亡霊が思うには


 side:???

 「あいつ、ここ最近ずっと部屋に籠もりっぱなしなんだよ。話し掛けても反応しないし、おまけにずーっと一人でブツブツ呟いてんの。ホント、気持ち悪い」
「あんたの子供でしょ?」
「知らねーよ、あの男が勝手に連れてきたんだよ。ま、下手に出歩かれるよりましだけどな」

「…………」

 扉の外から聞こえてくる母親とその友人の話し声。
 それに混ざる雨音に気付き、ぼくは閉め切ったカーテンを開いた。
 灰色に濁った空はちょっとやそっとでは晴れそうにない。

「幸喜、今日は雨だね……明日、体育祭なんだって、晴れたらいいけど……」
「大丈夫だろ、晴れるって!」
「そうかな……ねえ、藤也はどう思う?」
「……雲が低い。多分雨だな」
「そんなの明日になったらまた上がってるかもしんねーじゃん?勝手に決め付けんなっての!」
「決め付けてるのはお前だろ」
「わかった、ごめん、ごめんってば、……変なこと聞いたぼくが馬鹿だったね。どうせ、ぼくには関係ないっていうのにね」

 どうして二人ともこんなに仲が悪いのだろうか。不思議に思いながらも、ぼくは薄暗い部屋の中窓の外を眺めていた。


 ◆ ◆ ◆


「いい加減にしなさいよっ!いつまで引きこもってるつもりなのよ!」

 普段不干渉だった母親だったけど突発的にぼくの部屋にやってくることがある。
 例えば、今みたいに。

「……だって、でも、ぼくがいたら、母さんが嫌がるから」
「なら自殺しろよ」
「っ、」
「こっちはあんたが生きてるだけで迷惑してんだよ」

 充血した目。具合が悪いのだろうか。母親の額からは尋常ではないほどの汗が滲んでいる。
 心配になったけれど、関係のない話をしたらまた怒られてしまう。
 答えに迷って、視線を泳がせた。

「…………ぼく……は……」
「私が虐めてるみたいな言い方はやめなさいよッ!」

 平手で打たれ、脳がびっくりしたみたいだ。一瞬何も考えられなくて、それでも、不思議と痛みは感じない。
 けれど、平手打ちだけでは母親の怒りは収まらなかったようだ。
 窓際、凭れ掛かるように置いていたそれを見付けた瞬間、母親の目の色が変わる。
 まずい、と思った時には遅かった。

「男のくせにっ、中学生にもなって引き篭もって人形遊びなんてッ!恥ずかしいっ!下田さんちの子は毎日塾にも行って受験に備えてるっていうのに!」

 数年前、余った端切れで作った黒い猫。それを手に取った母親に、血の気が引く。
 同時に、自分の心臓が握り締められているような、そんな息苦しさが込み上げてきた。

「やめてっ、母さんっ、それは、それは……っ」
「あんたは良いよなっ、引き篭もってるだけなんだからなぁっ!」

 次の瞬間、引き千切られるぬいぐるみ。頭部と胴が離れ、飛び出す綿に、心臓がばくりと大きく震えた。

「……ッ」

 藤也が。
 ぼくの、ぼくの友達が。

「あぁ、ああぁ……っ!」

 目の前、床の上に捨てられるぬいぐるみを見た瞬間、頭が真っ白になった。
 支えるものを失い、必死に堰き止めていたものが腹の中で溢れ出すのが自分でもわかった。

「藤也っ、藤也、藤也ッ」
「変な泣き方止めろよ!勘違いされるだろうがッ!」
「うぐッ」

 拾い上げようと這い蹲れば、眉を潜めた母親に思いっきり蹴られる。

「ぅ、え……っ」
「チッ……さっさと死ね!」
「っ……」

 どうして藤也は関係ないのに、ぼくを殺してくれたらいいのに。どうして、藤也。藤也、助けて。藤也、藤也、藤也……。

 部屋から出ていく母親を見送る気にもなれなくて、ぼくは黒猫を抱き締めていた。
 糸もある、縫うこともできる。けれど、ぼくの友人を傷付けられたことには変わりない。
 止まらない涙もいつの間にか止まっていて、気が付いたら、ぼくは、俺は、母親がいる居間に立っていた。

