亡霊が思うには


 02

 応接室に来ていくら経っただろうか。
 他のやつら(というか殆ど花鶏)とだらだら会話をしていると、不意に遠くから扉の開く音が聞こえてくる。

「おや、誰か来たようですね」

 言いながら、花鶏は応接室の扉に目を向けた。
 誰かって、こんな山奥にか?
 そこまで考えて、不意に仲吉の顔が脳裏に浮かんだ。
 ……いや、まさか。まさかな。
 なんとなく嫌な予感がして、なんだか俺は生きた心地がしなかった。死んでんだけど。

「あの……見に行かなくていいんですか?」

 いくら生きた人間が住んでいないとはいえ、やはり無断で建物に入られると気になるものは気になる。
 向かい側の花鶏に目を向ければ、花鶏は小さく笑った。

「まあ、よくあることですので」

 笑いながらそう続ける花鶏に、俺は生前仲吉に見せられた雑誌の記事のことを思い出す。
 そういやここ、心霊スポットなんだっけ。
 自分が幽霊になったからか、すっかりそのことを忘れ馴染んでしまった。
 訪問者が来ることは然程珍しいことではないようだ。

「でも、幸喜たちがふざけすぎなければいいのですが」

 ふと、表情から笑みを消し心配そうな顔をする花鶏の言葉につられ、俺は隣に座っている藤也に目を向ける。が、そこに藤也の姿はなかった。
 いつの間にいなくなったのだろうか。姿を消した藤也に驚いた俺が目を丸くしたとき、不意に一階のロビーの方から派手な物音が聞こえた。
 硝子が飛び散るような派手な音に、俺は思わず体を強張らせる。
 その音に驚いたのは俺だけではなかった。
 ビクッと体を跳ねさせた奈都は、青ざめた顔をして花鶏に目を向ける。

「……奈都君、準一さん。箒とちりとりの用意をお願いします」

 諦めたように目を伏せた花鶏は、そう言いながらソファーから腰を持ち上げた。
 花鶏に言われ、物置部屋で箒とちりとりを持った俺と奈都は階段を降りロビーへと向かった。
 屋敷内、一階・ロビー。
 そこには大きな血溜まりができていた。

「……っんだこれ」

 天井にぶら下がっていたはずのシャンデリアは床の上に落ちてきていて、辺りには一面シャンデリアの硝子細工の破片が散らばっている。
 間違いなく、さっき俺たちが聞いた派手な物音はこれなのだろう。
 そして、シャンデリアの下には人らしきものが一つ。
 下敷きになったそれを中心に赤い染みが広がっていて、俺は思わず目を見開いた。
 うつ伏せに倒れたそれの背中には金属やら硝子やらが突き刺さっていて、恐らくそれが出血の原因になっているのだろう。
 そして、シャンデリアの側にはもう一つ……というかもう一人。
 見慣れない中年の男は、尻餅をついた状態のまま白目を剥いていた。
 どうなってんだよ、これ。
 あまりにも悲惨な状態のロビーに、俺は手にもっていたちりとりを落としそうになる。

「……本当、毎回毎回よくやってくれますね。起きなさい、幸喜」

 ふと、シャンデリアに下敷きになったそいつの元に近付いた花鶏は、そう呆れたように声をかけた。が、無反応。
 どうやら、シャンデリアの下敷きになっているのは幸喜だったようだ。

「この方ならもう気を失っていますよ、幸喜」

 溜め息混じりにそう呟く花鶏に、シャンデリアの下敷きになった幸喜の指がピクリと動く。
 次の瞬間、血まみれの幸喜はゆっくりと上半身を起こした。
 その拍子に、幸喜の上に乗っていたシャンデリアはがしゃんと音を立て床の上に落ちる。
 ごぽごぽと口から大量の血を溢れさせながら立ち上がった幸喜に、俺は手に持っていたちりとりを落とした。

