亡霊が思うには


 04

 相変わらず薄暗いロビーの中。
 屋敷を出る前、床の上に散乱していたシャンデリアも幸喜の血肉も跡形もなく片付けられていた。
 心なしか、出ていく前より綺麗になっているような気がする。
 天井からぶら下がっていた馬鹿みたいに大きなシャンデリアは見当たらない。
 ロビーを見渡す俺を余所に、藤也は階段を上がって屋敷二階にある応接室へと向かう。
 階段を上がる藤也の後ろ姿に目を向けた俺は、そのまま藤也の後を追い掛けていった。
 Y字型の階段を上がり、俺は応接室の扉の前に立つ藤也の元へ歩いていく。
 近付いてくる俺を一瞥した藤也は、そのまま応接室の扉を開き中へ入った。
 閉まりかける扉を掴んだ俺は、藤也の後に続いて応接室に入る。

「おかえりなさい。お使い、ご苦労様です」

 一番初めに俺たちを出迎えたのは、ソファーに腰を下ろした花鶏の笑顔だった。
 その向かい側のソファーに仰向けに寝転がっていた幸喜は、むくりと上半身を起き上がらせる。

「あー、サボりだー。いけないんだー、二人だけ遊びに行くなんて。俺だって準一と遊びたかったのにー」

 背凭れに肘をかけ、応接室に入ってくる俺たちに目を向ける幸喜は文句を垂れた。
 先程までの血で濡れた不気味な幸喜の姿はそこにはなく、いつもと変わらない幸喜に内心ほっとする。
「幸喜、二人はサボりじゃないですよ」不平不満を口にする幸喜に、花鶏はそう宥めるように口にした。

「二人とも、疲れたでしょう。ゆっくりしてください」

 そう微笑みかけてくる花鶏。そんな花鶏を一瞥した藤也は、なにも言わずに幸喜の座るソファーへと座る。
 俺はというと、そんなつられて軽く会釈をしながら藤也の隣に腰をかけた。
 疲れた。まあ、確かに疲れたかもしれない。
 先程の右腕のことがあったせいで、全身の疲労感が半端なかった。肉体が疲れることはないが、精神の疲労は存在するようだ。
 やっぱり、さっきの幸喜も俺と同じ状態だったっていうことだろうか。
 ふと、俺は先程シャンデリアに潰されていた幸喜の様子を思い出す。
 身体中自分の血で汚れた幸喜の姿を浮かべながら、俺は藤也の隣に座る幸喜に目を向けた。

「なになに準一、そんなに俺ガン見しちゃって」

「そんなに見詰められると照れちゃいそう」俺の視線に気付いた幸喜は、笑いながら俺に顔を向ける。
 瞬間、笑みを浮かべた幸喜の頭が大きくぐらりと動いた。
「おい……」やけに不気味な傾き方をする幸喜の頭に、俺は嫌な予感がして思わず声をかけようとする。
 丁度その時だった。なにかが千切れるような音がして、そのまま幸喜の頭が首から離れごとりとカーペットの上に落ちる。
 あまりにもいきなりの出来事に、物事がよく飲み込めなかった俺は目を見開き首と頭のない幸喜を交互に見た。血はない。全身に戦慄が走り、俺は顔を青くさせた。

「幸喜、準一さんをからかうのはやめなさい」

 目を見開き軽く放心する俺を見兼ねたのか、花鶏は困ったように溜め息を吐きながら目の前の首無し幸喜に声をかける。
 すると、カーペットの上に転がっていた幸喜の顔がこちらを向いた。
 花鶏の言葉に反応したのか、死んだように濁った目がぐるりと動きソファーに座る花鶏を捉える。

「ちょっとー花鶏さんネタばらしすんの早いって」

 だらしなく開いた幸喜の口が動き、いつもと変わらない元気のいい声が聞こえてきた。
 かなり気味が悪い。
「つまんないつまんないつまんないー。もう、花鶏さんまじ空気読めないんだから!」自分のことを棚に上げて唇を尖らせる幸喜は、「藤也」と名前を呼びながら濁った目を藤也に向けた。

