3 | ナノ




次に目を覚ました時、ひたすらに頭だけが痛かった。ズキズキと痛みで存在をアピールしてくる頭に、状況把握よりも早く呻き声が漏れる。

「……」

す、と襖が開く音がしてそちらを向いた。入ってくる顔を見て、記憶の端にあった最後の会話が思い出されてくる。刀剣男士、父の行方、体の傷、全てが一気に頭に入ってきた。じわり。背中に汗が滲む。

「…おい、どうし、」

相手が近くに来た瞬間に、咄嗟に体を起こそうとして腹に痛みが走る。

「っぅあ」
「まさか、意識があるのか」
「っ、え‥‥?」

痛みで上半身を折りながら腹を抱え、じわじわと遠ざかる痛みに耐える。隣に座った男が、ゆるりと背に触れた。瞬間的に、その腕から逃れようと体を起こす。

「さわ、触らない、で」

痛みで、意識が飛びそうだ。頭の中で鐘が鳴る。ガンガンとしたそれは、大きくなっているようにも感じるし、体を大縄で締められているかのように苦しい。それでも、目の前の男は刀剣男士。それだけで、逃げる理由には十分だった。だ男は何かを考えるように視線を右に寄せてからすぐに私へと寄せる。なにか来るのか、そう身構えていれば、男はゆっくりと口を開いた。

「…アンタ、俺が誰に見える」
「………え?」
「父とやらに、見えるか」
「なっ…!」

瞬間的に、頭に血が登った。カッと沸騰し、それはすぐさま爆発する。

「刀剣男士と父を同じにするな!似ても似つかない!父を侮辱するな!!」
「…………」

言ってしまってから、酷く後悔した。これでは自身が刀剣男士と敵対する勢力だと言っているような物だ。傷が治るまでうまくやり過ごそうと思ったのに。もう斬られたっておかしくない。やってしまった。ドッドッと、激しい心臓の音の中、相手は瞼を下げると「そうか」とだけ言って立ち上がった。
静かに部屋を出ていく背中を見ながら、やがて漏れたのは私の「へ?」という間抜けな声だけだった。

それから恐らく一分も経ってない頃、バタバタと激しい足音が響いてきた。

「意識が戻ったんだって!?お話もできるってね!よかったねぇ、大倶利伽羅くん!君のお陰だよ!」

声と共に、スパン、と襖が開く。布団の上でもそもそとやっている体を再びこわばらせた。なにせ、ここに来たのは審神者だったから。

「やぁ!私の事は覚えてるかな。ここの審神者さ。君の今後についてお話しに来た」

ざわり。体の中の血が巡る。私を捕虜とする、そう言われたら果たしてどう行動するべきか。様々な事を一瞬のうちに考える。

「そう畏まらないで平気だよ。あ、大倶利伽羅くんお茶欲しいなぁ」

審神者は私の目の前に正座して座りながら、後ろに立っていた先程の相手に声をかけた。

「自分で淹れろ」

…………あれ。審神者って刀剣男士の主になるんじゃなかったっけ…。確かそうだった気がするんだけど…。

明らかに主に取るべき態度ではない刀剣男士の姿に、少しだけ困惑する。だが、そうして見すぎたからか、ふと、相手がこちらを向いた。バチッ、と音を立てそうなくらいの勢いで目が合う。

「…………」

先程の事もあって、大分気まずい。刀剣男士に気まずさなど持ってどうする、そう思ってもどうしてもそう思わずには居られない。それは向こうも同じだったのか、先に逸らしたのは向こうでこちらに背を向けて歩き出した。

「…あれね、多分お茶いれてきてくれるよ。なんやかんやで彼、すっごい優しいんだ」
「…はぁ‥‥」
「さて、それじゃあ改めて、ね」

審神者が背筋を正してこちらを見据える。途端に今までの巫山戯た面持ちが消え、辺りに寒気がすると思うほど、ぞっとしてくる。なんだこれは。相手は、本当に人間か。

「君には、これからやってもらうことがたくさんある」

ごくり。1つ、唾を飲んだ。

「この本丸での家事を、やってもらいたい」

至極真面目な顔で。平坦な声で。決して冗談など言っている雰囲気ではなく、相手は言った。

………………………え、なんて言った?