「あー、こっからがいいところなのによー」

「勿体ないなあ」大袈裟に落胆してみせる幸喜は、口許の血を手の甲で拭い、笑う。

「幸喜、お前……っ」

 一部始終を目の当たりにした俺は、なにがなんだかわからなくなって後ずさる。
 着ていた服をどす黒い血で汚した幸喜は、青ざめる俺を見て可笑しそうに笑った。

「あれ、どーしたの準一。そんな顔して」

「もしかしてービビっちゃった?それとも驚いちゃった?どっきり大成功?」目を丸くする俺を見て、幸喜はそう矢継ぎ早にいいながらゆっくりと俺の方へ近付いてくる。
 どっきり大成功ということは、まさかというかやはり幸喜は死んだフリをしていただけのようだ。
 死人が死んだフリというのも可笑しな話なのだけれど。
 嬉しそうに笑う血まみれの幸喜に顔を引きつらせた俺は、慌てて幸喜から離れた。

「幸喜、準一さんと遊ぶより先にやることがあるんじゃないんですか?」

 底意地悪そうに笑いながらにじりよってくる幸喜から逃げる俺を見兼ねたのか、言いながら花鶏は微笑む。
「うーん、なんだろうなあ」わざとらしく考えるフリをする幸喜は「あっ」と思い付いたように声を上げた。

「昆虫採しゅ……」
「はい、そうですね。後片付けです」

 俺が床の上に落としたちりとりを拾い上げた花鶏は、そう言いながら幸喜の手にそれを握らせる。
 助けられた……のだろうか。
 強引に俺から幸喜を引き離してくれた花鶏に内心感謝しながらも、俺は駄々を捏ねる幸喜と花鶏の攻防戦から目を逸す。
 天井から崩れ落ちてきたシャンデリアの側、俺は気絶した中年の男の側に歩み寄った。
 ぐったりとしたまま動かない男に、俺はその場に座り込む。
 花鶏はああ言っていたが、本当に気絶しているのだろうか。
 もしかしたら、そう思って俺は恐る恐るそっと男の腕に手を伸ばす。
 軽く腕を持ち上げ血管に触れてみれば、確かに脈を打っていた。
 男が生きていることに安心すると同時に、俺は無意識に取った自分の行動に驚き、慌てて手を離す。
 触ることができた。俺は、この男に触ることができた。
 自分の手のひらを見詰める。
 確かに、感触があった。
 汗ばじんだ肌に、薄い皮膚、体温に脈。生きているときこそは当たり前だったその感触が酷く懐かしくて、俺は再び目の前の気絶した男に目を向けた。

 もしかしたら、俺は仲吉に触れることができるんじゃないだろうか。
 そんな考えが脳裏に浮かび、俺は慌てて視線を下ろす。
 なにを考えているんだ、俺は。触れることができたとしても、どうにもならないだろう。
 それに、あいつはもう帰っているはずだ。いないとわかってて仲吉のことばかり考えてしまう自分に、俺はなんともいえない気分になる。

「準一さん」

 気絶した男の前で思案に更けていると、不意に背後から花鶏に声をかけられる。
 上の空だった俺は花鶏の声に反応し、そのまま背後を振り返った。
 先ほどまで幸喜と攻防戦をしていた花鶏だったが、どうやら無事勝利を勝ち取ったようだ。
 涼しい顔をして俺の背後に立った花鶏は、目が合うと微笑んでみせる。

「……どうしたんですか」

 俺はゆっくりと立ち上がり、花鶏に向かい合った。
 単刀直入に尋ねる俺に、花鶏は「少しお使いをお願いしようと思いまして」と笑いながら続ける。
 ……お使いだって?
 花鶏の申し出に俺はいい予感がしなかったが、すぐに断るのもあれだ。
 念のため内容を聞いてから判断することにする。

「なんすか、その……お使いって」

 どうせろくなものじゃないのだろう。
 内心決め付けながら、俺は花鶏にそう問い掛けた。
「そう身構えないでください」勘繰るような視線を送る俺に気付いたのか、花鶏はそう言って困ったように笑う。

「その方を外に出してくるだけです」

「やってくれますか?」俺の足元でぐったりとなる男を一瞥した花鶏は、そのままねだるように俺に目を向けた。
 外にってことは、この森のどこかへ置いてこいってことだよな。
 陽射しが強い中出歩きたくはなかったが、他の連中に任せてこの男が俺みたいな目に遭うかもしれないと思ったら断ることができなくなる。

