亡霊が思うには


 06

 一先ず、深呼吸して整理しよう。そして再度ゆっくりと辺りを見渡してみれば、やはりそこはさっきまでとなんら変わらない景色が広がっていて。
 いままで当たり前にそこにあったはずの屋敷がなくなっていた。そりゃあ、もう、跡形もなく。

「えーと、ここがさーやの言ってた屋敷?」
「あ、あぁ……」
「随分と荒れてますねぇ〜」

 仲吉達の会話なんて頭に入ってこなくて、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
 ……どういうことだ。
 花鶏が毎日手入れをしては幸喜に荒らされていた花壇があった場所も、ただの荒れ地になっていて。まるで全て夢だったかの光景に一瞬自分の目を疑ったが、その可能性はすぐに払拭された。

「花鶏さん、南波さん!奈都ー!」

 突然、声を張り上げる仲吉に、思考停止しかけていた俺はハッとする。

「うおっ、吃驚したー……いきなり大声出すなよ〜」
「だって……なんでだよ、この前までちゃんとあったのに……有り得ねえっしょ」

 そう呟く仲吉に、やつの視界でも同じようなことになっていることに気付く。
 だとすれば、俺だけではないということだ。屋敷が消えているのは。

「まあ、確かに屋敷があった跡はあるんだし正解なんじゃない?」
「……」

 まだ納得いっていないのだろう。押し黙る仲吉だったが、重い口を開いた。

「準一、なあ、そこにいるんだろ?」

 背中を向けたまま名前を呼ばれ、自分が姿を消したままになっていたのを思い出した俺はそのまま「いる」とだけ返すことにした。

「どうなってんだ、これ」
「俺にもわかんねえよ。……花鶏さんたちもいねえし」
「……」

 恐らく、俺と同じなのだろう。とは思う。誰にも来てもらいたくないという意思で姿を消したのだと考える。だけど、誰が?まさか屋敷の意思で?……まさかな、とは思うが、今までそんなまさかな生活をしてきたため強く否定することが出来ない。
 どちらにせよ、俺にとってこの状況はチャンスなわけだ。

「とにかく、もう帰れ。あいつらが出てくる前に、早くな。これ以上遅くなったら帰りが危ないぞ」
「……」

 また、無言。
 無視されてるみたいで面白くなくて、「おい」とやつの背中に再度呼び掛けてみる。
 その時だ。

「……こうでなくちゃな……」

 小さく、仲吉の唇が動いた。
 まるで笑みを浮かべるように釣り上がるその口角に、僅かに嫌なものを感じた俺は「おい、仲吉?」とその肩を掴もうと手を伸ばしたとき。

「とにかくまあ、ついでに記念写真撮っておきましょうかぁ?」

 投げ掛けられる緊張感のないその提案に、思わずずっこけそうになった。
 何を考えてるんだこいつは。
 こんな奇妙な現象が起きてる中、脳天気な男になんだかもう怒り通り越して呆れたが。そうだ。初めて来たこいつらからしてみればただの変哲のない荒れ地なわけだ。そりゃ観光気分になるのも百歩置いて仕方ない。……仕方ないが。

「お、いいなーそれ!」

 大体のことは把握しているはずのこいつがなんでこうも乗り気になってるんだ。

「おい、人の話聞いてたのかよ!」
「分かってるって!ほら、写真撮ったら帰るから!」

 本当かよ、と仲吉を睨むがあいつはそんな俺に構わず早速カメラを用意しているではないか。
 今更だとは思うが、本当、どうにかならないのかこいつの性格は。

 そんなとき、ふと、背後から突き刺さるように向けられた視線に気付く。気になって振り返れば、そこにはあの軽そうな男がいて。
 まさか俺が視えるとか思ったが、どうやらそうではなくその冷ややかな視線は俺をすり抜けて仲吉に向けられているもののようだ。

 そんな男に気付いたのか、ぽややんは「蔵元センパイ?」とその男を呼んだ。軽そうな男、蔵元は「いや、つーかさ」と顔を引き攣らせた。
 ……って、蔵元?

