各所大ダメージ
「ふぅ………」
ようやく一人になれた。
取り敢えず早く脱いで身体を拭いてしまおう。そう、着ていたシャツに手を掛けたその時だった。
パァンと音を立て開かれる扉。何事かと振り返れば、そこには同様水浸しになっている司がいた。
「つ…司」
「さっき、俺、動くなって言ったよな」
やべえ、しかも怒っていらっしゃる。
慌てて隠れようとするが隠れる場所はないし、じりじりと後ずされば狭い脱衣室内、あっという間に隅に追い詰められた。
「だ、だって、その、着替えたかったから…」
「そんなに着替えたいんなら俺が手伝ってやるよ」
「いいっ、いらねえから!」
「遠慮しなくていい。…俺たち、付き合ってるんだから」
ああ、それならいいか……って、ん?!
さらりと司の口から出てきた衝撃的なその言葉に一瞬にして思考がぶっ飛ぶ。
「ちょっ、待て、付き合ってるって、誰と誰が……んんっ!」
聞き返そうとするも物理的に遮られてしまい、それ以上は言葉にならなかった。
後頭部を掴まれ、貪るように唇を重ねられれば先程まての司との行為を思い出し全身が緊張する。
やばい、まずい、この流れには見覚えがある。
シャツの裾、滑り込んできた司の手に思いっきり服をたくし上げられたその時だった。
「あ、ごめんごめん。タオル切れてたみたいだから持ってきたよー」
再び開かれる脱衣室の扉。
現れた紀平さんに心臓が爆発するかと思った。それなのに、司は唇を離そうともしなくて。
今なら分かる。司に追い詰められた時点で手遅れだったのだと。
「…司君、君、何やってんの?」
そして案の定、バレた。ここ最近のツイてなさから考えると予想通りだったのでなんだかもう慣れてしまいそうだったが、紀平さんの浮かべた笑みが凍り付くのを見た瞬間、あ、終わった。そう俺は確信した。
「…何って、着替えてるんですけど?」
いや着替えてはないしこれ違う。着替え違う。
そして真顔ですっとぼけやがる司に騙される紀平さんでもない。
「って、ぅ、おうっ!」
矢先、いきなり伸びてきた紀平さんの手に思いっきり服を捲り上げられる。
「え、ちょ、なに」と慌てて下げようとするが、敵わない。それどころか脇腹を突かれれば力抜けそうになる始末で。
「気になってたんだけどさ、もしかして、これやったの君?」
「俺ですけど」
「君、言ってなかったっけ。かなたんは店長と付き合ってんだよ?よくないよねえ、こういうの」
これと言われても見えないが如何せん心当たりがあり過ぎて困る。お前が言うなと突っ込みそうになったが、今はその言葉が有難い。
そうだ!もっと言ってやれ!こいつを止めてくれ!
そんな念を送っていると。
「問題ないです」
即答だった。
「どうしてそう思うわけ?」
「原田さんは俺とも付き合うって言ったんで」
素知らぬ顔して続ける司にキスをされる。瞬間、「え?」と三人の声が重なる。
……ん?三人?
「おっ、お前……確かに店長はやめろっつったけどさぁ…っ!」
いつから聞いていたのか、更衣室の前、ドン引く四川に俺はハッとする。
「いや、ちが、誤解。誤解だから!俺、付き合うなんて…」
「言ったじゃん」
「言ってねえよ!」
何かが可笑しいと思えばそんな厄介なことになってたなんて思ってもなくて。
しかし今は違う、ある程度冷静になった今ここで司とは決着を付けなければならない。そう構えた矢先のことだった。
どこからともなくボイスレコーダーを取り出す司。
そして、
『原田さん、付き合お』
『ぁ、んっ、わかった…!わかったからぁ…!』
「って何録ってんのお前?!」
しかもなにこれ、いつの間に、つーかあの時のかよ!そりゃ覚えてるわけねえだろ!