「……俺でいいなら」

 男に対し、変に感情移入してしまった俺は渋々頷いてみせた。
「そうですか、ありがとうございます」了承する俺に、花鶏はそう嬉しそうに頬を綻ばせる。

「連れていくって、どこでもいいんですよね」

 そう花鶏に尋ねながら、そのまま俺は男の着ている服の襟首を掴み上げた。
 思ったよりも軽い。
 ただ単に男の体重が軽いだけなのか、それとも幽霊になったおかげで力がついたのかよくわからなかったが、これなら苦戦することなく連れ出すことが出来そうだ。

「あっ、準一さん待ってください」

 男を引き摺ろうとしたとき、慌てて花鶏に呼び止められる。
 まだなにか用があるのだろうか。
「藤也」なにもないロビーの片隅に目を向けた花鶏は、そう名前を呼ぶ。
 いきなり壁に向かって声をかける花鶏に俺は目を丸くした。
 これは突っ込んだ方がいいのだろうか。
 怪しい花鶏の言動に、俺が内心冷や汗を滲ませたときだった。
 なにもなかったそこに、ぼんやりと一人の青年の姿が浮かぶ。

「……なに?」

 現れた幸喜と瓜二つな青年もとい藤也は、仏頂面のままそう花鶏に聞き返した。
 いきなり現れた藤也に、俺は露骨に驚いた。
 いつからいたのだろうか。不機嫌そうな顔をした藤也は、俺たちに目を向ける。

「藤也、話は聞いていたでしょう。準一さんについていってくれませんか?」

「俺が……?」遠慮なしにそうストレートにものを頼む花鶏に、藤也は不愉快そうに眉をひそめた。
 前々から気にはなっていたが、やはり俺は藤也に好かれていないらしい。
 露骨に嫌そうにする藤也に俺の心が傷付けられる。

「ええ。準一さん一人じゃ流石に心配ですからね」

 なにが心配なのかとか、それなら自分がついてこればいいじゃないかとか色々言いたかったが、わざわざ話の骨を折るような真似はしたくない。
 不機嫌そうな藤也を知ってか、花鶏は笑いながら「ダメですか?」と藤也に問い掛ける。
 どう見ても嫌そうだろ、なんでわざわざ言わせようとするんだ。
 これで断られたら泣くからな、俺。
 そんなことを思いながら俺は二人から視線を逸らした。

「……まあ、俺でいいなら」

 目を伏せた藤也は、そう小さな声で呟く。
「そうですか、ではお願いしますね」頷く藤也に花鶏は嬉しそうに笑った。
 てっきり断られるとばかり思っていただけに、花鶏の願いを聞き入れた藤也に俺は素で驚く。
 俺の元へやってきた藤也は、無言で気絶した男の腕を掴んだ。

「俺がやるから……手、離して」

 呆然とする俺に、藤也はそうそっけない口調で続ける。
「え?……ああ、わかった」言われるがまま男の襟首から手を離せば、藤也はそのまま男を引き摺り外へ繋がった扉まで歩いていった。

「おい、あんま乱暴にすんなって」

 割れたシャンデリアの破片の上を平気な顔をして通る藤也に慌てた俺は、さっさと歩いていく藤也の後を追いかける。
 こんな調子じゃ、一人で行った方が早いかもしれない。
 声をかけても俺を待とうともしない藤也に、俺は段々心配になってきた。

「二人とも、気を付けていってくださいね」

 だからお母さんかお前は。
 ニコニコと笑いながら手を振る花鶏に小さく会釈し、俺は藤也の元へ向かった。

 ロビー、玄関扉前。
 扉の前で俺を待っていたらしい藤也は、俺がやってくるのをみるとそのまま扉を開いた。

「やっぱり、俺がやる」

 あまりにも荒い藤也に見兼ねた俺は扉を通り抜けようとする藤也の腕を掴み、無理矢理引き留める。
 このままこの状態で外に出たらこの男を土の上で引き摺るのが目に見えてたからこそ、俺は藤也に申し出た。
 いきなり掴まれたのにビックリしたのか、藤也は少し驚いたような顔をして、無言で目を逸らす。
 そのまま藤也はなにもいわずに男から手を離した。
 不意に支えるものがなくなった男の頭が床に落ちそうになり、慌てて俺は男の体を抱える。
 男の体を支えた俺は、そのまま腕を引っ張り男を背負う。
 然程重たくは感じなかったが、この状況で男に目を覚まされたら面倒だな。
 思いながら俺は背中に男を乗せたまま、藤也が開いてくれた扉から屋敷を後にする。

