4 | ナノ





掃除のノウハウなんて、正直わからない。だから、とりあえず床にあるわけのわからないもの達をどうにかせねばと、棚の奥にあった布を探し出して、ひたすらに磨いた。ひとまずまだそこまで綺麗にしなくていい、とりあえず歩けるようにしなければ。

ーーー本当は、今この監視のない瞬間に抜け出したかったのだけれど。

審神者の言葉を思い出す。あくまでも客人兼居候。つまり私はここにとって居ても居なくても良い存在。ならば、どこまでもどこまでも存在を薄くして、そっと抜け出そう。下手な事をして殺されたら意味がない。

「ていうか本当にこれ何よ…」

ふぅ、と少しだけ汚れの落ちた床を見ながら息をつく。もう服が汚れるのとかは気にしていられない。粘り気のある床に張り付いたそれがなんなのか、最後までわかることは無かった。



そうして床が何とか見れる位になった時のこと。

「おっ、やってるな」

唐突に入口から声がかかった。だが入口にいたのは綺麗な少年だ。あの野太くていい声は果たしてどこから…。首をかしげていると、目の前の少年が口を開いた。

「俺っちは薬研藤四郎。アンタが大将が言ってた居候ってやつだろう?」

あっ、あの声この少年のだったんだ…!!
驚きにただ頷くだけしか出来ないでいれば、少年は私の近くまで来た。

「悪いなぁ。俺っち達は家事がどうしても苦手でな。竜の旦那、あー、大倶利伽羅の旦那以外出来ないんだ。だからって旦那に出陣が無いわけじゃないからな。そうしてるうちにこんな有様になっちまった」
「そう、なんですか」

出陣。その言葉に視線をさ迷わせる。やはり彼らはどこまでも刀剣男士。私たちの同胞を、どこかで斬っている。そう考えるだけで、目の前の少年がゾッとする存在に見えてくる。

「誰かがやらなきゃならねえとは分かっちゃいるんだがな。戦帰りだとか休み時にそんな事をしたくなくなっちまうんだ」

どこまでも自分がいた屋敷との違いにびっくりしてしまう。もしかして私はとても裕福な暮らしをしていたのだろうか。それともここの本丸が違うだけか。

「よっしゃ、手伝うぜ」
「えっ!?い、いえ、大丈夫です、そんな」
「うん?アンタ随分大人しい姫君なんだな。うちの大将とはエラい違いだ」

笑いながら少年は腕まくりをして私の前に座った。ひ、姫君て…。どこの時代…。
色んな意味で緊張した体を隠したが、相手はちらりとこちらを見ただけで終わる。…気付かれなかっただろうか。

「俺っち達の大将はな、本当に女かって思うことが多くてな。米は俵を自分で持つし、戦の頭は切れる。自分の倍以上ある男を相手に怯みもしない。…まぁ、女も男も関係無いようなお人なんだが」

言葉を続けながら、私の隣に置いてあったバケツの中にある雑巾を1枚取り出す。どうやら絞るということを知らなかったらしく、さり気なく伝えれば理解したようで続ける。あぁもう、結局手伝わせてしまった。

「だからだろうが、大将自身も『女だから』と後ろ手に隠れて守られるのも、舐められる事も許しちゃいない。それはアンタもわかるだろ?」
「そうですね…」

そこまで多くない審神者との会話を思い出す。確かにそんな感じだなぁ、と妙に納得してしまった。

「だがそれでも、俺っちにとってはただ1人の大将で、姫君でな」

少年はひたすらに床を拭く。時々「くっさいな、なんだこいつは」と笑いながら。
私も同じように拭きながら、相手の話に耳を傾ける。あの、どれが本心なのか、どこに真意があるのか一切わからない、正直言って恐怖すら覚えたあの審神者の、こんな話は意外だった。

だけどそれ以上に、この少年の慈しむような、優しく細められた瞳と、尊いものを見るような表情が気になってしまう。
私は、この表情を知っている。ずっとずっと、近くで見てきた。よく覚えている。彼のこの表情は、これは。

「やっぱり男なら、守ってやりたいと思うものだろ?」

少年の根底にある気持ちに、どこか胸がつかまれた気持ちになる。きらきらちかちか。瞳が、揺れて輝いて見える。

「…なんてな!こんな話をしたって、アンタには関係無いんだがな」
「あっ、いえ、すみません。むしろ聞いてしまって」
「いいや、こっちが勝手に話したんだ。まぁ、だからと言っちゃあなんだが。もしもアンタが、大将をなにか傷付けるようなことをする時、俺は、アンタを容赦しない」