「さーやさぁ、さっきから一人で何喋ってんの?」
「あ?」

 どこかで聞き覚えのある名前だな、なんて今までの記憶を掘り返していた矢先、呆れたようなその指摘に俺は今の自分の姿を思い出し、ハッとする。……忘れてた。

「は?誰とって準……」
「おいっ!待て!」

 当たり前のように答えようとする仲吉の口を慌てて塞ぐ。
 ただでさえおかしいやつなのに、本気で死人と話してるなんて答えたら近寄らない方がいいやつ認定されるに違いない。最早されている可能性もあるが、それでもやっぱり友人が頭おかしいと思われるのはくるものがある。

「とにかく、適当に誤魔化して帰れ。多分、花鶏さんの仕業だ。あの人気分で山の形変えるから今日はもう戻らないだろ。明るくなってからまた出直せ」

 とにかく仲吉を納得させるため、俺はただひたすら適当に言葉を並べた。
 花鶏にそんな力があるとか聞いたことないが、あの人まじでやらかしそうだし仲吉も納得したようだ。
 残念そうにしながらも、こくこくと頷く仲吉。

「いいか、絶対だからな。帰れよ!」

 念を押しつつ、俺が仲吉から手を離した時。

「さーや?」

 すぐ傍、近付いてきた足音に驚いて振り返る。瞬間。

「ん?」

 薄暗い木の下。
 そこに立っていた男と一瞬だけ、確かに視線がぶつかった。
 見られてる。
 頭を過る一抹の可能性に血の気が引いたが、すぐに向けられた視線は俺の隣にいた仲吉に向けられる。

「じゅんじゅん居たの?」
「あ……いや、いねえみたいだな。多分今日はもう無理そうだって」
「ふーん?」

 仲吉もアドリブが下手くそというか嘘が吐けないやつというか、なんというか。
 俺の言うとおり誤魔化そうとはしてはいるみたいだが、如何せん支離滅裂すぎる。

 ……というか、じゅんじゅんって。
 特徴的なその呼び名に、脳味噌の奥深く、埋もれた記憶がふと蘇る。
 懐かしいな。確か、高校の時か。俺も誰かにそういう風に呼ばれてはあまりの語呂の悪さにムカついて何度か揉めたことがあった。
 仲吉か?いや、違う。あれは確か……。

『じゅんじゅん、今日も目付き悪いねえー』

 絡み付くような粘っこい話し方に、如何にも女子からモテますといったいけすかないにやけ面。
 やけに絡んで来ては喧嘩を売るような言動が目に余るクラスメート。
 確か、名前は……。

「カズ、祐太、今日のところは一旦戻るか」

 そうだ、カズ。蔵元和尚だ。
 仲吉とよく一緒にいたクラスメートのことを思い出す。
 だけど、ちょっと待て。なんで蔵元までここにいるんだ。

「えー?もう帰るんですかぁ?」
「俺はさんせーい。そろそろ眠くなってきたしーなんか虫多いしー、帰りたい」
「山に来て虫が多いなんて野暮ですよぉ、先輩〜」
「明日また来ればいいだろ。な?」

 懐かしい顔との予期せぬ再会に困惑する俺を他所に、仲吉の提案に不満そうにしながらもぽやぽや、もとい祐太は渋々承諾する。

「うーん、先輩がそう言うなら〜……」
「なっ!ほら、じゃ、戻るか!」
「って、え?!ここ登っていくんですか〜?」

 こいつらのことは、仲吉に任せておいても大丈夫だろう。
 あとは、幸喜達が何も仕掛けてないかを確認するだけだ。

 ……それにしてもどういうことなのだろうか。
 跡形もなく消え失せたその屋敷の跡を眺める。
 仲吉たちが足を踏み入れることを俺が拒否したせいか?……いや、まさかな。

 とにかく、仲吉たちを帰らせるしかない。
 跡地に背を向け、俺は再び林の中へと潜り込んだ。


「お疲れ様でした、準一さん」
「ああ、悪かったな、手伝わせて」
「いえ、僕はいいんです。僕が自分からしたことですから」

 既に日付が変わっているであろう深夜。ようやく帰った仲吉たちに、俺と奈都はハイタッチをした。
 それにしても、疲れた。普通に疲れた。

「でも、幸喜たち驚くほど大人しかったですね。……藤也君も、花鶏さんの姿も有りませんし……」

 不気味がる奈都の言葉に、俺は消えた屋敷のことを思い出す。
 そして、いても立ってもいられなくなった俺は「なあ」と思い切って奈都に尋ねることにした。

「さっき、仲吉たちと一緒に屋敷まで行ったんだけど」
「行ったんですか?」
「ああ……でも、なかったんだよ、屋敷が。丸ごと」
「丸ごとっ?」

 僅かに奈都の表情が険しくなる。疑うようなその目を真っ直ぐ受け止め、俺は頷き返した。

「花壇とかはあったんだけどよ、建物があった場所が更地になっててさ……お前、なんか知らないか?」
「……それは、僕も分からないです。でも、おかしいですね」
「だよな」
「本当なら少し気になりますし、一度戻ってみましょう」