「……なら、殺してやるよ」

 聞こえた声が、自分のものだと気がつくのに数秒掛かる。
 台所に立っていた母親が、「は?」と忌々しそうにこちらを振り返ったのを最後に、ぼくの意識は途切れた。

 次に目を覚ましたとき、机の上にはセロハンテープでぐるぐるに巻かれ補修された黒猫がいた。


 ◆ ◆ ◆


「親に手を出すなんて」
「中学不登校だったんだって」
「信じられない」
「優しそうな子だったのに」

「んだよ、今でも十分優しいだろって」

 ちょっとお迎えが来たくらいで大騒ぎするものだからこっちが楽しくなってしまう。
 家の前、離れた場所からこそこそ喋ってるオバサン方に手を振れば、隣にいたオジサンに睨まれる。怖くねー。

「嘉村義人ッ」
「あ、お姉さんおっぱいでかいねー。俺と遊ばない?あ?子持ち?オーケーオーケー」
「おいッ!」

 うるせえから無視しようと思ったら耳引っ張られた。

「なぁにい〜?オジサンも俺と遊びたいの〜?」
「大人をおちょくるのも大概にしろッ!自分が何したのかわかってんのか!」

 まーたこれだ。
 おちょくってるつもりもねーのにさあ、自意識過剰なんじゃねえの。ってか。

「あー?知らねえよ、だって、あいつが勝手にしたんだろ〜?俺わかんねーし」
「巫山戯るなッ」
「ふざけてないしぃ、オジサン、そんなに大きい声出すと血管切れちゃうよ?ブチっとね」

 あーあ、つまんねー。義人のやつも藤也もいねえしつまんねー。あのギャンギャンうるせー人も藤也がやっちゃったっていうし、つまんねー。けど、まあいいわ。オジサンいるし。

「こんな風にね」

 なんて、あいつがポケットに突き刺したままになってるペンを手に取り、掴んでくるオジサンの首を思いっきり抉ってやればあーおもしれー。今の顔、ちょっと可愛かった。なんて思ったり。

「っ、な」
「後さぁ、なんか勘違いしてるみたいだけど俺、ヨシトじゃなくてコウキだからさぁー。幸せを喜ぶって書いて幸喜、いい名前だろ?」

 目んタマ飛び出しそうなくらい見開いて青褪めるオジサンの顔。あーゾクゾクする。さっきまで偉そうぶってるやつの顔が歪むのって本当、たまんないよなー。

「あ、そーだ。せっかくだし見えるところに書いといてあげるよ」

 周りの悲鳴に心臓がバクバクなって、他の連中が俺に注目してると思ったらなんかすげー勃起しそう。しないけど。

「それならオジサンも俺のこと忘れないじゃん?」

 俺、ちょー優しい。


 ◆ ◆ ◆


 部屋の中、扉の前。
 ずっとそこにいたらしい根暗は、現れた俺を見るなり目を細める。

「……本当、あんた余計なことばかりするよな」
「お前ほどじゃねーけど」
「あいつは、傷付ける必要はなかったはずだ」

 俺とおんなじ顔をしてるくせに、ねちねちねちねちとまじでうるせー。小姑かよ。

「ムカついたから」

 とだけ答えておく。
 だって本当にムカついたんだし。教師も周りもすげーうざい。俺がうざいって言ってんだからこいつもあいつもうざいに決まってる。だからわざわざ俺がやってやったのに感謝するどころか藤也は睨んでくるし。

「自己中野郎が」
「自虐ネタ?面白いねー」

 本当、我ながら可愛くねー。
 なんて思いながら、目を開く。
 視界いっぱいに広がる青空がクソ眩しい。
 そしてセミが煩い。

 どこに行っても変なスーツのおっさんやら赤いランプ光らせた車に追い掛けられるもんだから、取り敢えず寝たいがために山の中へとやってきた俺。
 藤也も義人も体力ねーから代わりに歩いてやってんのはいいんだけど、そろそろほんと、腹減ったっていうか。

「これからどうすんだよ」
「どうしよっか。何も考えてねーけど、でも、多分、どうにでもなるよ」
「無計画馬鹿」

 お前に言われたくねえよ。頭の中一々煩い藤也の声を振り払い、俺は起き上がる。
 義人は、まだ現れない。ここ最近ずっと引き篭もってる。まあ、こんな状況じゃ無理もないかな。
 なんて思いながら、汗やら土やらでどろどろになってる顔拭う。
 そんな時、どっかから砂利を踏む音が聞こえた。
 鹿とか兎だったら食えるかなーなんて思いながら振り返れば、想像していたよりもでかい影が一つ。

