やわらかくてぬるま湯の死 | ナノ


「意外と私の方が長生きしちゃったりしてね」

夜の縁側で、お互いに酒が入っていた。リーン、とさり気なく存在を主張する虫も、どこにいても見つめてくる月だって、何だってその日だけは穏やかだったから。つい。本当につい。口は油を指したようにペラペラと動いてしまった。
だから、あんな事を言ってしまったんだ。

「あっ…えーと、ごめん。変な事を言った」

慌てて弁解するけれど、相手はまるで聞いていなかったようにグラスに注がれた酒を煽るだけ。金の瞳は、温度を感じさせないまま前を向いている。
聞こえていなかったのかな、なんてどこかほっとしたのもつかの間。相手の口がゆったりと開いた。

「馬鹿を言うな」
「あっ、やっぱり聞こえてた」
「当然だろう」

この距離だ、そう言いながら視線だけがこちらを向く。切れ長のそれは、ゆらゆらと、水面の様に揺れていた。

「俺は、アンタよりも早く死ぬつもりは無い」
「うーん、そうして欲しいし、そうならなきゃ嫌だけどね。たまには、大倶利伽羅を追いかける人がいてもいいんじゃないかなって」

見送る側の物が、見送られたってたまにはいいんじゃないか。そう思ったのだけれど、これは、存外、

(言っててキツイものがあったなぁ)

だから酒は嫌なんだ。思ってる事がするりと抜けてしまう。彼を見送りたい、と、そんなのは心の奥底で墓まで持ってくべきものだろうに。何せ、これでは彼に「折れろ」と言っているようなものだ。馬鹿だろう。あまりにも馬鹿すぎるだろう。

「…ごめん、この話止めよう。忘れて」
「アンタと」

言葉を遮られて、思わず隣を見る。大倶利伽羅という刀は言葉を丁寧に聞き受け取る。そして、それを酷く酷く、美しい言葉で返すのだ。だからこそ、彼が言葉というものを遮るなど滅多にある事では無い。ぱちくりと瞬いていれば、呆れたような顔がとうとう私の方を向いた。

「アンタと、共に死んでやる。それなら良いだろう」

それは、いつも通りの穏やかな口調だった。命令には及ばない、そう、いつも口にするように。慣れた言葉を紡ぐように。まっすぐ私の目を見て、大倶利伽羅は囁いた。だというのに。あぁ、どうしてだろう。私にはそれがまるで愛の告白の様に感じてしまった。

「…良くない。何にも良くないよ」
「何がだ」

「だって」と、続けようとして喉が詰まる。彼の言っていることはまるで甘い蜜の様だ。だって、この先の見えない、いつまで続くのかもわからない戦争の中で、共に死んでくれるという。つまり、死ぬまで共に、むしろ、死んでも共にいてくれると言う。そんなもの、喜びしかないじゃないか。
でも、ダメなんだ。審神者は彼を拒絶しなくてはならない。審神者が死んでも生きろと、この戦争に貢献しろと、お国の為に死ね、審神者の為では無い。そう、言わなくてはならない。
だけど、女の唇は震えてか細い息を吐き出すだけで、何か音を紡ぐ事は無かった。

「…アンタの首は、俺の物だ」

ひたりと、首に彼の細くて長い、美しい指がかかる。彼の双眸は私を見つめ、金の中に女の顔が写った。喜びを隠しきれない、哀れな女の顔が。審神者は、とうとう諦めた。それと同時に、くしゃりと顔を歪める。これから審神者は、言ってははいけないことを言ってしまう。

「…でも、でも大倶利伽羅」

言ってしまうとわかっていても、まだ理性がその心に何とか蓋をする。
大倶利伽羅は心底不機嫌そうに、1つ息をついた。

「何が不満だ」
「…当然じゃん」

ぽつりと、審神者の声が静かな庭に響く。表情を見られたくなくて、首を下げた。

「不満しかない。大倶利伽羅が私と一緒に死ぬなんて絶対嫌。だって、だってそんなの良くない。良くない、ダメなのに」

あぁ。ダメだ。このままじゃ言ってしまう。
ぐっ、と最後の心の蓋を抑え込み、唇を噛んでいれば、唐突に顔を上げさせられた。というより、少し首を捻らされた。何事かと理解するよりも先に、首筋に痛みが走る。

「いっ!!」

信じられない痛みが首に回り、訳の分からない視線を相手に送る。だが向こうは何も気にしないように、審神者の血を少しだけ舐めた。

「かっ、噛むってなに…!?」
「…その首を、さっさと寄越せば良いだろう」
「答えになってないよ!?」
「アンタのそこに、傷を付けれるのは俺だけだ」

何て事だ。
この大倶利伽羅という刀はそれを審神者に認めされる為だけに噛んだというのか。相手は鼻を1つ鳴らすと、噛み付いた首筋を柔く撫でた。

「……痛いか」
「そりゃあ、まぁ」
「…そうか」
「あれ、もしかして喜んでる?これってそういう事?」

そこまで言って、大倶利伽羅はこちら見ながらゆるく笑った。その顔を見て、思わず意味の無い母音を上げる。

「あー…こりゃ勝てないや…。完敗だよ、私の負け」

両手を上げてヒラヒラと見えない白旗を振る。

「あげる。あげるわ、私の首も、体も心も。全部あげる。最期だって、その先だって」

思わず笑ってしまう。こんなにも悲しい終わりがあるものか。あっていいものか。それだというのに、審神者はそれを認めてしまった。悲しいけれど、それ以上に美しい、世界の果てが見れる死を。そして、余りに甘美で幸せで、まるで底の無い海に沈む様な愛を、審神者は受けてしまった。もう二度と、逃げられはしない。

「あぁ。その主命、承った」

大倶利伽羅もまた、酷く幸せそうに笑った。



ある本丸が襲撃にあった。政府役員が駆けつける頃には、敵は殲滅。そして、その本丸の刀剣男士もすべて折れており、夥しい数の銀の欠片が辺りに散りばめられていた。

そして、本丸の奥の奥。恐らく審神者が結界を貼り、最後まで粘ったと見られる結界があった部屋に、死体が1つあった。
正確には、死体と1振りだったもの。
かつて温かな体温を持っていた体はどこにもなく、抱きしめるように1人と1振りは傍にあった。



だというのに、随分と幸せそうだったと、政府職員は、確かにそう言った。
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