「…かなたん……」
「紀平さん、あの、違います、これはですね、俺、いやほんと心当たりがなくて…」
「俺とは付き合わないつったくせに司とは付き合うっておかしくね?」
そこかよ!しかもめっちゃ怒ってるし!
「原田さん、俺のこと愛してるって言ってあんなに切なそうに泣いてたのに…演技だったわけ?」
「思い出補正やめろ!」
「時川お前…他にも録ってんのか?」
「後々有利になるから…オススメ」
「四川に悪知恵つけんのもやめろ!」
どうしてこう物事が順調に拗れていくのか。
というかまさかこいつあの行為全部ボイスレコーダーで録ってんじゃないのだろうかと危惧してたら日常的なものかよふざけんなよ!あと紀平さんも「もう一回聞かせて」とか言ってんじゃねえよ!司もリクエストにお応えしてんじゃねええ!
「司、お前勘違いしてるぞ!」
この際だ、紀平さんたちがいる前でハッキリさせる必要がある。いや、別に、二人きりが怖いとかではないからな、違うぞ。
「俺がすっ、好きな人は一人だけだし、その、お前と付き合うとかそういうあれはないっつーか」
「でも俺が好きなんだろ?」
「いや、ちが」
「好きなんだろ?」
こうなったらとヤケクソになったのが裏目に出たようで表情そのものに変化はないものの司の周りが明らかに瘴気のようなものが滲んでる。
「…原田さん」
やばい、この目はやばい、断ったりしたらなにされるかわかったものではない。
「ぅ、俺……っ」
しかしここで流されたらどうせろくではないことになるだろうし、けれど、けれど。
「俺は――」
「司君」
ええい、と口を開いた時だった。
ぽん、と頭に置かれた手に驚いて顔を上げれば紀平さんが俺と司の間に立つ。
「かなたんの事好きなのはよくわかったけどさ、かなたん困ってるよ?」
「…困ってる?」
「かなたんは店長が好きって言ってんだから諦めなよ。じゃないと、嫌われちゃうよ」
「ね」と笑い掛けられ、ボケッとしていた俺も慌てて頷き返す。
「そうだぞ、司…!俺は、ええと、その………「皆さん、ここにいるんですか?」…店長一筋だからっ!……え?」
なんか今ここにはいないはずのやつの声が聞こえたような気がしたんだけど。
いや気のせいだ、だってだって笹山がいるわけ…。
と、軽く現実逃避した時。出入口の方からガシャーンと何かが落ちる音がする。
まさか、と振り返ったそこには。
「あ…す、すみません……お取り込み中……」
どうやら丁度今来たらしい笹山が、ケーキを皿ごとひっくり返してたようで。
まさか聞かれてはいないだろうかと思ったがめっちゃ青褪めてる様子からして聞かれていたらしい。
同様青褪める俺の隣、引っくり返ったケーキに青褪める紀平さんと充満する生クリーム臭に青褪める四川。司はいつも通りだった。色々台無しである。
「笹山…っ、あの」
「…すみません、すぐに片付けますので」
誤解なんだ、と言い掛けたとき、そそくさと出ていこうとする笹山。
誤解というか誤解ではないけど、事実だけど、あくまでもフリだ。そう言いたいのに、それを言ってしまえば全てが台無しになってしまう。
一人決め兼ねていると、
「待って、透!」
紀平さんが笹山を引き止めてくれる。
もしかして、迷っている俺のために、と感動するも束の間。
「もう一個…もう一個ないの…?」
ケーキかよ!どんだけ食いたいんだよ!
「すみません、ないです…」
ほら笹山もめっちゃそこかよって顔してんじゃねーかよ!
「俺…拭くもの取ってきます」
今度こそ、生クリーム臭い脱衣室を出ていく笹山。
いても立ってもいられなかった。俺に何をフォロー出来るのかわからない、それでも、あんな顔をした笹山を一人にすることは出来なかった。
「笹山!」
俺は司の手を振り払い、笹山の後を追いかける。
「原田さん…!」
「ケーキ…」
「なんだこの展開…」