「家事を、やってもらいたい」

2回目。
思わず、こちらの口が開く。

「この本丸、というより刀剣男士というものはその名前にもある通り男だ。わかるかい、男。そして、私は一応生物学場では女だが、私の中で性別はさして重要じゃなくてね。はっきり言ってどうでもいい。あ、いや君が可愛らしい女の子である事は酷く重要だ。君がガチムチの男だったら私は世界を呪っていたからね。だが世界は君を女の子として生んだ。それだけで、世界は幸せさ。この世に生まれて良かった。そう思えたよ。…まぁ、そんな性格が祟ってか、ここの本丸は衛生上酷く良くないんだ」

段々理解出来なくなってきた。この人は一体何を言っているんだろう。

「だからね、怪我が治るまでここに居候する君には、ここの家事をやってもらいたいんだ。そうしたら家賃なんていらないよ」
「…つまり、私の怪我が治るまでここにいていい、と」
「うん。傷が痛いなら無理して家事しなくてもいいけどね」

なんとか話は飲み込めた。飲み込めた、が、これはあまりにも都合が良すぎないだろうか。私にしか得が無い。相手は何を狙っているんだろうか。向こうの真意が読めない。それでも、歴史修正主義者側に、父に、何か害を与えるのは間違いないだろう。
…どう出るべきか。
悩んでいると、相手の方が「あ〜」と謎の声をあげた。

「そうだよねぇ、そりゃそうだ、やっぱり信じられないよねぇ。うーん、どうしよっかなぁ。うーん」
「…おい」
「あっ、大倶利伽羅くん!お茶ありがとう!…うん?なんで湯呑み2つなんだい?明らかに1つ足りないね?誰の分だろうねぇ」
「アンタだな」
「ほらねぇ!!そういうところだよ、そういうところ!いいけどさ!ねぇねぇ大倶利伽羅くん、彼女が私の言い分を信じてくれないんだ。どうしようか」
「どうでもいい。もう俺が見る必要は無いだろう」

お茶を私の前に置いてくれてしまい、思わず頭を下げる。すみません、と言うと相手は視線だけをこちらに向けて、すぐにどうでもよさげに逸らした。

「何言ってるんだい、大倶利伽羅くん。彼女のお世話係はずっと君だよ」
「…………は?」
「………えっ?」
「あっは、君達似てるね。良い反応」

審神者は面白そうに私を見つめた。真っ黒な瞳に、思わず心臓が唸る。

「君が傷のせいで熱を出している間、大倶利伽羅くんは寝ずにずっと見ていた。その段階でお互いのパーソナルスペースは近くなっているんだ。これからも大倶利伽羅くんが君を見るのは当然だろう」
「おい、いい加減にしろ」
「…大倶利伽羅くん。なら1つ聞こう。この本丸で殆どの家事が出来る唯一の存在は誰だい」

ぐっ、と刀剣男士が押し黙るのがわかる。というより、審神者はさっきずっと寝ずに見ていた、そう言った。つまり恩人に等しい。それなのに、私はあんな態度を…?

「さぁ答えるんだ大倶利伽羅くん。この本丸で殆どの家事を理解、把握していて尚且つそれを新人達に教えてきたのは誰だい?」
「…アイツらは理解出来なかった」
「アレは彼らが私の子供だからさ。私だって理解出来なかったか。なにせ、家事が出来ないからね!」
「誇ることじゃ無いだろう…」

目の前で会話が繰り広げられる中、私の心はザワザワしっぱなしだ。助けてくれた相手にあんな態度を。それなのに彼はお茶までくれた。あぁ、でも相手は刀剣男士なんだ、父の、私の敵なんだ。当然の態度を取った迄の事。私は悪くない、悪くない、筈だ。

……………………本当に?