 屋敷前。
 屋敷から外へと移動してきた俺は、頭上から降り注ぐ真夏の陽射しに顔をしかめた。
 四方から聞こえてくる蝉の鳴き声がやけに煩く聞こえる。

 ……日陰に入りたい。
 ジリジリと降り注ぐ太陽に目を細めながら、俺は屋敷の前から屋敷に影をつくるように立っている大木の下へ避難することにした。
 大木の下までやってきた俺は、そこにできた大きな日陰で藤也を待つ。
 暫くもしないうちに、藤也は俺の目の前に現れた。
 ふと瞬きをしたとき、さきほどまでなにもなかったそこにはいつの間にか藤也が立っていた。

「……っ」

 もう少し声をかけるとか足音を立てて近付くとかそういう気遣いができないのだろうか。
 あまりにも心臓に悪い藤也の登場に内心度肝を抜かれそうになりながらも、俺はそれを顔に出さないよう堪える。

「……」

 俺を一瞥した藤也は、なにも言わずにそのまま屋敷の回りに囲むように生えている林の中へと足を進めた。
 これは、ついてこいって意味なのだろうか。
 なにも言わない藤也に俺は不安になりながらも、見失わないうちにその後を追って林の中に入る。
 無数の木が無造作に生えたそこは屋敷前よりもいくらか暗く、少しだけ空気が重く感じた。
 恐らく、いくつもの葉が重なり濃い影ができているせいだろう。
 柔らかい地面を踏みながら、俺は先を歩く藤也の後ろをついていった。
 湿った空気は少しだけひんやりしていて、なんとなく心地よく感じてしまう。

 暫く俺は藤也の後を追って林の中を黙々と歩き進んでいた。
 どれくらい経っただろうか。歩いても歩いても変わらない景色に流石に飽きてきた俺は、歩きながらも辺りに視線を巡らせる。
 だいぶ歩いたような気がするが、そろそろもういいんじゃないだろうか。
 疲れはしなかったが、続く沈黙と変わらない景色にうんざりしてきた俺は前を歩く藤也の背中に目を向ける。

「……なあ、どこまで行くんだよ」

 歩きながら、俺はそう藤也に声をかけた。
 なんだか酷く久しぶりに言葉を発したような気がする。
 前を歩いていた藤也はちらりとこちらを振り返り俺に目を向ければ、再び前を向いた。

「……もう少しだから」

 俺に背中を向けた藤也は、それだけを言えばまた黙り込んでしまう。
 俺はそのもう少しを聞いてるわけなのだけれど。
 ハッキリしない藤也の言葉にもやもやとしながら、俺は「近くになったら教えてくれよ」と藤也に声をかけた。
 こちらを振り返った藤也は小さく頷き、また前を向く。
 どうやら、意志疎通はできるようだ。
 無視するかなと思っていただけに、素直に返してくる藤也に少しだけ安心する。

 それからまた暫く俺たちの間には沈黙が続いた。
 背負う男の体を抱え直しながらも、ただ俺は先を歩く藤也についていく。
 そのときだった。不意に、林の奥の方から複数の声が聞こえてくる。
 遠くから聞こえてる喧騒に、俺はふと立ち止まった。

 声の内容までは聞こえなかったが、どうやらあまり楽しそうな雰囲気ではなさそうだ。
 場所が場所なだけに人の声が聞こえてくることに酷い違和感を覚えたが、もしかしたらこの男の仲間なのかもしれない。
 俺は首を動かし背中に乗せた気絶した男に目を向けた。
 背格好からして観光客というよりは、寧ろ地元の人間のように見える。
 とにかく、この男のためにも早く帰した方がいいだろう。

「……ちょっと」

 不意に、前を歩いていたはずの藤也は足を止めこちらを振り返った。
 どうやら、ついてきていない俺を不審に思ったのだろう。
「ああ、……悪い」喧騒に気を取られていた俺は、慌てて藤也の元まで足を進めた。