「頭拾ってくんない?体動かすのだるい」
「生首のまましゃべらないでよ。怖い」
「じゃー拾って!」

 駄々を捏ねる幸喜に、渋々ソファーから腰を浮かせた藤也はそのまま床の上に落ちている幸喜の頭に手を伸ばす。
 どうやら、というかやはり、幸喜はただ俺を驚かせるためだけに死んだふりをしたようだ。
 俺も生首になれたりするのだろうかとかついそんなことを考えてしまいそうになり、慌てて俺は思考を振り払う。

「おー高い高い」

 不意に、楽しそうにはしゃぐ幸喜の声が聞こえてきた。
 とてもじゃないけど、生首を見て普通でいられるほど図太い神経をしていない俺は幸喜の首を抱える藤也から視線を逸らす。

「いやーでも意外ですね」

 不意に、向かい側のソファーに腰を下ろした花鶏は顔面蒼白の俺を見て笑う。
「……なにがですか?」なんとなく含んだような言い方をする花鶏に、俺は訝しげに目を向けた。

「準一さんが生首を見ても反応しないような方だと思ってたので、なんだか新鮮です」

 どういう意味だ、それは。普通誰だって普通に話していた相手の首が落ちたらビビるだろう。
 ……ということは、あれか。俺が普通の人間に見えないってことか。
 自分で言ってて気付いた花鶏の真意に、俺はなんとも言えない気分になる。

「ああ、一応これでも褒めてるんですよ。やはり、身近に普通の感性の方がいてくれた方がいいですしね」

「奈都君なんて、準一さんと同じことやられたとき無反応だったんですよ」昔のことを思い出しているのだろう。
 小さく笑いながら続ける花鶏の言葉に、俺は「そうなんですか」と答えた。
 奈都が無反応だったのはビックリして放心したんじゃないのだろうか、とかそんなことを思っていると、ソファーが小さく軋み隣に藤也が戻ってくる。

「そーそー、奈都も藤也もリアクションすごい薄いからさあ。あっでも南波さんと準一は別。南波さんなんか俺の顔みただけでビビってるし」

「あと、俺的に準一のビビったときの顔はすごい好きだよ」自分の頭を両手で挟んだ幸喜は、首の上にそれを乗せながら続けた。
 そんな告白のされ方をされてもすごく嬉しくない。
 みるみるうちに幸喜の首の切断部同士がくっついていく。
「おや、私にはなにもないんですか?」自分の名前が出ないことが気にかかったのか、花鶏は笑いながら幸喜に尋ねた。

「花鶏さんは論外!」

 即答する幸喜は、言いながら自分の頭から手を離す。
 跡形もなく元通りになった首を軽く動かした幸喜。
「酷いですねえ」幸喜の言葉に対して怒るわけでもなく、花鶏はそう笑った。

「ビビった?」

 不意に、首を動かし俺の方に目を向けた幸喜はそう問い掛けてくる。
 にやにやと笑う幸喜に、なんとなく嫌な感じを感じながら俺はむっとした。
 別に。そう強がって答えようとしたとき、「ビビってた」と隣に座る藤也がぽつりと呟いた。

「アハハハッ、本当に?へえ、準一って意外とチキンなんだ」

 藤也の言葉を聞いた幸喜は、そう満足そうな顔をして人を小馬鹿にしたようなことを口走る。
 別にビビったとか言ってないだろう、誰も。まあ、ビビったけど。
 適当なことを言い出す藤也に眉間を寄せた俺は、横目で隣に座る藤也を睨んだ。
 知らんぷりをする藤也に文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、先程の恩を思い出し敢えて俺は黙っておくことにした。
 つんとそっぽ向く藤也から視線を逸らした俺は、気を紛らすために応接室内を見渡す。

「そういや、奈都たちは?」

 南波がいないのはともかく、ここを出ていく前まで一緒にいた奈都の姿がないのは気になった。
 俺がそう尋ねると、花鶏は少しだけ考え込む。

「奈都君たちなら自室にいるんじゃないんでしょうか」
「あー、あいつら引きこもりだからなー。いっつも部屋に閉じ籠ってんだよね。今度、部屋から引き摺り出してやるか」

 アバウトな返事をする花鶏に、幸喜はそう可笑しそうに肩を揺らして笑った。
 そんなことするから二人が部屋から出たがらないんじゃないのだろうか。

「可哀想だろ」

 二人に同情した俺は、ついそう幸喜に言い返してしまう。
 呆れたように言う俺に、幸喜は少しだけ意外そうな顔をすれば目を細め笑みを浮かべた。

「冗談に決まってんじゃん。俺、すっごい優しいからさーそんな人が嫌がるようなことしないし。準一ったら心配性なんだから」

 底意地悪そうに笑う幸喜は、冗談だか本気だかわからないような調子で続ける。
 ニコニコと笑いながら俺の方を見てくる幸喜に、俺はどう返せばいいのかわからず黙り込んだ。

