04
藤也にあのぬいぐるみを返すこともできたし、無事、ではないが目標を達成した俺はこれからどう過ごすかを考えていた。
眠れない体になってから大抵、考え事をして過ごす時間が増えた。それがいいことなのか悪いことなのかわからないが、やることがないのだ。
夜は長い。他の連中も起きているだろうが、元々人と一緒に過ごすのは得意ではないのだ。
なにか俺を勘違いして絡んでくる人間も少なくはなかったが、殆どは俺を腫れ物かなにかのように触る。それが鬱陶しくて、人とは一定の距離を保つようにしていた。
唯一、仲吉が。仲吉だけが、そんな俺の中へと踏み込んできた。しかも土足で。
「……」
ああ、まただ。なにもすることがなくなってしまうと、仲吉のことばかりを考えてしまう。
会いたい、とは思わない。そんなこと考えてまた以心伝心してしまったらと思うと、恥ずかしさで憤死してしまいそうだ。
ちょっと顔を見ないだけで、ここまでなるとは。
これからどうするんだよ、俺は。まさか仲吉が心配で成仏出来ないとか、そんなあれはないよな。
なんて考え事をして過ごす、静まり返った夜の屋敷内。
食堂の方からは幸喜の笑い声が聞こえてくる。南波の悲鳴は聞こえないが、無事を祈るばかりだ。
今はなんとなく、一人でいたかった。
◆ ◆ ◆
屋敷敷地内、外庭。
雨上がり、湿った空気に包まれたそこは酷く生暖かく、ぬるい風が心地よかった。
花鶏が毎日手入れしている花壇は荒れいる。雨だけのせいではないだろう。
どうせ、幸喜辺りだろう。根っこから根こそぎ引きちぎられ、地面の上に捨てられた多数の花を一瞥し、俺は目を細める。
雨の日はいつもああだと、奈都は言った。雨の日じゃなくても、俺は幸喜が正常だとは思えない。藤也も。
悪くないやつだとは思いたいけど、藤也も、たまに恐ろしく思う時がある。自分と違う思考の持ち主だから、といえばそれまでだが、だけど、やっぱりなにかがずれている。決定的な生死の観念のズレ。
単純明快でいて、それでいてそのズレは大きくて。
外庭を通り、林の中へと進む。
雨上がりの空は相変わらず濁っていて、月はみえない。けれど辺りの空気は澄み渡っていて、俺はこの空気が好きだった。
土地鑑を掴むため、ひたすら歩いてみる。最初の頃は人気のない森は不気味だと感じていたが、自分がその不気味な何かになってしまった今、あまり感じない。これが慣れというやつだろうか、なんて思いながら少し休憩しようと近くの岩へと近付いたときだ。
どこか遠く、上の方からタイヤが砂利を踏む音が聞こえた。
「すごい真っ暗」
「おい、お前ら足元気を付けろよ。……っと、うわっ!」
「ちょっとちょっと〜、ユタカ大丈夫ぅ?」
「ああ、なんとか大丈夫だ。けど……」
「流石に、時間かかっちゃいましたねえ〜。もう辺り真っ暗じゃないですかぁ」
「ま、雨が上がっただけましっしょ!ほら、さっさと行こうぜ!」
「な……仲吉君、押さないで……っ!」
一人、二人、三人……六人。
暗闇の中蠢く影と騒がしいその声につられ、崖下までやってきた俺は愕然とした。
六人の内、一人は聞き覚えのあるやつなのは間違えなくて。心配していた矢先に現れたそいつに喜ぶとかそれ以前の問題だった。
なんで、他の連中までついてきているんだ。
仲吉一人だけならよかった、ということではない。
なるべくなら仲吉一人でも来てもらわないほうがいいと思っていた矢先に、しかも、こんな人数を引き連れて遊びに来ている仲吉に呆れ、俺は暫くその場から動けなくなった。
「懐中電灯、もう一本なかったっけ〜?」
「確かトランクに……あ、ほらありましたよ」
「ん……どーも」
「仲吉君、これって崖じゃないの?こんな斜面降りるなんて……」
「大丈夫大丈夫、ほら、手貸して」
「えっ、あっ、ちょ……きゃあっ!」
滑るような足音ともに悲鳴が近付く。咄嗟に俺は近くの木に隠れた。
自分の姿が一般人には見えないとわかっていても、俺のことを視ることが出来る仲吉には存在を悟られたくなくて。
「おい、二人とも大丈夫か!」
「おー、大丈夫ー!お前らもさっさと来いよー!」
「さっさと来いって……冗談でしょ?降りるのはいいけどさ、これどうやって上がんの」
「ん?普通に走って登れるけど?」
「あの……仲吉君だからできるんだよ、それ……」
わいわいと話している連中に背を向けた俺はそのまま集団から離れるように闇の中へ潜り込んだ。
一瞬、背中に視線を感じたが今は存在を気取られたくなくて。
それに、これからどうするかを考えなければならない。あの馬鹿を、どう大人しくさせるかを。
