄で縛られ、指はなにか細い線で結ばれている。固く細いそれは、まるで薄い包丁の様にも感じた。まるで符のようだ。しかも私と相性悪いもの。足がズキズキと熱を持っている。弓矢は抜かれているようだが、血は止められていない。ドクドクとそこから流れ出る感覚がする。

冷たい床の上でなく、馴染みのある畳の上だ。そこに何か結界と札を貼っているようだ。うまく力がまわらない。低迷感が頭を覆う。油断したなぁ。

殴られた衝撃で床に倒れ込むが、すぐに前髪を引っ張られて顔を上げさせられる。

「目が覚めたか」
「…あぁ、最高の目覚めだね」
暗い部屋の中で目の前の男が誰かもわからぬうちに、鈍い音と共に腹に痛みを感じる。一瞬視界が白く飛んだ。殴られた、と思うがそれよりも先に嘔吐感が込み上げてきて、それに抵抗することもなく口から様々なものが吐き出されて、生理的な涙が少し出る。

「主、やはり俺がやる」
「いや、大丈夫だ」

頭上で会話が聞こえる。この部屋には二人いるようだ。声からして二人とも男。が、あまりうまく聞き取れない。あるじ、と言っていなかったか。しかしそれを確認するよりも先に腹に足のつま先が入る。立て続けに同じところを殴られもう完全に涙があふれた。

共にいた今剣は、大丈夫だろうか。気持ち悪さと痛みの収まらない頭で考える。
最高錬度を極めた彼といえども。お守りを持たせていたのが救いだったか。それでも、もし折られてしまっていたら、為すすべもなく折られてしまっていたら。ぞっとする。体中を悪寒が走る。あぁくそ、油断したどころではない。

「――っぁア゛あ゛!!!!!」
途端、背中が焼けるように熱くなった。背中が切り、引き裂かれたのだと気付いたのは、もう少し後だ。
一瞬痛みで意識が飛ぶ。白い世界が見えたと思ったら、途端頭に冷たい感覚がして世界に引き戻された。水をかぶせるとか、こちとら修行中の山伏じゃねえんだぞ。
心の中で悪態をついても、背中から溢れ出る血と共になにかが欠けていく感覚がした。

「お前にはやってもらう事がある」
焦点が合わない、視界が回っているようだ。相手がどこにいるのかもわからない。しかしそれを億にも出さず、鼻で笑い、口の中に溜まった血を吐き出す。

「絶対に嫌だね」
ゆるりと相手の口が弧を描く。そしてようやく焦点が中央にまとまり出す。ゆらゆらと中央に揃っていく視界の中で静かに息を呑んだ。

あぁ。彼は。

こいつは、コイツらは。



:::



町から少し離れた山道の中。人など来ないであろう所の中で、俺は1人立っていた。背には満月。今日は月見だね、と笑っていたアイツを思い出す。

「…出てこい。いるんだろう」
存外低い声が出た。だがそれを思うよりも先に、ひゅ、と空気を切り裂く音とともに足元を弓矢が襲う。
それを軽く避けながら、弓矢が放たれた方に狙いを定める。太い木を難なく切り倒せば、大仰な音を立てて倒れ込んでいく。そこに巣を構えていたのであろう、鳥たちがぎゃあぎゃあと騒ぎ立てながら飛んでいく音が聞こえた。

黒い影が隙間隙間を通り過ぎていく。確かになかなかの早さだが、最高錬度を極めた長谷部ほどではないし、そして俺ほどでもない。
瞳を閉じて聴覚にのみ集中すれば、相手の動きなど容易くわかる。
向こうが助走をつけて、こちらに向かった瞬間を狙って―――…

金属同士の耳障りな音を立てながら、刀同士が相対する。
目の前の小柄な刀は、まるで獣の様に目をギラつかせている。それでも力敵うはずもなく、簡単に押し通す。それをわかっていたかのように、すぐに着地し体勢を整えようとするが、そんな隙を誰与えるか。

「っ、ぅぐ」
すぐ様距離を詰め、相手の首を片手で掴み、利き手であろう刀を持つ手首を強く強く握る。ゆっくりと首だけで地面から離して持ち上げれば、息が苦しいのだろう、生理的な涙が一筋垂れた。
そこに情など欠片もわかないが。
ゴキ、と手首を折る音が聞こえた後、カラン、と力なく刀が地面に落ちる。

「主はどこだ」
ほんの少しだけ首の力を緩めると、ヒューヒューと変な呼吸音が聞こえた。速く答えろ、と急かすものの、向こうは答えない。どころか、こちらに睨みをきかしてくる始末だ。

「…残念だ」
どさり、と地面に相手を落とせば、むせ返る咳の声が辺りに響く。即座に腹に足を乗せ、刀で掌を突き刺す。途端に、痛みに耐える声が聞こえる。

「大人しくしてろ」
相手の目が見開かれ、俺の足を精一杯どかそうとするが、そんなことさせるわけがない。
掌に突き刺した刀を抜き、ちゃきり、と狙いを定める。さっさとやるか、と大仰に刀を仰ぎ、そこに向かって一直線に刀を突き刺した。


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