 それから暫く、俺は応接室で花鶏たちと適当な会話を交わし時間を過ごす。
 応接室に取り付けられた窓の外が暗くなった頃だった。

「じゃあ俺、そろそろ戻ります」

 双子にソファーを占領され、仕方なく肘掛けに腰をかけていた俺は、そう言いながら腰を浮かせる。
「そうですか」向かい側のソファーで一人優雅に座っていた花鶏は、俺の行動に少しだけ寂しそうな顔をしてみせた。

「お暇なときいつでも私の元を訪ねてきてくれても構いませんからね」

 そう柔らかく微笑みかけてくる花鶏に、藤也の膝に足を置いて座面の上に横になっていた幸喜はゲラゲラ笑いながら「出た!花鶏さんの口説き落とし!」と声を上げる。
「いやですねぇ、幸喜ったら」そう穏やかに笑う花鶏。
 否定してこない花鶏に内心生ぬるい気持ちになりつつ、俺は「どうも」とだけ言って小さく笑う。

「……俺も帰る」

 ソファーから離れ、そのまま俺が応接室の扉へと歩いていったときだった。
 なにを思ったのか藤也は、自分を蹴ってくる兄の足を退けながらそのままソファーから立ち上がる。

「ええっ、なんで」

 藤也の言動に驚いたのは俺だけではなかったようだ。
 俺についてくるようにスタスタとソファーから離れる藤也に、驚いたような顔をした幸喜は勢いよく起き上がる。

「なんだよー、藤也まで帰るとかつまんないじゃん」

 ソファーの背もたれから身を乗り出し、藤也に声をかける幸喜は拗ねたように頬を膨らませる。
「あっそう」幸喜を一瞥した藤也はそれだけを言えばそのまま俺の横を通り過ぎ、応接室の扉を開いた。

「あっそうってなんだよ。……あっこら待て藤也!逃げんな!」

 引き留めようとする幸喜を無視してさっさと応接室から出ていく藤也に、幸喜は怒ったような顔をして大声を上げる。

「まあまあまあ、落ち着いてください。ほら、私のあやとり貸してあげますから」
「いりません」

 幸喜を宥めようとどこからか輪の形をした赤い毛糸を取り出す花鶏に、幸喜はそう即答した。
「そうですか……楽しいですのに」幸喜に断られるとは思っていなかったようだ。
 心なしかしょんぼりとする花鶏をフォローしようか迷ったが、かける言葉も見つからなかったので敢えて俺はそのまま応接室を後にする。

 応接室前の薄暗い廊下に出た俺は、扉のすぐ横の壁際に立っていた藤也を見つけた。ちょっとビックリした。

「なんだ、待っててくれたのか?」

 応接室の扉を閉めた俺は、ぼけーっと立っていた藤也に声をかけながら近付く。
「……別に」近付いてくる俺を一瞥する藤也は、そう呟けばそのまま廊下の奥へと歩き出した。
 昼間と比べて随分藤也の態度が素っ気なく感じたが、無視されるよりかは幾分ましなような気がする。
 思いながら先を歩いていく藤也の後ろ姿を見ていると、ふと足を止めた藤也は俺の方を振り返った。

「……戻らないの?」

 どうやら後をついてこない俺が気になったようだ。
「ん?ああ、いや、戻る」そう声をかけてくる藤也に、俺は慌てて頷き歩いていく。
 自分の元へ歩いて近付いてくる俺を確認した藤也は、なにも言わずに再び止めていた足を動かし歩き出した。
 もしかして俺が道を迷わないように案内してくれるのだろうか。
 多くを口にしない藤也にそんな前向きな思考を働かせてはみるが、藤也がどういうつもりかはわからない。
 部屋に戻るまでが不安だったので藤也が一緒にいてくれるのはありがたかった。
 後から幸喜に八つ当たりを食らってしまいそうだが。

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