それには一先ずここから離れる必要があった。ぞろぞろと現れた久し振りの人間に戸惑っている自分を落ち着かせるためにも。
動揺のあまり、ついその場を離れてしまったはいいが、よくよく考えてみると普通の人間には姿が見えない俺が隠れる必要はない。それどころか、少しでも仲吉たちから目を離してしまったことに焦りを覚えた時。ふと、生温い風が吹く。
そして、
「……準一さん」
温度を感じさせないような静かな声。振り返れば、そこには藤也がいた。
「と、うや」
「あんたの友達、なんか変なの連れてきてるけど気付いてる?」
どうやら、藤也も気付いていたようだ。
すかさず俺は「ああ」と頷き返した。
「……わざわざ、教えに来てくれたのか?」
「……煩いの、嫌いだから。あんたの知り合いならさっさとどうにかしてよ」
否定しない藤也に驚いていると、藤也は「俺達に手を出されるの嫌なんだろ」と付け加えた。
その言葉に、益々俺は驚く。
「お前……」
「なに、その目。なにか言いたいことあるんならハッキリ言えば」
「いや、なんか……お前らならすぐ殺すと思ったから」
自分でもなかなか酷いことを言っていると思ったが、実際殺されている俺からしてみたら藤也の態度は不思議で不思議でたまなくて。
案の定不快そうに眉間に皺を寄せる藤也は俺を睨み、視線を逸らした。
「……煩いのは嫌いだって言っただろ」
それだけを言い残せば、そのまま暗がりに消え入る藤也。あっという間に姿が見えなくなり、再び一人に残された俺は藤也の言葉の意味を考えた。
ということは、大人数が嫌いだということだろうか?
そういえば、あの時俺も単独行動を取っていたが……。
そこまで考えていたときだ。
『きゃああああ!!』
不意に先程仲吉たちがいたあたりから悲鳴が聞こえてきて、思考を中断させた俺は慌てて声がする方へと向かった。
もしかして、俺が目を離した隙になにかがあったのだろうか。
甲高い悲鳴は間違いなく女のもので、脳裏を過る嫌な映像を振り払いながらその場へと転移した。
崖下、林の中。
「うそ、蛇!蛇!西島君、後ろ!」
「え、え……っ」
「そういやユタカ、蛇って輪廻転生の……」
「おい、いいから早く進めよ、あぶねーから!」
どうやら、野生の蛇が現れただけのようだ。
てっきり誰かが怪我でもしたのかと焦っていた俺は、変わらず愉しそうに談笑してる連中になんだか脱力する。
「それより、本当にこっちであってんだろうな。真っ暗過ぎでどこがどこだか分からないんだけど」
「あ、ゆたか、そこ蜘蛛が……」
「ひいっ!」
「あれれ〜?センパイ、蜘蛛嫌いなんですかぁ?変わってますねー……こんなに可愛いですのにぃ……」
「おい、触るなって、馬鹿!近付けんな!」
蜘蛛だとか蛇だとか、そこじゃねえだろ。下手したら殺されるかもしれないんだぞ。
そう怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、相手が相手だからか、姿を現すのを躊躇った。
どんどんと奥深くへと進もうとするやつらに慌てて追いつく俺。
その時、前を歩いていた仲吉が不意に立ち止まり、こちらを振り返った。咄嗟に、近くの樹の幹に隠れる。
「あれ、準一?」
突然、向こうからしてみればなにもない場所に向かって呼び掛けてくる仲吉に、周りに居た連中を取り囲んでいた空気が一瞬にして凍り付く。それは、俺も同じだった。
「おーい、準一!いるんだろ?こっち来いよ!」
隠れたつもりだったが、どうやら仲吉相手には気配まで隠しきれていなかったようだ。
嬉しそうにこちらへと歩いてくる仲吉に青褪めた俺。
だって、他の人から見たらどっからどう見てもこいつは電波な行動とっているわけで。だからといってこんな人目のある場所でノコノコ出ていくような気にもなれなくて。
結果的に、俺は即座に場所を変えた。
そう離れてはいない木蔭にて。
先程まで俺が隠れていた樹の幹を覗き込んだ仲吉だったが、空になっているそこに「あれ?」と不思議そうな顔をする。
「おっかしいなー、確かに今準一いた気がするんだけど……」
「準一って、多々良だよな」
「本当にじゅんじゅんー?俺、なんもわかんなかったんだけどなぁ」
「いやホントだって。いつも迎えに来てくれるから、多分今回も来てくれてんだろうけど」
「もしかして、照れてんのかもな」なんて笑う仲吉に頭のどっかからブチ切れるような音がした。
ドン引きされるどころかなんなんだこの空気は。もしかしなくても、こいつ、他の奴らに俺のこと話したのか?