言われている言葉は酷く物騒だ。それでも、恐怖を感じないのはきっと彼の瞳がきらきらと輝いているから。鈍色のそれが、美しく光る。

「…はい、肝に命じておきます」

眩しい。
刀剣男士が恋を、愛を知っているなんて思わなかった。彼らをただの殺戮マシーンだと思っていた。ただひたすらに私の同胞を殺していく、血も涙もない悪魔なのだと。でも、彼は恋をしている。誰かを守ろうとしている。
……そこらへんにいる人間と、何が違うのかが、わからなくなってしまった。
ガラガラと、私の持つ常識が崩れ去る音がする。刀剣男士はただひたすらに敵。それだけを思っていた時が、もう、遠い。

「まっ!俺っち、別に心配しちゃいないぜ。アンタ、良い奴そうだもんな」

ばしばしと肩を叩きながら相手はカラッと笑った。

「よし、掃除続けるか!」
「あっ、はい」

こちらの憂いを気にすることもなく、相手は床の掃除を再開した。それに倣って私も私も続けるが、なかなか床は見えてこない。これは今日だけでは終わらないだろうと遠い目をし始めた時、ふと思った事を口にした。

「…あの、皆さんお食事はどうしているのですか?」
「ん?食事か?たまぁに誰かが作っちゃいるがな…。なにせこの人数だ。もっぱら冷凍したやつをあっためるか、カップヌードルだな」

くらりとする。
父が聞いたら「そんなかっこ悪い食事ダメに決まっているだろう」と怒るに違いない。

「大将が、なんていうんだっけな、ジャンクフードっつうのか…。あれが好きでな。ポテトやらハンバーガーやらを買い込んではそれを食う日もある」
「ちなみにここにはどれくらいの方が…」
「ここには54振りだな」
「54…」
「しかも全員男だからな。量も尋常じゃない」
「で、でしょうね」

想像するだけでゾッとする。苦笑いを浮かべれば、少年はまたも快活に笑う。

「まぁ、そうは言っても俺らは刀だからな。飯なんざ食わなくても生きていけるんだが」

ドキリとした。少しだけ頬が引きつった気がしたけれど、薬研は続ける。

「ただ大将がそれが嫌でなぁ。『食事は心と体、そして毎日を豊かにする!それが例えファストフードでもだ!』つってな」

なんとなく想像出来てしまう。あの審神者なら言いそうだ。

「そんな大将だから俺達も食べるしかない。何より大将の食べっぷりを見るのは気持ちがいいんだ」
「あ、そう、ですか…」

予想してないところで飛び火するな、そう思う。蕩ける表情を見ると、なんだかこちらまで照れてきてしまう。こころなしか、頬が熱い気がした。

「あー…まあ、そう言う意味でいうなら、多分普通の食事っつーもん、食ったことないな」
「えっ」
「うん?いや他の所もそんなもんだろ」
「いやいやいや、いくら何でもそれは…」

言いかけて口を噤んだ。私は一体刀剣男士と本丸の何を知っているというんだ。何も知らないのに知ったように口にしてはいけない。
だけどそれでも。この状況は誰だって嫌じゃないだろうか。うぬぬ、と少しだけ考える。自分が今からしようとしている事は、明らかに余計だ。敵に塩を送るとはまさにこの事。目を伏せて考える。当然だが迷う。裏切りと取られてもおかしくない。
うーーーん。どうするべきか。
ただここで1つダメなところがあったとすれば、私自身考える事がそう上手ではないことと、先を見通す事など以ての外である事だろうか。

「うん、わかりました」

仮にも命の恩人である。傷だって治してもらえた。その分の恩義は返さなくてはならないだろう。父はそういった点を、厳しく女に教育していた。そうだ、そういう事にしよう。敵に塩を送るのではなく、恩人に恩を返すだけ。そもそも、家事の中に料理など普通に入っている事項だ。問題ない。
1度目を伏せ、改めて前を見る。そこにもう、迷いは無かった。正確に言うと、考える事を放棄した。この選択が、そもそも過ちだったのだと気づくのは、まだ先の事だ。

「私が、食事作ります」
「おっ、いいのか?」
「はい。だからまずはここの本丸すべての掃除を終えます」
「よしきた。手伝うぜ」

薬研に強く頷いて、まずは厨を終えねばと改めて腕を捲った。


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