亡霊が思うには


 10

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 倒れた南波の側、座ってるといつの間にか辺りにぶち撒けられていた血の海はなくなっていた。
 よく見ると首の切り傷も消えていて、気付いたのだろうか、とそっと腰を浮かせた矢先だった。
 俺の気配を察知したかのように南波は飛び起きた。

「……ッ、つ……!!」
「……南波さん、大丈夫……」

 ですか、と言い終わるよりも先に、眼前に突きつけられた
 突き付けられる黒い鉛に全身が硬直する。
 銃だ。あの銃がまた南波の手に握られていた。
 初めてではないが、突きつけられたそれが俺への警戒心を顕著にさせているようで複雑だった。

「……あいつは、どこに行った」

 酷く掠れた声。睨むように細められた鋭い目。よく見ると酷い顔色だった。不安、というよりも怒りに似た色が表情に出ていた。
 死なないと分かっているはずの俺にこんなものを向けるくらいだ、相当疑ってるのだろう。
 悲しいが、無理もないと思う。俺が南波の立場だったら同じことになるかもしれない。

「……南波さん、あの、落ち着いてください」
「知らねえガキに首掻っ切られて落ち着けってか?」
「それは、確かにそうですけど……」

「あいつは、気難しいところがあるけど基本的には……悪いやつじゃないんです。……その、さっきのは虫の居所が悪かったっていうか……」南波を安心させたいつもりだが、藤也を庇うことばかりを言ってしまって益々南波の顔付きが険しくなるのを見て胸の奥が焦りでざわつく。

「お前もあのガキとグルなのかよ」
「グルというか、その……っ」
「テメェも俺のことをハメたつもりか?」
「……っ」

 まずい、何を言っても逆効果になってしまう。
 けれど沈黙はそれを認めることになってしまうわけで、何か言わなきゃ。そう思うのに剥き出しになった敵意に狼狽してしまう。
 違うんです南波さん、とダメ元で宥めようとした矢先のことだった。

「いい加減にしろよ」

 ずっと姿を消していた藤也が音もなく南波の背後に現れる。
 俺が「藤也」とその名前を口にするよりも先に、南波が背後の声に反応する方が早かった。
 目の前。今度こそ至近距離で突き付けられた銃に狼狽えるわけでもなく顔色ひとつ変えずに藤也は南波を見る。
 冷めきった、侮蔑の視線。
 それは以前の南波に向けられていたものと変わらない。

「アンタ、死ぬ前から馬鹿だったわけ?……さっきのはアンタがいきなり銃向けてきたから悪いんだろ」

「それとも何、また同じことしたいの」そう怖気づくどころか挑発し返す藤也に俺は冷や汗が滲む思いだった。
 南波の瞼がぴくりと痙攣する。一発触発、それどころかすでに溢れ始めてる気がしてならないその空気の中、こうなったらと俺は藤也に視線を向ける。

「おい、藤也やめろって」
「喧嘩を売ってきたのはそっちだろ。……それとも、撃ってみたらいいじゃん。……準一さんにしたみたいに俺を撃てよ」

 見ていたのか。どこから、どこまで。
 サラリと出た藤也の言葉に、南波も気付いてるのだろう。藤也が俺と同じってことを。そして南波自身もだ。

 心底不愉快そうな南波だったが、やがて馬鹿馬鹿しくなったのか持っていた銃から手を離す。
 カランと音を立てて落ちるわけでもなく、空気に溶け込むように消えたそれに南波は驚きもしなかった。

「南波さん」
「これでいいんだろ……お前もその目障りなブツ仕舞えよ」
「………………」

 え、と藤也の方を見たときだった。藤也の袖の下からガラガラと大量のナイフが落ちてくる。
 悪びれた様子もなく、「これでいい?」と聞いてくる藤也に南波はもう何も言わない。
 藤也がちゃんと南波に従ってくれてるだけで安心したが、本当にこのナイフを使うつもりでいたのかと思うと正直気が気ではない。
 けど、一先ずは。

「はぁ…………」
「なんでお前がそんなにホッとしてんだよ」
「……だって」

 一時期はまた血を見ることになるのかと思ったからに決まっているだろう。なんて南波に言えるはずもない。
 和解と呼べる段階ではないと思ってたが、武装解除はでかい。口ごもる俺の言葉を遮るように、藤也は「そんなことより」と南波に向き直った。

「アンタに用があって来たんだけど」
「……俺に用だと?つーかお前、ガキのくせに人に命令する前に自己紹介くらいしたらどうだ?」
「……ガキガキ言ってるけど、俺、アンタとそう変わんないから」