そうとしか思えないあまりにも寛容な相手の態度に腸が煮え繰り返る。
「…………ッ」
人が、心配してんのに。ここに来ているせいで体調を崩しているのかもしれないと聞いて、本気で、どうしようかと考えていたのに。
本人は女連れて肝試し感覚で遊びに来てるだと?ふざけんな。
込み上げてくる怒りを発散することが出来ず、傍にあった樹を思いっきり殴り付ければ軋んだ木の幹は大きく葉を揺らす。それでも、怒りは収まらなくて。
「ぜってー、追い出してやる」
出来るだけ、もう二度とここへこないように。
あの危機感のない阿呆に冗談ではないと思い知らせるために。
あ、でも、だからといってなるべく怪我人が出ないような方法を考え、それで脅かして、ここから追い出してやる。
考えれば考えるほど、自分に人間を本気で怖がらせることが出来るのか自信がなくなってきた。それでもやるしかないのだ。幸喜たちが馬鹿な真似をしてくる前に。
そう一人決心した俺は、仲吉たちの背後になるべく気配を消した形でついていくことにした。
「ユタカ、ホントお前蜘蛛駄目だよなー。トカゲ平気なくせに」
「だって、蜘蛛は足いっぱいあるだろ」
「じゃあ、ムカデは平気なんですか〜?」
「ああっ、やめろ、その名前を出すな!気持ち悪い!」
先を歩いていく先頭集団に歩幅を合わせ、後ろから息を潜めてついていく俺。
仲吉と一緒にいるのは茶髪眼鏡とやけに頭の弱そうな喋り方をする男の二人で。
ん?ユタカ……?
ああ、どっかで聞いたことのある声だと思えば、高校のとき、よく仲吉と一緒にいた薄野容か!
髪型も変わったし、あの時よりも身長は伸びているようだがその横顔にはどこか面影が残っている。
クラスも違ったし、直接関わりはなかったが、あの仲吉についていける数少ない人間として印象に残っていた。
しかし、あの真面目そうな薄野がいるということは他にも顔見知りがいるのではないだろうか。そう考えると、酷くいたたまれない。おまけに幽霊になって再会とか嬉しくねーし。
薄野には悪いが、お前らにはここら辺で帰ってもらわなければ困るんだ。
自分に言い聞かせるように、適当な樹に近付いた俺は蜘蛛の巣に引っかかっていた大きめの蜘蛛を素手で捕まえる。
そして、そっと薄野の傍に寄り、その蜘蛛を仲吉たちが進む先にあった樹に置き、待機した。
あとはもう、待つだけだ。俺が何もしなくても、やつが勝手に動くだろう。
「おっ」
案の定、一番最初に蜘蛛に気付いた仲吉は当たり前のように立ち止まり、それを掴んだ。
「ユタカ、おもしれーのいたぞ」
「は?なに……」
「おい、こっち来いって」
目を輝かせ、薄野を手招く仲吉。
よし、こいつのこの無邪気に有害な性格は変わっていなかったようだ。
半信半疑ながらも「はいはい」と仲吉に歩み寄る薄野。そして、満面の笑みを浮かべた仲吉は「ほら、プレゼント」と薄野の目の前に蜘蛛を差し出した。
あとはもう、薄野の悲鳴と怒声が辺りに響くばかりで。
悪い、薄野、蜘蛛。お前らに恨みはないがこのまま仲良く行かせることは出来ない。
いとも簡単に仲間割れを起こす連中を横目に、俺は次のトラップに掛かることにした。
俺の作戦はこうだ。適当に仲間割れさせて肝試しを中断させる。そして帰らせるのだ。
正直、上手く行くかは自信はないが薄野はなんとか仲吉に怒っているようだし、あと一歩だろう。
関係のない人を仲違いさせるのはあまり気持ちがいいものではないが、痛い目遭うよりかはましなはずだ。
次はどうしようか。仲違い作戦を実行するにもそのターゲットになる人物を知らないと始められない。
思いながら、集団の様子を少し離れたところを眺めていたとき。
「準一さん」
背後から掛けられる声にびっくりして、咄嗟に振り返ればそこには微笑む奈都がいた。
なぜこうもどいつもこいつも音もなく背後に立つのか。……心臓に悪い。
「あの方たち……準一さんのお友達、ですか?」
「顔見知りはいるけど、違うな。仲吉のだよ」
