アダルトな大人


 第34回intense内部戦争

「笹山!」

 ――休憩室。
 ようやく足を止める笹山に呼びかければ、笹山はゆっくりとこちらを振り向いた。

「原田さん…どうしたんですか?」

 そう笑い返してくれる笹山はいつも通りで。でも、さっき、あんなに動揺していたのに。

「いや、あの…」

 もしかして俺の考え過ぎだったのだろうか。
 ここ最近笹山を避けてきていただけに、過敏になっていただけというのか。口ごもっていると、「あの」と笹山の方から口を開く。

「店長とのこと…おめでとうございます。すみません、俺、全然知らなくて…」
「お、俺も、言ってなかったから…ごめん」

 どこかの誰かにも見習わせたくなるその反応だが、なんでだろうか。
 これでいいはずなのに、笹山のその言葉に胸の奥のもやもやは大きくなるばかりで。

「それなのに、馴れ馴れしくしてしまってすみません。…これからは気を付けますので、その…」

 珍しく、言葉に詰まる笹山。
 浮かべていたその笑みが引き攣るのを見逃さなかった。

「笹山…っ」
「ごめんなさい、俺、ちょっとビックリしてて…どうすればいいのかわからなくて……」

 俺は、自分を守ってでもこんな笹山の顔を見たかったのか。違うだろ。
 俺が無事でも、誰かを傷付けたなんの意味もない。

「ちょっと、頭冷ましてきます」

 言うなり、逃げるように踵を返す笹山。
 このまま笹山を放っておくわけにはいかない。そう思ったらと咄嗟にその腕を掴んでいた。

「原田さ…」
「違う、こんなつもりじゃなかったんだ。お前にそんな顔、させるつもりじゃ…」
「原田さん…?」
「本当は、俺…」 

 全部嘘だって、笹山に近付くなって脅されていたんだって、全部言おう。
 笹山が困るかもしれない。けれどこれ以上隠し事はしたくない。
 そう、決意して「俺」と笹山を見上げた。それと、奴がやってきたのはほぼ同時だった。

「おい!貴様ら店内ガラ空きではないか!!」

 なんというタイミングだろうか。
 休憩室にやってきた店長に雰囲気決意諸々ぶっ壊される。

「む、笹山と原田じゃないか。こんなところで堂々とサボりとはいい度胸だな」
「て、店長………」

 もしかすればもしかして余計な事を言い出すのではないだろうか。
 そう危惧していたが、よかった。流石に店長も空気を読んでくれたようだ。ほっとした矢先だった。

「時に原田、俺というものがありながら他の男と二人きりになるとはどういうことだ」

 全然そんなことなかった。

「いや、ちょっと待て笹山、店長、あの、これはですね」

 油断していた矢先のことで正直もう汗だらだらで死にそうなんだが。
 頼む頼むこれ以上余計なことは言わないでくれとジェスチャーを送っていると、笹山が俺の前に出る。

「店長、誤解されるようなことはありませんので心配なさらず結構です」

 流石笹山、真面目だ。しかしお前俺はそんな言葉聞きたくない。

「ふっ冗談だ、貴様がそんなやつだとは毛頭思っていない」

 どこからどこまでが本気なのかよく分からない男ナンバーワンもとい店長は笑う。
 状況だとしても、いち早く店長に事情を説明しなければならない。ややこしくなる前に笹山に理解してもらわなければ。
 そう焦りながらも「店長」と顔を上げたのと伸びてきた手が頬に触れたのはほぼ同時で。そして、目の前には長い睫毛。
 ほんの一瞬の出来事だった。柔らかい唇の感触が触れたと思った矢先、唇を舐められ思考回路が停止する。

「…んぅおッ?!」
「悪かったな、いきなり呼び出されたとは言えお前を放っておいて」
「え、いや、あの、え、あ……」

 ――いや、今なんでキス、えっ、キス?!

 案の定笑顔のまま硬直する笹山と目の前で爽やかに笑う店長に交互に目を向けては更に混乱してきると。

 ガシャーンとすっかり慣れてしまいそうになるその破壊音が響く。
 デジャヴを感じながら振り返ればそこには片付けていたであろう皿の破片をまた落としている司とケーキだったものを抱える紀平さん。と、取り敢えず着いてきたみたいな顔した四川がいて。

 つまり、やばい。更にややこしくなるメンツが全員揃ってしまった。

「店長…戻ってきてたんですか」
「つかっつかかつさか……」
「かなたん言えてないよ」
「貴様ら、こんなところで燻っていたのか!さっさと店内に戻れ!」

 事情を知らぬ店長は相変わらずで、しかし、それが逆に有難い。
「そうだそうだ!さっさと戻ろうぜ!」なんてあくまでさり気なく休憩室を出ていこうとするが。

「原田さん」

 案の定捕まってしまう。

「つ…つさか……」
「かなたん言えてないよ」
「原田さん、店長帰ってきたんだからちゃんと説明したほうがいいんじゃないのか?」

 ギリギリギリと手首を掴んでくる司。無表情だし無駄に力強いし名前も言いにくいしもうやだこいつと泣きたい。

「離……」

 せよ、と言い掛けたのと店長が司の腕を掴み上げるのはほぼ同時だった。

「…っ!」
「おい時川、掴むのは犯人の手がかりと勉強のコツだけと習わなかったか?」
「店長…!」

 その台詞はちょっとどうかと思うが店長…!
 仲裁に入ってくる店長に場違いながらも感動してしまう。
 しかしそんな俺とは対照的にますます司の表情が無表情のくせに怖くなっていくばかりで。

