亡霊が思うには


 12

 
 南波に会いに行こう。
 そして話そう、俺が知ってることを、南波に。

 南波は恐らく自室だろう。記憶の手掛かりを探すことに協力すると決めたあと、心当たりがないかと聞いてくる南波に俺は一旦南波の自室を探してみることを勧めた。
 勿論それは建前だ、記憶喪失後の南波の部屋に手がかりがある可能性すら低いだろう。……本音は一旦部屋にいてもらいたかった。下手に動いて幸喜たちとまた出くわすよりも部屋で探し物してた方が安全だと判断したからだ。

 まだ部屋にいるだろうか。
 少しだけ心配したが、余計な心配だったようだ。

「南波さん、俺です。……準一です」
『……ああ、勝手に入れよ』

 聞こえてきた声にほっとする。失礼します、と声をかけ、そっと扉を開いた瞬間扉の隙間から紫煙が溢れた。
 ヤニの匂いにまず気付き、そして部屋の中を見てぎょっとする。
 換気もされていない部屋の中は真っ白になってる。
 荒らされた部屋の真ん中、ソファーに足組んで座っていた南波は煙草を咥えたまま天井を眺めていた。

「どうやら死んでも好みは変わんねえらしい」
「ああ……煙草ですか」
「お前も吸うか」
「いや、俺は……」
「吸わないのか?」

 俺の反応に驚いたらしい。上半身を起こす南波に、俺は「はい」とだけ応えた。
 この反応は、珍しくはない。飲酒も喫煙もしない、ギャンブルも興味がない。そんなんでいつも何やってんだ?と職場では呆れられることもあった。
 煙草はただ単に周りが吸うからその煙でお腹いっぱいになったというのもあるかもしれない。そんな俺を知ってるから、仲吉は俺と一緒にいるときはあまり俺の前で吸うことはなくなった。

「意外だな。……ヘビースモーカーそうなのに」

 それは褒められてるのだろうか。
 反応に困り、「そっすかね」と曖昧に濁す。そんな俺に不快感を表すことはない、南波は短くなった煙草を灰皿に押し付け揉み消した。
 俺と別れたあとずっと吸っていたのだろうか、灰皿には下手したら火事になるのではないか?と思うほどの吸い殻の山ができていた。

「それで……ここに来たってことはなんか進展あったのか?」

 他愛ない会話も程々に、南波は単刀直入に切り出す。
 俺の表情から察したのかもしれない。こちらを見るその顔に茶化す色はない。

「……南波さん」
「何かわかったのか」
「……っ、……」

 あの、とか、その、とか。そんな言葉すらも喉に突っかかって出てこない。どう踏み込めばいいのかわからず、怖気づく。
 口を開いては閉じ、黙り込む。そんな動作ばかりを繰り返す俺に、南波は「準一」と俺の名前を呼ぶ。
 慰めるような優しい声ではない。言え、と有無も言わさず命じるようなその響きに緊張した。

 息を吐く。段取りを組もうとするが、頭が思うように働かない。……落ち着け。俺が焦ってどうするんだ。
 自分に言い聞かせながら、俺は例の指輪を取り出した。
 そして、南波の前にあるローテーブルの上に乗せる。

「……これ」

 すぐにそれがなんなのか、南波もわかったのだろう。
 見開かれる目に、固まる表情に、心臓が今にも破裂しそうだった。苦しい。息ができない。
 俺は今、南波に残酷なことをしようとしている。

「……どこで、これ……」
「……南波さん、これは……この指輪は――……南波さんを、殺した人が落としたそうです」

 ガシャン、と何かが割れるような音がした。実際に何が割れたわけではない。けれど確かにこの瞬間俺は傷付けた。それだけは痛いほど感じた。
 時間が停まったかのような錯覚に、呼吸すらもできなかった。
 俺は、南波の顔を見ることができなかった。
 沈黙の末、先に口を開けたのは南波だった。

「――……嘘だ」
「…………南波さん」
「あり得ねえ」
「……っそれは」
「……んなわけねえだろ、そんなわけ……ッ!あの人が俺を殺すだと?んなのあり得ねえ、んなわけねえだろ、そんな……っ、こと…………」

 伸びてきた手に胸倉を掴まれる。今までは意識したことなかった、思いの外筋肉質なその腕は太く、ちょっとやそっとの力じゃ離れない。片手で首を締め上げられそうになり、血の気が引いた。
 咄嗟に腕を掴み、引き離そうとして、俺は手を離す。
 南波の顔を見てしまったから、怒りに歪むその顔が一瞬迷子の子供のように見えたから。

「な、んばさん……」

 俺を殴って気が済むなら好きなだけ殴ればいいだろう。それほどの痛みを俺は今から南波に与えようとしてるのだ。
 抵抗をやめ、来たるべき痛みを耐えようとぎゅっと目を瞑ったときだった。

 首を掴んでいた手が離れる。いきなり支えを失った体はバランスを崩し、その場に尻餅をつきそうになったのを手をついて耐えた。

「オヤジが、俺を殺すなんて、そんなわけ」
「……っ、南波さん……」
「あるはずない……ないんだよ、あり得ねえ…………ックソ!!」

 そう繰り返す南波の顔は悲痛に歪み、癇癪を起こすように髪を掻き毟った南波は近くの雑誌の山を蹴り飛ばす。

「……誰だよ、これ持ってたやつは。……そうだ!そうだよ!普通に考えりゃわかることだろ。そいつの仕業に違いねえ」

 怒り狂ったかと思いきや今度は名案とばかりに上機嫌を取り繕う南波は座り込んだまま唖然とする俺の前へとやってくる。後ずさることもできなかった。
 俺の横、腰を落として座り込む南波は馴れ馴れしく俺の肩を抱き、「なあ、そうだろ。準一」と繰り返すのだ。
 その目は笑ってない。そういえ、そう命令してくる。威圧感に、肩口に食い込む指。脅迫されているというよりもそれはむしろ。

「っ、南波さん……」
「言えよ、そうだって……なあ、準一ッ!」

 首を縦に振ろうとしない俺に焦れたかのように南波は声を上げた。鼓膜がビリビリと震える。
 圧されるが怖いとは思わなかった。睨みつけてくるその目が何を懇願してるのかわかったからだ。
 けれど、それは南波自身が本当に望んでることとは思えなかった。
 だから俺は、南波の腕を掴み、引き寄せた。真正面から覗き込めば南波と視線がガチ合う。
 目を反らすな、怖気づくな、ここで引いたら南波との約束を破ることになる。そう、口の中で繰り返した。

「……っ、信じないなら……それでもいいです、疑ってくれても構いません。だから…………最後まで俺の話を聞いてください

 何があったのか知りたい。そう、真っ青な顔した南波に頼まれたときのことを思い出す。
 あのときの言葉は本心からだった。だから俺は承ったのだ。どんな結果になろうとわかっててだ。
 最初からこうなることはわかってた。きっと南波自身も気付いていた、知ってたはずだ。
 真っ直ぐに目を見つめ返す。先程までぶれていた焦点が、次第に定まっていくのがわかった。

「………………くだらねえ話だったらブッ殺す」

 受け入れる準備ができたわけではないだろうが、それでも話を聞き入れる体制になった南波にホッとした。
「わかりました」と答える自分の声は僅かに震えていた。おかしな話だ。死ぬほど不安で怖いしてるのは俺よりも南波の方だというのに。



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