「じゃあ、仲吉さんが連れてきたってことですか?」
驚いたような顔をする奈都に俺は頷いた。
普通の感性をしているなら俄信じられないだろう。なにをするのかもわからない得体の知れない死人が何人もいるここに連れてくる仲吉の考えが。そこまで考え、俺は閃いた。
「そうだ、奈都。なぁ、頼みがあるんだけど」
「えっ?僕ですか?」
「ああ、ちょっとあいつらをビビらせてくれないか」
「頼む」と頭を下げる俺に、目を丸くした奈都は「えっえっ」と狼狽える。
無理もない。俺だってこんなお願い、誰かにする日が来るなんて思いもしなかったんだ。
「なんとか、幸喜たちがなにかしでかす前にここから立ち去らせたいんだよ。……でも、俺じゃ駄目なんだ」
そして、奈都に仲吉が既に連中に俺が幽霊になってると伝えてることを奈都に告げる。
黙って話を聞いてくれた奈都は、「そうなんですか……」となんとも困ったような顔をした。
「確かに、このままでしたらアレが調子に乗ることは確実でしょうね」
アレ、というのは言わずもがな幸喜のことだろう。
不快そうな色を顕にする奈都だが、俺と考えていることは同じのようだ。
「その、僕に出来ることなら協力させて頂きます」
「本当かっ?」
「はい。……それに、誰かが傷付くのを見たくないという気持ちは僕も同じですから」
「な、奈都……!」
身近なところに一人でも同じ感覚の人間がいるということはここまで心強いものなのか。
控えめに微笑む奈都に非常に励まされるのも束の間。監視しなければならない集団が段々離れていっていることに気付いた。
「じゃあ、とにかくあいつらにバレないように後を追おう。作戦はその後だ」
「はい、わかりました」
というわけで、仲吉達を追い払うために奈都の手を借りた俺。
それが吉なのか凶なのか、現在の俺がまだ知る由もない。
◆ ◆ ◆
「取り敢えず、そうだな……なんとしてでもあいつらを屋敷に行かせない必要がある」
「準一さん、それさっきも言ってましたよ」
「う……」
ということで、やつらが休憩という名のだらだら雑談をしている隙を見て作戦会議をする俺たちだったが肝心の中身が思い付かず、同じくだらだらと時間ばかりが過ぎていっている。
「悪い……俺、こういうの考えるの苦手なんだ」
「準一さんらしいですね」
「それでも、あの人たちのために動くんですから凄いんですよ」そう、奈都はフォローしてくれるんだがあまりにも優しい言葉に余計自尊心が傷つけられる。
仲吉への怒りもあってか混乱しっぱなしの頭を落ち着かせる方が先かもしれない。なんて思いながらもう一度「悪い」と口にしたとき、奈都は小さく首を横に振った。そして、
「こういうことは、僕に任せて下さい」
柔らかい微笑みを浮かべながら袖をまくり上げる奈都。その妙な迫力に気圧され、「ああ」と頷いてしまったはいいが……。
「任せて大丈夫なのか……?」
歩き出した集団を遠くから見守りながら、俺は姿を消した奈都の気配を探っていた。
ただでさえ存在感がないというか陰のような奈都を見つけるのは一苦労で、これなら仲吉たちもわからないだろうと安心する反面やつが何しでかすのか心配で堪らない。
怪我を負わせるようなことはしないとは言っていたが……。
「っうお!!」
そんなときだった。いきなり、集団の前列を歩いていた薄野が立ち止まる。
その声にこちらまでビックリしながらも、俺は様子を眺めた。
「えっ、なに?!」
「いや、なんか今冷たいものが……」
「って、ちょっと、ねえ、ユタカ、なんか首赤くね……?」
後を歩いていた軽そうな男の言葉に「え?」と薄野は自分の首筋を撫でた。そして、近くまで寄った俺は薄野同様驚愕した。掌にべっとりとついた真っ赤なそれはどうみても血で。
薄野のすぐ隣、いつの間にか立っていた奈都は刃物を握った真っ赤な手でピースを作った。
や、やりすぎだ……!!
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