アダルトな大人


 フレンド違い

 笹山と別れたあと、なるべくひと目を避けてこっそりと更衣室までやってきた俺。
 念入りに中に誰もいないことを確認し、「よし」と一歩更衣室内へと足を踏み出したとき、

「なにがよしなの」
「お゛わ゛ーーッ!!」

 いきなり背後から聞こえてきた声と自分の声に俺が一番びっくりした。

「つ、つか、司……?!」
「今帰り?」
「あー……えーと、そのぉ〜〜」

 まさかお前とのお話し合いが嫌で、姿が見当たらない内にこっそり帰ろうとしていました、なんて言えるはずもない。

 もごもごと口籠る俺になにかを察知したようだ。司の視線が鋭くなる。

「それとも、まさか誰か待ってんの?」
「い、いや! いやいや! そういうわけじゃねえけど……」
「じゃあ帰ろ。ついでに飯にも行こ」

 酒も奢るから、と耳打ちをされ、『あ、それなら……』とつい絆されかけてる自分をビンタする。
 待て待て、こいつの絶倫としつこさを知ってるはずだろ。今日のあれやこれやを思い出せば、どんな目に遭うか分かったものではない。学習しろ佳那汰!と、もう一人の自分をビンタしながら俺は必死にもごつき、時間稼ぎする。

「原田さん?」
「あ、急に腹痛くなったから今日はまっすぐ帰るわ〜……」
「腹痛いんなら家まで送る」
「あ、ええと……」
「薬は? あるの?」
「あ、だ、ダイジョウブデス……」

「歩ける?」と優しくお腹を撫でられ、「んひぃ」と情けない声が出てしまう。
 ああ、くそ、なんでこんな下手くそな誤魔化ししてしまったんだ。司が優しいだけに余計嘘と言いづらくなってるし。

「原田さん?」

 顔を覗き込まれ、観念する。
 そもそも逃げようとするのが俺には無理な話だったのだ。

「……んじゃ、頼む」

 そう呟けば、司は確かに嬉しそうな顔をした。一般的に見ればそれが嬉しそうなのかどうか怪しいラインだが、俺にはわかる。
 わかってしまうのだ。


 ◆ ◆ ◆


「原田さん、先に帰ろうとしただろ」

 駐車場に停められた司のマイカーに乗り込んだ矢先だった。
 運転席の司の問いかけに思わずぎくりと固まる。

「そ、それは……」
「お腹痛くなったの、俺のせい?」

 単刀直入。「う゛」と思わず声が漏れ、慌てて口を塞いだが遅かった。
 ドアを閉めた司はこちらを見る。

「当たった?」
「……お、お前、たまに鋭すぎてこえーよ」
「言っておくけど、原田さんがわかりやすいだけだから」

 そんなにか、とショックを受けたが悲しいことに否定する材料もないのだ。本当に悲しいことだ。

「だ、だってさ〜……司、こえーもん……」
「俺が怖い?」
「つ、付き合うとか! 今日、なんか全然話し通じなかったし……」
「だって原田さんが店長と付き合うとか言い出すから」

 そうだ、これなのだ。
 元はといえば店長と付き合うとかって話になって余計に拗れた気がした。

「だから、あれはフリだって言ってんだろ」

 そう言えば、目の前の司がぴくりと動きを止めた。

「…………は? フリ?」
「ん? ……え? 言ってなかったっけ」
「聞いてないけど」

 ……あ、やべー。なんか空気やべー。
 変な汗が穴という穴から吹き出してる気がする。

「なにそれ、どういうこと」
「え、えーと、話せば長くなるというか……ストーカーのあれこれあったから、店長に頼んで恋人いますアピしてたというか……」
「――は?」

 やばい、ガチのやつの『は?』だ。タイミングがタイミングならちょっと漏れてた。

「あは、あはは……」
「……じゃあなに、店長とは結局なんもないってこと?」
「まあ、そういうことになるといえばなるっていうかー……」
「……なんでそれ、言わなかった?」
「だ、だってストーカーに勘違いさせるにはまずは身内からだって……」
「……………………」
「あ、あの……司さん……?」

 普段から口数多いやつではないが、ここまで司の無言が恐ろしく感じたときはあっただろうか。
 無言でハンドルを手にした司はそのままエンジンをかけるのだ。

「つ、司……」
「じゃあ、今フリーなんだ」
「ふ、フリーというか、まあ」

 フリーじゃないときなんて今まで一度足りともなかったがな、と偉そうにしてる場合ではない。

「司、なんか車速くないか?!」
「原田さん、俺と付き合って」
「このタイミングで言うか普通?!」
「じゃないと、家に帰さないから」
「お、お前、それって……脅迫じゃね?」
「かもしれない。原田さん、ここまで言わないと逃げられそうだし」

 さらっと恐ろしいことを言う男だ。
 相変わらず車の外の景色は吹っ飛んでいって今がどこかは分からない。

「なあ司、俺思ったんだけどさ」
「ああ」
「俺、お前のこと全然知らないし」
「何が知りたい?」
「そういうんじゃなくて、そもそもの話だな……こういのって、もっと基本的なものから始めるべきじゃないのか」
「基本的?」
「だから、その――友達からとか」
「…………………………」
「な、なんで無言なんだよ」
「原田さん、俺のこと友達と思ってなかったんだ」

 ……あ、やべ。

「だ、だってそうだろ? 俺、お前の誕生日も知らねえし」
「誕生日知ってたら友達?」
「そうじゃなくて、今んところバイト先の人ってか……」
「……………………」
「……つ、司?」
「………………もしかして、俺、フラレてる?」

 なるべく言葉は選んでるつもりだったが、余計司を傷つけてしまったかもしれない。
 しかし優しい嘘ほど酷なものはない。「まあ、そうだな」と頷けば、司は深い深呼吸のあと「わかった」と静かに呟いた。

「つ、司……」
「じゃあ、取り敢えずセフレから始めよ」

 お前、さては分かってないな。

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