「人の恋人に手を出すのは良くないと思うぞ」
「それは問題ないです」
「なんだと?」
「だって俺…」

 ちょっと待て、司お前何を言うつもりだ。
 ちらりとこちらを見てくる司に嫌な予感を覚えた時だった。

「俺は原田さんと」
「ちょ…っ、司待て!」
「原田さんと同じ釜の飯を食う仲に昇格したから」

 あっ、思ってたより可愛かった。よかった。よくねえけど。

「司…っ!」

 なんとか誤魔化そうとするものの、肝心の頭は回らないしめっちゃ店長の顔怖いし司は相変わらずだし。

「おい、俺とはディナーに行ったこともないのにどういう事だ!」

「説明しろ」と促してくる店長はまじで怒っているようで。
 ここは腹を括るしかない。

「う、うう……は……はい」

 あまり思い出したくないことも思い出しつつ、俺は一連の事情を店長に説明することにしたわけだがこれがなかなかの羞恥プレイだったのでもう忘れることにする。



「なるほど、つまり貴様は原田と付き合いたいということか」

 休憩室、俺の隣に司が座りその正面には店長が座り、空いた適当な席に座る紀平さんたち。つーかなんだこの図は。
 そんな俺のことを知ってか知らずか司はこくりと頷く。

「原田、お前は…」

 どうなんだと目を向けてくる店長に慌てて俺は首を横に振った。
 暫く渋い顔して黙り込んでいた店長だったが、それもつかの間。

「よし、分かった!ならばこうしよう!」

 勢い良く立ち上がる店長はテーブルを叩く。
 うたた寝していた紀平さんがビクッてなっていたが敢えて俺は見なかったことにして俺は店長を見上げた。

 その場に居たやつらの目が店長に集中した時、店長はにやりと不敵な笑みを浮かべる。

「この一連のタライ騒動の犯人を捕まえた方が原田を好きにすることが出来るというのはどうだ!」
「えッ?!」

 まず驚いたのは俺だった。

「なっ、何言ってるんですか店長!」

 そして、次に笹山が呆れ返る。
 そりゃそうだ、仮にも店長は俺の恋人ということになっているのだ。そういうプレイを嗜むのも恋人なのか?!と思ったが笹山を見る限りそういうわけでもないのだろう。

「手段は問わない。ただし、ちゃんと仕事はしろ。これなら問題はないだろう」

 そんな俺達を無視して話を進めやがる恋人様。
 なんなんだ、そんなに俺が司についついポロッと口滑らせちゃったのが気に入らなかったのか。

「…原田さんを好きに……」

 なんだか泣きそうになっていると隣から聞こえてきた司の呟きに背筋が凍る。ちょっと待って、まじでこの席嫌なんすけど。

「…分かりました。捕まえればいいんですよね」

 案の定乗っかってくれる司に驚きはしなかったが俺の寿命は順調に縮こまっていることだろう。
 目があってなんかもう死にそうになっていたが、どうやら運命というものは俺に無慈悲なようで、更に追い打ち掛けられることになる。

「へぇ、面白そうだね。じゃ、俺司君手伝おうかなぁ」
「はっ?!」
「おい紀平、遊びじゃないんだぞ」
「分かってますよ、邪魔するわけじゃないんだから良いじゃないですか」

「減るもんじゃないし」と、目が合った紀平さんはにこっと笑った。
 相変わらずいい笑顔だが今はその笑顔が恐ろしい。
 つまり、ということは、だ。紀平さんが司につくってことは司が有利になるということだから…。

 あわわわわと一人戦慄していると、向かい側の笹山に「原田さん」と手を握られる。

「原田さん、俺も何か手伝えることがあるなら手伝います」
「さ、笹山…!」
「二人を仲違いさせるようなことにはさせません」
「さ、笹山ぁ…」

 有難いが、有難いが、相変わらず誤解されたままだし。
 その優しさが逆に辛いが、味方は多いに越したことはない。「ありがとう」とその手を握り返す。

「気に入らねえな」

 そんな中、感動的な空気をぶち壊す声が響く。
 何だこの野郎と声の主、四川を睨めばやつはうんざりしたように立ち上がる。
 そして、

「おい時川、手伝ってやるから捕まえたら俺にも引き渡せよ。ぶん殴ってやらねえと気が済まねえ」

 なんですと。
 俺たちが協定結んだのがそんなに気に入らないのか。
 司も司でそういうところには興味ないようで、「勝手にしたらいい」とだけ答える司に冷や汗がだらだら零れてくる。
 司と紀平さんと四川、俺と店長と笹山、見事真っ二つに対立することになってしまったわけだが相手側が質悪すぎるんじゃないか。犯人が可哀想になるレベルの凶暴メンツじゃないか。

「なるほど、紀平と四川は時川につくか。まあいい、不安分子はないに過ぎないからな」

 不安になる俺とは対照的に、店長は清々した様子だった。
 お前が言うなと言いたいところだが、今はそのなにを根拠に湧いているのかわからないたっぷりな自信が心強い。

 話が纏まれば早速休憩室から出ていく四川。
 釣られるようにふらりと立ち上がった司を、店長は「時川」と呼び止める。

「貴様が誰の恋人に手を出したのか思い知らせてやる」
「…」

 誰だ恋人ってってなったがもしかしなくても俺のことのようで。
 詰られすぎて心細くなっていた俺は不覚にもちょっと店長にときめきそうになったが、司の無表情が怖すぎて俺は慌てて避難する。
 司は何も言わずに紀平さんたちの後を追って休憩室を出ていった。


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