「おや、珍しいですね。こんなところに子供が」

 山よりも夏祭り会場のが似合ってんじゃねえのって感じの着物のその人は女とも男とも取れるような顔をしていたが、その声も喉仏も骨格も全て男のもので。

「……お兄さん?」
「ええ、正解です」
「こんなところでそんな格好でいちゃ虫に食われね?」
「残念ながらここ数年は虫相手にも無視しれてるんですよ」

 つまんねーダジャレをくれる和服のお兄さんは自分で笑った。

「吸える血もないものですから、相手にされないのは仕方ないのでしょうが」

 暑さとは無縁とでもいうような涼しげなお兄さんは汗一つ流していない。対する俺は汗やらなんやらでやばいことになっているわけで、このお兄さんなんかおかしい、とかそんなこと以前にこんな暑い中樹海で着物で彷徨いてる人間という方が珍しいだろう。

「お兄さん、もしかして幽霊?」

 生気を感じさせないお兄さんは驚くわけでも気を悪くするわけでもなく、ただ少しだけ楽しそうに笑ってみせた。

「ええ、それも正解です」


 ◆ ◆ ◆


 お兄さんは花鶏っていうらしい。

「俺、幽霊初めて見た」
「そうですか。もしかしたら私たち波長が合うのかもしれませんね」
「え、気持ち悪いな。なんかそれ」
「おや、思っていても口に出さないというのが大人ですよ」

 俺大人じゃねえし、と言い掛けてやっぱやめた。
 にこにこ笑ってる花鶏さんは多分、何言っても喜ぶだろうから。
「あっそ」とだけ返せば、花鶏さんは笑う。
 終始笑ってる花鶏さんに別に楽しいことなんてないのに何が面白いのだろうかと尋ねたところ、「私にとってはこうして誰かと通じてるだけで楽しいものです」と気持ち悪い答えが返ってきたので多分何度言ってもその答えは変わらないだろうし、聞く気もない。
 お腹減った。なんか食いたい。
 なんて思いながら、ぼんやり木を登るカブトムシを見つめていると「もしかしたら」と花鶏さんは口を開く。

「貴方の方が我々に近付いているのかも知れません」
「俺が?あんたと?」
「死相が出てます。恐らく、そう長くはないでしょうね」

 変わらない笑みを浮かべたまま、変わらない調子で告げられる。
 幽霊に言われてしまっては、そうなのだろう。

「ああ、そういやなんか腹減ってきたしな……」
「それは困りましたね。今、私の元にはお供え物の腐った団子しかありませんよ」

 この辺りに全く人気のないことを考えるとその団子も相当賞味期限が切れてるに違いない。
 流石に食う気になれなくて、「別にいらねーって」と返せば花鶏さんは困った顔をする。

「……死にたいのですか?」
「別に?けど、それならそれでもいいかなって」
「何故?」

 何故、と聞かれても。
 言葉にするのはあまり得意じゃない俺はそのまま伝える。

「俺の中にいるやつがそれを望んでるから」

「誰にも迷惑掛けたくないって、ずーっと引き篭もって出てこねえの」気が付けば義人はいなくなっていた。
 あの部屋には藤也がいるだけで、義人は鍵のかかった部屋の中に閉じ込もっていて。
 呼び掛けても声も聞こえてこない。どうすればいいのかも、わからない。

「……迷惑、ですか」

 ぽつりと、花鶏さんは呟く。

「それなら、私の元へ来たらどうですか」
「花鶏さんのとこ?……お墓?」
「残念ながらお墓ではありません。けれど、あなたを受け入れる部屋くらいはありますよ」

 この辺りに建物があるようには思えなかった。まともに整地もされていない木が生え放題のこの山の中、幽霊が住んでる家なんて安易に想像付く。
 藤也なら、ふざけるなと、冗談じゃないと怒るだろう。
 けれど、義人は、義人ならどうするだろうか。

「なあ、そこってさぁ……あと二人、ついて行っても大丈夫?」
「ええ、何人でもどうぞ」

「その代わり」と、花鶏さんは静かに口を開いた。

「……その代わり、もう二度と外界と関わらなくなるかもしれませんが」
「それでもいい」

 気が付いたら、自分の口は勝手に動いていた。
 自分の言葉なのか、藤也の言葉なのか、義人の言葉なのかわからない。
 だけど、俺になそれだけで十分だ。

「だから、部屋を貸してよ」

「鍵がついてる部屋、誰も入って来れないような部屋を」頭の中に響く声に従うのが俺の役目だから。

 List 
bookmark
←back