 奈都の提案に、俺は大きく頷いた。
 意味が分からないというのが一番気持ち悪い。顔を見合わせた俺と奈都はそのまま足早に屋敷のあるはずの場所に向かった。


 ◆ ◆ ◆


「……これは」
「なあ、言ったろ?」
「ええ、まさか本当にこんなに綺麗になくなってるなんて……」

 屋敷跡地前。
 呆然と、目の前に広がる夜空を見上げる俺と奈都。
 そこにはいつもなら不気味なくらい古ぼけた洋館が聳え立っていたはずなのに。ない。もしかしたら俺の見間違いかと思ったが、どうやら奈都も同じようで。

「と……とにかく、花鶏さんに……」
「おや、私のことをお呼びですか?」
「っ!!」
「あ、花鶏さん……」

 音もなく目の前に現れた和装の美青年の姿にド肝抜かれそうになる。
 目を見開く俺に、花鶏はにっこりと笑いかけてきて。

「昼間ぶりですね、準一さん」
「……ええ、まあ……っじゃなくて!どういうことなんすか、これ……っ!」
「ああ、屋敷のことですか?」

 どこから取り出したのか、扇子を拡げた花鶏はそのままパタパタと自分を仰ぎ始める。そして、一笑。

「……あれなら今、めんてなんす中、というやつです」

 いつもと同じ調子で微笑む花鶏に、今度こそ俺たちはぐうの音も出なくて。

「め……メンテナンス……?」
「ちょ……あの、俺は屋敷がなくなっていることについて聞いてんすけど……」
「この屋敷も長いこと生きてますが大人数の若い男女は今でも苦手のようでしてね、恥ずかしがり屋なんですよ……彼は」

 花鶏が何を言っているのか全く理解できない。というか意味が分からない。彼って誰だ。……まさか、屋敷だとは言わないだろうな。

「御二方にも経験あるのではないでしょうか、苦手なものが目の前が現れたとき、目を背けたくなるのが」
「だ……だから、消えたっていうんですか」
「彼らが帰った今、もう隠れる必要はありません。心配しなくてもすぐに帰ってきますよ」
「……ッ……ッ!」

 納得がいかない。そんなのありなのか。いや、でもそれなら俺が今ここで存在してることすら現実的ではないわけであって……。

「準一さん」

 そのとき、肩にポンと花鶏の手が乗せられる。

「人生、そういうこともあるんですよ」
「まあ、そうかもしれないですね……」

 ってそう簡単に建物が消えてしまって納得行くか!
 ツッコむのも疲れてしまい、脱力のあまり俺はその場にへたり込んでしまう。
「準一さん」と心配そうな奈都の声が聞こえたが、悪い、奈都。暫く立ち上がれそうにない。
 俺が間違っているのだろうか、俺の硬い脳味噌が。

「……花鶏さん」
「どうしましたか、準一さん」
「……アンタはなんでいなくなったんですか」

 あんなに人間が来ることを楽しみにしていたくせに、花鶏は仲吉の前に現れようともしなかった。
 花鶏を見上げれば、細められた目がこちらを見下ろしていた。

「かく言う私にもあるのですよ」
「なにが」
「嫌いなものから目を逸らしたくなる、そんな経験が、です」

 花鶏の言う嫌いなものがなんなのか、俺には見当つかなかった。花鶏も、そのことについて詳しく話すわけでもなく、気が付けば音もなく消えていて。
 そして、立ち竦む俺と奈都の目の前。瞬きを数回したとき、何事もなかったかのように洋館はあるべきところに佇んでいた。

「……」
「……」

 俺と奈都が呆気にとられていると、不意に、洋館の扉が開き、そいつは現れる。というよりも、転がり出る、と言ったほうが適切かもしれない。
 夜の闇の中でも目立つ明るい金髪頭。地面の上、金髪頭もとい南波は勢い良く起き上がる。
 そして。

「っ、あ、あれ……?準一さん?」

「南波さん」と俺と奈都は声を揃えた。
 何故だかボロボロになった南波は俺たちの姿を見るなり恐縮する。

「すっ、すみません!お恥ずかしいところを……」
「いや、それはいいんすけど……」

 今、屋敷の中から出てきたよな?
 姿が見えない南波と跡形もなく消えていた屋敷。
 そんな屋敷の中から南波が出てきたということは、屋敷と一緒に消えていたということだろうか。
 ……どこに?

