アダルトな大人


 タダより高いものはなし

 それから更にしばらくして。
 気絶した真犯人を連れて帰ると男を背負った向坂さんを見送るため、店の外までやってきたとき。

「そいつが二人目の犯人か〜」
「紀平さん……」
「真犯人……そいつ? そいつが俺を邪魔したってこと?」
「……と、司」

 ぞろぞろとやってきた野次馬二人に、向坂さんは「ひっ」と怯えて俺の背に隠れる。
 待ってくれ、俺も隠れさせてくれ。

「そういうことだ。というわけで今回の件は同点ということで無効だな、時川」

 そんな俺達の前に出たのは店長だ。
 店長の言葉に司は少しだけ考え込んだあと、「まあ、俺の方が先でしたけど」と呟く。

「貴様な……」
「……まあ、笹山の件もあるし、今回はそういうことにしておきますよ」
「何故貴様が上からなのか些か腹立つが、成長してくれて俺は嬉しいぞ! 時川!」
「……原田さん」

 握手しようとする店長の横をするりと抜け、「無視するな時川ァ!」という店長のツッコミを背にぴとりとくっついてくる時川。
 近い。近い近い。

「話があるんだけど、帰り空けといて」
「つ、司……」
「そういうことだから、よろしく」

 する、とどさくさに紛れて人の手の甲を撫でていった司は一足先に店内へと戻っていく。
 なんだったんだ……まだ触れられた手の甲がぴりぴりしてるみたいだ。

「あーあ、若いなあ時川君も。あの司君が拗ねてんのレアじゃないですか?」
「さあな。あいつは割とああだぞ、興味ないものには相応の反応しかしないだけだ。どこかの誰かさんと同じだな、ああ、口説き方が下手なのもそっくりだ」
「へーー、流石店長よく見てますねえ」

 にこにこと楽しそうに笑っていた紀平さんだったが、「じゃあ俺も戻るか〜」と大きく伸びをした。そして、向坂さんへと向き直る。

「向坂さん、あっちに戻れなさそうだったらまたおいでよ。向坂さんに適職そうな店数件知ってるから紹介するよ。未奈人先輩似の女王がいるところとか」
「け、結構です!」
「残念だなあ」

 立ち去り際に爆弾放り込んでいく紀平さんに、「そのいらん情報は俺にも効くからやめろ!」と店長は吠える。右に同じく。





 路地の脇に停められた黒塗りの車の前。

「向坂さん、準備できましたよ」
「中谷君、……すみません。なにからなにまで」
「いやなに、うっかり逃げられでもした方が後が怖いですしね。僕も」

 監禁用車の準備が出来たらしい、黒塗りの車さら現れる翔太。いや監禁用車ってなんだよ。

「でも、本当に一人で大丈夫ですか?」
「ええ……元はといえば私の単独行動でしたので、自分の尻くらいは自分で拭います」
「向坂さん……」
「素晴らしいッ!!」
「うお、声でか! ……なんですかいきなり店長」
「それでこそ社会人だ、貴様らも見習っておけ。……ということで向坂さん、これは餞別だ」

 言いながらスーツの下から封筒を取り出した店長はそのまま向坂さんにそっと渡す。
 流石にこの展開になるとは思わなかったようだ、向坂さんは慌てて首を横に振った。

「えっ、いや、こんなものいただけません!」
「気にするな、受け取ってくれ。こちらにも非はあるのだと思っていたが、そこまで言われたらな」

 ……ん?
 何か妙に引っ掛かる物言いをする店長。
 俺は向坂さんから「ちょっと借りていいですか」とそれを手にとり、中を覗いた。

 ――天井の修理費、人件費、駐車料金、エトセトラ。

「……って、これ」
「未奈人先輩には『今回のお宅の部下がこちらの店で暴れた件に関してはツケということにしておきますね』と伝えておいてくれ、向坂さん」
「い、井上様……」
「安心しろ。全額こちらでカバーする。向坂さんは上手い具合に未奈人先輩に借りを作らせておいてくれればいい」

 この男、やはりろくなやつではない。
 少しでも見直してしまいそうになった自分を撤回し、俺は向坂さんの肩をぽんとするのが精一杯だった。翔太は自分にその役割がこないように一足先に帰ってやがった。あいつめ。

 男を連行する向坂さんを見送ったあと、店長はそのままこちらへと向き直るのだ。

「ようやく終わったか。……後片付けは残ってるが、これで暫くは落ち着くだろう」

 一件落着というやつだなと冷ややかに笑う店長。
 その後片付け部分が大きすぎる気がしないでもないが、そうか。あのストーカーがいなくなったとなると、笹山とのことも気にしなくてもいいのか。
 ……なんだかやけに遠回りした気もするが、もう店長と恋人ごっこなどという面倒なこともしなくても済むのだ。司のことも、それさえなくなれば落ち着くわけだし。
 なんてそこまで考えて、少しだけ胸の奥がすっとした感覚に襲われる。
 そんな俺をじっと見下ろしていた店長は、そのまま俺の頭を撫でるのだ。

「わ……っ! な、なんすか、ちょっと」
「撫でてほしそうな顔をしているな、と思っただけだ」
「別に、そんなわけじゃ……」
「原田お前、俺と恋人のフリする必要なくなって感傷的にでもなってるんだろ? 俺には分かるぞ」
「んなわけ……っ! 寧ろ清々してます!」

 わっとつい脊髄反射で口にしたあと、少しだけしまったと後悔した。
 店長は相変わらずニヤニヤと笑いながら、「ほう」と顎の下を撫でる。

「清々するのか、随分と寂しいことを言うではないか。あんなにかわいがってやったというのに」
「……っ、それは、少し、言い過ぎましたけども……でも店長だって……その……」
「俺は楽しかったぞ」
「――え」
「特定の相手を作るのも悪くはない、と思った」

「お前はどうだ?佳那汰」と顔を寄せてくる店長に息を飲む。
 なんだ、なんなのだこの睫毛野郎は。普段だったらこんなこと、こんな風に優しく問いかけてこないくせに。
 あ、う、と言葉に詰まってる間にあっという間にコンクリの壁の際際にまで追いやられていた。目の前には店長。

「っ、て、店長……」
「別に俺は、お前が相手なら『フリ』じゃなくてもいいんだけどな」
「……告白にしては、わりと最低なこと言ってませんか」
「む、そうか? 誠実な男が好みか」
「大半の人間はそうだと思います……っ!」

 ふは、と小さく吹き出し、店長は俺から顔を離した。
 誂われているのが分かったからこそついむっとしたとき、視界が陰る。ほんの少し息を飲んだときだった。ちゅ、と軽く唇が触れ、俺は目を丸くしたまま顔を上げた。
 ギラギラのネオンの看板が唯一照明代わりになった薄暗い路地裏、大通りの方から聞こえてくる酔っ払いの陽気な歌声が遠退く。

「原田、お前は知らんだろうが案外俺は誠実だぞ」

 逆光で店長の表情が暗くなり、その表情まではよく見えなかった。それでもあまりにも優しい声で囁くものだから、俺は「どこがだ」とツッコむことを忘れてただ固まっていた。
 断じて見惚れていたわけではない。ミリもきゅん、なんてしていない。そんなわけではないのに、俺はそれ以上店長の顔を見ることができなかった。
 そして、

「誠実な大人は面接でセクハラなんてしねえよ!!」

 そう叫びながら俺は脱兎のごとく逃げ出したのだ。

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