 林の中。
 側までやってきた俺を確認した藤也は、自分の背後に目を向ける。
 そこは緑色の草が生えた急な坂になっていて、斜面に生えた無数の歪な木がなかなか危なっかしい。
 どうやら、この先は行き止まりのようだ。ここに男を下ろしていくのだろうか。
 そう思いながら、俺は辺りに視線を巡らせる。

 そのとき、なにを思ったのか藤也は斜面に生えた近くの木に手をかけそのまま急な斜面を登り出した。
 どうやら藤也は見かけによらずアクロバティックなようだ。
 まさか、ここをあがって行くんじゃないんだろうな。
 背中に抱えた男に目を向けた俺は、草だらけの斜面を見上げる。
 無造作に生えた雑草のお陰で終わりは見えなかったが、かなりの距離があるように見えた。

「……なにやってんの?」

 不意に、頭上から藤也の声が聞こえてくる。
 やけに遠い藤也の声に、視線を持ち上げた俺は坂の上に立ち俺を見下ろす藤也を見つけた。
 いつの間にかに坂を登りきったようだ。普通に考えて早すぎる。まさかテレポートしたんじゃないだろうな。

「登れないの?」

 呆れたような顔をして見上げる俺に、藤也はそう問い掛けてきた。
 距離があるせいで藤也がどんな顔をしているのまではわからなかったが、恐らく『お前こんなのもできないのかよ』みたいな顔をしているのだろう。

「高いところ、苦手なんだよ」

 俺はそう苦虫を噛み潰したような顔をしながら、坂の上に立つ藤也に返した。
 俺の言葉に、藤也はなにも言わずにその場にしゃがみ込み、黙って膝を抱える。
 どうやら、俺が上がってくるまで待ってるということらしい。
 無言でじっとこちらを見下ろす藤也に根負けした、俺は小さく溜め息をつき近くに生えた木を掴みそのまま急な坂の斜面に足をかけた。
 木の根っこの凸に足をかけ、太い木の幹を使い坂を登りながら片手で気絶した男を支える。
 坂を上がっていけばいくほど全身から血の気が引いていき、自然と呼吸が乱れた。
 ああ、俺もテレポートかなんかそういうのが出来れば苦労しなくて済むのに。
 胸の内で泣き言を呟きながら、俺は坂を上がっていった。
 下は絶対みるな、下は絶対みるな。そう自分に暗示をかけながら坂を上がること数十分、うっかり手を滑らせて気絶した男を下へ落とすなどということもなく、俺はあと少しで藤也のいる地上まで辿り着くことができる距離まで登り詰めた。

「お前、見てる暇あるなら手ぇ出せって……っ」

 俺は言いながら抱えていた男の体を先に地面に上げようとする。
 片腕で持ち上げるのは少し辛かったが、先に地上へ上がっていた藤也がそれを手伝ってくれたおかげで投げ上げることにならずに済んだ。
 男を上に上げたお陰で両腕の自由が利くようになった俺は、軽くなった体を感じながらそのまま一気に坂を上がりきる。
 無事急な斜面を登りきった俺は、草が生えたその地面の上にへたり込んだ。

「……ついた」

 俺から男を受け取った藤也はそう呟けば、男の体を引き摺り、近くの木の根本に寝かせた。
 尻餅をついていた俺は起き上がり、藤也の言葉につられて辺りに視線を巡らせる。
 草むらの中に立っていた俺は、この場所に見覚えがあった。
 すぐ背後を振り向けばそこは崖のような斜面があり、俺は慌てて顔を逸らす。
 そうだ、確かここは、俺が死ぬ前に仲吉と来ていた場所だ。
 昼間と夜中とでは雰囲気は違かったが、面積や広さ、草むらの先にある崖には見覚えがあった。

「戻るよ」

 男を寝かせた藤也は、そう呟くようにして俺に声をかける。
 それだけを言えば来た道をさっさと歩いて戻ろうとする藤也に、俺は「またあそこ通るのか」と顔を強張らせた。
 藤也は無言で頷けば、そのまま崖のふちに立つ。
 先を行こうとする藤也の後を追い、坂のふちまでやってきたときだった。

『ねえ、聞いた?また転落事故ですってよ』

 ふと近くから女の声が聞こえてくる。
 坂を降りようとしていた藤也と俺は、その声のする方に目を向けた。
 草むらのその先に、地元の人間だろうか。複数の人間がいた。

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