「あの、南波さん、今までどこにいたんすか」
「あっ、す、すみません!俺、準一さんの指示もなく動いてしまい……っ!」
「いや、あの、責めてるわけではなく……」
「あのバカ人間の気配を感じたので慌てて準一さんに知らせようと思ったんですが、このクソ屋敷、俺を閉じ込めやがったんすよ!」

「クソッ、手間取らせやがって!」と屋敷の扉を思い切り蹴りつける南波。
 それを奈都は「壊れますよ」と慌てて止めている。
 閉じ込める。確かにそう南波は言った。
 なら、今まで南波は屋敷とともに亜空間に消えていたということか?……いやちょっと待て、亜空間ってなんだ。俺は何を言ってるんだ。そんなSFチックなことが当たり前のように起きてたまるか。
 だけど、南波の言葉を信じればそういうことだ。

 ……もう少し、聞いてみるか。少なくとも、俺が納得出来るように。

「あの、こういうことってよくあるんすか」

 思い切って尋ねてみれば、「えっ?!」と悲鳴に似た声を上げる南波。

「や、あの、確かに俺、よく勝手な行動が多いと兄貴に怒られてましたが準一さんには、俺、なるべくちゃんとしようかと……」
「い……いえ、あの、屋敷の方なんすけど」
「すっ!すみません!俺としたことが準一さんの言葉にまともに返事をすることすら出来ないド低能糞虫野郎ですみません!」

 ダメだ、南波と話していると進まない。俺が何を言ったところで謝罪で返されかねない。
 俺は奈都に視線で合図をすれば、奈都も理解したようだ。小さく頷き返し、南波に向き直る。

「今、南波さんが屋敷に閉じ込められている間、僕達からはこの屋敷が目に映らなかったんです。花鶏さんは意思を持った屋敷が敢えて姿を消していたと言っていたんですが……」

 流石奈都、俺にもわかりやすい説明口調だ。それでもその内容が甚だ理解出来るようなものではないが。

「それなら別に珍しいことでもねえよ。……つかいちいち俺に聞くなっての、あのカマ野郎に聞け!」
「珍しくないってことは南波さんも俺達のような目に遭ったことがあるってことですか?」

 嫌がる南波には悪いが、聞けば聞くほど疑問は止まらない。思い切って尋ねてみれば、「そうなんすよ!」と打って変わって背筋を伸ばした南波は大きく頷いた。

「あの、準一さん、この屋敷だけじゃないんすよ、形が変わるのは。あのカマ野郎はあらゆる万物は本人の主観によって左右されるだとかなんたら抜かしてましたけど俺が思うにあのカマ野郎にもわかってねーんすよ、絶対!何でもかんでも小難しいこと言っとけば誤魔化せると思ってるんでしょうねえ」

 ということは、南波もなにもわからないということなのだろう。それどころかいつの間にかに花鶏への文句に切り替わっている。
 それよりもあまりの態度の違いに奈都の不機嫌オーラが心なしか増したような気がしないでもないが、これ以上は聞き出せそうにない。
「そうですか、すみません」と適当に話を切り上げ、俺達は南波と別れた。
 この後南波が花鶏に報復されないことを祈るばかりだ。

「すみません、お役に立てなくて」
「いや、こっちこそ付き合わせて悪かったな。……お前がいてくれたお陰で助かったよ」

 本当、いろいろ。
 ぺこりと会釈をする奈都はそのまま姿を消す。無事屋敷も戻ってきたことだし、俺も部屋に戻ろうかとした矢先だった。

 早朝、屋敷前。暗い森の中に朝日が差し込み始めた頃。

「……ん?」

 花畑の前、しゃがみ込んで何かしている人影を見付けた。陽気な鼻歌交じり、スコップを手にしたそいつの後ろ姿には見覚えがあった。
 幸喜だ。

「ふーん、ふん、ふ〜ん」

 音階が外れまくったそれは鼻歌というよりも奇妙な呻き声と称したいくらい酷い。
 それよりも、なるべく幸喜と関わりたくない。
 見つかる前に屋敷へ戻ろうかと思ったのだが、ざくりと大きく振り上げた幸喜のスコップが花壇に突き刺さった時。そのスコップの先、土に埋もれたそれを見て俺は目を見開いた。

「っおい、何してんだよっ!」

 泥で汚れ、スコップでズタズタに突き刺されたそれは確かに藤也が持っていたぬいぐるみで。
 ――ついこの間、自分が補修したものだった。

「ほあ?」

 ピタリと動きを止めて幸喜はきょとんとした顔で俺を見上げる。

「どうしたんだよ、準一。そんな怖い顔しちゃってさ」
「いいから、それを退けろっ!そもそも、藤也のものだろうがそれっ!」
「は?なにが?何言ってんの準一。面白」

 笑う幸喜は俺の制止も聞かずまた一突き。
 かろうじて頭部と体を繋げていた布は呆気もなく分裂する。

「これは俺のだよ」

「だから、俺がどうしたって俺の勝手だろ?」そう笑う幸喜は当たり前のように、寧ろそんな俺の言葉が愚問であるかのような目で、俺を見た。


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