「え」と、俺と南波の声が重なったとき。
 藤也は何もなかったように「藤也」と口にした。

「…………藤也。俺は言った。……次はアンタの番だろ」

 ぶっきらぼうな藤也らしい雑な自己紹介だと思った。
 よく知る相手に対し、二度目の自己紹介をするのは変な気分に違いない。けれど、普段の南波に対する態度を考えると今の藤也は明らかに目の前の南波をちゃんと人扱いをしている……ような気がするのは俺の考え過ぎなのだろうか。
 顎で指された南波は少しだけムッとしたがそれも藤也相手には無駄なことだと早々に理解したのだろう、南波は口を開いた。

「宗親(ムネチカ)」

 ――南波宗親。
 それが、南波の本名なのか。

「これで文句ねえだろ、ガキ」そう、あくまでも態度を崩さない藤也に対して南波は挑発的に返した。
 名前というものは不思議だ。前まで霊体の俺たちにとっては記号のようなものだと思っていたのにフルネームを知ったというだけでその相手がまるで一人の人間のように感じるのだから。
 ……最初から俺達は人間だというのにだ。

「その、南波……宗親さん」
「別に下の名前で呼ばなくていいっての。……つか、男に呼ばれても嬉しかねえし」

 そうわざと突っ撥ねるような言い方をする南波だが悪い気はしないのは先程よりも信頼してくれてるのがわかったからか。
 俺は仕切り直すために咳払いをし、「じゃあ、南波さん」と改めて向き直る。

「南波さんの記憶が混乱してることについてですけど……もしかしたらこれが関係するかもしれません」

 そして、俺は仲吉からもらったカメラを取り出した。
「なんだそれは……カメラか?」と不思議そうにする南波に、見てください、と画面を操作して撮影記録を閲覧する。
 その脇から藤也も覗き込んできた。
 何枚かの写真をスライドして飛ばしたとき。

「これは、俺か?」

 青いシャツの南波の後ろ姿を捉えたその写真を見て、俺は手を止める。やはり、南波も気づいたらしい。


「これ、覚えてます?」

「わかんねえけど……さっき撮ったわけじゃねえだろ?」

「はい、これを撮ったときはまだ南波さんは記憶なくなる前で……別のところにいたはずなんですよ」

 自分で言っててこんがらがりそうになる。そしてそれは南波も同じらしい。眉根を寄せ、「わけわかんねえな」と唸るように吐き捨てた。
 まあ、……ですよね。
 すぐに謎が解ければそれが一番いいのだが、今回は一筋縄ではいかなそうだ。
 それから何枚かページ送りしたとき、南波が「おい」とカメラを持つ俺の手を止めた。

「っ、これ」

 そう、俺を押し退けるようにしてカメラの画面を食い入るように見る南波に、ああ、と思った。
 画面に表示されていたのは、地面の上に転がる例の指輪の写真だ。銀色に光るそれに、南波は目を見開いた。

「南波さん、この指輪知ってるんですか?」
「っおい、これ、どこにあった?!」
「……っこれは、その……」

 問い詰められる。
 血相を変えて食いかかってくる南波は苦しんでるようにも見えた。俺は、言い淀む。本当のことを言うべきか迷ったからだ。
 南波の様子からして、この指輪が本来ならばここに存在するのは望ましくないものだとわかったから、余計。
 言葉に詰まる俺を見兼ねたように、俺と南波の間に藤也が割って入った。

「……落ち着いて。これは適当にそこらへん撮ったときに映った写真の一つで実物はまだ見つかってない」

 そう、静かな声が響く。
 その冷静な言葉に、南波も一先ずは落ち着いたらしい。それでも「でも、なんで」と腑に落ちない様子だ。

「……俺達はこのカメラで撮った写真には強い思念が反映されてるんじゃないかって話てたんだ」
「……思念だって?」
「アンタ、これに覚えがあるんだったら教えてよ。……ここに写ってるのがなんなのか」

 その藤也の言葉に、南波は目を泳がせた。顔色が酷く悪い。玉のような汗が南波の額から流れ落ちる。唇をキツく噛んだ南波は、自身を落ち着かせるように肺に溜まった息を吐いた。

「……っ、これは……」
「……南波さん」
「っ、そうか、俺……死んでるってことは……クソ……ッ!」

 何かを堪えるように硬く握りしめた拳を木に叩き付ける。生暖かな風に吹かれ、葉同士がぶつかり合う。
「南波さん」と宥めるように南波の肩を掴んだとき、木に爪を立て、南波は絞り出すように口にした。