「まぁ、そんなわけでよろしく頼むよ。大倶利伽羅くん、私はちょっと抜けるね。また戻ってくるから」

ポン、と肩を叩かれて咄嗟に身体を跳ねさせた。審神者は、私のその態度に少しだけ目を開いてから、すぐにゆるりと笑って頭を撫でながら部屋を出ていった。
襖を締められてしまえば、言い表しにくい沈黙が部屋に充満する。気まずい、を体現したような部屋だ。やがて、その沈黙を破ったのは相手の方だった。

「体、痛むところは」
「え?…あ、そういえば、無い、ような」

目覚めた時はあれほど痛かったというのに、言われてみれば平気な気がする。あれ?と首を傾れば相手はわかったような顔をした。

「…恐らく審神者だろうな。…もうじき、傷も消える」
「…あ、ありがとう、ございます…」

審神者って傷も治せるのか。すごい。ぼやぼやと思っていると、相手の刀剣男士がこちらをじっと見つめてくる。何事かと、思わず佇まいを治せば、少し遠ざかった緊張が戻ってくる。やがて、重々しく相手は口を開いた。

「…アンタ、家事は何が出来る」

ぱちくり。瞬きを繰り返してしまった。



:::



「ここが厨だ」
「こ、ここが、厨…!?」

嘘でしょ。第一声はそれだ。これが厨だと信じたくない。洗われずに放置された食器類、零れ過ぎて色がわからない調味料、放置された生の食料。あちこちから立ち込めるわけのわからない臭いは何だ。人が嗅いでいい臭いじゃない。思わず1歩下がると、ぬちょ、と何かが足裏につく感じがした。ぞわぞわっと体全てに鳥肌が立ちながら、恐る恐る足の裏を見た。

「ひぃ!!!」

茶色の元がなにかわからない粘ついた何かが足の裏にぐっちょりとついていた。咄嗟に前に出ると、再び何かを踏む。それを確認して逃げてまた踏んでの繰り返し。勘弁して欲しい。

「な、ななな、なん、で、こんな事に」

ようやく安全地帯とも呼べる何も無い端を見つけてそこに居れば、入口から動かずこちらの動きをじっと見ていた大倶利伽羅さんが呆れ気味に言った。

「誰も家事をしないからだ」
「だっ、だからって!!!」

ひどい。あまりにもひどい。屋敷ではこんな事無かった。厨にはいつもコックがいて、暖かな食事を作っていて衛生面をとても気にしていた。
…たまに、父と忍び込むことはあったけれど。
ズキリと傷んだ胸を、押し込むように頬を叩いた。まだ状況のわからない今、ここでうまく立ち振る舞うしかない。下手な事をして殺されてしまえば終わりだ。それに何より、怪我は治った。ならば、逃げ出す機会はいくらでもある。ここは敵陣。まずはここがどういうものなのかを知らなくてはならない。

(そう考えれば、家事ってすごくいいしやりやすいよね)

掃除とかこつけて、ここの地形を知ることが出来るのだから。その掃除がまずは厨だった。それだけのこと。

「…よし、やりましょうか」

目の前の惨状を見て、気の遠くなる気持ちを抑えた。

「えぇっと、大倶利伽羅…さん。あの、雑巾ってあります、」

か。続ける言葉の為に入口を見たけれど、既にその姿はそこになく、広い部屋の中1人いる状態になっていた。
てっきりあの大倶利伽羅という刀剣男士は、私の監視の為にずっと張り付いているのだと思ったのだけれど。

「違った、のかな…」

なら仕方ない。ひとりでどうにかするしかない。よし、と腕まくりをしてから気合いを入れた。


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