「…………俺の、オヤジの……指輪だ」

 南波から聞いた話は、まるで別の世界のような話だった。
 南波がオヤジと呼ぶその人は、生前の南波を面倒見、盃を交わしてくれた相手だという。
 南波とそのオヤジさんは、とある事情で敵地へと襲撃するはずだった。しかし、南波はその後の記憶がないという。
 そして南波が霊体になっているということを踏まえると、その結果は明らかだ。南波はそれを受け入れていたが、そんなオヤジさんの指輪がここにあるということを酷く恐れているようだった。

「思念ってどういうことだ……俺が、俺が生み出したってことか?この写真を……っ」

 寧ろ、そうであってくれ。そう言いたげな南波に、俺はただ無言で頷くことしかできなかった。
 本当は写真だけではない。実際に現物も出てきた。
 それも写真よりももっと汚れ、錆びた指輪が。
 でもそれが意味するのは南波の親父である会長さんの身に何かあって会長さんの手から指輪が離れたということだ。

 ……本当のことは言わない方がいいよな。
 言わなきゃいけないとはわかっていたが、それでもまだ混乱が抜けきれていない南波に追い打ちを掛けるような真似はしたくなかった。

「あれからもう四十年も経ってるってことは……どっちにしろ、もう後の祭りってことかよ」
「南波さん、その……」
「……少し、一人にしてくれ」

 ……大分思い詰めてるらしい。
 再び俺の前から離れていく南波に、伸ばしかけた手がただ虚しく空を切る。
 ……本当に放っておいていいのだろうか。
 藤也はともかく、幸喜のこともある。こっそり後を追おうかとしたとき、藤也に止められた。

「準一さん、ほっといた方がいい」
「分かってる、けど……」
「今アンタが行ったところで何もできないでしょ」
「…………」

 何も言い返せなかった。
 藤也の言うとおりだ、俺が今南波にできるという事は指輪の現物があることを教えることくらいだ。

「……やっぱり指輪のこと知ったら、もっと傷つくよな」
「だろうね」
「……っ」
「……アンタがそこまで一緒になって凹むことじゃないだろ」

 藤也はそういうが、俺が南波だったら不安で仕方ないに決まってる。
 いくら時間が経ってようが、記憶を失っている間に大切な人を失ってたなんてわかったら。
 なんとなく俺は浦島太郎を思い出した。
 開いたのは玉手箱なんていいものではないけれど。

 一度、藤也に諭された俺は言われたとおり南波を一人置いて屋敷へと戻ることにした。
 俺も、色々考えたかった。なんとか南波を傷つけずに説明できないか。……けれどそんないい方法、俺の頭で思いつくはずもない。

 結局時間だけがただ虚しく経過する。
 色々考えていたがやはり戻ってこない南波のことばかりが気になってしまい、考えもうまく纏まらなかった。
 そろそろ、帰ってきても良い頃だよな。
 どっぷりと日が暮れた屋敷の外は既に暗い。いつの間にかに曇天の空からは小雨が降り注いでいるではないか。

 屋敷の外へと南波を探しにこうと玄関口へと降りていった。
 そのときだった。蝶番の扉が開いた。そして、そこから現れたのは。

「南波さん……っ」

 雨に濡れたらしい。ずぶ濡れの南波はそれを拭おうともせず、まるで焦燥感の滲む表情で立っていた。
 そして、駆け寄ってくる俺を見るなり「準一」と確認するように名前を呼ぶ。その声にも覇気は感じられない。

「大丈夫ですか、何か拭くものを……」

 持ってきましょうか、と南波に手を伸ばしたときだった。
 濡れた手に手首を掴まれた。
 濡れた手の感触に驚いて顔を上げれば、青褪めた南波と至近距離で視線がぶつかった。

「……頼みがある」
「俺に、ですか?」

 南波から鬼気迫るものを感じ、こわごわと聞き返せば南波は小さく頷いた。色を抜いたような金髪から雨の雫が滴り落ちる。
 いつも怯えた南波の顔ばかりを見ていたから余計、真剣な顔をした南波を見ると落ち着かない気分になった。
 ……今の南波はあのときの南波とは別人だとしてもだ。

「俺には死んだときの記憶がない。それどころか、きっと大切なことも忘れてる気がするんだ」
「南波さん」
「頼む。……記憶を取り戻す協力をしてくれないか」  

 そう言って、あの南波が俺に頭を下げた。許しを乞うための土下座ではない。俺個人に対するお願いとしてだ。
 死んだ今、知ったところでどうにもならないとわかっていても、それでも失ったものを取り戻したい。
 失ったものが、それがどんなに残酷なものだとしても。
 顔を上げた南波の目に迷いはなかった。
 覚悟を決めた南波を前にした俺には、それを断る理由が見つからなかった。

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